策士、策に溺れる

「△▽ちゃん!トリックオ、
「もう!ニジマス主任!今日で何回目だと思ってるんですか!!」


今日は10月31日。世間ではハロウィンなどというなんとも迷惑極まりないイベントだ。

目まぐるしく過ぎていく日々に取り残されぬよう大量の仕事を無我夢中で処理する毎日。そんな日常を送ればイベントどころか日付すら曖昧になってしまう今日この頃。

そんな私に朝一でお菓子を求めてきたのは、我らが主任看守部長ニジマス主任。「トリックオアトリート!」なんて会うたび叫んでくる主任にため息をついたのは今日で何回目か。軽く見積もっても10回は繰り返されてる。そのせいで私が疲れた時の唯一の癒しとして食しているチョコレートやキャラメルたちがあれよあれよと徴収されていく。
これをパワハラだと言わずしてなんと言おうか。




「もうなくなりましたよ!」
「えー!いつもいっぱい持ってきてるのに?」
「今日は補充し忘れたんです!って、ニジマス主任が買いに行く暇もないくらい仕事を回すからじゃないですか!」




ここ1ヶ月、私の休みには無いに等しかった。労働基準法に違反してる。夢の7舎って呼ばれてること自体夢のようだ。この鬼主任め。





「明日休みだから買い溜めしとかないと…」
「あれ?いずみちゃん明日お休みもらってたの?」
「伝えてなかったですか?すみません…」
「全然オッケーだよ〜 何して過ごすの?」
「明日は、双六主任の弟さんと南波アウトレットでお買い物です」
「え?」





双六先輩の弟さんと? と首をかしげていったニジマス主任。いつもニコニコしている目は口元と違って一切笑っていなかった。射抜くような目つきに背筋がゾクリと凍った。


「っ…は、い、」
「へぇ…仲良いんだね、その人と」
「この前、お茶をしにおうちに伺わせてもらって…」
「家に行ったんだ、仲良いってレベルじゃなさそうだね」
「っ、ニジマス、主任…?」





息が詰まりそうになるくらい、目が鋭くなっていくニジマス主任。この人にここまで恐怖を感じたのは、初めてだ。恐怖で思考が停止する。

「普通にお友達です。」そう言おうとしたけどうまく口が回らない。一瞬、ほんの一瞬だけ、ニジマス主任を見ていた目をそらした瞬間、やさしくも、少し強引な力が私を壁に押し付けた。




「に、じます主任、」
「そういえばいずみちゃん、もうスイーツないって言ってたよね?」
「っ、」




にぱっと目を細めて笑う彼に、いつもは好きな笑顔も今はただ恐怖を増やすだけで。なにをされるかわからず震える体。このままじゃダメだ、と先手を切った。





「……お菓子なら今すぐ買ってきます」
「別にいいよ〜。だって△▽ちゃん、美味しそうなスイーツ持ってるでしょ?」
「…え?」





そう言って私の肩に顔を埋めるニジマス主任。少しも動けない私はただ一連の動作を見ているだけだった。首元にかかる彼の髪の毛がくすぐったくても、耐えるしかなかった。

そんな時、首にチクリと鋭い痛みが走る。訳も分からず反応する体。ちゅ、と小さなリップ音と共に、耳元でニジマス主任が囁いた。





「…やっぱり△▽ちゃんは甘いね…。とびきり極上なスイーツだよ」




そう言ってスルリと腰を撫でられ、小さく息を漏らした。くすぐったいような気持ちいいようなわからない感覚に支配される。




「っ、やめてくださ、」
「スイーツは喋らないよ?」
「なに言って…!」




淫らな水音が鼓膜に響く。耳が性感帯な人もいるとは聞いたことがあるが、私がそうだったとは知りもしなかった。ねっとりと粘液をまとわりつかせた真っ赤な舌が耳を弄ぶ。




「っ、あっ…はっ、…!」




こんな状況なのに、のんきに反応している自分が恥ずかしかった。それでも逃げたいのに、体は自由に動かない。




「なにがっ、したいんですか…!」




無理やりされているのに、酷いって思うのに、私は彼を嫌うことができない。そんな矛盾が悔しくて情けない。

ニジマス主任はなにがしたいの?なんでこんなことするの?私で遊んでるの?私のこと、そんなに嫌いなの…?

