一斬侍 | ナノ
1

前の世界からの数少ない所持品である腕時計に目を落とす。
長身は6を、短針は6と7の間を指している。東側の窓からは明るい陽射しが差している。つまりは朝の6時半だ。

ゴーストタウンにも鳥類はいるらしく、小鳥がチチチと鳴き声を上げている。空は快晴、雲一つない青空の向こうから朝日が上り始めている。
さわやかな朝だなとトモキは伸びをした。

トモキの起床時刻は午前6時。早寝早起きが信条のトモキには昔から染みついている習慣だった。
金銭的な問題でだいぶお世話になっている隣人の起床時刻は午前7時。
彼が起きて少しくらいしたらお邪魔して調理スペースと食材を使わせてもらい2人分の朝食を作る。
ここ2週間の朝の日課だった。
分かっている。いい歳こいた男がこの半分ヒモみたいな生活はマズい。
いい加減自立したいところだが、なかなか収入減が見つからないのが現状だ。コンビニだとか厨房だとか平和な所で働きたいなんて贅沢を言っているからだろうか。
諦めてヤバい仕事で妥協するべきなんだろうか。麻薬の密売とか、どこぞの組織の鉄砲玉とか…ああ、でもなぁ…。
実力があれば戸籍の有無は問わないような、きれいなお金をもらえる真っ当な仕事はないものか。

悶々と考えながら顔を洗い、身支度をしていたトモキがふとその動きを止める。

なんだ?

ミシリと壁に亀裂の入る音を聞き逃さなかった。
勢いよくそちらを向くと同時に、破壊音が響き部屋の壁が跡形もなく崩壊した。舞い上がる土煙が不自然に揺らめいた。
土埃の中から突如現れた黒い巨大な手。それは恐ろしい程の速さでトモキへと迫った。


「ぐあっ!!」


咄嗟にガードするも、トモキの足は床から離れ、そのまま真っ直ぐ反対側の壁、つまりはサイタマの部屋との間の壁へ叩き付けられる。
凄まじい勢いで叩き付けられたトモキの身体はその壁を容易に打ち砕き、その音に目を覚ましたサイタマへと激突するのだった。
突然の出来事とはいえ、白い布団にポタポタと垂れた赤い血液と呻く隣人を見比べ、ただ事ではないと感じ取ったサイタマがトモキを助け起こす。


「トモキ!?おい!どうし……」

頭部の異常な圧迫感。毛髪のない形のいいその頭を握り潰そうとせん黒い手をサイタマが左手のアッパーで牽制した。
その手が外れたのも束の間、黒い手は再びサイタマへと迫り、その身体を殴り飛ばした。
液晶テレビと壁を叩き割りながらサイタマの身体がマンションの隣の空き地へと投げ出される。地面を足で掴み、2本の線を地に残しながらどうにかブレーキをかけた。


「お、俺んちが…」



無残なマンションの外壁を呆然と見つめるサイタマの額からは血が一筋流れ出ている。
一体どこのどいつだ。
怒りの矛先を向ける相手はサイタマの背後へ迫っていた。土埃と共に地面から姿を現した黒い異形のそれがサイタマへと殴り掛ろうとする。
しかし気配を察知し、腕で防御の姿勢を取ったサイタマに衝撃が走ることはなかった。


ザン!!


四肢はバラバラに、胴体も真っ二つに割れたその身体から血が噴き出す。ボトボトと落ちる肉片。それを生み出したであろう隣人の存在を感じ取ったサイタマが振り返る。


「サイタマ!大丈夫か!?」


例の刀を左手にトモキがボッカリと空いた穴から飛び下りる。血で顔を濡らしているものの、大した怪我ではなさそうだ。
お前こそ、そう言おうとしたサイタマが目を見開く。
こちらへと走ってくるトモキの真上、異常に発達した巨大な腕を振り下そうと襲い掛かる怪人を見つけたのだ。
上だ!
サイタマの短い叫びに反応したトモキが素早く真横に飛び退く。獲物を逃した黒い肥大した腕は爆音と共に大きなクレーターを作った。
相当な威力。まともに食らえばトモキでもただでは済まないだろう。

