眠りの底から、ゆるやかに意識が浮上した。
薄く目を開くと、天井の木目が目に入る。時計を確認すると、まだ早朝と言える時間だった。
今日はタイムジャンプの任を無事終えたということで、一旦の休みが与えられている。練習もないので、このような時間に起きる必要性はない。
十分な睡眠時間にもまだ少し足りないので、再び意識を落とそうと目を閉じる。だが一度冴えてしまった意識はなかなか眠りにつこうとはしなかった。
諦めをつけ、ゆっくりと床に足を下ろす。
今日は早い起床とすることにした。


私とフェイはこの時代にいる間、天馬の親戚が大家をしている木枯らし荘という場所に住むことになった。空いていた部屋のひとつを借りて、衣食住を世話になっている。天馬もこの木枯らし荘に住んでいるので、休息日であっても彼らとは顔を合わせることになるだろう。
階段を下りる度に木が軋む音がする。私は今まで木造建築の建物を見たことがなかったので、この音を聞くたびにここが過去の時代であることを強く認識させられる。
共用のダイニングスペースへ足を運ぶと、人影が台所に立っていた。
「あら、リファちゃん。おはよう」
「おはようございます」
彼女が天馬の親戚であり、大家の木野秋さんだ。
エプロンを身に付ける彼女の指先はたおやかで、私はいつもそれに目を奪われる。
「今日は早いのね」
「目が冴えて再びの入眠が困難だった為、起床としました」
「そうなの。眠くはない?」
「はい。活動に支障はありません」
「ならよかった」
秋さんは数ミリ眉を下げて、口角を上げた。「そうだ」と私に語りかける。
「今から皆の朝御飯を作るところなの。せっかくだし……と言ってはなんだけど、朝御飯の支度を手伝ってくれないかしら?」
朝御飯の支度。そのような仕事は今までに経験した事がなかった。しかし、求められるのならば、私はそれに従うのみ。
「貴女の言うままに」

料理をしたことがあるかという問いに否と答える。記憶している限りでは、私にそのような経験はない。
秋さんに献立を説明される。
焼き魚、卵焼き、味噌汁、おひたし、おにぎり。
私にとっては馴染みのない食べ物ばかりだった。
「リファちゃんには、卵焼きとお味噌汁を作って貰おうかしら」
「了解しました」
まず手本として、秋さんが卵焼きを私の目の前で作って見せる。
彼女の手つきの輪郭をなぞるように、私は目を凝らす。
秋さんの手さばきは手慣れたもので、鮮やかにさえ見えた。
「出来る?」
「可能です。手順と共に貴女の動きを記憶、把握しました」
秋さんに菜箸を手渡され、入れ代わりでコンロの前に立つ。私は先程見せられた彼女の動きを『複製』した。
やがて、眩しいほどの黄色がふんわりとまな板に跳ねる。寸分違わず彼女が切り分けた大きさの通りに、包丁で切り分けて皿に盛り付けた。
香ばしい香りが鼻孔を擽る。
湯気が上がる卵焼きは、秋さんのものと全く同じものが出来上がった。
「す……すごいわリファちゃん! とっても上手!」
「秋さんの動きを『複製』しました。想定の結果通りです」
「『複製』……? でも一度見ただけで、こんなに出来るなんて……リファちゃん、お料理に向いているのかもしれないわ」
秋さんはそう言いながら笑顔を私に向ける。その笑顔は確かに「喜び」の反応に見えて、私は少しだけ当惑した。私は求められた仕事をただこなしただけだ。それに、「向いている」とは初めて言われた言葉だった。
「じゃあ、人数分の卵焼きを作ってしまいましょう。そのあとは、お味噌汁を作るわね」
「わかりました」
秋さんは私に野菜の切り方やお味噌汁の作り方、おにぎりの握り方も教えてくれた。
秋さんの手つきを『複製』して出来上がったおにぎりを見て、彼女はまた嬉しそうに笑った。
「すごく上手よ」
『複製』しているのだ。完成された結果が出るのは分かりきっていることなのに、それを喜ばれるのは理解しがたかった。不思議と、胸の奥が擽ったいような感覚に見舞われる。しかし何故か不快感はなかった。
己の心理的反応を分析しながら、おにぎりを握り続けたが答えは出ないまま。秋さんは均一の形で並んだおにぎりを見て「ありがとう、リファちゃん」と笑った。
作業をひとつひとつこなしていくうちに、献立の全てが完成した。やがて、荘の住民たちが集まりだし、ダイニングスペースは瞬く間に賑わいで満たされた。
「今日の朝ごはんはリファちゃんが手伝ってくれたのよ。おにぎりや卵焼きも作ってくれたの」
「これ、リファが作ったの!? すっげー! おれより上手だよ!」
秋さんの話を聞いた天馬が、私の作った卵焼きを箸でつまんでそう言う。何と返せば良いのか咄嗟に言葉が出ず、そうしている間に黄色い卵焼きは天馬の口の中へと消えた。
「うん、美味い!」
「本当に。リファ、これすごく美味しいよ」
天馬の隣に座っているフェイが目を山なりにして、卵焼きを口へ運ぶ。
私はやはり返すべき言葉が分からずに、ただただ彼らの言葉を受け止めていた。
『美味しい』
そう言われる度に、秋さんから『上手』と言われた時と同じ、擽ったいような心地がする。居心地が悪いような、良いような、判別がつかない。
「リファちゃんが作ったのかい? 上手だねぇ、良いお嫁さんになれるよ」
「およめ……さん」
住人の老婆であるヨネさんに言われた言葉は何とか復唱することが出来た。
嫁、とはつまり、結婚した女性、女性の配偶者のことを指す。
焼き魚を口に運んだが、味が把握出来ない現象が起こり頭が混乱した。私がヨネさんの言う『お嫁さん』になるというのは、まるで現実味のない話で異次元の話をされているようだった。
そのような未来が有りうることは無いだろう。
呼吸をひとつ、落とした。
「ねぇリファ」
は、と無意識に俯いていた顔を上げる。天馬の大きな瞳と目が合った。
「フェイとお昼頃にスポーツショップに行こうって話してたんだ。新しいタオル欲しくてさ。リファも一緒に行こうよ」
「それは荷物を持つ役目としての同行か」
「えっ、違う違う! 一緒に出掛けようっていうだけだよ」
「一緒に……出掛ける、だけ……。しかし、役目がないならば、私は同行して何をすれば良いのか。指示を希望する」
「えーと……何にもしなくていいんだよ。そうだ、帰りに一緒にアイスとか食べよう」
「帰りに、一緒にアイスとか……食べる……」
つまり天馬は本当にただ同行するだけで、帰りにアイスなどを共に食べるという目的の為だけに私を連れていくことを望んでいる。そのような要望は初めてだった。また、思考回路が混線する。彼の言うことは、やはり私には分からない事が多い。天馬の真意は分からないままだがしかし、望まれるのならば私は彼の意向に沿うしかない。
「……分かった。貴方と共に行動しよう」
「うん! じゃあ何時頃行こうか。ねぇフェイ……」
天馬は満足げに笑うと、フェイと時間の打ち合わせを始めた。
ふ、と息を吐いて、食卓の光景を改めて眺める。
空間には、話し声と朝日が満ちている。
不意に脳裏に過った、いつかの真っ白で空虚な空間が、温かな木目の空間に掻き消されて行く。
口をつけたお味噌汁は温かく、体に染み入るように感じるのが不思議でならなかった。


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