新撰組の隊士も、サッカーチームである我々の足とスタミナには僅かに及ばなかったようだ。追っ手は見えなくなり、無事に振り切ることが出来たらしい。
とはいえ、仮にも全力疾走した後だ。員が全員、それぞれ膝に手をついたり、地面に座り込むなどして息を切らしている。
「どうなるかと……思った……」
「ああ……」
呼吸の合間にぜえぜえと狩屋が言葉を吐き出す。答える霧野も同様に、声には力がなかった。
息を整えながら、視線を配り周囲を警戒しておく。一旦安全であることは確認したが、万が一とも限らない。
しかし、足首の痛みについ気を奪われる。思わず顔をしかめると同時に、まだ繋いでいた手に力が籠ってしまった。まだ息を弾ませている白竜がこちらを振り返る。
「リファ、足は」
と、言いかけた白竜の言葉は遮られた。
不意にひとつの影に私の体が引き寄せられたからだ。
白竜から手が離れ、ふわりと鼻孔を掠める柔らかな香り。
頬に細くさらりとした髪が触れたかと思うと、そのまま人肌の熱に体が包み込まれた。
「リファ〜ッ! お前、無茶すんなよ!」
水鳥だった。
私に駆け寄ってきた彼女は、正面から私を抱き締めたのだ。
回されている腕に目一杯の力が込められる。私と彼女の間の、僅かな隙間さえ埋めようとするかのように。
思わずフリーズした思考回路に応じて、体もたじろいでいた。
このような経験は今までにない。どのように行動すれば良いのか分からなかった。
ただ、密着した体からは未だ忙しない水鳥の心臓の音までも聞こえてくる。運動の後で火照った体は体温が上昇していて……温かいと、そう思った。
思えば、白竜に手を取られた時もそうだった。
人の熱はこのように温かい、ものなのだろうか。

「助けてくれてありがとな……でもお前に何かあったら元も子もねぇんだ。だからあんま無茶すんな……」
水鳥が私の肩口に顔を埋める感触が伝わってくる。
どうしてか、胸の奥が震えた気がした。
彼女の熱が、私にも染み入ってくる。
それは今までに感じたことのないもので。とても胸がざわついて。まるで微睡みに揺蕩うその最中のようで。ひどく空虚で。ひどく満ち足りたもので。
しかし混濁した胸の内に捕らわれるより先に、本能が彼女の言葉を解析する。
牢獄に転がっていた私のビジョンが告げるのだ。

今此処で、安易に呼吸をしてはならないと。

「……何故」

私の応答は、水鳥にしか聞こえなかったはずだ。背に触れていた彼女の指がぴくりと震えた。
「は……? 何故って……」
私の両肩を掴んで、水鳥は体を離す。
正面から向き合った彼女は眉を歪ませ、口を開けたままだった。その表情筋の動きから見て取れるのは、困惑だろうか。
「水鳥さんの言う通りだ」
と、白竜が隣から口を挟んだ。恐らくは、水鳥が言った発言に対してだ。
「リファ、何故あんな危険な真似をした? お前は怪我人でもあるんだ、大人しくしていろ」
彼の眼差しが私に真っ直ぐ突き刺さる。まるで、直接身に刺さっているのかと錯覚しそうなほど。
「応答する。今の私は戦力外。故に、私が囮になって皆を逃がすのが最も」
「何?」
と、白竜は私の言葉を遮った。
続けざまに彼は声を張る。
「だから自分が危険な目に遭ってもいいというのか? 斬られるところだったんだぞ!」
「それに関しては肯定を返す。ただ回避行動に専念した後、逃走は可能だと事前に判断していた」
じわじわと、白竜のその目に激しいエネルギーの荒波が起こり始めている。
それを察知しながら、私の心臓も大きな音を立てていた。
おかしい。
水鳥を救出する為に行動を開始した時もそうだった。
頭の中が、今もぐらぐらと煮えたぎっているように熱い。身体中の神経が何らかの激しい衝動に服従させられている。まるで砂でも飲んでいるかのような心地だ。
喉が乾くほどの焦燥感。
口が走る。
乱れた思考さえ置き去りにして。
体の奥から何かが暴れだそうとしている。

「今の私に利用価値は無いに等しい。なれば、ここに存在している意義がない。私は私の利用価値を示さなければならない」

束の間、水を打ったかのように雷門イレブンが口を噤んだ。
茹だる頭が吐き出した私の言葉は思いの外語気が強く、あるまじき熱のようなものを含んでいた。
これは、なんだ。
確かに自分は自分の管理下にあって状況を俯瞰する自分が居るのに、あらゆる感覚が先へ先へと身を乗り出そうとしている。
「……は?」
「利用……価値……?」
白竜がようやくそう一音を発する。フェイの声は当惑した様子で揺れていた。
水鳥が目尻と眉を吊り上げて、激情を見せる。
「リファっ、なんでんなこと」
「お前!」
が、更なる怒気を放った声が水鳥の呼び掛けを掻き消した。

