そして彼女は目を覚まさなかった。

うねる炎が故郷を食いつくしていった。
降る光が愛した人々を影にしていった。



少女が無機質な廊下を駆ける。
息が切れそうだとか、足が痛いだとか、そんなことはもうどうでもよかった。
今となっては自動扉でさえ生きているのに安堵する。
部屋ではパネルが空中で大きく展開していた。
その下にそれを操作する、一人の男。
彼女ーーナマエの愛する背中があった。

「オズロック! 都市はもう駄目……中央のここが落ちるのも時間の問題だよ」
オズロックがきつく歯を噛み締めたのが彼女には分かった。
写し出されている多数の地域管理システムと防御システムの画面。それと並んで各地の様子が浮かんでいた。
敵の侵略を阻みながら、彼とて分かっていたのだ。
最早この星は、自分達が生まれ育った母星はもうもたないことを。
「っくそ……!」
喉を震わせて彼は目を見開いた。
血走った目だった。
破滅を免れようと足掻いても、敵があまりに大きい。押し寄せる軍勢に、攻守共に追い付かない。
そうしているうちにもモニターの向こうで、愛した景色が瓦礫となって崩れてゆく。
多くの人々が断絶魔さえ残せずに逝く。

「あ……」
ナマエは無意識に声を漏らしていた。
そして、モニターに目を凝らした刹那だった。
強烈なビーム砲が映っていた景色を抉り取った。
光の中に全て灰も残さず消え失せる。
一瞬だけ映し出されたその場所は、ナマエがオズロックと共に訪れた場所だった。
いつかのあの景色の中で、初めて仏頂面の彼が柔く微笑んでくれた。
彼女の髪が風に踊って子供のように照笑いを返した。
今も鮮明に心に残る光景がたった今、画面の向こうで焦土と化した。

「おのれファラムめ!! 何が侵略だ! これはただの破壊ではないか!」
オズロックの怒号が響く。
膝から崩れ落ちそうになるのをナマエは寸前で堪えていた。
そのうちに、思い出さえも殺されてしまう。
敵は最早ナマエ達のすべてを、何を残すことも許さない。
膝をついたなら、己の手で己の意思を殺してしまう。

「このまま……イクサルに残って戦えたなら……!」
「駄目! オズロック!」
そうこぼす彼の声にはっとして、咄嗟にその腕にしがみつく。
震える拳を握る、その手もまた震えていた。
「貴方はイクサルにとって大切な人、失うわけにいかない!」
触れたそこから彼の感情が雪崩込んでくる。
心が、体が、刺すように痛い。

オズロックはイクサルの為に尽くしてきた人間だった。
同胞が逃げる間の今も、一人この場所に残ってイクサルを守ろうとしている。彼は同じイクサルの民とて、他人には不可能な多くのことを可能に出来る。
彼の有能さをよく知っているナマエには確信が出来た。
オズロックがこれから起こりうるであろう問題を解決出来る力を持っているのだ。
だから生きなければならない。
そうして、生かされる事が決まっている。
それは例え彼の意思を否定してでも。
ナマエが己の感情をその手で殺す時があるなら、それは彼を生かす時だけだ。
彼女にとって彼が生き延びることはイクサルの民として誇らしく、同時に恋人としてどうしようもなく痛々しかった。

「もう脱出用の宇宙船に乗らないと手遅れになっちゃう。もうすぐイシガシが来るから、皆でっ……!?」
不意に腕を振りほどかれる。
「私が必要だというならお前もだ、ナマエ!」

ナマエはオズロックの胸の中に居た。
力任せに抱き締められる。
まるで彼の内側に沈められていくようだった。
「お前が居なければ私は私ではない……!」
苦しげにオズロックはそう、声を絞った。

身が潰れる程の圧迫感。
声が出ない程の閉塞感。

痛くて、狭くて、苦しい。
けれど、皮肉だ。
なまえはそんな彼の胸の中だけで、ようやく呼吸が出来た。


この部屋で彼と抱き合いながら、星と運命を共に出来たなら。

堪えていた涙がついにナマエの頬を伝った。
オズロックがその身ひとつで、ただ自分だけを求めてくれたことが嬉しい。
立場も、役割も、責務も、その言葉には何もないのだ。
もうこのまま彼と息を潜めて、溶け合ってしまいたかった。
決して彼がそれを望んでいるわけではないことをナマエも分かっている。
けれど、こうして居る以外、呼吸をすることさえこんなにも危うい。
広大な星の海に出たとして、その波間で溺れないという保証はないのだ。


「私、すごく、怖いよオズロック。生き延びることだってすごく怖いの」
ただ、オズロックと同じ願いを口にすることだけはナマエには出来なかった。
血の存続を託されたが故、しかしナマエ達が星を捨てていくのも事実。
内に募る感情はどうしようないけれど、死にゆく者の願いを守るのは託された者としての義務だ。
嵩を増す理不尽な背徳感と罪悪感を呑み込むしか術はない。

ーー弱い私をどうか許して。

ナマエは、息を止めた。
そしてオズロックの背に腕を回して、ある力の全てで抱き締めた。
肩口に彼が顔を埋める。
呼吸の音が聞こえた。
「……でも、大丈夫」

部屋が揺れた。
爆発音が近付いてくる。
外に充満する殺意が、刻一刻と此処をも蝕み始めている。

「貴方と一緒だったら、きっと、平気」

削り取られていく足場の上、どこよりも温かい場所を知っている。
それだけが希望だ 。
もしかすると、銀河の誰よりも一番、幸せなのかもしれなかった。

「ありがとう……私、ずっと傍に居るよ」

ふっと、抱き合っていた腕がほどかれる。
オズロックの手が首からナマエの頬を撫でる。
存在を確かめるように。
これから辿ってゆく道を覚悟するように。
自らの気持ちの証明を彼は口付けに代えてなまえへと送った。

尚も遠巻きの破壊音が、心をせき立てていた。





「今から何年後にまた会えるのか、分からないけど。どこでどんな風にして生きていけるか、分からないけど」
コールドスリープの直前、オズロックとイシガシ達、そして存続を託されたイクサルの民達は黙ってナマエの言葉を聞いた。
瞼の裏に浮かぶ、宇宙船の窓から見た煌々とした炎に塗れる母星の姿。
言葉を紡ぐ彼女も泣き腫らした目をしていた。
けれどひとつ、その目にはまだ光が生きていた。

「でも、きっとやり直そう。私達の愛したイクサル……そうして」

ナマエは笑ってみせた。
イクサルの風に吹かれて、地に立っていたときと同じように。
オズロックにはそれが、何よりも美しく感じた。

さいごに彼女は言った。


「みんなでまた、幸せになろうね」


(14.6.7)


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