昔話をしようか。




私の住んでいた家の近くに大きな大きなお屋敷があった。青々と茂る葉や色とりどりの花が咲き乱れるそこは幼い私にとっては楽園であった。まさに移り変わる季節そのものであり、意味もなくぐるぐるとそのお屋敷の周りを散策することもあった。母には止めなさいとよく注意を受けていたものの幼き頃の好奇心に勝るものはなく、母の監視の目を器用にくぐり抜けてはお屋敷を見上げる毎日だった。今となっては到底、できそうにない。幼かったからこそ、それができたんだと思う。



その大きなお屋敷には私と同い年の男の子が家族と共に仲むつまじく住んでいた。彼と私との接点、それはとあるからりと晴れた春の香りを運ぶいい天気の土曜日の昼頃のことだった。暇を持て余していた私は日課になりつつあった例のお屋敷へと無意識のうちに足を運び、美しく花開く満開の桜に心奪われて見とれていた。今まで花見等で幾度となく桜というその美しさを目に留める機会はあったにもかかわらず、そこには言い知れない感動が存在していたのだ。



「ねえ、」



澄んだ空色と淡いピンク色の優しい色のコントラストを目に焼き付ける私にひどく穏やかな声がかかる。びくりと身体を震わせ明らかにお屋敷の中から発せられたその声の主を辿れば、打って変わって深紅の髪をさらさらと靡かせた美少年がサッカーボールをしっかりと抱きかかえ桜の木の根本に立っていた。目が合うとその美少年はにこりと微笑む。その瞬間、彼の持つ圧倒的な存在感が爆発し、あれほどまでに私の心を奪っていた桜を、そう、一瞬にしていとも簡単に掻き消してしまったのだ。



「ねえ、一緒にサッカーしない?」



彼は笑顔を崩さず、ひょいとボールを持つ腕をそう告げたかと思えば私に向かって差し出した。見ず知らず、にもかかわらずだ。少なくとも私は初対面だったはず。一度でも会っているとするなら覚えているはず。だってあまりにも衝撃的すぎて、忘れようにも決して忘れたりなどできないだろうから。あとからきいた話になるが、どうやら彼は私のことを以前から知っていたらしい。経緯は今となっては知りたくても知りようがないんだけど。



「サッカー?」

「そうサッカー!楽しいよ」



ポンポンとリフティングを始める彼の技術に思わず、拍手。ありがとう、と彼は舞い散る桜より少し濃く頬を染めた。



「ねえ、サッカー、しようよ!」

「……なんで私なの?」

「え?うーん、そうだなあ」



考え込む素振りを見せる彼の頭上をひらひらと一匹のモンシロチョウが飛んでいった。



「君が退屈そうに見えたから、」



だから一緒にサッカーしよう!整えられた垣根越しの、そんなたわいのないやり取りにもかかわらずなんだが異様にどきどきした。




お邪魔します、と震えた声を出しながらゆっくりと古き良き時代を思わせる門をくぐり抜ける私を見て彼はくすくすと笑っていた。知らない地に足を踏み入れる時のようなちょっとした高揚感を知らず知らずのうちに感じつつ、まず眼前に飛び込んできた枯山水に圧倒された。こっちだよ、と手を引かれてどこぞやに案内されるその後ろからぐるりと手入れの行き届いた庭を目を凝らし、見渡す。外からただただ眺めるよりも当たり前だが綺麗だった。



「ついたよ」



少し歩いたところに開けたサッカーをするためだけに作られたであろう場所があり、彼のお父さんらしき優しそうな人と目があい、妹らしき可愛らしい女の子は私の姿を見てひょいっとその人の後ろに隠れてしまった。こんにちは、と挨拶する。ヒロトの父です、そこで初めて、彼の名前がヒロトというものであることを私は知った。彼を横目でちらりと見やればそう言えば君の名前知らないや、と。教えて貰ってもいいかなっと彼はなつっこい笑みを浮かべた。



「名前、名字名前です」

「ちなみにさっき父さんの後ろに隠れたのは俺の妹で瞳子って言うんだ」

「瞳子、ちゃん」

「ちょっと人見知りなんだけど、仲良くしてあげてくれると嬉しいな」



彼は半ば強引に瞳子ちゃんを引っ張り出す。サッカーするよ、彼が嬉々としてボールを蹴り始めたところで私はおずおずと声をあげた。



「実は私、サッカーできないんだ」



下手だから、とぼそりと呟けば彼はきょとんとしたあと、はははと笑う。心配しないで、大丈夫だよ、彼の声と共にぽんと蹴り上げられたサッカーボールが私の腕に収まる。それだけのことなのになんだかできそうな気がしてきたのは、それを口にしたのが彼だったからだろう。



「上手いとか下手とかそんなんじゃなく、俺はただ名前と楽しくサッカーをやりたいんだ」



彼に後押しされて、私はだんだんと彼の愛するサッカーにのめり込むようになっていった。



「え?外国?」

「そう!外国」

「でも、やっぱ寂しくなるね」

「夏休みとかさ、遊びにおいでよ!」

「うん、行きたい!」

「名前のために美味しい店、探しておくからさ」

「約束だよ」

「じゃあさ、指切りしよっか」



それからというものの、彼はよく私の家をサッカーしようよとボールを脇に抱えて訪れるようになり、自然と私と彼と瞳子ちゃんの三人で過ごす時間が増えていった。彼と瞳子ちゃんは少し離れた、いいとこの子が通う学校の生徒らしい。ちなみにサッカーの名門でもある。それでも私たちの関係は変わらなかった。そして、類い希なるサッカーセンスが認められて、彼が外国へと留学することが決まった。空港で彼の姿を見送った後、泣き出してしまった瞳子ちゃんをあやしながら、私自身にもぽっかりとした空洞が存在し始めたことに気付いてしまったけれど、知らないふりをして目を背けた。



夏休み直前、それは起きた。
荷造りに励む私のもとに彼の訃報が届いたのだ。










「あの時の約束、結局果たされなかったね」



時間が私の傷口を、ゆっくりゆっくりと癒やしていった。まだ完全に、とはいかないけれど。


しとしとと雨の降りしきる、思い出の詰まった道を歩く。途中、小学生らしき男の子と女の子が一つの傘に仲良く収まりつつ帰っているであろう場面に遭遇し、記憶の断片が蘇る。振り向けば水たまりに映るその姿がいつしかの私と彼のものに思えて、目をこすった。寂しくて悲しくて、懐かしくて温かくて。ああ、幸せだったなあと目を細めた。今が幸せじゃないわけじゃないけれどあの頃が大きすぎたんだ。そうだ、私は彼が好きだったんだ。



癒えたと思い込んでいた傷跡は実はまだ癒えてなどいなくて。ただ彼の死から目を背けて、勝手に癒えた気になって、勘違いしていただけだったんだ。


傷口がじんわりとした痛みを放って、鼻の奥がつんとした。



















「……大好きだったよ、ヒロト」



自分にだけ聞こえる音量で口に出せば水たまりの中の記憶の彼が別れを告げるようにさようならともの悲しそうな表情で手を振ったのを見て、こらえきれず涙が溢れた。





!!!!!
久しぶりすぎる更新申し訳しないorz
お題より。意味わからんなった。
点滴も外れたんで病室でぼちぼちと。
まさかの実習先の病院に入院してます(笑)楽しいっすよ!
稲妻好きは相変わらず





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