刀を交えて花一匁 丙 | ナノ
 01.呼吸ができなくたって痛くない(2/2)

は、と目覚めると、そこには鬼の顔があった。節分用の可愛い奴じゃなくて、神宮にでも飾ってありそうな般若の面。えっ、何、どこかで祭りでもありました?

とか何とかやってる間に手が出て足が出て、馬乗りになってるこの状況、少し弁解させてもらえないだろうか。一言でいいので。

条件反射。以上。

背中にひやりとしたものが伝う。ああまずい、こいつは“荼枳尼”だ。荼枳尼族。研究所で相手取ったの中でも手こずった種族の一つ。虚が言うには三大傭兵部族とやらの一角だとか何とか。つらつらと説明重ねてくれたけど、ヘェ、と聞き流した当時の俺、鶏五目にぎりに夢中だった。あの虚、ウツローズの中でも一二を争うくらいの料理の腕の持ち主で、初めて斬りたくねーなと思った相手だ。“死”ってのは虚の人格が切り替わる一番明確なスイッチだから。

「(さて、キレるか悦ぶか嘲笑うか……表情変わんねーな、この荼枳尼)」

荼枳尼は他種族に比類なく突出して血の気が多い。自らを貶められればそいつを殺す。襲われれば正当防衛に託けて殺す。気に入らなければ殺す。気に入っても殺す。とどのつまり最凶にイカれた奴らってこと。雇い主になればその限りではないが、目下この状況で、前ぶりもなく躍り掛かってきた俺を荼枳尼が殺しにこない道理はなかった。であるならば、こちらが取るべき行動も決まったと同然。

――生き残る。殺してでも。

余計な思考が削ぎ落とされて、視界が冴え渡る。生き物を殺すのは、簡単だ。生かすことよりもよほど。だから生や命に重きを置かない連中を相手にするのは幾分か気が楽だった。

手元に得物はない。こちらの武器は肉体のみ。対して荼枳尼は丸腰だが、その筋肉は鋼鉄の一言に尽きる。やたらな刃や矢は刺さるどころか掠り傷さえつくらないほどに。ここは打撃か、寝技か、呼吸さえ止めてしまえば、あるいは……

「あの、」

おずおずと、という表現が相応しい仕草で、鬼の目が俺を見上げる。その態度に激しい違和感を覚えながら、かろうじて、何だ、と問い返した。

「そんなに動いて大丈夫ですか? 貴方、昨夜に道端で倒れてたんですけど、覚えてますか?」
「……、」


……………????

……あの荼枳尼族が?

……あの荼枳尼族が!?

クッッッソ殊勝な言葉遣いしてる!! 他人の心配してる!! つか外見とのギャップすっっっご。


もしかしてこの鬼……案外温厚な奴なのでは? だとしたら珍しいどころの話ではない。絶滅危惧種に指定されてしまう。少なくとも俺が闘った荼枳尼族は揃いも揃って脳筋(バカ)だった。頭まで筋肉詰まってンのか? 何度そう思ったことか知れないが、実際に頭は鉄のごとく硬かった。筋肉で会話して暴力で語る、理屈の通らない狂戦士。

解放するか迷った末に、判断は後に回すことにした。本当に善良なひとなら少し会話を重ねてからでもいいだろう。頭の切れる個体が善人を演じている可能性も十分ありうるのだから。間違ってたら、後で謝ればいい。なんかもう戦う気とか結構失せてるけど、油断して寝首かかれるのも怖いし。

荼枳尼って「死なないなら死ぬまで殺せばいい」とか素面で言っちゃう頭のイカれた連中だから、マジで目覚めない可能性あるから。大切なことだからもう一度言う。荼枳尼と書いてノーキンと読む。間違えた、脳筋と書いてバカと読む。

「お陰様でな。この通りだ」

頸動脈を覆うように手のひらを添え、指先に力を込める。動揺を殺し、良心を隠し、喉奥で微かに笑う。表情は悪役のそれを象る。もちろんこの程度では殺すどころか脅しにもならない。しかし剥き出しにしたのは敵意と殺意。目の前の人物が俺の知る荼枳尼であるなら反応せざるを得ないはず。

さあ、ここにお前をおびやかす存在がいるぞ。さっさと化けの皮を剥がしてしまえよ。

「それは良かった」

表情を明くし、ほ、と息を吐く。それはあくまで本心のように、まるで裏がないように見える。

「質問に答えてもらおう。なぜ俺を助けた」

問いにいらえは無く、鬼は戸惑ったように首を傾げるのみ。演技だとしたら天晴だな、と思いつつ、つぶらな瞳を見つめ返した。……しかし本当にこの荼枳尼、特有の威圧感が皆無だな。外見がこれでなければ荼枳尼族か疑うレベルである。殺気なし。敵意なし。頭には一輪の花。……………花?

