一斬侍 | ナノ


既に日はとっぷりと暮れており、部屋の時計は午後8時を指していた。

「どこで油売ってんだろなぁ…サイタマもジェノスも」

刻んだ玉葱と先程買ってきたばかりの合い挽き肉をこねながらトモキはぼやいた。
時折窓の外や玄関へ目をやっては溜め息を吐く。
そんな事をしても辺りから物音は何もせず、この部屋の主が帰ってくる気配はなかった。


猛ダッシュをかましF市の高級レストランになんとか時間通りに着いたトモキはまず実技試験だなどと言われ、レストランの地下に連れていかれた。
厨房で調理の実技をやらされるのだろうかと思っていたトモキが通されたのは闘技場のような空間だった。
疑問符を頭に浮かべるトモキが質問する間もなく、リングへ上がらされ屈強そうな男がけしかけられた。それをよく状況が分からないまま一発K.Oさせた結果、言われたのは合格の言葉で。
キッチンスタッフでもホールスタッフでもない。警備員としての採用だった。

思っていた内容とは違ったが、とりあえずは無事にアルバイトに就く事が出来たことをトモキは喜んだ。
脱無職の報告を早くサイタマにしてやろうと思って急いで帰ってきたのだが、昼間に外で起きた騒動の爪痕だけが残され、ジェノスもサイタマもそこにはいなかった。

昼は時間に猶予がなく戦闘中の二人を置いてさっさと抜け出してしまったが、軽率だっただろうか。勝負がつくまで見守るか、一匹残らず片付けるべきだったのだろうか。
サイタマもジェノスもどこかへ拉致られてしまっていたとしたらどうしよう。
サイタマの強さを考えればそんなことは有り得ないのだが、あのサイタマがスーパーの特売があるにも関わらず帰ってこないとなると万一を思って心配になってしまう。

サイタマを待っている間にも世間の奥様方にいい獲物を取られてしまうと考え特売にはトモキが一人で行ったが、中々いい成果を上げて荷物をたくさん抱えながら帰宅してもまだ二人は帰っていなかった。
冷蔵庫に品物をしまって、まだ夕飯を作るような時間でもないからダラダラとテレビを眺めて、ベランダのサボテンに水をやって。
それでも彼らの姿は見えず、日も暮れてきたので特売の戦利品を使って夕食を作り始めたのだった。
既に作り終えたポテトサラダは冷蔵庫の中だし、丸く形を整えた肉の塊を油を敷いたフライパンの上へ落としている最中だ。
作り終えるまでに帰ってくるといいのだが。

「ただいま」

ガチャリと開く扉の音とその声にトモキはパッと振り返った。ジュージューと音をたてるフライパンをほったらかして玄関へ顔を出す。
いつものヒーロースーツを珍しく汚したサイタマが気だるげにブーツを脱いでるところだった。一瞬怪我でもしたのかと思うがダメージを負ってる様子はなく安心する。

「サイタマ!大丈夫だったか?!特売日だってのにちっとも帰ってこねえから心配したぞ!」
「あっ、そうだよ!特売!今日が土曜って忘れちまってたんだ…俺のアホ…!」
「忘れてたのかよ。ちゃんと俺が行ったよ。とりあえず今夜はハンバーグな」

頭を抱えて崩れ落ちたサイタマはその言葉にハッと顔をあげてトモキの両手をガッシリと握った。そして心底感動したように真顔で言った。

「お前ってマジでできる奴だな」
「いや特売行っただけでそこまで言われても…」

通常運転なサイタマに、さっきまで頭をグルグルしていた心配は吹っ飛んでしまった。というかそんな心配をしてしまった自分が馬鹿らしい。
スーツの埃や怪人の体液らしき汚れと臭いが酷いので着替えるように勧めながら、トモキはキッチンへ引っ込みハンバーグに火を通す作業に戻った。

「こんな時間までどこで遊んでたんだよ?そういやジェノスは?」
「あー、昼間の怪人達いたろ?あれのボス潰しに行ったんだけど遠くてよ。ジェノスは帰りに別れた」
「おお、じゃあヒーロー活動してたんだな。おつかれさま!」
「あんま疲れなかったけどな」
「まあまあ、この世の脅威がヒーローの活躍で1つ減ったことに乾杯しようぜ」

