刀を交えて花一匁 丙 | ナノ
 16.紅桜篇『終/咲かずに散る花の名を』(4/8)




「コイツが何だか分かるか」

投げて寄越された白鞘の日本刀。拵も銘も纏わぬお粗末なそれを迷わず引き抜いたのはもはや鍛冶師の(さが)。職業病とも言える反射的な行動である。

果たして現れたそれは酷い有様だった。刀身は銅褐色に錆びつき、刃こぼれし、今にも風に吹かれて崩れそうに見える。ひとたび振るおうものなら衝撃に耐えきれず、あっという間に砕け散るだろう。手入れ云々の問題ではない。とうに役目を終え、寿命を迎えていたのだ。

しかし、無惨な状態よりも鉄矢の意識を引くモノがこの刃物にはあった。

「よもやこのような形で出会うとは……私の先祖が打った刀だ」

少し不意をつかれたような高杉の表情。そんな顔もするのか、と鉄矢は思ったが、後援者の内情にさほど興味もないため驚きは露と消える。

「銘は見当たらねェが」
「どんな贋作も専門家が見ればそうと見抜かれるだろう。作品は作者の指紋と言っていい。特に我が村田一族は特有の癖があってな……家の家具をウチのだと言うようなものだ。貴殿はどこでこれを?」
「形見……いや借り物か。貰い受けると言った(もん)とは見てくれもだいぶ違うが、それしかねーから持ってきた」
「なるほど、それで。その人間にとって思い入れのある物だったのか、余程の好事家か……いずれにしてもさっさと捨てるか元の持ち主へ返した方がいい」
「刀匠が刀を捨てろたァ奇特なこともあったもんだ」
「奇特なものか。この刀は死んでいる」

否、初めから生きていないと言うべきか。鉄矢は視界から隠すように刀身を収め、高杉へ突き返した。

「縁起が悪い。斬れぬ刀を持てば斬らぬ侍になろう。錆びた刀を持てば腕も錆びつこう。刀の本分は斬ることただその一点のみ、なれば斬れ味を忘れた刀は刀に非ず」

ある意味で永久不滅。生きていないが故に朽ちることもなく、死んでいるが故に生き返ることもない。どのような思惑で打ったのかは知らぬが、ただ有るが為に生まれた刃物は刀匠からしてみれば“気味が悪い”の一言に尽きる。

そうか、と。ただ一言寄越した時の高杉の顔を、鉄矢はとんと覚えていない。


──次に目を開くと、この腕は妹を突き飛ばしていた。差し迫る背後の脅威。ああこれが走馬灯かと思う。我が作品に貫かれる刀匠、あるいは父仁鉄ならばこれも良しと笑うだろうか。しかし鉄矢は“まだ生きたい”と咄嗟に思った。死に際の胸に生まれ出ずる、ただただ尽きぬ悔恨と無念。それこそ己が凡才たる所以なのだろう。


瞼の裏に映る見慣れた家の工房、刀を打つ父の背中。ふらりと手を伸ばし、袖を引かれ踏みとどまる。振り払おうとして振り解けぬ。ふと耳に届いたのはひどく耳障りな泣き声だった。

斬れぬ刀に価値などない、なれば打たぬ己にも価値はない。兄者、兄者とつたなく呼ばれるたび、その役目は価値なき己を思い出させる。だからあの子の声は嫌だった。手を振り払うたび、背を向けるたび、幼い頃迷ったあの子を迎えに行った帰り道、けんめいに背負った重さがこびりついて離れない。それがずっと嫌だった。鉄矢はひたすらに、ただひたすらに、火と鉄とだけ向き合っていたいのに。

どこまでも鬱陶しく、煩わしく、そう思えど……忌み嫌うことなどできなかった。感情を顔に出すのが苦手なその子が、褒めてやるとそっと口元を綻ばせるのを見てしまったから。物に頓着のないその子が、手を握ってやるとぎゅうっと、二度と離さないとばかりに握り返してくるのを知ってしまったから。

全て捧げてきたつもりだった。他の一切、良心や節度さえ捨てて。

だが結局最後の最後、捨てられなんだか──と。


「ちょっとにーさん、寝るにはまだ日も高いぜ」


巫山戯た語調。目覚めの合図は居合の一刀。

──めざましい鈍色に、鉄矢は己の知らぬ一つの終着点を見る。

紅桜の右腕がもがれる。愚直なほどに真っ直ぐ、呆気ないほど簡潔に。迷い惑いなど馬鹿馬鹿しいと一蹴するように、二の足三の足ふみ飛ばして、結果だけを突きつけてきた。





その昔。豊臣亡き後、徳川の世にあってまつろわぬ稀代の遊び人、無類の絡繰好きでありながら、江戸一番の刀匠と謳われた男がいた。

名を村田神鉄。

鞘は鞘師、鐔は鐔師、金具は金工師、そして刀身は刀匠……日本刀は複数の職人の手を介してつくられる共同製作物である。しかし村田神鉄は玉鋼の選別から拵の完成までを、1人でこなす程度に器用な男であった。孤独に刀と対峙する傍ら、イタズラ道具を作っては町に繰り出し、子供たちのガキ大将として空き地に君臨し続ける、奇特なちゃらんぽらんでもあった。

そうして老年を迎え、やがて病魔に蝕まれ、床の上で死神の足音を聞いた時。
男が残り僅かな時間を費やしてつくったものは、遊ぶための玩具でもなく、斬るための刀でもない。

(あそ)ぶために生まれた刀。

然してその本領は児戯が如く“斬らぬ”ことにあった。
そのまま抜けば錆びついた無用の太刀。だが居合の速度がある一点を超えた瞬間、杜撰な鍍金はみるみる剥がれ、鍛え上げられた頑丈な鉄肌が姿を表す。
斬ろうと思えば斬り、斬らぬと思えば斬らぬ。選ぶものは自由自在、主の希望(のぞみ)をなぞり理と非とを断つ刀。

──村田神鉄無名の傑作“佩く秘密”、寄鉄式絡繰奇刀『(いたずら)』。





「刀鍛冶だか兄貴だか知らねーけど、なんだかさ。どいつもこいつも聞き分けがいいヤツばっかで嫌んなッちまうね。なあ……あんたもそう思うだろ?」

手に握られた立派な拵の刀。己が捨てろと言ったそれは、羽衣の天女の様に美しく。

高杉の言っていた「持ち主」とは此奴のことだろう。なんて身の程知らずだと思っていたが、ああ確かに、あの食えない男が……画面の中のヒーローに憧れる、子供のように笑っただけのことはある。

なにせそいつは人が必死に縋ってた価値観も矜恃も意地も、無垢な赤子のようにたやすく踏みにじり笑う、それほどに(あか)く、眩しく、人の心を知らぬ男だったのだのだから。



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