エッ……頭に花、咲いてる……。比喩じゃなくて、花、咲いてる……。
なぜ?? 何の花……??

「あ、」

鬼が上げた声に、俺が緩みかけていた意識を引き締めるより前に、そいつは勢いよく身を起こし、後ろに傾いた俺の脇腹を拳で殴った。大型獣と紛う衝撃が全身を迸り、体の内側で耳障りな音が響く。肋骨が何本か折れたようだ。体は少し面白いくらい吹き飛ばされた。意表をつかれたせいで、木の上から落ちた猫でもしないような無様な声を上げてしまった。

「(……油断した。腐っても荼枳尼か)」

空中で態勢を整える。胴体が木偶になっているせいで手こずった。転がる間は腹のあたりから骨が元の場所に戻る音がしていたが、壁際で床に手をつき奴を睨む頃には止んでいた。緑色の鬼は丸く蹲っているようだ。

「(……何だ?)」

次の攻撃は、来ない。背中を向ける鬼は隙だらけ。今が攻め時だ、が、何か様子が……――

「よかった、無事で」

そう言いながら振り返った奴の手には、何もない。

「てんとう虫さん」
「……!? ………!?」

何もないこともなかった。緑色の指の上をちょこちょこと歩くてんとう虫がいた。ふぅ、と眉尻を下げて胸を撫で下ろした鬼は、咎めるようにこちらを向く。

「気を付けてください。危うく膝で踏み潰してしまうところでしたよ」
「……はァ?」

なんだ、それは。

『踏み潰す』って……てんとう虫を? 荼枳尼の爪一枚にも満たない小さな命を?
しかも襲いかかってきた奴に対して、気を付けてくださいとか、お前……

「くっ、」
「…?」
「……く、くく……ぶっ、ッははははは!!!! い〜っひっひっひっ!! あは、あははははははァ!!」

大笑いする俺を鬼は不思議そうな顔でただ眺めるだけだった。こんなに無防備な敵を放っておくんだもんな。ああそりゃそうだ、さっきまで虫の息だった人間を相手にあの荼枳尼族がややこしい策を弄する意味もなかった。

というか、てんとう虫って。あの図体で、あの顔で、あの迫力で、あの怪力で、弱きを慈しむ、まるであの腹黒塾頭じゃねーか。くそ、笑える。ブフッ……し、死ぬ。殺される前に、窒息で死ぬ。死なないけど。

数十秒、張り詰めていた糸が切れたように笑い続けた。その間やはり鬼が俺を攻撃することはなく。自分の困り顔が俺の腹筋を更に震わせているなんて気付きもせずに、ひたすらおろおろと身体を揺らす鬼を見て、思い直す。

やっぱりあの腹黒には似てないな。この人に失礼だ。

「は、は、……ふー、笑った笑った。なああんた、名前は」
「……! 屁怒絽、と言います。放屁の屁に怒りの怒、ロビンマスクの絽で屁怒絽です。花屋を営むために地球に来ました」
「ブッ、待って、ロビンマスクの絽って何」

やめてくれこれ以上は腹筋が死ぬ。一回ツボに入るとなかなか抜け出せないんだ。震える頬の筋肉をなだめる俺に、へどろさんは引いた様子もなく嬉しそうに微笑んだ。

「すみません、ちょっとした冗談です。本当は、“糸”に風呂の“呂”と書きます」
「屁怒絽さんね。てんとう虫に気付かなくて、すまん。お前もごめんな」

てんとう虫に顔を近づけ、ちょいちょい、と軽く撫でるように指を動かした。驚いたのか飛び去ってしまった。

「あーあ」

心にもない落胆の声を上げながら、何とは無しに目で追っていく。小さな虫は速度を落として止まった。屁怒絽さんの指だ。虫にもどっちが優しい人が分かるんだなあ。

「こんなことを初対面の方に申し上げるのも失礼かもしれませんが、変わった方ですね」
「あー、いきなり襲いかかったのは悪かったよ。ごめん。何か詫びでも……って今無一文なんだった。やっぱまた今度で」
「そういう意味ではなく……」

