刀を交えて花一匁 丙 | ナノ
 14.紅桜篇『弐』(3/3)

江戸の中心に流れる河川の一条、船着場に停泊した一隻の巨大船。高杉率いる鬼兵隊の現在の活動拠点であり、そして紅桜の工場を積載した夢の空船だ。船底には火器や武器が所狭しと敷き詰められ、船中には血気あふれる攘夷浪士がひしめきあい、この狭い檻から解き放たれ江戸を火の海に沈める時を今か今かと待ち構えている。

今朝から降り始めた雨で川の様子は少しせわしない。そわそわと波に揺れる船の一室では、鬼兵隊の中でも幹部とされる面々が険しい顔を突き合わせていた。

「こっぴどくやられたものですね。紅桜を勝手に持ち出しさらにそれほどの深手を負わされ逃げ帰ってくるとは。腹を切る覚悟はできていますよね、岡田さん」

変人謀略家、武市変平太。

真っ黒な目で窓を眺め淡々となじる彼の背後に、隻腕の男が刀を片手に座している。

「片手を落とされてもコイツを持ち帰ってきた勤勉さを評価してもらいたいもんだよ。コイツにもいい経験になったと思うんだがねェ」

岡田似蔵、またの名を人斬り似蔵。

視覚を失い、更に先日片腕までも失った岡田を声高に責め立てる声があった。

「持ち帰ってきたァ? 持ち帰らせて()()()()の間違いじゃないっスか」

二丁拳銃使い『紅い弾丸』来島また子。

彼女は後半の言葉の強調に伴い、背後に佇む男を見た。
黒白のまだら髪に、恐ろしく色味のない肌、着物の端々から覗くおびただしい傷跡。
鼻の裂傷じみた火傷跡と、上唇と下唇とをまとめて封じるように刻まれた斜めの刀傷が目を引く。

「………」
「オイ、なんか喋ったらどうっスか」
「………」
「あーもう口利けねェのか! なんでこんな得体の知れないヤツ入れたんスか武市先輩! つーか誰!?」
「得体の知れないヤツじゃありません私の幼馴染みです」
「幼馴染ィ?」
「実力は折り紙付きですよ。あなたも聞いたことくらいあるでしょう……泣く子も黙る『人斬り古兵衛』の名を」
「!? ……噂には………」

江戸には大平の世を脅かす四人の人斬りがいる。そのうちの一角、幕府の役人三十五人を殺害した過激派攘夷集団「暁党」の元幹部──

「………」

伝説の殺人鬼、名を田中古兵衛。

曰く、齢五つの頃に単身で大の男を六人斬り捨てた。
曰く、組織が暗殺に失敗し雲隠れした幕吏を1ヶ月執拗に追いかけ斬首した。
曰く、幕吏四十数人に包囲され、全身に刀傷を受けた状態で七人を殺害し逃走した。

独善に塗れ血に飢えた断罪人。その夢物語じみた数々の逸話は幕府側の組織のみならず、紙面や伝聞を通し下町や山の手の人々をも震え上がらせるほど。「悪いことをすると古兵衛が首を取りに来るぞ」と子供に言い聞かせて育てる家もあるとか。

鬼兵隊にはもともと河上万斉、岡田似蔵の二人の『人斬り』が属していた。武市の話が本当であれば、これで鬼兵隊に三人の人斬りが揃うことになる。

来島はぶるりと粟立つ肌を袖越しにさするが、武市は伝説の殺人鬼の頭をあろうことか撫でていた。なんでだ。

「見てくださいこの愛想のなさ1周まわってカワイイものじゃないですか。よーしよーし」
「ゲッ、あんたに女児以外を愛でる心があったとは意外っス」
「失礼ですね。私も兄貴分として弟を可愛がりますし心配もします。ええ純粋に。この子昔から人形みたいに肌が白くて行動の端端が幼いので……ええ純粋に」
「やっぱロリコンじゃないっスかァァァ」
「ロリコンじゃありませんフェミニストです」
「フェミニストじゃありませんペンタは昔から今現在に至るまで正常に変態です」
「ほら2対1で変態って……おま喋れるんかィ!?」
「彼はシャイなので基本的に必要事項しか喋りません」
「その理論だと今のも必要事項ってことになるんスけど。あとペンタって何」
「………」
「は? なんスか」

