一斬侍 | ナノ
3


やばい。これはやばいぞ。

トモキはだらだらと冷や汗をかいていた。じっとりと嫌な汗が滲む手でもう一度スーツの胸ポケットを探る。
やっぱりない…。
今のところのトモキの全財産たるプリペイドガードが見当たらないのだ。スーツのポケットというポケットを漁り、挙げ句に靴まで脱いでみてもそんなものはどこにもなかった。
今朝サイタマから受け取って、それで自分の部屋に帰って…あれ?
まさか…シューズボックスの上に置きっぱなしじゃ……。


「なんなんださっきから。落ち着きのない奴だな。」

「あ、ごめん。なんでもない……」


待て。これは相当やばいぞ…。
トモキは頭を抱えて突っ伏しながら、必死に打開策を頭に巡らす。
これだけ探して見つからないということは家に置き忘れてきたというのは確定事項としか考えられない。
それで…どうする?注文した品はすでにトモキの胃袋の中。これはどうあがいても元通りにすることはできない。
ということは代金は必ず支払わなければいけない。しかしカードを忘れた今それは不可能だ。
サイタマにカードを持って来てもらうことは無理だ。この場所をサイタマが知る訳ない。そもそも彼がトモキがカードを忘れてきたことなど知らないし、知っていてもそんな面倒なことを彼がするとは思えない。彼はヒーロー活動で忙しいのだ。
ならば、土下座して皿洗いとかでタダ働きして許してもらうか。駄目だ。面接の時間まで後一時間しかない。
じゃあ食い逃げ…?もっと駄目だ。犯罪者になったら面接どころじゃない上この先真っ暗だ。
え…。あれ?ちょっと待って、これ詰んでね?


「忘れたのか?財布」


その声にぎくりとして思わず顔を上げる。
そこにはさも面白そうににやにや口角を吊り上げる忍者がいた。最後の一口を咀嚼して、皿を押しやった忍者は頬杖をつきながらトモキを見る。
言葉に詰まっているトモキの返答など聞くつもりもないらしく、馬鹿にしたような口調で追い撃ちをかける。


「で、どうするつもりだ?食い逃げでもする気か?」


どうしようもないから今困ってるんだよ…!
ぎりりとトモキは奥歯を噛み締め忍者を睨みつけたい気持ちを抑える。分かっている。忍者に怒りの矛先を向けるべきじゃない。
カードを忘れたのは自分の不注意だし、この状況はきちんと確認もせずにレストランに入った愚かさが原因で起きているのだから。
でも、でもそうだったとしても、初対面なんだし、こんなに馬鹿にしてこなくてもいいんじゃないか。此方を完全に見下した目がなんとも憎らしい。


「食い逃げなんかしねぇし…」

「ほう。なら、雑用でもやるのか?便利屋が随分情けない仕事をするものだな。」

「…う…うっさい……」


皿洗いとか別に情けなくないもん…。
トモキとて面接まで時間さえあれば雑用でもなんでもやってる。だが現実は一刻を争うのだ。

やっと巡ってきたチャンスだというのに。これを逃がしたら次はいつ面接してくれるような店が現れるか分からないというのに。
食い逃げ犯にはなりたくないので最悪雑用で許してもらうことになるだろうが、そうなればこのチャンスを逃がすことになる。
身元の怪しい俺を面接に来てくれと言ってくれた店に申し訳ない。それにサイタマになんて報告すればいいんだ。

すっかりブルーな気分になって再びテーブルに沈み始めたトモキだが、忍者の声でばっと顔を上げることとなった。


「貸してやろうか?」


一枚の紙幣を指に挟み、ぴらりとトモキの目の前でそれを振って見せる忍者は相変わらず人を小馬鹿にしたような笑みをしている。
顎の割れた壮齢の男がプリントされたそれは恐らく一万円札だろう。トモキの目は完全にその紙っきれを追っている。
それさえあれば穏便にこのファミレスを抜け出せる上、面接にも間に合う。
そう。トモキに今必要なものはまさにその紙っきれなのだ。
しかし年下に金を貸してもらうなんてそれこそ情けない。その事をぼそりと溢すと忍者が心外だと言わんばかりに「はあ?」と聞き返した。


「貴様いくつだ」

「…22」

「俺は25だ。年下は貴様だ、愚か者」


今度はトモキが「はあ?」と声を上げる番だった。
どう見ても未成年にしか見えない目の前の忍者が25才?嘘だろう。年齢詐称しているのかと疑いかけたが嘘をついているようには見えない。


「お前…酒とか買う時なにも言われない?」

「余計なお世話だ。というか、年下の上金を貸してもらう身で何だその生意気な口は」


生意気はお前だろおお。年上だったけど…。でもたった3つ違いじゃねぇか。
どうにか文句の言葉を飲み込みふうと溜息を吐いたトモキは、忍者へと頭を下げてぼそっと言った。


「お金貸してください」

「声が小さい」

「お金貸してください!お願いします!!」


ああ、平日のファミレスで何してんだ俺。もうどうにでもなれ。
最後は自棄気味だったが、ひた頭を下げるトモキに満足したのか忍者がふんと鼻を鳴らして「なら貸してやろう。感謝しろ。」などと一万円札をトモキへと放った。
顔を上げて、机の上のそれを緩慢な動作で拾い上げようとしたトモキに忍者が待ったをかける。


「連絡先を寄越せ。そんな端金がどうということもないが借り逃げされるのは腹が立つ。」

「あ、俺ケータイとか持ってないです…」

「家の電話は?」

「それもないです…」

「貴様本当に便利屋か?通信手段もなくてどうやって仕事を…」


忍者の言葉をピリリと電子音が鳴り響いた。忍者が懐からおもむろに何かを取り出し耳に当てる。
あ、スマホじゃん。なにこの人、忍者のくせにそんな近代的なもの持ってんの。
痛いところをつかれて返答に困っていたトモキには有り難いものであったが。
一言二言会話して通話を切った忍者は悠然と席を立つ。


「俺はもう行く。連絡先はもういい。名前だけ聞いておこう」

「あ、カザミ トモキです」

「俺は音速のソニックだ。次会った時は貸しは返してもらう。3倍返しでな」

「さ、3倍!?」

「当たり前だろう。誰のおかげで面接が受けられると思ってる。これで落ちたら許さんぞ」


まあ、それもそうか。ソニックさんがいなかったら俺は今頃泣きながら皿洗いしていた訳だし…。これで採用まで漕ぎ着けたらこの貸しは3倍なんてもんじゃなくなるだろう。
それに、落ちたら許さんぞって遠まわしに応援してくれてるのだろうか?
生意気で意地の悪い奴だと思ったが、この忍者は案外いい人なのかもしれない。

そう結論付けたトモキに先程までの怒りはなかった。それがただの映画版ジャイアンの原理による印象形成などとはこれっぽちも考えないトモキの中で、ソニックは恩人として位置付けられていた。


「お金ありがとうございました。俺面接絶対受かってきます!」

「ふん。まあせいぜい頑張るんだなトモキ」


敬語まで使って素直に感謝の言葉を述べたトモキに、満更でもなさそうな顔をしたソニックはそう言い残して会計へと歩いて行った。
その後姿を見送りながら、トモキはよしと気合いを入れる。ちゃんと彼に金返せるように意地でも受かろう。

そのソニックさんが数週間後、トモキの隣人によって屈辱的なダメージを受けるということをトモキはまだ知らない。

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