8.悪魔と人間


悪魔と人間の行動基準は異なる。そもそも思考回路が大きくかけ離れているからして。
知能を持ち言葉の通じる悪魔でさえ人間との意思疎通は不可能とされている。むしろ上位の悪魔であればあるほどその本性は、狡猾、陰険、姑息。人を襲う以外の選択肢を得た悪魔は、毒を使い、人質を取り、甘言を囁き取引を持ちかけたりと非常に厄介と言える。手騎士(テイマー)認定試験には「初級祓魔師の使い魔に推奨される悪魔を全て選べ」なんて選択問題も出てくるが、基本的には言語を介さない悪魔を選べば問題ない。

生物としての種も違えば育った世界も違うのだから、当たり前といえば当たり前。使い魔に対しての一方的な命令は条件次第で誰しも可能だが、完全に使い魔の思考を把握し、行動を掌握できる手騎士(テイマー)は存在しない。

──……一人だけできそうな人物に朔は心当たりがあるが、一般的には不可能とされている。

故に受ける魔障を最小限に抑え、かつこちらの攻撃を通すためには、人智を超えた生物がどう考え、どう動くかを知らなければ話にもならない。数百、数千種といる悪魔の性質と対策を学び続けることこそ、祓魔師の本質と言っても良いだろう。結局悪魔の根源は飽くなき欲望であるので、知性があろうとなかろうと本能には抗えない。

そういうわけで、今回の体育の授業は悪魔との鬼ごっこである。

長々と綴ったが要は「あくまとたくさんふれあって生態をまなぼう!」という話。なんにもムズカシイことはないのだ。鬼ごっこのルールは単純明快、障害物もないだだっ広い空間で蝦蟇(リーパー)と呼ばれるカエル型の悪魔から逃げるだけ。攻撃は禁止、触れられそうになったらアウト、講師が蝦蟇(リーパー)の首輪を引いて終了。入塾したての訓練生(ペイジ)に、まず悪魔の動きに慣れさせるのは非常に理にかなったことだった。

……まあ? 当然? 神代朔のような上一級祓魔師ともなればこの程度お茶の子さいさい、ラクショー朝飯前、ヌルゲー越してボーナスステージ、アフタヌーンティーを嗜みながら文庫本片手にこなせる程度だし、なんだったらアイマスク付けてがっつり眠ってても身体が勝手に染み付いた動きで回避してくれる。超超余裕である。

余裕……のはず。

神代朔は困っていた。心底困り果てていた。いや言い過ぎかもしれない。うーんどうしようかな?のほほんと小首傾げて考えるくらいに、若干困っていた。そして少し眠かった。働くことをやめた鉄の表情筋が物語っている。

悪魔とは、心の闇に巣食い、悪感情を餌に力を蓄える生き物だ。特に今回の鬼役……蝦蟇(リーパー)という下級悪魔は『餌』の目利きに長けており、目に映った人間の目を見て感情を読み取るという、役に立つんだか立たないんだか分からない微妙な芸当ができる。そして美味そうな飯があればなりふり構わず飛びかかる知能の低さが、下級たる所以である。

つまり蝦蟇(リーパー)は恐怖、悲しみ、怒り、疑心……とにかく動揺して目を逸らしたりすれば襲いかかって来るし、逆に言えば、平常心でいれば絶対に(・・・)襲われることはない。


……あっ(察し)。


等しく順番の回ってきた杜山しえみ&神代朔ペア。
ただし必死に走り回っているのは……杜山しえみ、一人だけだった。

「はっ、はぁ、はぁ……!」

「…………」

「ふぅっ、はっ、は……、っひぃ……!」

「……、……」

「くっ、は……!!」

さすがにまずいのでは。

「若干困ってる」が「割と困ってる」に進化した。誰の目にも明らかなる異常。どう見ても浮いている。塾生に紛れて奥村燐を監視することが目的なのに、監視対象より目立つとはこれ如何に。(※初日の挨拶で時既に遅しなのだがなんと彼女は気づいていなかった…!)

朔はどちらかといえぱマニュアル型よりも断続的に物事を俯瞰し柔軟に対応するタイプである。任務に取り組む時はもちろん、普段の訓練でもあらゆる事態を想定して動く癖が染み付いている。

だが今回はそれ以前の問題だった。思ってもみないところでまさかの失態。何もないところですっ転んだようなもん。スタートダッシュが切れないどころかラインに立つことすら許されなかった。これで一体どうしろと?

「ヘロヘロやぞ、大丈夫なんか」
「見てて心配になりますね」
「杜山さん……」
「うわキツそー、てか遅っ! アレでよく捕まらないわね」
「つーかなんでしえみだけ追いかけられてんだ?」
「…………プッ……」

ざわついた生徒たちの視線が痛い。特にその後ろでパーカーを被った山田(仮)が吹き出し腹を抱えている様子が鬱陶しい。

「おーいしえみー! 大丈夫かー!」
「杜山さーん! 神代さーん! がんばれー!」
「いや神代なんもしてないやろ」
「そこにいるだけで澱んだ空気が浄化されますが?」
「つまり何もしてないんやろ」
「まあまあ……ほんまに危なくなったら先生が対処するでしょうし……」

朔はそろりと講師の椿を見上げる。日本支部所属の彼とは直属の部下ではないにしろ、何度も共に任務に当たった仲である。時には肩を支え合い、時には同じ寝床で眠り、時には過酷な戦場で背中を預けあった。

この事態に彼は一体どう対処するのだろう。優秀な部下へ流れ作業的に華麗に淡々とでっかい花丸を付ける心地で、朔は彼に信頼しきった眼差しを向けた。

居眠りしてやがった。

朔は講師の怠慢をメフィストに報告することに決めた。来月の減俸は覚悟しておけよ。や、別に怒ってませんけどね?

「きゃっ! げふんっ!」

のろのろと、しかし汗だくになるまで精一杯走り回っていたしえみが、無機質な床に熱烈なキスをかました。自分で自分の足に引っかかったようだ。こちらはドジっ子として花丸100点満点である。

保護者参観みたいな心地でのんびり眺めていた朔は、瞬時に状況を把握、間髪入れず地面を蹴った。いただきまーす♥と言わんばかりに飛び掛る大蛙の鼻先に砂埃立てて滑り込むと、うつ伏せになった少女の体育着をむんずと掴み、背中から構えた竹刀袋をフルスイング。青緑の頬が幾重にも波打ち、ベチーン!と小気味よい音が響いて、巨体が地面を転がっていく。チッ、ショートゴロか。

「ゲェォッ!!」
「………」

やってしまったかも、と一瞬、ほんの一瞬己の行動を省みて、まあいいかと思い直す。後悔や反省なんざなァ、夜寝る前にでもチラッとしときゃあいいんだよ。そう師匠に習ったもんだから仕方ない。聖騎士様には逆らえませんよ、へへ。朔はおやすみ3秒の人種だから反省タイムも3秒だ。

ドンッ、と巨体が壁にぶつかる音を背後に少女を引き摺ってその場を離れる。振り向くと蛙は死んだ蝉の真似をしていた。ちなみに地面にいる仰向けの蝉が足を伸ばしている場合はまだ生きていて、曲げていれば死んでいるらしい。仰向けで足を伸ばした蝉には近付くべからず。

「神代さ…クン! 回避訓練の授業で悪魔をカッ飛ばすとは何事だネ! しかし仲間を守る行為そのものは褒められるべきものダ。杜山クンも一人でよく走った! 2人とも戻ってよーし!」

先程の衝撃音で目覚めたのだろう、さも見守ってましたよ!と言わんばかりに椿講師がするすると鎖を引っ張って悪魔を回収していく。朔は引きずられる悪魔をたっぷり眺めてから背を向けた。さて、LIMEでメフィストにチクるか。

「まっ、待って……!」

すたこらさっさと待機所に向かう足を止めたのは裏返った必死の声だった。肩越しに振り向き首を傾げると、しえみはびくりと可哀想なほど飛び上がって顔を林檎のように染めた。あの、その、と言葉の切れ端をこぼしながらまごつくばかりでなかなか要領を得ない。……手を貸してほしいのだろうか。朔は数歩近づいて、彼女のほっそりした手を握った。土いじりをするせいか見た目よりしっかりしている。好奇心で掌のタコをなぞると、肩口で切り揃えられた髪が一際大きく跳ねた。若葉色の目がぐるりとこちらを捉える。

「おっ……!」
「……?」
「…お、おとっ……!」

──“おと”……?


「お、おおおおお友達!! になってください!」


神代朔は宇宙を背負った。


オッオオオオオトモダチ?
オ、オトモダチ……おとも……お友達?

聞き慣れない言葉に思わず放心、困惑。何を隠そうこの箱入り娘、つい最近まで本の中でしか『お友達』という存在に触れてこなかったもので。何それおいしいの?食べれる?食べれねーよ。 必須?命令?命令じゃねーよ。 役に立つ?役に立……立……立つと思う。師弟でそんな問答をした日も懐かしい。「弟子に友達がいない件について」当課題は去り逝く獅郎の心残りとなったことだろう。ツンデレ陽キャ代表アーサー・A・エンジェルの登場でハイゴレイ・獅郎の未練は絶たれたが、それだってアーサーに「親愛なる友人へ」で始まる手紙を貰わなければ朔は矢印に気づかないまま、友達0人のままだった。そんなだからいまだに『お友達』をファンタジーだと思ってる節がある。おおなんと悲しい娘。杜山しえみとどっこいどっこい。

「わ、私、友達がいたことがなくて……」

見下ろしながら上目遣いとは器用な。期待半分不安半分でそわそわチラチラと寄越される視線に、朔はひとつ頷いた。

「……いいよ」
「ほっ! ほんと!?」

しえみは目を輝かせぴょこぴょこと頭の触覚を跳ねさせた。しえみの両手に小さなおててを包まれながら朔は明後日の方を見た。まあなんとかなるだろ。悩むことは頷くことよりもかったるいのである。

「神代さん! 改めてこれからよろしくね!」
「ん……」
「あっ、お友達って下の名前で呼ぶものなのかな!? よかったら、えっと……朔ちゃんって呼んでいい!?」
「ん……」
「やったあ! えへへ……あ、朔ちゃんもよかったらその、私のこと……」

「天使と女神がお話しとる……でへへぇ、いいなあ女のコが仲良うしてるの、でへへへぇ」
「お前笑い方気持ち悪いぞ」
「チッ、今度ばかりは奥村に同意や」
「なんで1回舌打ち挟むんだよ!?」
「チッ、チッ、チッ」
「あーっ! あーっ!! 3回も舌打ちしたっ!!」

しえみと話しながら待機所へ続く梯子に足をかける朔。ふと、けれどただひとつ思ったのは、

──愉快犯(ライトニング)がここにいなくてよかったなあ、なんて。





蛇に睨まれた蛙。狙撃銃を構えた腕に何かが巻きつき、背筋を長い舌がずるずると舐め上げる。そのおぞましい感覚を骨の髄まで味合わされるようだった。

瞳の奥で揺れる青い炎に重なるのは、あの日燃え朽ちた修道院の一室。秘密裏に葬られた十六年越しの惨劇。大切な人を亡くし、拠り所を失い、守るものが明確に(あらわ)れた夜のこと。

本能的な恐怖。無性に胃を掻きむしりたくなるような不快感。

数十メートル離れた位置でいてこれ(・・)なら、至近距離で浴びるあの蛙は一体どんな心地なのだろう。ふと考えたが、好奇心を殺して首を振る。想像したくもない。

「……なにやってんだ……バカかテメーは!!」

スコープの中の兄が勝呂竜二に吠えた。吠えられた方は蝦蟇(リーパー)に襲われた時の尻もちを着いた体勢のまま、ぽかんと同級生を見上げている。兄に噛み付いていた蝦蟇(リーパー)は今は一歩退いて、完全に萎縮した様子だ。

「いいか、よーく聞け! サタン倒すのはこの俺だ!! てめーはすっこんでろ!」
「……な、な…! バ、バカはてめーやろ!! 死んだらどーするんや! つーか人の野望パクんな!」
「はぁ!? パクッてねーよ! オリジナルだよ!」

子供のように怒鳴る兄からは、先ほどの威圧感が綺麗さっぱり消えていた。一瞬ざわついた魍魎(コールタール)も今はふよふよと宙を漂っている。その光景に雪男はほっと息を吐いて、銃を胸元に構えたまま、塾生たちの集まる待機所へさっと視線を走らせ──

無機質な視線で射抜かれて硬直する。

『へ』『い』『き』……口の動きだけで言葉を発した少女が視線を外してから、少年は止めていた息を細々と吐き出し、銃を下ろした。最大限気配を殺していたはずだが、まさかこの距離で気付くとは。さすがに最速で上一級祓魔師になっただけはある。まるで対抗心を抱く隙もない。時の王サマエルを後見人に持ち、聖騎士に師事した少女。悪魔に魅入られた時の愛し仔(グレーヒェン)

「……本当におそろしい人だ」

奥村燐は人間に育てられた悪魔。
神代朔は悪魔に育てられた人間。
奥村雪男は人間に育てられた、凡庸な人間。

『ま』『だ』『こ』『ろ』『せ』『る』

──彼女には、僕の恐怖を見透かされていたのだろうか。



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