ジェノスも無事なようで安心する。あの甲冑を纏ったサイボーグは問題なく倒せたらしい。
いい感じに焼き目のついたハンバーグをひっくり返しながら、キッチンカウンター越しにサイタマを盗み見る。
ヒーロースーツを脱いで袋へ詰める彼はどこか気落ちしているようだった。

「なんか元気ないな、どうかした?」
「あ?いや、たださっき倒した奴が期待させてくれた割にワンパンで終わっちまってな…」

サイタマは袋の口を縛りながら溜め息を吐いた。
ほんやり虚空を見るサイタマの瞳からは敵のボスを倒したという達成感は欠片も見出だせない。
「圧倒的な力ってのはつまらないものだ」
いつぞやに聞いたサイタマの言葉を思い出す。そして得心した。
ああ、サイタマは退屈なんだ。
欲求不満、物足りなさ、つまらなさ。怪人を倒した後、そんなものが時折見え隠れするサイタマの姿にも納得がいく。

「トモキはさ、怪人と戦っててどうだ?」
「え、どうって…」
「お前、だいたい一斬りで勝負着いちまうだろ?そういうのってどう思ってんだ?」

突然飛んできた問いに動揺する。
思わず作業の手を止めてサイタマを見つめてしまう。彼の目は至極真面目で、どこか必死だった。
トモキの答えがサイタマの望むものであることへの期待がその目に混じっているのをトモキは見てしまった。そして察した。
サイタマは最強故の孤独を誰かと共有したいのだと。

「…なにも。邪魔する怪人は斬る、そんだけ。今のところなんとかなってるけど、一斬りじゃ倒せないやつだっているだろうしな」

嘘は言わなかった。
彼を落胆させたくないという気持ちは強かった。嘘でも彼の望む言葉を吐いて、その孤独に寄り添えたらとも思った。
でもサイタマに嘘は吐きたくなかった。中途半端な優しさで吐いた嘘は結局相手を傷付け、侮辱することになると思った。

「でも、俺がもっともっと強くなったら怪人との戦闘なんて馬鹿らしくなっちゃうかもな。だからそん時は遊んでくれよ、サイタマ!」

これもいい機会かもしれない。
人の姿をしていても人間とは種を異にする師の背中を追いながら、人間である自分はその背に決して追い付く事などできないのだろうと諦めている部分があった。
だけどサイタマは人間でありながら、あの圧倒的な強さを身に付けている。この世界ならば、トモキももっと力を得ることができるのではないか。
そんな期待をしたっていいだろう。こちとら力を求めるのは大得意なのだ。

清々しい表情のトモキに対し、サイタマの表情は複雑だった。
やっぱりガッカリさせただろうかとトモキは寂しげに笑った。

「お前が思うほど強くなくてごめんな」
「は…?いや、なんでんなこと謝んだよ…」
「だって期待させて裏切るのって罪悪感あるじゃん…」
「…別に裏切ってねーよ。お前が期待通りの奴過ぎて呆れてただけだっての」
「え…ど、どういう意味?」
「なんでもねーよ」
「えーなんだよ気になる!」
「悪い意味じゃねーから気にすんな。ただ…」

ありがとな、そう続く筈だったサイタマの言葉は突然のトモキの叫びに掻き消される。

「あ"っ!!?やべ!ハンバーグ焦げてる!」

大慌てでフライパンの中身を皿に移すが、時既に遅しで肉の塊たちの片面は黒く燻っていた。トモキはめちゃくちゃに情けない顔でサイタマを見る。

「わり…めっちゃ焦げた…」
「ドンマイ。まあ食えんだろ。なんか手伝うか?」

そう言ってくれるサイタマに、サラダの盛り付けでも頼もうかと思ったがあることを思い出す。
実は残念なことになってしまったハンバーグ以外にも今日の夕食の楽しみが冷蔵庫に眠っているのだ。

