どんな時も、どんな場所にも必ず僕を助けに来てくれるその子は、女の子で年下なのに僕より強い。いじめっ子をぶっ飛ばして、兄上の看病で疲れ僕の悪口を零した母上に怒鳴って。びっくりするほどに強いのに、ものすごく頭の悪い子だった。1たす1の初歩的な足し算を教えるのに3時間かかったことなど、他にあっただろうか。あの問題でバナナなどという有り得ない答えを叩き出したのは後にも先にも彼女ただ1人だった。
「鴨ちゃん。」
僕を頭の悪そうな呼び方で呼ぶのは彼女だけ。最初こそは抵抗があったものの、返事をしないと泣かれるので今はもう諦めている。周りは驚いたような顔をして僕達を見比べたりするけれど、彼女の泣き顔を見るよりはいくらかマシだと思う。
「ね、鴨ちゃん。」
「なんだい?」
「鴨ちゃんだって馬鹿でしょう。」
何を言うんだ。僕は寺子屋で秀才と呼ばれた男。君よりも遥かに頭がいい。真選組の誰より、きっとこの世界の誰よりも頭がいいはずだ。
「だって鴨ちゃん、今死にそうだよ?」
彼女が何を言っているのか理解出来ない。死にそうだからなんなんだ。死にそうだと馬鹿になるのか?「鴨ちゃん。」待ってくれ、今君の言葉の意味を考えているんだ。僕が理解出来ないと君は泣くだろう?邪魔をしないでくれ。
「考えたって鴨ちゃんには分からないよ。」
「何故?」
「鴨ちゃんが馬鹿だから。」
「………何故?」
「だって、」
何よりも切望してた仲間を裏切って、しかも死にそうだなんて馬鹿じゃない。
泣きそうな顔だった。目に涙が溜まっていて今にもこぼれ落ちそうだ。珍しいのは、彼女がそれを一生懸命に耐えているということ。あぁ、気分が悪い。
「馬鹿だね鴨ちゃん、どうして自分にまで嘘をつくの?」
血にまみれた真選組の隊服を着ているくせに彼女はとても綺麗に見えた。自分を信じ、仲間を信じ、愛するものを守ろうと戦う近藤勲の意志を強く受け継いだ迷いのない目。人を斬っても真っ直ぐに歩いていく馬鹿の印。僕が手に入れることの出来なかった、否、手に入れられたはずなのに自ら拒絶したもの。
「鴨ちゃん死ぬの?」
「嫌な、聞き方だな。」
「土方さん喜ぶね。」
「土方…か、」
やっぱり君は馬鹿だ。何も知らないで、死の間際まで他の男の名を口にする。
「鴨ちゃん、」
意識が遠のいて彼女の声が聞こえなくなっていく。握られているはずの手にはもう感覚など残ってはいない。静かな世界では、目の前にある彼女の綺麗な笑顔だけが全て。
「なまえ、」
もし、もう一度この世に生を受けることが許されるのならば、
「愛している。」
僕は、馬鹿になりたい。
馬鹿を笑う者は馬鹿に泣く
冷たくなった身体はもう動くことはなく、割れた眼鏡をそっとはずして血に塗られた唇にそっと自分のそれを重ね合わせる。
「鴨ちゃんはやっぱり、馬鹿だね。」
私だって、愛してる。
※馬鹿ってきっと捉え方によっては最高のほめ言葉になると思う。
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