こんにちは、ノートになにかを書きとめる名字さんを見つけた僕は彼女は今どんな表情をしているのだろうと好奇心に身を任せて勇気を振り絞り顔を覗き込む。なんでしょう、顔色一つ変えずパタンとわざとらしくノートをとじて顔をあげた名字さんと視線がぶつかり合った。想像していたよりも距離が近くて少し身じろく。今の僕の興味の対象は名字さんの右腕の下に敷かれた一冊のノートだった。授業で板書を書き写す際によく使われているなんの変哲もないその大学ノート。毎日、一体なにを書いているんだろう、ずっと疑問に感じていた。放課後の教室でノートになにかを書き込んでいる名字さんのうしろ姿を僕はただ遠くから、知っていただけだった。不思議。本当に不思議。だって名字さんのそのノートは僕の持ってるノートとメーカーも色もなにもかも同じもののはずなのに名字さんが持ってるってだけでなんだか彼女のためだけにつくられた特別なもののように思えてくるんだから。

名字さんの前の人のイスを拝借。僕の行動に名字さんのまぶたがどうして、とぱちぱちと瞬いた。




「吹雪くんは、」
「あれ、僕の名前知ってたんだ」
「知らない子なんていないと思うけど」
「それは光栄だな」
「それに同じクラスじゃないの」
「そうだよね」
「……それでこの学校で一番の有名人さんは一体なにを?」
「ちょっとした忘れ物を、ね」




うっかりと存在を忘れかけていた自分の数学のノートを名字さんの視界に滑り込ませる。名字さんが僕の名前を知っていたという現実味を帯びない公になった事実になんだかそわそわと落ち着かなくなってぱたぱたとノートを開いたり閉じたり。しんと会話のなくなった教室内に響くのは僕の手遊びの音だけ。怪訝そうに僕をじっと見つめる名字さんの視線にじとりといつの間にか握り締めていた拳が汗をかくのをどこか遠くで感じた。

なにを書いてたの?それじゃストレートすぎるかな。吹雪くんには関係ないよ、なんて言われたら返す言が見つからないな。なによりも想像しただけなのになんだかすごく傷ついている自分がいて驚いた。じゃあいつも何か書いてるから気になって、とか?それって僕が名字さんを見ていたと自らさらけ出すことと同じじゃない。気になるけどうーん、訊かないほうがいいんだろうか。




「百面相」
「え?」
「さっきからずっと吹雪くん百面相してる」
「本当?」
「本当」
「そういえば名字さんはなにしてたの?」




そっと手の届く距離にあるノートに視線を落とす。勉強とか?当たり障りのない単語を取り出してみた。ちらりと名字さんの様子を伺えば名字さんは躊躇うことなくノートの表紙を捲る。どくんどくんと新品のゲームをプレイする前のようななんとも言えない心臓の疼きを感じながらそっと覗き込んだ。国語のノートの端っこにずらりと並べられた正の字。名字さんの瞳が優しい色を浮かべて指先を正の字の上をつつつと滑るようになぞらせていく。




「これ、なに?何かを数えていたみたいだけど」
「なんだと思う?」
「うーん、わからないや。ヒントは?」
「ヒントが答えみたいなものだからなあ」
「なんだろう、」
「50日」
「50日?」
「好きだって気付いて50日」




愛おしそうにノートの表紙を撫でる名字さん。ああもう電車の時間だ、とその恨めしいノートはカバンにしまいこまれる。吹雪くんと話すことができてよかったよ、かたんと椅子を引き、立ち上がった名字さんのスカートがふわりと揺れる。ここでさよならか、いたたまれなくなっていた僕には丁度いいタイミング。ばいばいと挨拶をして名字さんの足音は2、3歩歩を進めたかと思えばぴたりと止まった。すう、っと息を吸い込んだのが聞こえてきた。べたりと名字さんの机に伏せたまま顔だけをあげて名字さんの様子を伺う。どうしたんだろう。100日になったら告白しようと思ってたんだけどさ、名字さんはゆっくりと僕へと近づいてきた。顔がほんのりと赤く染まっている。これはもしかして、ひとつのもしかしてにたどり着くと隠れていた何かにあわせるように心臓が異様なリズムを刻みだす。堰を切ったように流れ出した熱が顔に集中するのが感じ取れた。なんだこれ、すごく恥ずかしい。でも、嫌じゃない。




「あれ、おまえらなにしてんの?」
「あ、小池くん」
「……」
「あれ?俺、もしかしてお邪魔だった?」
「……じ、じゃあね、2人とも」
「……」
「え?あ、また明、日?」




ガラリと教室のドアが開かれて頼んでもないのに入ってきたのは同じクラスの小池くん。……空気読めよ、小池。なんでこのタイミングで入ってくるんだよ。はあああっとわざとらしく盛大なため息をつけば小池くんがびくりと怯えたように肩を震わせた。







∵∴∵∴
いえすスランプ



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