田中が来島をじっと見下ろす。
空を見上げるほどに背が高いうえ、刀傷を拵えた肌に立派なクマ、鋭い三白眼と揃うモンも揃ってもう迫力満点、視線だけで人を殺せそうだとはこのこと。
そんな殺人鬼の負けじとガンを飛ばしまくる来島、根っからのスケバン気質であった。

ところが田中はにらめっこをリタイア。スッと目を逸らし、武市に何やらコソコソ耳打ちし始めるではないか。その男らしくない陰険な態度に来島はブチ切れそうになる。

「……ふむ、ふむ……なるほど……」
「ンだコラ。堂々と人の陰口言ってんじゃねーっスよ」
「迫力ある美人なので気遅れしてしまったそうです」
「えっ!? 図体デカいくせにカワイイな!?」
「古兵衛、お兄ちゃんは許しませんよ。あのゴリラはやめときなさい。生まれた子供がゴリラになったらどーするの」
「ド頭ぶち抜いて風通し良くしてやろーか。その煮え腐って水虫寸前の思考回路も少しは良くなるかもしれないっス」

田中の両肩に手を乗せた変態の頭に銃が突きつけられると、田中は三白眼で目の前の変態を見やった。ほらコイツも呆れてるぜと来島は彼の表情を解釈するが、「(仲良いなあ…)」とほくほく顔の田中の内心を誰も知る由はない。

武市が両手を上げ降参したことでひとまず満足した来島が、軽く舌打ちして身を翻す。

「さて岡田さん話の続きを……いない!? どこ行った!?」
「岡田サンなら出ていきました」
「アイツ……! ──……!!」

紅桜を従えた彼はいまや影も形もない。田中の報告に来島が歯噛みした時、船が奇妙な揺れ方をした。
わずかな床の震えを感じ取った三者が顔を見合わせる。緊張の走る室内に、一人の隊士が駆け込んできた。

「どうしました、トラブルですか敵襲ですか」
「て…敵襲です! 船に侵入者が現れました!!」
「なにィ!? どこの組織だ! 桂一派か!?」
「それが……一人です! 男が一人、甲板で暴れ回ってます! 既に何人も仲間がやられて……たった今岡田さんが向かいました!!」

隊士の先導で船内を駆け抜けながら、武市は侵入者の正体に思いを巡らせる。

単身ということは、幕府が計画を嗅ぎつけ手先を寄越したわけではないのだろう。良くも悪くもあそこは統制がとれている。
幕府でないとすれば、攘夷党の誰かが岡田が斬った桂の仇討ちに来たか、その同盟者か、はたまた第三勢力か。


はたして秋雨の打ち付ける甲板で待っていたのは、倒れ伏した同胞たち。

惨たらしい……死屍累々の様であった。


「うっ…」
「ゲホッ」

違った。生きてた。


「たーかすーぎくーん あーそーぼー」

水溜まり一面に沈み呻く敗者の上で、台風の目に立つ一人の男がいる。ゆるく穿いた着流しに肩に引っ掛けただけの羽織、しとどに濡れた烏羽の髪。右手の打刀を無造作に垂らして夜露より濃い双眼を上げ、スウと再び息を吸う。

パシャリ、水音を合図に男の背後で影が伸びた。振り返らずして胴を狙う刃を避ける男は、下駄を鳴らして鼻歌でも歌いそうな調子である。背中に目でもついているのか。

振りかぶった格好の岡田は、よろめく体を紅桜を突き立てることで支えた。

「活きがいいね。峰打ちとはいえ普通の体ならもう起き上がれないはずだ……妖刀ってのはみんなそうなのか?」
「……もはや俺と紅桜は一心同体……とはいえこの体であんたの相手をするのは骨が折れる。ちと血が足りねェかな……」
「じゃあ大人しく寝てれば」
「ハ、嫌なこって。足りない血は血を以て補えばいい。何よりあんたのソレをコイツが欲しがってらァ、応えなくちゃア名折れってもんだろ?」
「知らねーよ。つかさあ、マジで妖刀持ってくる奴いる? あちこち振り回しやがって、修学旅行で木刀買った中坊じゃねーんだぞ」
「ククッ、後悔しているか? 以前俺とやり合った時何故殺しておかなかったと……俺を殺しておけば桂も白夜叉もあんな目には遭わなかった。全てアンタの甘さが招いた結果だ」

非難を乗せ責め立てる紅い刃。動きは精彩を欠いて牛歩のごとく、居合の達人と囃し立てられた頃からは想像もできない程にかけ離れている。
何度となく避けられ、しかし重く鋭い一撃が男の体を捉えた。
ゴツ、と刀の打ち合いとは思えぬ低音が響く。

「げェ〜ヤダヤダそーいう責任転嫁、手前の咎は手前のだ。お生憎様、他人の人生まで背負ってやるほど俺はお優しくない」

「……! いくら手負いとはいえ紅桜を片手で……何者っスかあの男」
「さあ、記憶にはありませんね。晋助殿を探しているようですが」

そう答える武市の背中に冷ややかなものが伝っていた。
通常、紅桜と打ち合えば単なる刀など若木同然。だが男の鉄がたわむ気配はない。受けているように見えて力を流しているのだろう。言うは易く、行うは難し。紅桜は成長する妖刀……喰らった剣を記憶し自らのものとする。ゆえに太刀筋は変幻自在。攘夷四天王を二人屠った時点でその力は未知数となっていた。攻撃を正確にさばき、互角以上に渡り合うなど──


カラン、コロン、剣戟を交わすたび男の下駄が遊ぶように声を鳴らす。


「(……紅桜と正面から斬り結ぶ時点で正気ではなかったか)」

駆け引きのさなかで間合いが開いた。
互いが自然と距離を取り、雨音が死闘の狭間を埋めるように少し濃くなる。岡田は途端に空気を求めてあえぎ、男の方は頬に張り付いた黒髪を腕で拭ってよける。

「おーい、大丈夫〜? アンタそのじゃじゃ馬持て余してるように見えるけど、ちょっと休む?」
「っは……失敬……箱入り娘が外に出てはしゃいじまったようだ。俺ァ普通の子にゃ怯えられちまうからね。このくらいが丁度いい……」
「……強がるねェ! 嫌いじゃないぜ!?」

男が声を高くして笑うと、岡田の方も僅かに口角を上げた。汗と雨を吸い重くなった衿巻きはとうに外してしまった。

断言しよう。
全力だ。ずっと。今の今まで一部の油断もしなかった。
この男を甲板で目にしてから、死ぬ覚悟でここに立っている。

「(ああ……悔しいな)」

それでもたったの一太刀すら許されないのは、向こうもまた、こちらを認めている事実の裏付けだった。

邪道に賭ける覚悟は、時に正道に通づる道理に勝る。この男は岡田の“覚悟”を認めて侮れぬ敵と見定めたのだ。主人を共にした同士でもなく、野望を妨げる強敵がただ1人の理解者である事実が、降り注ぐ無数の雨粒よりこのみじめな胸を打つ。

刀を握る。腕の感覚はない。肥大した紅桜の芯を意識で手繰り、呼応したそいつの従属と支配を受け入れるだけだ。枝は、自ずと握られる。

足にまだ力が入ることを確認し、駆け出した。
おぞましい気配が微笑みながら迎え入れる気配。再び刃を寄せ合うその寸前──近距離で轟いた爆発音が、両者の足を鈍らせる。

「……!?」
「なっ…!!」
「工場がァァ! 紅桜がァァァ!!」
「……残念、時間だ」

肌を叩く爆風。一瞬で甲板に満ち満ちる熱気。
雨粒が焼かれて煙を焚き、朱い火の粉は渦巻きながら鉛色の空へ吸い込まれていく。
跳ね上がった気温と湿気に大粒の汗をかきながら、隊士たちは船の上で燃え盛る工場を呆然と見上げていた。今まさに追撃の手が伸びているとも知らずに。

「高杉ィィィィィィィ!!」
「今度は、なんスか……!?」

大砲が撃ち込まれ、船から煙が上がる。船上は完全に混乱状態に陥った。四方八方で慌てふためく隊員たちの悲鳴が響いている。

「貴様ァ志同じくする尽忠報国の士でありながらァ! 我らが攘夷志士の暁、桂小太郎を手にかけた罪許し難し!! 我らはもう共に一歩仲間ではない! 志の遠く離れた敵である……よってここに天誅を下さん!!」
「なにィ!!」

来島は頭上を睨んだ。雄叫びは上空に浮かぶ四隻の戦艦の一つから聞こえているようだ。この奇襲を先導する人物といえば、心当たりは一つ。

「──お前の仕業か!?」
「他に誰の仕業に見える? お嬢さん」
「確認の『!?』じゃボケェ! アンタ完全に晋助様に用があって来た感じだったよな!? ハッタリか!?」
「いや〜ずっと会ってないしついでに顔見とこうかな? みたいな」
「疎遠になった元同級生の地元に遊びに行くノリ…!? アンタ晋助様の何なんスか……!」
「俺が高杉の何っつーか、高杉が俺の愛人」
「……………えっ」
「ウッソぴょーん」
「こ、殺す…………!!」
「敵と乳繰り合わないでくださいまた子さん、味方の士気に関わります」
「どこがどうそう見えた? 武市変態それセクハラっスよ。不快なのでやめてくださいあわよくば死ね」
「失礼しました随分仲がよろしい様に見えたのでお前が死ね」
「荒れてんなァ鬼兵隊は」
「誰のせい!?」
「積極的に流行りに擦っていくとは……なかなかやりますね」

フウ……ゴクリ、と冷や汗を拭う武市と米神に青筋を浮かべる来島。──ともあれこちらの邪魔をするつもりはないらしい。そう判断した武市は背後に控える者の名を呼んだ。

「古兵衛」
「………」
「何隻落とせますか?」
「2はいける。3は刀が持たない。どれを落とす?」
「「「!?」」」
「指揮官の船と一番近い船を」
「了解した」
「みなさん、すぐに船を出す準備を。このままでは上空から狙い撃ちされ撃沈されます」
「「「……! はっ」」」

田中が発つと、田中と武市のやり取りで正気を取り戻した隊士たちが動き始める。鬼兵隊の半数以上が甲板に伏し、今動ける者らも何人かが爆風による熱傷や軽い手傷を受けている。それでも全員がすぐ正気に戻り大人しく命令に従うのは、鬼兵隊、ひいては高杉への忠誠心と信頼の厚さともいえた。中心筆頭の来島は武市の側でジリジリと警戒を保ちながら、射殺さんばかりの眼力で岡田と相対する男を睨んでいる。

「こいつら、桂の仇討ちってわけっスか。似蔵……全部アンタのせいっス」
「……え、アレまさか独断? 検証実験じゃなくて? えっwマwマジかwwおまwwww」
「テメェには話しかけてねェェ! 人ン家の事情に首突っ込むなって親に教わらなかったンか!? くそっ笑い方ムカつくなあの男……」
「通りでデカい計画の割に情報統制がなってないと思ったんだ……苦労してんだなお嬢さん」
「憐れむような視線やめてくれる!?」
「また子さん敵の挑発に乗らないように。仇討ちもあるでしょうが、恐らく紅桜の存在が露見したと思われます。以前は過激思想の持ち主だった桂も昨今では無用な争いを嫌う穏健派になっていたと聞きます。亡き桂になりかわり紅桜を殲滅し我々の武装蜂起を阻むつもりか」
「おっと、勝手に他人をコソ泥扱いするなよ。仇討ち? 殲滅? いやいや……もっと単純な話さ。辻斬りに遭った人間が借りを返しにきたっつー、それだけ」
「………まさかっ…!」

叫んだ来島は直後、薄ら寒さを感じて身を引いた。都会で行商人でもしていそうな好青年が、硝煙くすぶる敵陣の真っ只中で、覚えのいい生徒を見守るように柔く微笑んでいる。

「答え合わせはお預けで。……お待たせして申し訳ない、岡田さん。それとも人斬り似蔵とお呼びした方が?」
「どちらでも構わないさ、吉田董榎殿」
「あら、苗字名乗ったっけ」
「勝手ながら調べさせてもらった」
「ふーん、じゃ、俺のところに来なかったのは何で? 怖気付いたか? 違うよなァ?」
「待ってたのさ」
「何を」
「紅桜の“完成”を」

