幸福片道切符 | ナノ




月曜日

創立4年目の砂の里のアカデミー。我愛羅が20歳の時に、木の葉を参考にして作ったそこは、まだ小規模ながらも充実していた。


「行くぞ、カンクロウ」
「了解」


春の桜が舞う中、2人は始業式の挨拶に行くべく、風影邸を出発した。名義上の理事長だが、新しく始まる一年の挨拶を任されるのは必然だった。


「風影様、カンクロウ様、遥々お越し下さりありがとうございます」
「あぁ。アカデミーの方は変わりはないか?」
「はい、新入生も入学し、生徒たちは毎日皆そわそわしていますよ」
「そうか」


小太りだが人当たりのいい学校長に迎えられ、学校内部の校長室に足を運んだ。生徒たちはまだ来ておらず、学校に似合わない静けさがそこにはあった。

式の準備をしていたため遅れて入って来た教頭を交え、4人で談笑している途中、コンコンコンコンッ、と刻みのいいノック音が響き、その後すぐに落ち着いた優しい声がドアの向こうから聞こえる。


「お話中失礼します。**です。お茶をお持ちいたしました。」
「**くんか、入りたまえ」
「失礼致します」


カチャリ、と開けられたドアから入って来たのは、白シャツに黒のジャケットとタイトスカートを着た華奢な女性。ツヤの髪の毛に程よい化粧を施した、俗に言う美人に分類される人。

彼女の纏うオーラはどこか人を惹きつけるものだった。


「お話中申し訳ありません。教師の**と申します。」
「…風影の我愛羅だ、」
「いや、我愛羅は自己紹介しなくていいじゃん」


里の者なら誰もが知る風影。冷静な彼はいつもなら里の者に名乗るなんてしないのに、なぜか今日は冷静でいられなかった。


「お茶をお持ち致しました。」
「是非頂こう」
「はい、手前失礼いたします」


丁寧な言葉遣いに堂々としているのに落ち着いた言動。しかしお盆から取ったお茶の表面がゆらゆらと震えているのが我愛羅にはわかった。

**にとっては、普通に生きていてほとんど関わることがない、里の長。ごく普通の一般市民である**はそんな雲の上の存在である風影の前で粗相を起こさないようにと内面必死だった。

それを必死に隠そうと何度も予行練習をしていたのに、いざ本人の目の前だとどうにも腰が引けて、手の震えが収まらなかった。


「…緊張しなくてもいい」
「ぅひゃいッ!」


それでもあとはこれを置いたら最大の難関をクリアできる、そう思っていた**。しかし我愛羅からの突然かけられた声に過剰に反応してしまった。

肩が跳ねると同時にお盆の中身は大きく揺れ、**の持っていたお茶は湯飲みの縁を軽々超えて**の手にかかる。お盆の上にあった残り3つの湯呑みがお盆からはみ出し、重力に従うように落下した。


「あっ、!?」


手にかかった熱いお茶に顔をしかめたがそれどころじゃない。スローモーションのように落ちていく3つの陶器。**は陶器が割れる音に備えて反射的に目を瞑った。


「大丈夫か?」


我愛羅の声が優しく**の鼓膜を震わせる。いくらたっても陶器が割れる音がしないため、ゆっくりと目を開けた**は、目の前の状況に目を見開いた。


「湯呑みが、…」
「手は、大丈夫か?」
「え、あ、……はい…」
「大丈夫か**くん!」
「申し訳ありません風影様…!お怪我はございませんか!?」
「あぁ、大丈夫だ」


砂で止められた湯呑みがゆっくりと机の上に置かれた。忍でない**は初めて見る光景に動けないでいた。

すごい。忍とはこんなことができるなんて。
瓢箪に戻っていく砂をぼんやりと見つめた。本当に、雲の上の存在だ。

目の前の人に尊敬と少しの萎縮の念を抱いていた。しかしその数秒後、自分がしでかした粗相にサァァ、と血の気が引いていくのを感じる。


「〜〜っ、申し訳ありません風影様っ…!私はなんてことを…!!」
「いや、いきなり声をかけた俺の方に非がある。すまなかった」
「しっ、しかし、!」
「謝らなくていい。それよりお前は手の治療をしに行くべきだ」
「いえ、先にお茶を淹れなおしに、」
「そんなことはいい」
「っ、」


我愛羅の普段の言葉遣いは、**には怒っているようにしか捉えることができない。風影を怒らせた、と思うと目にうっすらと涙が溜まった。


「大事な手なのだ、すぐに治すべきだ」
「ごっ、ごめんなさっ、!」
「謝れと言っているのでは、
「我愛羅、ちょっと黙ったほうがいいじゃん」
「**くん、もう退室したまえ」
「っ、申し訳ありませんでしたっ…!」


か細かったが、確かに聞こえた涙を含んだような声。その声を聞いた我愛羅は思わず眉を顰めた。どうして彼女が泣いているか理解ができなかったから。

失礼します、とまた蚊の鳴くような声でまた告げた**。ドアが完全にしまったのを確認すると、息を一つついた校長が再び口を開いた。


「申し訳ありません、風影様。彼女はまだ新人でして」
「…俺が怖がらせたか?」
「初めてお会いする風影様ですから、緊張していたのでしょう」
「……彼女に詫びを入れておいてくれ」
「風影様が謝ることでは、…」
「いいんだ。彼女には申し訳ないことをした」


確かにあれは怖いわ、と困ったように軽く笑うカンクロウ。しかし我愛羅には笑えない。自分の威圧感のことは十分に分かりきっていたはずなのに。


なぜか彼女を見るだけで、心拍数が上がった。彼女の声を聴くだけで、胸が締め付けられた。しかし、彼女をあんなにも怖がらせ、あろうことか泣かせてしまった。

この自分の変化の理由は、はもう二度とわからないな。そう諦めた瞬間、あの時の同じようにノックが4回鳴った。


「何度も申し訳ありません、**です」


凛とした声が響く。思わず目を見開いた我愛羅とカンクロウに、教頭は少し呆れたように一つ息を吐き、校長はゆっくりと目尻にシワを寄せた。


「お茶を淹れなおしてきました。」


「**くんは相変わらずの度胸ですね」
「申し訳ありません風影様、彼女はああ見えて仕事には人一倍熱心でして、お茶入れ一つ手を抜かずにやり通そうとするのです」


ガチャ
ドアの向こうから姿を現したのは、先ほどと変わらないお盆を持った教師がいた。
凛とした声に同じくその立ち姿も先ほどよりはずっと美しい。


「…お前、手は……」
「すいません、これを置いてからすぐに向かいます」
「…もう、泣いてないのか?」
「少しばかり驚いてしまいましたが、もう大丈夫です。先ほどは無礼な態度を取ってしまい申し訳ありませんでした」


憂いた表情一つ見せず、真っ直ぐ我愛羅に向き合う**。あんな泣きそうな声は、もう姿すら見せない。
こんなにも、我愛羅に向き合った女性は、初めてだった。


(すげ…我愛羅に対してこんなに萎縮しないやつ初めてじゃん)

「先ほどは、助けてくださりありがとうございました」


凛とした表情が、ふんわりと優しい笑顔に変わる。
その表情の変化から目が離せずに、ただ戸惑うように**を見つめる我愛羅。

心臓が、ぎゅっと締め付けられるように感じた。


朝焼けに眠る月曜日
真っ直ぐ向かってくる芯のある視線が、欲しいと思ってしまった。



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