小説 | ナノ



寝苦しい熱帯夜に耐え切れず、重い身体を起こせば眠る仲間達を起こさぬよう用心しながら静かに部屋を抜け出した。向かう先は常時開放されている共有のシャワールーム。同じように蒸し暑さで眠れないのであろう宿泊客と廊下で擦れ違う事もあったが幸いシャワールームに人影はなく、待ち時間なしに中へ入る事が出来た。汗でべた付く寝間着を脱ぎ捨て浴室の明かりを点ければ中へと足を踏み入れ、蛇口を捻る。火照った身体に勢いよく降り注ぐ水の冷たさと音が心地良い。中途半端に濡れていた黒髪を結ぶ紐を解き、咥えればその髪を梳きながら水を染み込ませていく。
生まれ故郷とはまた違った湿度を多く含んだ暑さがリカルドはどうも苦手だった。南国の暑さに耐性がまだない、というのもあるがハンモックで眠るという独特の習慣にも思うように慣れないでいた。あまりにも不安定な寝床は安眠の妨害になる。珍しい風習を目の当たりにしてはしゃぐ子供達の姿は微笑ましいが。真新しいものへの関心が薄れているのは年のせいからだろうな、と自嘲しながら水気を吸収し重みを増した髪を絞りながら蛇口を捻り水を止めた。もう充分涼めただろう。
鏡台に髪結いの紐を置き、ある程度髪の水気を抜いてから備え付けられている清潔なタオルに手を伸ばす。身体を拭き、持ってきていた新しい寝間着に着替えれば汗で濡れた服は畳み手にする。タオルは髪を拭くために持って行こう、と使用済みのタオルを入れるための籠には目を向けず明かりを消して脱衣所を後にした。

しかし身体を冷やしたとはいえ外の蒸し暑さは変わらないものである。
首に掛けたタオルで髪を拭きながら廊下を歩くも先程の脱衣所に髪結いの紐を忘れた事を思い出し足を止めた。部屋に予備の紐はあるのだからわざわざ取りに行く必要はないのだがまあいいか、と踵を返しシャワールームに向かう。そして扉の取っ手に手を掛けカチャリと開くと、

「――…へ?」
「……」
「……」

沈黙。
ちなみにこの脱衣所の扉にはきちんと鍵はついている。という事は鍵を掛け忘れた先客に非があるのだがそんな事を考えている間にも脱衣所で服を脱ぎかけていた少女は顔を真っ赤にしながら手にしたタオルを投げ飛ばしてきた。それを避ける事は難しい事ではないのだが避けた瞬間に追撃といわんばかりの勢いで平手を頬に受け、部屋を追い出された。施錠の音が聞こえ、頬を擦りながらリカルドは扉に背中を預けると溜息を吐いた。

「鍵を掛けなかったお前が悪い」
「こんな時間だし誰も来ないと思ったのよ!」
「……」

扉越しの会話だが彼女はなんて警戒心の薄い娘なのだろうかと心配を越して呆れてしまう。年頃の娘がこんな真夜中に薄着で出歩くだけでも充分危険だというのに鍵を掛けないなど言語道断である(と言えば彼女は浴室の鍵は掛けるつもりだったと反論してきたがそういう問題ではない)。

「…おい」
「なによ」
「その辺に紐がないか?髪結いの紐だ」
「んー…ああ、あるわよ。何、忘れてたわけ?」
「まあな」

素直に答えれば中からくすくすと笑い声が聞こえた。

「あ、じゃああたしが出て来るまでそこで見張りやっててよ」
「俺は忘れ物を取りに来ただけだ、断る」
「何よケチ。帰り際にあたしが男に襲われてもいいの?」

脱衣所の鍵を掛けずに服を脱いでいた彼女にだけは言われたくない言葉一言である。あまりにも矛盾している。それを指摘するととぼけた声が返ってきたが先程よりも声が小さい。浴室の扉の開閉の音、次いで聞こえてきた水音にどうやら会話の途中にも関わらずシャワーを浴びに行ったようだ。どこまでも自分勝手な娘ではあるが紐の事もあるし心配でもある。結局は惚れた弱み、彼女もきっと自分が折れてくれるだろうと分かっているだろう。壁に凭れ掛かり、彼女が出て来るのを待ちながらタオルで髪を拭く事にした。
暫くしてから水音が消え、それから数分後には鍵の外れる音がした。扉が開くのに合わせて身体をずらせばするりと扉の隙間からイリアが姿を現した。

「ふぃー、生き返ったあ……あ、はいこれ」

差し出された手のひらには髪結いの紐。それを受け取った後、仄かに彼女から石鹸の香りがして「髪を洗ったのか」と尋ねようとした際、同じように紐からも石鹸の香りがした。思わずイリアの顔を見てしまう。自分に向けられる視線にイリアは首を傾げていたが何かに気付いたのかかあっと頬を赤らめながら視線から逃げるように顔を背けた。彼女のその反応と石鹸の香り。それだけで何をしていたのか分かってしまい、笑いが込み上げてきた。それにしても分かり難い愛情表現である。

「本当にお前という奴は…」
「わ、忘れていったあんたが悪いんだからね!ちょっと拝借しただけだもん!」
「俺はまだ何も言っていないんだが」
「…!、誘導尋問なんてずるい!」
「おい、一人で先に行くな!」


120925




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