瓶詰めにされた海


「もう三日目なんだよ、旦那…うん、」
「振られたな」
「あぁあぁぁあぁぁあぁぁ」
「うるせぇ、女に現抜かしてんのがわりぃ」
「旦那は冷たいぜ、」
「テメーが甘いんだよ」


あの雨の日から三日。**はあの川に来なくなった。持って行ったよもぎ餅を旦那と食べるのも、今日で三日目。


「にしてもこれうめぇな。明日も持って帰ってこい」
「明日は**と二人で食べるんだ!!うん!!!」
「昨日も言ってたな、それ」


プラスチックの容器をゴミ箱に突っ込んだ。はぁ、とため息が出る。

怯えた目も、涙も、震える体も、頭からこびりついて離れない。あの時の自分の馬鹿げた行動が腹立たしい。ぶん殴りたい。
いや、あれがオイラじゃない誰かだったら、きっと殺してた。


「辛気臭ぇ顔すんな。カビが湧くだろ」
「どんな顔だよ、うん…」
「鏡見やがれ」


ぶーぶーと唸りながら枕に頭を押し付けた。**〜〜と枕に言っても何も変わりはしない。この枕が**に変わったりしねぇかな、なんて馬鹿なことを考えるくらいには滅入ってる。


「…ったくしゃあねーな、」


ほらよ。と言われた直後、頭にコツンとなにかがぶつかる。いて、と条件反射に呟いては顔を上げた。

目の前に転がっていたのは、オイラの頭を攻撃したと思われる蓋つきのアルミ製の容器。
なんだこれ、と思って手にとって蓋を開けた。


「旦那、これなんだ?なんか変な臭いがするぜ、うん」


鼻を近づけてみれば、薬みたいな臭い。旦那から渡されたものなら毒かもしれないから絶対に触れないようにした。
鼻にツーンとくる臭いはあまり好きになれなかった。


「塗り薬だよ。女に塗ってやれ」


手当もなしに青痣だらけなんだろ、と背中を向けて言う旦那。

ぬりぐすり?という言葉を理解するまで数秒を要した。そして女って単語に愛しの彼女の顔が脳裏に浮かぶ。

塗り薬、**、青痣。

その言葉にブワッと体温が上がり、気がついたらこちらに背を向けていた旦那の背中に飛びついていた。


「旦那ぁぁぁぁっ!!!!」
「うおっ、!?うるせぇ!!」
「ありがとうな!!旦那!!うん!!!」


黙れ、離れろ、と暴れる旦那を無視して、ぎゅうっと抱きついてグリグリとその背中に額を擦り付けた。

しつこくやっていたら、女にやれ!!と投げ飛ばされ、布団の上に逆戻り。背中を打って痛かったけど、その痛みも気にならないほどに気分は高揚していた。


「へへっ」
「…それ塗って包帯でも巻いてたら少しはマシになんだろ」
「おう!ありがとな!」


大事に大事に薬を天井に掲げた。これで**の痕もましになるかもしれない。**が、喜んでくれるかもしれない。

嬉しくて口角は上がりっ放し。そんなオイラに旦那がきもいとはっきり言ったが、旦那はツンデレだからな、きっと照れ隠しだ、うん。

…なんて思ってたらティッシュをかなりの速さで投げられた。しかもピンポイントに角がぶつかる。


「いてぇ…」
「寝ろ」
「おう!本当に感謝してるぜ!だん、ぐふっ」
「うるせぇ」


手を振って感謝を示したら、オイラの腹を踏んづけて部屋を出て行く旦那。愛が痛いぜ。って言おうとしたけど次は毒針が飛んでくるかもしれないからそれは言わなかった。

パタンと閉められたドア見届けてから、もう一度蓋を開けた。鼻を近づけたら本当に薬って感じの匂いがした。


(**の怪我、治してくれよ、うん)


ぎゅっとそれを握りしめ、祈るように目を瞑った。
そしてポーチの奥底に隠すように仕舞う。起きたらよもぎ餅だけじゃなくて包帯も買わねぇとな。

明日こそは、**に会いたい。もう一回ごめんっていう。


(会いたい、)



///




「はぁ、はぁ、…」


頭がぐるぐる回る。体が重い。指先が冷たい。節々が痛い。


「ゲホッ、ゲホッ…はぁ、はぁ、…」


足が止まって、地面に吸い寄せられそう。苦しい。つらい。でも会いたい。
あと少しの距離が、遠い。

ずるずると体を引きずって木に体を傾けた。わずかに視界に移った金色。あそこに、いる。


「デイダラ、くん、」


あまりに小さな声で呼んだ声。どう考えても聞こえるわけがなくて、もっと近づこうと木に手をついたとき、視界にデイダラくんがこっちを向いた姿が映った。


「…**、?」
「デイダラくんっ、」
「ッ**!?」


木々の間から覗いた金色。やっぱり体をまっすぐ保っているのが辛くて、木に手をついて荒い息を整えた。走ってこっちにくるデイダラくん。

だめだ、私も近づきたいのに、体がうまく動かない。


「でい、だらくん…」
「どうした、**!おい!しっかりしろ!」


震える視界の中で、青い瞳が映った。デイダラくんの温かい肌が私の冷え切った体をじわじわと温める。デイダラくんが、そこにいる。


ごめんね、会いに行けなくて。ちょっと風邪ひいちゃってさ。今はマシになったんだよ。でも花火はできないかな、煙を吸ったらちょっとしんどくなっちゃうの。また今度しようね、花火。


頭の中で思い浮かべた言葉が口に出たかすらわからない状況で、私は身を包む暖かさと、私の名前を呼ぶ声があまりにも心地よくて、そのまま目を閉じた。



瓶詰めにされた海
微かな声ですら聞き漏らしたくない。