刀を交えて花一匁 丙 | ナノ
 15.紅桜篇『参』(3/4)




「……!? 左方より新たな敵艦が出現ッ! たった一隻で大きさもありませんが、ものすごい速さで近づいてきます!!」
「チッ、次から次へと……! アタシが出ます、いいっスよね武市先輩!?」
「落ち着いてくださいまた子さん。このタイミング、この状況……もしや本命は──」
「なあッ、あの船止まる気配なくないか!?」
「おい……オイまさか」
「嘘ォォォォォォ!!」



地鳴りとまごう轟音。桂一派の船が鬼兵隊の船腹に突っ込んだ音だ。衝撃に船体が悲鳴を上げ、鉄くずと木の破片が頭上より降りかかる。煙の中から続々と攘夷党の浪士たちが乗り込み、船上は混沌へと突き落とされた。

「ふーん、アイツね……」

入り乱れる戦場で的確に指揮を下す男。攘夷志士随一の謀略家、武市変平太。おそらく今回の計画を企てた首謀者。間違いない、あれが鬼兵隊の要。

武市が味方を引き連れて甲板を去る一瞬、視線が交差する。ひらりと手を振ってみるが、無反応だった。ツれないなあ。くすくす笑いながら手の中のモノを弄び、男はアッと声を上げる。

「……どっかで直……いや新しいの買っ……う〜〜〜ん」

半身残った借り物の刀を深刻な面持ちで眺めるこの男こそ、吉田董榎──鬼兵隊戦艦を襲撃した張本人である。
血気盛んな侍たちをわずか数分で薙ぎ倒し、紅桜従える岡田似蔵を打倒した彼は、ちら、と己が倒した敵の群れを一瞥し……その背に大量の冷や汗をかいていた。

なんせこの刀の持ち主が誰だか覚えてない。その誰がしかの魂べっきりやっちまったし、もう半身はどこかにすっ飛んでった。
経験上、なくした片割れは得てして見つからないものだ。洗濯した靴下然り、圧縮袋についてくるスライダー然り、ハサミで切った値札のプラスチック然り。

侍の魂を靴下やスライダーやゴミと一緒にすんなって話だが、ガタイと性格に見合わぬきめ細やかな家事主夫道を歩んできた彼にとっては、そしてイマイチ侍や武士道といった物に帰属意識を持たない彼にとっては、どちらも同じくらい重大なあやまちであった。

「フー、落ち着け、冷静に考えよう。きっとあるはずだこの最悪の状況を打破する解決策が」
「………」
「……あのさよくよく考えてみたんだけど、これって俺のせい? 違くね? そりゃ勝手に拝借してたのは俺だけど、俺の過失って実質半分くらいだろ。だからさほら、長年使って耐久値減らした持ち主が3、んで俺が2まけて、実際に攻撃で折った高杉くんが5ってことで高杉くんの弁償でいい? 俺も一緒に謝ってやるから、なっ? 元気出そうぜ」
「………」
「……ちょっとガムテ貸してくんない」

「ふざけたツラは変わってねーようだなァ」

──斬り裂かれる足元の曇天、水飛沫。雨粒が視界を塞ぐ一瞬、男の足は掬われた。

傾く体に迎える殺意、されどその刃は肉を断ずることなく。恐るべき速さと強度をもって“鞘”に弾き返された鉄の震えは、高杉の剛力に圧殺される。
掌の痺れを意に返さず、力ずくで上半身を捻り、襲いかかる折れた刃先を紙一重で回避。一旦距離を取ると見せかけ……踏み込んだ。胆力、判断力、何においても優秀な彼にこそ成せる押しの一手。

重く、鋭く、一切の無駄を削ぎ落とした突きの一閃が、黒の眼球を正面から捉え、貫いた。

「……ふは……容赦ねーな、殺す気か?」
「欲を言えばまあそうだ」
「そーゆうヤバいのは胸に秘しとけバカヤロォ嘘つきは嫌われるけど正直者は友達できないって知らないのかねッ!?」

