大丈夫、問題ない 
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「キリィ…」

声につられ見上げると、木の上に何かがそこにいるのがわかった。木々の葉で表情はよく窺えなかったが、あの下半身はまさしくキリキザンのもの。つまりこの大所帯のボスだ。バトルを相当数こなしてすり減り磨かれて鋭さを増した手先足先は、強者に相応しい鈍い光を放つ。今からアレにかかるのかとおもうと、恐怖で吐き気がしてくる。

積極的に死にたいわけではない。けれど、いま死んでも後悔はしないだろうとも思う。本能的な感情はどうする事もできない本心だったが、困窮した生活への疲弊と絶望もまた本当のことだった。早く楽になりたいと願う気持ちを虚勢で覆い隠す事は難しい。
それに、私の体力は少し休んだくらいでは回復せず、この取り囲まれた情況から逃げ出す知恵もない。まさにまな板の上のコイキング…絶好の獲物だった。

「キリ」

襲え、とでも言ったのだろうか。空中を覆い隠すほどのコマタナ達が飛び上がる光景を、私はただ眺めていた。
細く差し込む月光に乱反射する数々の刃のきらめきが、幾千の星に見える。空腹と疲労で動かない身体は彼らの打撃を受けるままに右往左往。まるでコンチネンタルタンゴを踊らされているようだ。千切れる服のフリルには切り裂かれる肌で色付けられた。呻き声が四拍子を刻み、刃競り合いが裏拍をとる。ダ・カーポのないこの曲のラストを飾るのは一等輝く赤い閃光。クイックアンドスローでそちらへ倒れてみれば、両脇が斬り裂かれるかわりに彼の腕の中にいた。感じる確かな温かみは流れる血か彼の体温か…。滑らかな胸元から視線を上げてみれば、先ほどは伺えなかった表情がよく見える。三日月よりも弓なりな目が私に絡む。

ぞわりと悪寒がした。

曰く、ヒトとポケモンは昔その境がなかったらしい。いつしか種は別れ世界を隔てた。世の中には未だ太古の色を濃く残した村もあると聞くが、その実態はどうであるか誰も詳しくは知らない。一種の禁忌的なものとされる風潮は一体誰のためのものだったのだろう。

腹の底から湧き上がる形容し難い感情に叫び出したいような泣き出したいような…。奥底に仕舞い込んで大事にしていた宝物が無理やり引き摺り出された気分だ。肌が粟立ち、呼吸は荒く乱れた。酸素が足りぬ思考回路はもうまともであるはずもなく、逆光の中でもはっきりと形がわかる瞳の形が妙に美しい。
どくりどくりとスピードを増す鼓動に突き動かされるように腕を彼へ絡め、隙間など必要ないと刃に身を食い込ませた。

「…素敵」

こぼれ落ちる言葉に意味などない。ターンを描くほどに生存本能は緩やかに連れ去られていく。ビロードの上を滑るように踊れば、益々ひとつになっていく気がして心地が良かった。そこにはまさしく苦しみもなければ悲しみもない世界があって、心酔するにたる甘美な喜びだけがある。クラクラして覚束ない視界に赤とシルバーだけが映った。
あともう少し、もう少しできっと…

「キャンッ!キャンッ!」

反転した世界に酔ってしまいそうになって手放した意識の中で、イワンコの声だけははっきりと聞き取れた。


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