水泡

六力が酷い怪我を負いながら伝えてきた言葉に、私は頭が真っ白になった。



なんで………あの人が…!




バンッ!と勢い良く庭園の扉を開けた。飛び込んできた光景は酷い有様で。破壊された橋、血塗れになって倒れている看守、まさにめちゃくちゃだ。

呆然と立ち尽くしている時、パシャリと水音が鼓膜を震えさせる。




「あらら?一番乗りは△▽かー」




なんて間延びした独特の喋り方は、昔嫌と言うほど聞いていた憎い彼の声だった。ばっと振り向けば、六力から聞いていた脱獄囚たちがいて。



「っ…悟空猿鬼、五浄流河……!!」
「あは、もうアタイの事を流河さんって呼んでくれないの?」
「誰がッ、!」
「五浄、頼むぞ」
「はぁい」




一瞬で右手に溜め込んだ気をソイツに放った。クスクスと嫌いな笑顔を浮かべながら、五浄は水の中へ潜った。対象物を得なかった気は水に跳ね、激しい水しぶきを辺りに舞い上がらせる。

こっちだよー、とまるで鬼ごっこをしているようなキャッキャとした笑い声に心の中が真っ黒に染まっていくのを感じる。気を使い過ぎるな、とにかく冷静だ、と拳を握り締める。

そうは思っていても、頭の中は昔のコイツが蘇る。愛おしそうに私の名前を呼ぶ流河さんは、もういない。いないんだ…!



猿鬼さんたちも気になるけど、やっぱり一番私の気をひくのは流河さんで。そんな私は、隙だらけだったのかもしれない。



「きゃっ…!」




水面から出てきた奴の手は、私の左足首を強く掴んでそのまま水中へと連れていく。咄嗟に足場の岩を掴んだが、奴の力には到底及ばず、抵抗虚しくついには水中へと引きずり込まれた。

しまった…やられたっ…!

突然のことで酸素をさほど取り込めず、僅かな体の中の酸素は私の集中を焦りに変えてさらにもぎ取る。

一か八か、と左足に気を集中させる。うまくいけば流河さんに攻撃があたる。たが水中で、しかも、あまり慣れていない左足への気の集中はいつも以上に神経を削られる。それでも反撃の機会を伺っていたのに、五浄はそれを嘲笑うかの様に私をさらに深みへと引きずる。



「っごほ…!」




奴の思うツボなのか、集中は一気に解けてしまい、貯めていた気は一瞬にしてなくなる。くそったれ、と悪態をついてももう何もできない。抵抗するにも息がもうもたない。

ゴポリ、と酸素の珠が地上へと上がっていく。虚ろな視界に映ったのは、あの時と変わらない流河の妖艶な笑顔だった。


気づけば抱きすくめられ、奴の体温を感じる。悔しさと懐かしさで頭がおかしくなりそうだった。



何も出来ないまま、私は流河さんにキスをされた。
やけに熱いキスに、私の抵抗力はすべてなくなる。




「△▽はアタイのものよ。」





私の耳元で、そんな声が聞こえたのを最後に、私の意識は闇へと包まれた。





△▽



「流河さん!」
「ん?あら△▽じゃない」
「ふふ、仕事終わりました!」
「もう?さすが△▽ね〜」




よしよしと撫でる手つきが好きだった。三葉主任と仲悪いけど、楽しそうな二人を見るのも好きだった。





「△▽」
「はい、流河さん」
「今日も素敵ね」
「っありがとうございます、そう言う流河さんも、…ステキ、です」





大切な部下だから、と言って愛おしそうに名前を呼んでくれる、あなたが好きだった。





「△▽、もう流河のことは忘れなさい」
「三葉主任…でも、!」
「いいから」
「っ……はい、」




どうしようもない感情を鍛錬に費やした。おかげで私は強くなった。副主任とまではいかないけれど、それに近しい地位も与えられた。あの頃の、流河さんと同じ地位を。





流河さん、私頑張ったんですよ?また、褒めてください、流河さん。



好きです、流河さん。






水泡
ココロの声も、泡となって消えた