坂本龍馬と沖田総司、その双方がこの場を去り、全くの宛を無くした私達に声を掛けたのは中岡慎太郎だった。
彼は現在、坂本龍馬と行動を共にしている志士だ。時代を大きく動かした人物の一人でもある。
話によれば、坂本龍馬捜索隊が坂本と共に、先に接触していたらしい。
中岡を頼りに私達は坂本が寝泊まりしている宿へと赴くこととなった。そこで彼の帰りをそのまま待つ、そのように話はまとまった。
小道を歩いて、到着したのは趣がありながらも質素な宿だ。あまり目立つ立地と外装ではなく、身を潜めるならば誂え向きだろう。
足を踏み入れれば木造の内装が温かみを感じさせ、部屋の隅々まで掃除が行き届いていることが分かる。
板張りの廊下を進みーーふと気が付いたのは、坂本の部屋へとあがる時だった。
雷門イレブンが目の前の部屋へ気が取られている、そのほんの一瞬のこと。

その一瞬ーーこの空間にいる誰もが私へ意識を向けていないことに気付いてしまった。

私の側に居た白竜は天馬や剣城、中岡と今後の方針について話し合っていて、意識がそちらへ向いている。また、他の面々も誰かと話していたり、目の前の部屋を見ていて、また意識が分散されている。
これは、大人数だからこそだろうか。
人が多いければ多いほど目は増える。しかし同時にどうしても何かが抜け落ちる『隙間』が出来るものだ。
まさしくそれが、この一瞬だ。


ぴんと張っていた糸に『何か』の破片が触れた。


私は無意識に、己の気配を消していた。
音を立てずに片足を後方へ滑らせる。
神経を張り詰めて、息を殺して。
最も良い間を探って。

ーーそうして、するりと集団の最中から抜け出たのだった。




自分の呼吸が荒いことに気が付いた。
周囲から街を行き交う人々の足音や、会話の声が聞こえてくる。
私はようやく自分がしたことを認識した。
単独で、挙げ句独断で、私は雷門から抜け出て外に来てしまったのだと。
いや、分かっていたはずだ。己のしたことなのだから。しかしまるで自分の意識下になかったような感覚に混乱する。
処理落ちした頭が重く、ただぐるぐると私を問い詰めた。

何故こんなことをしてしまったのだ。


また。まただ。
また私は誰にも命令されず、求められずに行動した。
どうしてしまったというのだろう。私は。
雷門に来てから、足を負傷してから、『私』という機能はおかしくなってしまった。
胸がじりじりと痛む。
往来の中、迷子の幼子のように途方に暮れた。

どうしよう。

そんな漠然として、幼稚な言葉が頭を支配する。
こんなことは今までなかったというのに。
ことごとく道を塞がれて行き場を無くした思考が、苦し紛れに『坂本龍馬を探さなければ』と訴えかけてきた。
不意に、浅葱色の背中が脳裏を過る。
そうだ。そう。このままでは、いけない。
今はまず、それだ。坂本を見つけなければ、雷門の目的は果たされない。
私だけでも、彼を探しに行かなくては。
そうだ、きっとその為に私へ出てきたのだ。


そうでないと、私はーー。


目の前に京の街並みが広がっている。
紅葉の燃えるような紅色が、目に痛いほどで。
穏やかな景色だった。
けれどその穏やかな景色を見て、不意に
『理解して』わかってしまった。




私に行き場など無いのだ。
最初から、何処にも。


気を抜いてしまった。
はく、と無意味に口が開閉する。思わず、喉に手を押し当てた。
体の奥から込み上がってくる何かに喉が詰まる。
肺に満ちる空気がまるで突然重量を持つようで。
ーー今まで慎重に行ってきた呼吸に、気を払うのを忘れてしまった。
深く呼吸をしようとすると、『息が出来ないこと』に気付いてしまう。
『本当は最初からこの世に私の為の酸素なんて用意されていない』ことに気付いてしまう。

ぐらり、と頭の中がかき混ぜられるような感覚が押し寄せる。
大気の中に居るのに、窒息して溺れそうだ。

いつもそうだった。

本当は最初から知っていた。
だからこういうときはずっと、ずっと慎重になった。
思考を己の底に沈めて。何も考えないように。
体に行き渡る感覚の総てを丁寧に殺していった。

そうでないと。
そうでないと。

そうでないと、








「リファ!」

 
熱い。何よりも熱い温度が、私を大気の中へと引き戻した。
はぁっ、と堰を切ったように肺に酸素が雪崩れ込む。激しく胸を上下させ、本能は必死になって酸素を取り込んだ。
全身の汗腺が開き、背中から冷や汗が溢れていく。背筋がじっとりと冷えていくのが心地悪かった。
しかし、そうやって丸めている背を何よりも高い熱に撫でられる。
その温度に徐々に自分の体が熱を取り戻していくような、そんな風にも感じた。
遠く、生活音と雑多な人の声が耳に流れ込んでくる。
私は片手で胸を押さえていたようだった。
指が服に食い込んで、大きく皺を作っている。

「リファ! 大丈夫か、しっかりしろ!」

よく通る声がすぐ側で私の意識を導く。
昏く閉じ行こうとした視界に光が差したように。
私はその光の居所を探して、瞳だけを動かした。
片手から流れ込んでくる温もりが何よりも確かだというのに、でも、それを辿ってもしも幻だったらと。それが余りにも恐ろしくて出来なかった。
だから白光を湛える髪と鮮烈な紅色を一番に視界に捉えて、私は安堵したのだ。

「……大丈夫か。酷い顔をしている」

白竜が端正な眉をしかめて、私の顔を覗き込んでいる。
彼は私の背を撫でながら、掴んだ私の手をぐっと確かめるように強く握った。
はくりゅう、そう名を呼んだつもりが私の喉からはまるで声が出ていない。
「落ち着いてからで構わない」
白竜はそう言って尚も私の背を擦り続ける。
私の片手を握っている、私より大きな手。
そこから澱みない彼のエネルギーが伝わってくる。
「……休めそうな、静かな場所に行こう。お前もその方がいいだろう。それに」
もはや己の重量さえ認識が曖昧な頭をふらりと上げる。
白竜が私を見ていた。真っ直ぐ、まるで吸い込まれそうな程に、強く。

「お前と二人で話がしたい」


紅葉よりも紅く、確かな瞳だった。


(19.2.18)


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