頭の中で、いろんな思いが膨れ上がった。




「……ごめん、」




ニジマス主任のきれいな指が、私の頬をなでる。いや、これは拭っているんだ、私の涙を。知らず知らずのうちに泣いていたらしい。



「……最低、だよね、ボク…。こんなんじゃ、その彼に△▽ちゃんがとられても仕方ないよね…」




視線を落としたまま呟いた彼の言葉に、私は目を見開いた。仁志さんに、私がとられる?




「…え、」
「彼と末長くお幸せに、ね。本当にごめん」




「もう、関わらないから、」そう言って、これが最後だというかのようにニジマス主任は私の頭を優しく撫でた。きっと何か、勘違いしている。直感的にそう思った。




「っ待ってください!」
「…手を離してよ、△▽ちゃん」
「もし間違ってたらごめんなさい、!ニジマス主任、…嫉妬、ですか…?」
「っ…」




彼の表情が歪んだ。ニジマス主任が動揺しているの、初めて見た。いつも余裕綽々で常時笑みを絶やさない彼でも、こんな余裕のない表情をするんだ…。




「ニジマス主任、」
「……そうだよ、嫉妬してたよ。醜いでしょ。△▽ちゃんと彼の間に入れる隙なんてなかったのに、バカみたいって思うよね」
「違います、違うんです、!」
「なにが違うの?まさかこの期に及んで慰めようとしてるの?それ、逆効果だよ」






いつになくイライラとしたニジマス主任。ニジマス主任は怒っているのに、私は込み上がる期待に嬉しく思ってしまう。




「私のこと、…好き、なんですか、?」
「っ……もう僕に惨めな思い、させないでよ…」





私から顔とを背けるニジマス主任。そんな彼に、私は力一杯抱きついた。長かった片思いも、終わるんじゃないかって期待しながら。



「っ△▽ちゃん!」
「好きです」
「っ、なに言って、」
「ニジマス主任が好きなんです!」
「君には彼氏が、」
「そうじゃないです!」
「………え、?」
「っ確かに、双六主任の弟さんですがっ、!っあー!もう!この写真見てください!!」





ホーム画面に設定していた、仁志さんとのツーショット。誰がどう見ても女の子同士の写真。だけど、




「…これが、どうしたの?」
「双六一主任の弟さんです」
「……妹の間違いでしょ?」
「とても可愛らしい方ですよね、仲良くさせてもらってます」
「………うそでしょ?」
「本当です。明日は二人で服を買いに行くんです。」
「………へ?」
「会ったことなかったんですね、仁志さんと」
「ちょ、ちょっと待って!?あのいかつい双六主任の弟だよね!?」
「そうですよ!あの強面ハゲゴリラの双六一主任の弟さんです!」
「えっ、えーー!?!?」



目を白黒させ、わけのわからないジェスチャーと共にパクパクと口を開け閉めしている。そんな主任のかわいい姿を見たら、もっといじめてやろうと思ってた気持ちがスッと消えて、 愛おしさが残った。




「ニジマス主任」
「あの、ごめんね△▽ちゃ、」
「好きです」




もう一度、思いを伝えた。もう怖いものなんてない。顔を真っ赤にさせる主任が、こんなに可愛いだなんて。さっきとは大違いだ。




「…あんなにひどいことしたんだよ?」
「今度高級ディナー奢ってください」
「独占欲強いよ?」
「そっくりそのままお返しします」
「今日のために、…いっぱい仕事詰めて、△▽ちゃんがお菓子を買いに行けないように仕掛けたんだよ…?」
「策士なのは、お互い様ですね」




チョコを買いに行けなかった?そんなことない。ここにもお菓子は売ってるし、休日だってなかったわけじゃない。ただ、ハロウィンの日に、彼が私にいたずらしてくれないかなって、期待してましたよ、もちろん。



ぐいっと腕を引っ張られ彼の胸元に飛び込む。そのまま大切なものを包み込むかのように、やさしく抱きしめられ、わたしも抱きしめ返した。




「好き、愛してるよ△▽ちゃん、」
「…………奇遇ですね、私もですよ」





策士、に溺れる
(…でもやっぱり二人っきりはダメ)
(じゃあニジマス主任も来てください)
(ショッピングが終わったら僕のお家にお泊りね?)
(え、あのっ、そそそそれは、)
(よーし、△▽ちゃんと僕は明日から二連休だー!)
(物理的に休ませて下さい…!)