仕返しと言わんばかりに異形の黒い生物へと飛びかかるトモキのその足元から、例の黒い腕が伸びた。地面からいきなり生えたそれはがっしりとトモキの脚を捕らえた。
バランスを崩しガクリと膝を付けたトモキの上に、黒い生物の腕が振り下ろされた。
ズズンと地面が揺れ、爆風で土埃が舞い上がる。



「トモキ!!」


駆け寄ろうとしたサイタマの後ろから、新たな刺客が襲いかかった。
迫る拳にとっさにガードした腕がギシリと軋む。


「ッ!?」

今日の刺客達がいつもと何か違うことを悟った時にはサイタマは凄まじい勢いで吹き飛ばされていた。
ガードレールやブロック塀を破壊しながら跳ね返り、アスファルトへと叩きつけられる。なんとか受け身を取るも、赤い液体が道路へと滴り落ちる。



「なんなんだお前ら…!」


黒い頑丈そうな身体にゴツゴツした金属の装飾を纏った異形の生物。
返り血以外の血を自らに付着させるなどいつ振りだろうか。こいつらは怪人か?


「なんだとは失礼だな。我々は真の地球人だぞ」


サイタマの問いの答えはすぐ近くから聞こえた。油断などしていなかったはずなのに、2体のその生物に両サイドを挟まれていた。
サイタマの額を暑くもないのに汗が伝う。


「貴様らは我々を地底人と呼ぶそうだがな」


アスファルトを突き破り、地中から次々に姿を現わす地底人。ドクリとサイタマの心臓が鼓動を強める。
数が増えすぎて地底に暮らせないから地上を侵略?そのために地上人を絶滅させる?
ふざけんな。そんな勝手が許されてたまるか。
数を増すばかりの地底人はあっという間にサイタマを取り囲む。

そしてその内の1体がサイタマへの飛び掛かったのを皮切りに、集まった地底人達は次から次へと強力な一撃を浴びせてくる。
地を抉り、建物を破壊しながらも雨のように襲い掛かる地底人をどうにか捌き、1匹1匹確実に潰していくサイタマはトモキの様子を気にしていた。
自分ですらこのように苦戦する怪人相手にトモキは無事でいるだろうか?
そんな意識の隙を突くように、一匹の地底人がサイタマの顔面を殴り抜いた。凄まじい勢いで弾き飛ばされたサイタマは射線上にあった建物を打ち壊しながら地面を擦った。
やってくれるじゃねえか。
瓦礫を退かしながら立ち上がり、鼻から垂れる血を乱雑に拭う。
先程から数十体は片付けたというのに、サイタマを取り囲む地底人は一向に数が減らない。

「貴様、なかなかやるではないか。殴っても死なない地上人はお前達二人が初めてだ。一人はすでに死んだが」


地底人の一人がずるりと何かを引きずって、他の地底人をかき分け歩み出る。
憤りと焦りに鼓動を早めていた心臓が、嫌な予感に締め付けられるように痛んだ。先程まで身体を纏っていた汗が一気に引き、指先が冷たくなる。
放り投げられた何かは、赤い滴りを撒きながら空中を舞い、どさりとアスファルトに落下した。


「馬鹿みたいに頑丈でしぶとい奴だったよ。何度殴ったか分からん程だ」


新たな赤い血だまりを作ったそれは、ピクリとも動かなかった。人の形をしていたが、片足は変な方向に曲がり、肩から伸びるはずの右腕はそこには存在していなかった。
地に伏せられた顔は血にまみれ、猫っ毛の黒髪には血がこびりついていた。


「…トモキ……?」


サイタマの顔から表情が抜け落ちる。
信じたくなかった。昨日まで、さっきまで元気に動いていたじゃないか。
あいつは強い。こんな地底人如きにやられるような奴じゃないはずだ。


「強い地上人もいるものだな。向こうはそいつに斬られた同胞の死体の山だ」


斬られた。死体の山。 
サイタマはその血まみれの何かから目を離さずに、じわじわと確信となっていく信じたくない事実を受け入れ始めていた。

お前らが、トモキを…?

