刀を交えて花一匁 丙 | ナノ
 03.石ころは家路には続かない(3/3)

赤信号に捕まった車内から景色を眺めていると一匹の犬が目に入った。薄茶色の毛並みの犬が白い靴下を履いた短い足を忙しなく動かしている。緑色の首輪のリードを持って歩いているのは飼い主だろう。
車が発進するのと同じ頃に犬が駆け出した。飼い主が躓いたようにステップを踏み、足をもつれさせながら盛大にすっ転ぶ。犬の方は庭木へ向かって走って顔から黄色い花の壁に突っ込んだ。宙を舞う大量の花びら。涙目で顔を上げる飼い主。

「――ックチュン」
「え、副長? 副長ですか今の可愛いくしゃみ」
「いや、俺じゃない」
「俺と副長しかいないじゃないですか」
「じゃあお前だな」
「なんで!?」

それにしても面白い現場を見た。つい思い出し笑いしそうになる、が、隣でマスクをした山崎が「ペプシッ」とかいうコカ・◯ーラのライバル飲料みたいなくしゃみをしたので俺の意識は車内に戻った。

「ふふん、俺のくしゃみはこうですよ」

なんでドヤ顔なんだよ。

「ほう、レパートリー豊富だな」
「あくまで俺のくしゃみに仕立て上げる気だこの人!」
「ちなみに俺はこうだ。……ブァーックショイ! ふう」
「おっさんみたいですね」
「お前のよりマシだろ」
「そんなことな……ふぁ、ふぁ…ふぁ………」

再び赤信号でブレーキを踏む山崎が鼻をひくひくさせて口を半開きにする。酷いアホ面だ。ほら出るぞ、ペプシ……

「ファンタスティック◯ースト!」

「いやなんでだよ!!」
「これが俺のくしゃみです」

だからそのドヤ顔なんだよ。と思ったら山崎はまたアホ面になった。

「ふぁ……ハ◯ー・ポッター!!!!!」

「もう魔法使いはいらねェよ……」

てめぇは立派なDT(魔法使い)だからホグワーツ行かなくても十分だよ。

「ふぁ、ふぁ……」
「おい、もう伏せ字はやめとけって」

「…………………」

「しないのかよ」
「なんかむずむずはしてるんですけど出ませんでした」

スッキリしないなあ、とボヤきながら危なげなくアクセルを踏み込む山崎。前方には車が連なっていてなかなか進みそうにない。煙草を吸おうと窓を開けるとくしゃみが出た。

「あ、やめてくださいよ。花粉が入ってくるじゃないですか」
「俺花粉症じゃねーけど」
「オレが! 嫌なんです!」

山崎はマスクの上から片手で口を塞いでいる。舌打ちしてから窓を閉めた。喫煙者に厳しい世の中だ。

「それに副長も花粉症なんじゃないんですか?」
「あん?」
「俺の友達も去年まで数少ない健常者だったんですけど、今年は目真っ赤にして家から出るのもしんどいって涙目でした」
「そりゃ災難だな。病院で診てもらった方がいいんじゃねえか?」
「どこの耳鼻科も予約がいっぱいらしいです」

「今年の花粉は異常ですよ」山崎の台詞に先ほどの暴れ犬の飼い主が思い浮かぶ。確かあの男もマスクをしていた。窓の外を歩く町民の誰も彼も顔をマスクで覆っている。

「花粉症が流行ってんのは屯所の中だけじゃなかったのか」
「ウチの隊士は元々花粉症持ちが多いですからね……あ、」
「おい、余所見すんな」
「副長、あそこ、あのマンションの下見てくださいよ」

ほら、と促されるままシートから背中を離して運転席側の窓を覗き込む。年季の入った風体の建物の下に人集りができていた。

「何かあったんですかね」
「行ってみるか」

山崎にはマンションの駐車場に車を入れさせ、俺は建物の下に来て人集りの少し後ろに立つ。野次馬が一様に見上げる先には屋上があり、その端で人影がふらふらと揺れている。日光に遮られてよく見えないところを、どうにか目を凝らし、辛うじてスカートと長髪のシルエットから女だということが分かった。屋上の端に立ったまま動く気配はないので酔っ払いというわけでもなさそうだ。