「そうだサイタマ、先風呂入ってこいよ」
「えー、もう飯できそうじゃねえか。俺も腹減ったし」
「フフン、これを見てもそんなことが言えるかな?」

冷蔵庫からあるものを取り出してそれを掲げる。

「たらららったら〜!ア〇ヒィスゥパァドゥルァァァァイ!!」

キンキンに冷えたそれの名を巻き舌で唱えれば、サイタマがおぉ…と眩しそうにトモキの手元を身遣った。

「おま…また随分といいものを買ってきたじゃねーか…!」
「なんと摘まみにチー鱈と軟骨唐揚げもあります」
「なん…だと…?」

いつもの気の抜けた顔ではなく、いつになくキリッとした目をしたサイタマはパンツ一丁の状態でキッチンへ歩いてきた。
突然出てきた贅沢品を歓迎しながらもお金の心配は尽きないようで、今日1真面目なトーンで不安げにトモキに問う。

「お、おい。そんな贅沢してこれから金足りるか…?後々ひもじい思いすんのは嫌だからな?」
「大丈夫だって!なんたって俺、無職じゃなくなったからな!」

1番したかった報告ができた。
就活で門前払いを受ける度に彼に励ましてもらっていた。ようやくいい報告ができることが何より嬉しい。
サイタマはお、というようにトモキを見、それからニヤリと笑った。

「よかったじゃねえか。やるな!」

そういってバシリとトモキの肩を軽く叩いた。
サイタマに素直な祝いの言葉をもらったトモキは嬉しそうに締まりなく笑う。叩かれた肩はちょっと痛かったが、そんなの気にならないくらい機嫌がよかった。

「おう!だから色々祝いってことで乾杯な!一缶ずつだけど」
「よし、30秒で上がるわ」

そう言い残すと一瞬で風呂場へと姿を消していったサイタマへ「ちゃんと湯船浸かるんだぞ」と声を掛けたが多分聞こえていないだろう。
それでも意気揚々と風呂に向かった彼の顔は先程のどこか暗いものでも、複雑そうなものでもなくなっていたのでトモキはそれが嬉しかった。
フライパンの焦げを落とし、気を取り直してつけ合わせのもやし炒めを作り始める。


圧倒的な疎外感を抱いてしまうほどの強さを持った彼に楽しみを感じさせてやるほどの力は、残念ながら今のトモキにはない。今後修行を重ねたところであの境地に辿り着くかも分からない。
それでもトモキは努力をしたいと思った。サイタマの件だけが理由という訳ではないが、それはいい切っ掛けと目標だった。


「は?ちょっと待て、もう出てきたのか!」

石鹸のいい匂いをさせパジャマに着替えたサイタマが再びキッチンにぬっと現れた。
早すぎる。まだ1分も経過していない。サイタマが風呂に行く前に炒め始めたもやしはまだピンピンしている。

「必殺マジシリーズ。マジシャワーとマジ着替え」
「いや必殺技の無駄遣い!」

ドヤ顔でよくわからない技名を宣ったサイタマに突っ込む。
ああ、洗う髪がないからこんな早くシャワー済むのか。
そんな事を思いながらサイタマの頭皮を眺めているとじっとりとした視線が刺さった。

「おい、今なんか考えてなかったか?」
「いやいや!なんも!」
「…ふーん」
「あ、ほら!手伝ってくれよ!冷蔵庫にポテトサラダ冷やしてるからそれ皿に盛るの頼んだ!」

慌ててもやしを炒める作業に戻ると、サイタマも冷蔵庫をゴソゴソやりはじめた。
サイタマはハゲをネタにされると毎度怒るのだが、今回はどうにか誤魔化せたと一息吐く。
あのポテトサラダは前に作っておいしいと好評だったものだから、多分機嫌直してくれるだろう。
タッパーの蓋を開けたサイタマは流れるように摘まみ食いをかますのを咎めつつ、軟骨唐揚げをレンジにいれる。

「おい!もうタッパーの4分の1なくなってんのどういうことだよ!」
「いやこの手が勝手に…」
「まったくもー!いやしいんだからこの子はー!せめて座って食べなさい」
「ぐ…母ちゃんみてーなこと言いやがって」


彼の隣に立てる程強くなれるのはいつの日か分からない。
だから今は、こんな何気ない日常で彼が退屈を少しでも紛らわす事ができていたらいいな。
そんな事を思いながらトモキは味付けの終わったもやしを皿に移すのだった。



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