ドクリとサイタマの血流が波打った。
隣人を失ったことに対する悲しみよりも、隣人を無残に壊した地底人達に対する激しい怒りが遥かに勝っていた。
身体が沸騰するように熱くなり、頭の中を破壊衝動と復讐心が支配し始める。理性すら吹っ飛んでしまいそうな衝動をなんとか押さえたのはサイタマの名を呼ぶ弱々しい声だった。
はっとして駆け寄ったサイタマが血に汚れるのも厭わず、トモキを抱き起こす。


「トモキ!生きてんのか?!」

「わ…るい……ヘマ…した…」

「もういい喋んな…」


心底ほっとしてサイタマは大きく息を吐き出した。
目も当てられないような酷い怪我だが、彼が生きているというだけで嬉しかった。
だが、その怪我ではいつまで持つか分からない。
サイタマは慎重にトモキの身体をガードレールへと寄り掛からせる。


「まあ、ちょっと待ってろ。いま地底人とやらをぶっ潰すからな」

「潰すだと?弱小種族がいきがるな。地上はいただく!消えろ」


その言葉と共に、サイタマは目に付いた地底人の懐へと一瞬で飛び込み拳を振り上げた。破裂音が響き、地底人の頭が砕け散る。
動揺する地底人の声にも構わずサイタマは次の標的へと猛然襲い掛かった。











死屍累々と横たわる地底人達の山の上で、サイタマが荒い呼吸を繰り返す。
地底人の集団とサイタマの激しい戦闘によって辺りのマンションは全て崩壊し、アスファルトは割れていた。その中で道路脇のガードレールにもたれるトモキが無事であるのをちらりと確認すると、サイタマは大きく息を吐く。
巻き込まないように距離を保ちつつ、地底人がトモキを襲おうとでもしたらすぐに蹴散らせに行けるように注意を払っていたその努力の賜物か、トモキは細く小さいが確かに息をしてそこにいた。

早いところ病院連れてかねーと…。

久々に感じた疲労感に重くなった身体に鞭打ってサイタマがトモキへと駆け出そうとした時だった。
突然地響きと共に地面が揺れ始めた。


「おやおや、息子達が随分と世話になっているじゃないか」


トモキの近くのアスファルトがぼこりと不自然に膨れ上がる。赤々とした熔岩が、盛り上った地面から流れ出た。
己を呼ぶサイタマの声とその熱さに意識を取り戻したトモキがそこから離れようと身を起こすが、折れた足では動くこともままならず激痛にぼんやりと霞む視界に映る新たな敵を睨むことしかできなかった。
辺りの地底人の死体を押し退けてそこから這い出して来た異形の怪物。
トモキへとその手を伸ばそうとする新たな怪物へサイタマが渾身の飛び蹴りを放った。
手応えはあった。先程の地底人ならば粉々に砕けながら吹っ飛ぶ程の威力だったはずだ。
それなのにその怪物は熱で煌々と輝く剣でその蹴りを防ぎ、もう一本の腕で空で動きを止められたサイタマを殴り付ける。


「その程度か?弱小種族が調子に乗り過ぎたな」


叩き付けられた地面からどうにか這い出したサイタマが大きく目を見開いた。
その怪物の手に首を絞められ吊り下げられるトモキ。苦しげに抵抗するも、トモキの足は虚しく空を切るだけだ。
トモキの危機に飛び掛かろうとしたサイタマの身体が、蓄積されたダメージと今の一撃のダメージによってぐらりと傾く。
間に合わない。

やめろと叫んだサイタマの目の前で、トモキの身体が貫かれた。
口から、傷口から、血が溢れる。熔岩から剣へと伝導した熱がトモキの肉を焦がし煙を上げる。
ぞんざいに投げ捨てられたトモキは痛みに見開かれた目は閉じることなく、ごろりとなんの抵抗もなくサイタマの足元へと転がった。

なんでだ。トモキはもう戦える状態じゃなかった。なのになんで攻撃したんだ。俺じゃなく、なんであいつに攻撃した。なんであいつを……なんで


「悲しむことはない。すぐに貴様もあの世に送ってやろう。この地上人のようにな」


サイタマの頭の中で何かがプツンと切れた。


「トモキのことかーーーーッ!!!!」


地上を守ることなど、もう頭になかった。無残に殺された友人の仇を取るなどとも考えなかった。
ただ血の沸くような激しい怒りに身を任せてサイタマは………






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