面倒なことしやがって。溜息を吐きそうになったとき、「あれー、土方さんじゃないですかィ」癇に障る声が聞こえて隣を見る。

「何やってるんすかこんなところで」
「例の人探しだよ。お前こそ何やってんだこんなところで」
「俺は今日内番だったんですけどサボ…………FFの新作買うの忘れてたの思い出して」
「言い直せてねえよ。何も弁解できてねえよ。言い訳ヘタクソか」
「んで、行きがけに通りかかったわけです。見たからには対処しなきゃでしょう? クソッ、買うの明日にすりゃよかった」
「警察の風上にも置けねぇなテメェはよ」

総悟はメガホンと掲げた。一応仕事はするらしい、女の自殺を説得して止める気のようだ。俺も屋上を見上げ――ようとしてぐるりと首を元の位置に戻し、もう一度奴を見る。指差す手が怒りに震えていた。

「おい総悟、それ……」
「ん? メガホンですけど」
「反対の手にあるやつ」
「ん? FFですけど」
「ん? じゃねェんだよ。行きがけに現場に遭遇したんだよな? じゃあなんでもう買ってんのかなァ??」
「買ってる間に終わってると思ったんですが……」
「終わってたら奴の命もテメェの地位も終わってたぞ」

沖田総悟ブッコロスと思ったが、よく考えれば俺にとってこれ以上喜ばしいことはない。「残念だ」と笑ってやると、総悟は間の抜けた顔でポン、と手を打った。

「おっと土方さん良い所に」
「FF持たすな! 帰んな!」

サド野郎はGE〇の袋を俺の手に握らせて立ち去ろうとしている。コイツ、自殺寸前の民間人を前に本気で帰るつもりだ。力づくで止めてやると足を踏み出した俺の前で、何を思ったのか奴はくるりと反転しすたすたと戻ってきた。お、おう……?

「あれ、土方さん。何やってんすかこんなところで……女が自殺!? こりゃ大変だ土方さん! FF買ってる場合じゃないですよ!」
「さらっと罪を擦り付けるんじゃねェェェ!!」

大声に野次馬達がなんだなんだと俺たちの方を振り向く。視線から逃げるように頭上を見上げると、先程見たときは揺れていた影がぴたりと止まり、首を下に折っていた。大きな雲が太陽にかかって日陰をつくり女の形相を露わにする。こちらを伺っているようだと思っていれば、女が(ここ)から見ても分かるくらいにぎゅんと眦を上げた。

「死んでやるッ!! 死んであの人に復讐してやる!!!」

あの人、ということは痴情のもつれか。まあ有りがちなパターンではある。興奮状態のまま道を踏み外し、戻れないところに来てしまった喪失感を誤魔化そうとしているのだろう。冷静さを取り戻すことができれば説得は充分可能だ。

どう対処するか考えていると、総悟がぽつりと呟いた。

「どうせ自殺するなら道連れにしてやったらいいのに」
「恐ろしっ! 発想が恐ろしいよこの子!」
「お待たせしました副長ー! あれ、なんで沖田隊長がここに?」

車を置いて来た山崎が駆け寄ってくるのを傍目にクソサド野郎がメガホンのスイッチを入れる。嫌な予感しかしない。俺が代わった方がいいんじゃないか……? いや、こいつも一応一番隊の隊長……隊長………不安だ……。