口籠る屁怒絽さんと視線がかち合った。へら、と笑っておく。

「花屋の為に宇宙から来る方が変わってると思うけど」
「そ、そうでしょうか? ええと、」
「ん、董榎。姓はないよ」
「董榎さん……素敵な名前ですね!」
「ロビンマスクには負けるかな〜」

屁怒絽さんはあたふたと慌て始めた。それは、その、なんてしどろもどろになっている姿がまた笑えてきて困る。

「なあ屁怒絽さん、俺を助けてくれたんだろう。ありがとう」
「あ、いえそんな、僕は何もしてませんよ」

それより元気そうでよかった、と屁怒絽さんが牛若丸も裸足で逃げ出すような顔で笑った。いい人……いい宇宙人すぎる。余計なお世話だとは思うが、見てくれで損をするタイプと見た。

「夕方になっても気を失ったままだから、医者にでも連れて行こうかと思っていたところでした」
「迷惑かけて悪かった。この通りピンピンしてる」
「そのようですね。でもまだ心配ですし、少し休んでいかれたらどうです?」
「いや、もう出ていくよ。世話になった」
「……そう、ですか」

屁怒絽さんは見るからに肩を落として落ち込んでいた。心なしか頭の謎の花も萎びたような気がする。恩もあるし、良心が痛むが、ここでじっとしている余裕は今の俺にはない。倒れる寸前から飛び交っていた思考が今も頭の中で喚いている。立ち止まるとどうかしてしまいそうだった。

「この礼は、いつか必ず」
「……やっぱり、もっとゆっくりしていけばいいのに」
「探さなきゃいけない奴等がいるんだ。アイツらは、俺のこと覚えてるか分からないが」

俺が会いたいから行く。そう言うと屁怒絽さんの目にうるうると膜が貼った。え、嘘だろ、今ので……?

「せめて、どなたを探してるのか教えていただけませんか。もしかするとお力になれるかもしれません」
「おい、勘弁してくれ。助けられた上にそこまでしてもらったら、まるで俺が図々しい奴みたいだろう」
「僕が、貴方を助けたいんです」

お、口説いてんの? と茶化しそうになって彼の赤い瞳が目に入る。純粋だ、なによりも。徐に口を閉じた。じ、と屁怒絽さんが見つめてくる。やめてほしい、そのきらきらした眼はどうにも侵し難い。頷いてしまいたい葛藤と戦いながら、どうしても助けたい男と死んでも助けられたくない男の無言の睨み合いが続く。そして、

「……参りました」

結局折れたのは俺だった。屁怒絽さんの顔がお菓子を与えられた子供のように輝く。するとその一瞬で後悔がどこかへ吹っ飛んでいってしまって。ぐう。弱いんだよ、そういう顔されると。

「でも名前だけだ。別に探さなくてもいいから、もしどこかで会ったら俺に教えて欲しい」

それなら俺と屁怒絽さんの連絡方法も確保しなくては。この世界には携帯電話もあるのだろうか。まあ、携帯電話が存在しても戸籍と金がないなら入手は望み薄だが。

屁怒絽さんは「わかりました」と神妙に頷いた。見るもの全てを恐怖の谷底に落としそうな顔面がとても逞しく映る。

「俺が探しているそいつらの名は、」

──ぐう。

言葉を妨げたのは紛れもなく俺の腹の音だ。気が緩んだせいだろうか。空腹を忘れていたというか、もう何年も夫婦のごとく連れ添っているので寧ろそれが自然な状態だったのだが。音を聞いたらなんだか白米が恋しくなったような気がする。

「お腹が空いていらっしゃるんですか」
「すまん、ずっと飲まず食わずでな」

無意識に腹を摩っていたのに気付いて手を下ろす。そんな俺を痛ましそうに見ている屁怒絽さんはきっと「ずっと」を精々一日や二日と思っていることだろう。年単位でなんて言ったら頭のおかしい奴だと思われそう。頭がおかしいのは俺じゃなくて俺を捕まえてた奴等なんだわ。

「じゃあ丁度よかった。夕飯を作りすぎてしまったんです、よければ食べていってください」
「やばい俺、屁怒絽さんのこと好きかも」
「私もまだ短い間ですが、貴方のことは好ましく思っています」
「両想いだな」
「嬉しいですね」

屁怒絽さん、もしかして鬼の姿で地上に遣わされた天使だろうか。



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