ぎり、と鍔が擦れ合う、死線は耳たぶに触れるか触れまいか。潰し損なった両眼が高杉の両眼を射抜く。洞を突き詰めたような黒瞳は、血と鋼に反射してギラギラと輝き、その様は目にも新しく、あまりにもたやすく高杉の胸を打った。

「ッハハ……あんたの方がよっぽどヤバい目ェしてるぜ。ダチなんざ一人もいなさそうだ」
「たぶんお前よか多いよ」
「物好きもいたもんだ。そいつらあんたに似たり寄ったりの野放図なんだろうな」
「誰が野放図だって? あの性悪でドSで自分勝手なひねくれ者と一緒にするな撤回しろ」
「フッ──」

そして声を上げて笑う高杉へ董榎が訝しむような視線を向ける。秋雨はとうに通り過ぎ、残された重々しい湿気ばかりが立ち込めている。

「……松陽先生が死んでから俺ァ、ずっとあんたのことを調べてたよ。あんたが消えた事について先生は頑なに口を閉ざした、それがなぜかは分からねーが、何かデケェものが裏で動いてるのはわかってた。だが居場所どころか家族も、出身も、名前さえ、まるで最初からいなかったみてェに出てこねー。こいつは一体どういうことだ? ……あんたとはまるで関係のない所でソイツの名を聞いたのは偶然だ。なァ、董榎。あんたの言うひねくれ者()ってのは松陽先生のことか? それとも」


「“虚”のことか?」


一秒にも満たぬ閑寂──突風。腹に衝撃。浮いた足の先がズルリと船床を擦り、船縁に背中が叩きつけられる。その間、距離にして数メートル。骨が軋むほどの衝撃に、高杉はたまらず胃液を吐き出した。

腹の前に構えた刀が震えている。まさに目にも留まらぬ速度。来ると分かっていなければ為す術もなく風穴が空いたことだろう。董榎の方も高杉が防ぎきると分かっていた、故にこそ加減を捨てた。もっとも董榎が折れた刀をさっさと捨て、そこらに転がる隊士の刀を新たに奪っていれば、構えたそれごと砕き貫かれていただろうが……それでも、手応えは確かに。

「………最初は……半信半疑だった。だがあんたの姿を見て、得心がいった。考えてみりゃあ、そう不思議なことでもなかった」

手を伸ばす。頬に触れる。親指の爪をシミひとつない柔肌に食い込ませ、鋭く赤を走らせる。許される快感、それを知らしめる悦びを、その顔に華を欺くが如きいっとう安らかな笑みにしながら。
薄皮を一枚割いただけの傷痕は、中身を零すことなく溶けるように消え失せて。

「あんた、松陽先生と同じなんだなァ。あの人と同じ、俺達とは違う生き物だ」

温度のなかった董榎の眼が驚きに見開かれ、気づかわしげに揺れていた。柄を離れたその手は弟子をなぐさめるためのものか。剣を抜き去り、牙を剥き出しにし、不死の心臓に銀の十字架を突きつけたこの状況においてさえ、その男は。高杉の腕も呼応するように持ち上がり──


──胸の中心に刃を突き立てる。違う、そうじゃない、欲しいものは。ズ、と沈む刀身。胸骨の合間を貫通し、心臓を串刺しにし、背中から飛び出た鋼からは涙のように、人と変わらぬ鮮やかな血を滴らせている。


「嗚呼それだ……やっとイイ面になってきやがった」
「……何を……」
「なあ董榎、いつまでそのままごとを続けるつもりだ? 毒にも薬にもならねーぬるま湯で、何もかも大切なフリして、つまらねェ顔して遊んでやがる。まったく不思議でならねェよ。だってあんた、本当は国だ世界だなんざァどうだっていいくせに」

すずやかな瞼の奥、すました慈愛の奥、底の底に蠢く怪物(けもの)の息づかい。ぞくぞくと高杉の背筋に走るものは逃れえぬ恐怖と、歓喜。それから深い深い憐れみの情。


「来いよ先生。一緒に壊そう、この世界を」


そうだ俺は、あんたの余裕な笑み(化けの皮)剥がしてやるのをずっと楽しみにしてたんだ。



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