斬って吸って喰らって頂に立つことにした。獲物の域には収まらない、この怪物を屠るために。ケモノに堕ちても構わないと思ったから人の道を捨てた。紅桜の能力を成長限界まで引き出せば、彼すら斬ることが出来ると信じて……

「へえ、そう」

──月が笑む。

「(……信じた? ……何を根拠に?)」

警報が頭に鳴り響く。過去の決断に違和感が纏わりつく。目の前の怪物は、ケタケタと笑っている。
何かを履き違えた。何を履き違えた?

「アンタの選択は悪くない。だが正解でもない。なぜって」

艦隊の砲弾が甲板の床を粉々に砕いた。
黒煙が走る。煙の手が届く前に、男の足は地を蹴っている。

化物()の玉座はもう埋まってンだよ」

空を滑る白刃が雨糸の束を斬り裂いた。

肉を断ち切る音すら残さず。春を享受する蕾のように、桜の根付く二の腕から鮮烈な紅が花開く。
曇天の下をくるくると舞う左腕。雨の雫を弾き飛ぶ赤い飛沫。
首が捻じきれんばかりに振り返る瞼の向こうは、飢えた獣のように血走っていたことだろう。

「───」

両腕を無くして体の重心を見失い、辛うじて踏みとどまったのはさすがの経験則か。奴のヘラヘラした態度から一変、あまりにも突然の出来事、周囲の人間はまだ認識すら及んでないというのに。

呼吸を忘れる手負いの獣を冷ややかな黒が見下ろした。咄嗟に反応すれどもしかし、剣を握るための二の腕からはさめざめと血が流れるばかり。

「だから人斬りなんてやめろって言ったのに……」

切っ先が曇天を穿ち、煌めく。鈍色をとめどなく濡らし、慈悲を塗り潰した刃が振り下ろされる。







キン、と鉄が砕けたにしては涼やかな音。小さな火花。腕と同じく半ばで折れた刃が弧を描く、デジャビュ。

折れた刃が空を斬ってすぐ、男はたたらを踏み襲撃者と向き合った。血液混じりの水溜りが飛沫を上げ、踵から膝裏にかけて水滴が降りかかる。続き捉えるは二撃目、真剣の重さ。菫色混じりの黒が散って眼光が覗く。ギラギラと光るそれに当てられる。昂ぶる本能を腹の底へ押し留めると、鍔を押し込んで弾き返した。

──久しぶりだってのにマア随分な挨拶だこと。
刀を揺らし、ふらりと下がった青年の姿を見る。

そう、好んで紫紺を纏っていた。穿った見方をするくせ負けず嫌いで、隣の奴らをいつも恨みがましげに睨んでた。なんだかんだ仲間想いのところは変わらないらしい。櫛通りの良い頭にまかれた包帯は、片目を怪我しているようだ。顔立ちが大人びた。肩幅が広くなった。背は、あいつらよりは少し下か。
くっきりと面影を残した姿で、しかし記憶とはかけ離れている。
例えばそう、歪に吊り上がる口元だとか、眼の奥に渦巻く闇だとか。

けど、まあ。絶望を肥やしに育ったお前の成長を、他の誰が疎んでも、俺だけは喜んでみせよう。生きていることはきっと、それだけで讃えられるべきことだから。失意の底にいても、返り血で前が見えなくとも、生に希望を抱けなくとも、世界を憎んでいたとしても。終わりを愛にはばまれ、義憤と自責に突き動かされるその心臓が、俺には心底いとおしい。


「よォ先生、どうだった地獄は」


そうしてドッと噴き出た朗笑に、吹き飛ばされるようにして雨足が遠ざかっていく。ゲラゲラゲラゲラゲラ。男はよじれる腹を押さえ笑って、眦に涙がにじむほど笑って、笑って。顔を覆う手の隙間から雨雫を垂らし、濡れた髪をかき上げ、

「退屈すぎて枝毛消えた」

と、ぞんざいに嘯いた。



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