「……本気で言っているのか?」

白竜はまるで声を潜めるように、しかしそこに確かな圧と重量を持って言った。
そのあまりの『重さ』に、私は口を閉ざした。
低く、低く、腹の底から震い出たような声だ。
紅い目が燃え盛るように私に食らい付いていて、最早一種の恐怖さえあるというのに目を逸らすことが出来ない。
怒りだ。
彼が大いに放っているのは、私の『能力』を認めないと断言したあの時と同じ、激しい怒りだった。
それと、怒りではない、『何か』。
だがそれを分析することが私には出来なかった。
頭の中が、体の中が、全て断絶されていく。
私は混乱しているらしかった。
何が正しいのが、分からなくなる。
足場がどこにあるのか見えなくなる。
無言で首を絞められているみたい。
ーー何故?
ーー何故、貴方は、そんな顔をするの?

「白竜止めろ」
凛とした低音。
はっと息を詰めていたことに気付く。
「水鳥さんも落ち着いてください。今は口論している場合じゃない」
剣城は厳しい眼差しと口調で彼らを諭した。
「リファ、お前が取った行動は確かに無茶だ。だが、間違ってもいなかった。例え結果論だとしてもだ。違うか? あのまま誰かが連れていかれていたらどうなっていたか分からない。より最悪の事態になっていた可能性だってある」
「俺が言っているのはそういう事ではない」
「分かってる。だがそれは今このままする話か」
息巻く白竜に対して剣城は一寸たりとも怯まない。いっそ誰よりも冷静だ。真っ直ぐ見つめ返す彼の瞳を見据え、白竜は顔をしかめたまま一度口を閉ざした。
「……常より饒舌だな剣城」
「何とでも言え」
目を伏せた剣城から白竜は顔を背ける。しかし彼の纏っていた気は少し収まっていた。
は、は、と自分が呼吸している息遣いが聞こえる。
心臓が大きな音を立てて鼓動している。
いつの間にか力んでいたらしい両足から脱力しそうになったのを踏み止まった。
が、足首に刺すような鋭い痛みが走る。
「っ……」
「リファ!」
結果、膝をついた私に黄名子が側に駆け寄ってきた。背中に手を当てられる。
「さっき走ったから、足痛むやんね……」
彼女の言うことに違いなかった。
やはり、行動には負担があったのだ。それも承知の上だったとはいえ、痛みをやり過ごすことは出来ない。
だがここで行動不能になるわけにはいかないと、逸る心音が私を駆り立てる。
暫くすれば収まるはずだ。
もう一度立ち上がろうとした、その時。

「リファをキャラバンまで連れていく。お前たちは引き続き、沖田の捜索を頼む」

思わず顔を上げて、声がした方を見ていた。
声の主を。白竜の方を。
彼の激情は剣城とのやり取りで鎮まったようだがしかし、依然として強い光を宿した瞳が私を見つめ返している。
彼はおもむろに私の方へ歩み寄ると、体を翻してその場に膝をついた。
そうして後ろを向いたまま私に手を差し出す。
「乗れ、リファ」
「……!」
息を飲んだ。
彼の言わんとしていることが私には理解出来た。
「そ、れは……」
着物を来た彼の背中が目の前にある。
絞り出した声はまるで彼にすがるようだった。
不意に、目眩がしそうになる。
「それは、出来ない。白竜、貴方に無駄な行動を取らせる事は断じて……」
「リファ! つべこべ言わずに乗れ!」
頭から冷水を被せられたようだった。
感じているのは寒さか、暑さか。
体が小刻みに震える。
やはり呼吸に実感がないのだ。
ずっと、ずっと。より一層。

命令されれば、従うのみ。
動けなくても、動くのだ。
どうしようもなくとも動くのだ。
出来ているのかも分からない息をするのは、それでも慎重に。

彼の肩に手をかけた自分の腕が死人のもののようだった。それと大差はもうないのかもしれない。
自分よりいくらか広い背中に身を寄せて、徐々に体重をかける。

温かい。
むごいほどに温かい。


白竜は両腕で私の両足を抱えると、そのまま何なく立ち上がった。彼の健脚はしっかりと、私と彼の二人分の体重を支えている。
「白竜! リファのこと、頼んだぞ! リファに何かあったらぶっ飛ばすからな!」
水鳥が白竜を真っ直ぐ指差して、まるで宣戦布告のように言う。
私から表情の見えない白竜は、それをさらりと受け流した。
「心配は無用だ」

それから一言二言、沖田捜索隊の面々と連絡を交わして、白竜は彼らの歩む方向とは逆に歩み始める。
私にも何か声を掛けられたかもしれない。
だが私には不思議ともう何も聞こえていなかった。

(19.1.13)


[ 28/53 ]



 
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -