▼ 07.そう、君の追憶でありたい(3/3)
「驚きと懐かしさで死ぬかと思った」
イソスタでリーダーとタニシ捕獲競争してバカ笑いするあの人を見つけた俺の気持ちがわかるか。マイケルジャクソンもびっくりなステップ踏んで頭から植木に突っ込んだ──とは、真っ赤な顔で焼酎を煽る桂の言である。まさか万事屋バカデカタニシ事変の真犯人がこんなところで分かるなんて俺もびっくりしてる。回覧板の裏にタニシ貼り付けてポストへ突っ込んでやろーか。
にしてもなかなか珍しい光景を見た。反省はするが後悔はしないを地でいく男が寂れた居酒屋で疲れたOLみたいに愚痴愚痴してるなんて、ペトリ皿が見たら爆笑卒倒モノだ。……いや、昔は小言の多い奴だったか。
酒の席だから。知り合いの来ない店だから。悪ガキ時代の2人というのももちろんあるのだろう。
とにかく普段しないような情けない話をぶつぶつとグラスへ垂れ流すその取り乱しようが可笑しくて、ビールジョッキを傾けながら鼻で笑ってやる。するとそいつは恨みがましげに俺を睨みつけて来た。
「よくまあそう平然といられるな……一番思いつめていたのも怒り狂っていたのも銀時、お前だろうに。真っ先に殴りかかって口もきかないものかと思ってたぞ」
「じゃあテメェも想像してみろ。魔王城乗り込んだら生死不明だった恩師に満面の笑みと強烈なベアハッグで出迎えられて気絶してる間に家庭訪問と黒歴史暴露大会開催される勇者の気持ちを想像してみろよ」
「……どうなるんだ?」
「人ひとりが持てる感情の許容量の限界を超える」
「なるほど……」
桂はすっかり脱力して遠い目をしながら、ちょっと思い出美化されてたかもとか、そういう人だったなだとか、銀時の性格はあの人譲りだな、だとか、
今聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。
待て待てどう見てもあいつのゴーウィングマイウェイはお前に引き継がれてんだろ。いやマイウェイ加減で行ったら董榎より松陽のが数倍ひどいな。地獄か。
「……董榎殿は先生のことを知っているのか」
「ああ、まあ、たぶんな」
たぶんっつーか、十中八九。態度が不自然すぎた。松下村塾のことも、先生のことも、奴は一切話題を持ち出さなかった。真っ先に聞いておかしくないはずなのに。
董榎は、松陽の末路を知っている。
どころか吉田松陽の首を跳ねたのが俺だということも、分かっているのだろう。だって同僚が死んだくらいじゃ、アイツなら「殺しても死ななそうな奴がなァ!」と笑い転げる方が性に合っている。というか絶対そうする。
会話を濁したのは、死人への配慮じゃない。俺への気遣いだ。
そしてこうして俺が推測と理解を重ねたことも、おそらく奴の手の内だった。
たぶん、とは言ったが、それはほぼ事実であることを察したのだろう。「そうか」桂は震える瞼を一度だけ閉じ、グラスの底に視線を落とした。
「驚いた。本当に驚いたんだ」
優等生のふりをした悪童。逃げの小太郎は将たる為に自ら被った臆病者の仮面であり、その中身は弱者でもなければ腑抜けでもない。ところが草食動物の皮を纏った獰猛な野獣はあろうことか、皮を剥いでなお震えていた。
「声も顔も朧げになっていたのに、目にした瞬間すべて思い出した」
声音も。話し方も。笑い方も。いとしい、いとしいとこちらが恥ずかしくなるほど雄弁に告げてくる、宝石より美しいまなざしも。
「記憶のままのあの人でいてくれた……」
そっと俯き、腕の中へ沈み、まどろみに体を預ける。瞼を閉じれば今でも一等眩しく、燦然と輝き続ける、あの頃。郷愁と、さみしさと、喜びと。酒精混じりの吐息は、火傷しそうなほどの熱を持っていた。愛おしい日々に頬を擦り寄せ、深く深く追憶に浸る。
「アレは、何だ」
小さく、しかしはっきりと呟いた。
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いくら素晴らしいヒトでも、いくら達観したヒトであっても、生き物である限り一片も変わらず在れるわけがあるまい。大人だって成長する。それが退化であれ、進化であれ、老化でさえ、時を経て心身が変化を遂げていくこと、人はそれを「発達」と呼ぶのだ。アレは、最も完璧な状態で止まっている。肉体はたくましく、肌は若々しく、内側を瑞々しくしたまま、成長をやめ、花盛りの全盛期を保っているように見える。体も……こころも。
彼が離れて十数年──13年。
子供を大人にするには十分な年月だ。
説明も億劫になるほどいろいろなことがあった。師は潰えた。雛は巣立った。天人により文明は発展し、街並みは見る影を無くした。かつての友との道は分かたれ、鳥はそれぞれの寝床を作り、新たな雛を育もうとしている。彼が帰って来た場所に吉田松陽はいない。彼の知っている子供達ももういない。
13年とは、それだけの時間だった。変わらずにあれる人間が、果たしているだろうか。
「知らねぇよ」
桂の意識は思考の海から浮き上がる。銀時は空になった酒を逆さまにしながら言った。
「ま、人の皮を被ったバケモノってとこじゃねーの」
──カッと脳が沸き立ち、しかし、自ずと視線は自然と友の様子を観察している。己のよく知る坂田銀時とはどういう男だったか。そうして怒りと困惑の狭間で、桂の理性は友の言葉以外のその他を選んだ。
思えば彼もそうだったな、と頭の隅で考える。言葉を重んじる割に他人に多弁を求めることはなかった。銀時や高杉のまったく素直じゃない言葉を窘めるのが桂と松陽なら、二人の真意を手玉に取って転がし悪役さながら笑い散らかすのが彼なりの真心のようだった。だいぶ捻くれてはいるけれど。
なら、彼だったらこの男をどうするだろう。
──“バケモノ”と言いながら本当に心底どうでもよさそうな口調とか。お猪口で誤魔化した子供みたいに尖った口元とか。こちらを見て少し気まずそうに逸らされた視線だとか。
最終的に開き直りふんぞり返るこの大人に、彼はどんな意地悪な言葉を投げかけて、どんな悪戯を仕掛けるのだろう。
と、そんなことを考えながら。
生憎ここには桂しかいないので、桂小太郎はまるで惚気にうんざりするような顔をして、まったく素直じゃない旧友にこう返したのである。
「やっぱり似てるよ、お前達は」
「あ?」
器用に見えて不器用なところとか、実はとんでもなく互いに甘いところとか、そりゃもう親子みたいにそっくりだ、なんて。
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