『あー、あー、マイクテス、マイクテス』

「…メガホンにマイクテスはいらねえ」

『バカなことはやめるんだー、故郷のお袋さんも泣いてるぞー。大人しく投降しなさーい』

「おい犯罪者しょっぴいてんじゃねえんだぞ、もっと情に訴えやがれ」

『土方のコノヤローがどうなってもいいのかー』

「味方を人質に使うんじゃねえよ!」

「止めないで!!! 私なんていいの!! あの人に捨てられた私なんていらない女なの!!!!」

『チッそのブサイクな面で悲劇のヒロインぶってんじゃねえぞメンヘラ女』

「おいそういう本音はメガホン外して言えェ!」

『あっヤベ』

総悟はメガホンを下ろしてスイッチを切った。

「あはは、隊長ってたまにうっかりですよね」
「これでいいっすか土方さん」
「よし」

「よし、じゃねェェェ!! クソポリ公死ね!!! 私じゃなくてお前らが死ね!!!」

女は半狂乱で髪を振り乱し始めた。万一足でも滑らせたら勢いでそのまま落ちそうだ。いやまさか、そんなバカなことはしないだろう、山崎のバカじゃあるまいし、そんなまさか。

「さすが沖田隊長、そういう作戦か! 自ら恨みを買い彼女の怒りの矛先を変えさせることで自殺をやめさせる目論見なんですね!」
「アーホ、バーカ、マヌケー、ブス、ゴリラ、雌豚、社会のゴミ」
「山崎、たぶんこいつ何も考えてないぞ」

「聞こえてんぞコラァァア!! 好き勝手言いやがってェ!!」

『まあそうカッカすんなー、ブサイクが見るにも耐えないブサイクになってっからー』

「ハイ、飛び降りまーーーす! 私こいつらのせいで自殺しまーーーす! みんな見ててね! 今からこの真選組のせいで一人の善良な市民の尊い命が失われますよ!」

「オイどうしてくれんだテメェェ!! 完全に飛ぶ気になってんじゃねえか!! 怖くて飛べなかった奴が地獄に向かって羽ばたこうとしてるじゃねえか!! しかも男じゃなくて真選組の評判と心中するつもりだあの女!!」
「土方さん……誰にだって巣立ちのときは訪れるんでサァ。可愛い子には旅をさせよ。手放したくないのはわかりますが、ずっと籠の中じゃ成長しやせんし羽ばたけもしませんよ」
「飛べない雛を巣から落っことしてどうすんだよ! 怪我したら一生飛べないままだろォ!!」
「副長。小さな頃は誰しもあの大空を飛べると信じていたはずです。彼女は今自分を信じて飛ぼうとしている。見守ってあげましょう?」

「いや止めろよ!!?!? お前ら本当に警察!? 人を馬鹿にするのも大概にしろよ?? ヨォーシ今から一人ずつ善良な市民の制裁パンチ喰らわせてやるからそこから動くなよ??? あっ」

「あっ」
「あっ」
「本当に足滑らせやがったァァァ!」

女の足が屋上の淵を離れて空に浮かぶ。折角降りてきてもらえそうだったのに。悔しさに奥歯を噛み締めながら成す術なく女の体が地面に近付くのを見ていた。奴が間抜けな声を出して足を滑らせた瞬間に体は勝手に走り始めていたが、それでも間に合わない。俺が無理なら、後ろにいる総悟と山崎も到底間に合うはずがない。ふと視界の端に黒いものが映る。

ものじゃなくて人だと気付いたのは、それが空中で女の体を受け止めたときだった。

「は……?」

まさに、瞬く間の出来事というやつだろう。自由落下の衝撃と二人分の体重を背負ったそいつが降り立つと、下駄の歯が地面を抉って砂埃を立てた。服は着物ではなく緩めのパンツに白いTシャツを着ている。黒髪の男らしい。肩がすとんと下がり、大きな溜息を吐く音が聞こえた。立ち上がって振り向いた顔は()()()()()()()()()()()()()

「大丈夫、気を失ってるだけだ。でも一応医者に診てもらった方がいいな」
「………おい、総悟」
「ええ、間違いないでさァ」
「ん?」

「確保ォォォォォオオーーーー!!」

「えっ!? えッ!?」



prev / next

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -