「(…さすがに考え過ぎ、でしょ)」


 朝起きて顔を洗う時も、大学で講義を聞いている時も、ご飯を食べている時も、お風呂に入る時だって。いつ、何をしていても思い出すのは土方さんの言葉。総悟は、私をそういう目で見ている。異性として、私を見ている。…らしい。土方さんの想像に踊らされる私も私なのだが(忘れろって言われたのに気にしている様がまるで「オンナノコ」だ)、もし本当に、総悟が私に好意を持ってくれていたら。「友達」だと思っているのが私だけだったら。万が一、この先、何かあったら。今までの関係性にひびが入ってしまうのではないかと心の奥底では恐怖を感じている。…こんなことは誰にも言えそうにない。何といっても、単なる憶測に過ぎないからだ。確証がある訳でもない。じゃあ、私はこれからどうする?何をするべき?


「…あ、今日バイト…」


 ふと手にした手帳を捲ると、緑色のペンで書かれたバイトの文字。堂々巡りの散らかった思考を中断させ、すっきりしないまま手帳を閉じて立ち上がる。窓の外は晴々としていて、私の心中とは真逆だと思った。そうだ、まだ時間に余裕があるから、気分転換に新しい服でも見てから行こう。そう決めたら鞄に財布と携帯電話を放り込み、髪を手櫛で整えて、勢いよく玄関の扉を開けた。



◇ ◆ ◇



 バイト先では相変わらず店長に盛り付けの注意を受けている総悟がいた。お客さんは疎らで、緩やかに時間だけが過ぎる。閉店後、店長が作ってくれたトマトスープを前に「サラダの盛り付けくらいちゃんとやりなよ」と言ったら総悟は面倒くさそうに「へいへい」と返事をして、スープを啜った。いつもと、同じ様子で。

 私は、総悟に対して接し方を変えたり、距離を置いたりするようなことはしたくないと、その時に強く思った。これまで通りに、自然体で過ごしていきたい。…そうだ、それでいいじゃないか。今は何も起きていない。浮ついた意識や、単なる想像や憶測に惑わされる必要は無い。気まずさを感じることも無い。変わらなくていい。…これで、いいんだ。答えは意外と簡単に出るものだ。

 赤く染まった空っぽのお皿とは対照的に、口の中には刻みパセリの青い味だけが残っていた。



◇ ◆ ◇



「星、見えないねィ」
「都会は明るいからねぇ」


 空を見上げながらの帰り道、吐く息も白く色付きそうな寒さを感じつつ、肩を窄めながら上着のポケットに手を入れて、ひと気のない道を二人で並んで歩いている。日中はあんなに暖かかったのに。夜が深まっていることも関係しているが、もう冬がそこまで来ているという事実にセンチメンタルを覚えた。今日は自転車ではないと知ると総悟は文句を垂れたが、自分の家に帰ろうとはせず、私の家に来るつもりらしい。


「なァ。昔、土方さんは特殊な性癖を持ってるって話したの覚えてるかィ」
「うん。土方さんの顔を見る度に思い出すよ」
「あれ、まったくの嘘」
「え!…ちょっとだけ信じてたんだけどな…」


 過去に、ご飯の食べ方と性交傾向の関係性について総悟が熱く語り出したことがあった。口いっぱいに食べ物を頬張る人は食欲と同様に性欲も旺盛だとか、行儀良く食べる人は淡白だけど変わった趣味を隠しているだとか…つまり、ご飯にマヨネーズをこれでもかと絞り出した後に大っぴらにがっつく土方さんはかなりの欲にまみれた変態で、激しくて危険なプレイが大好きなんだ、それが原因で前の彼女とも別れたんだ、と騒いでいたのに。何とも下品な話であるのだが、妙に納得してしまっていた。…あと、「万が一お前があの男と男女の関係になったら人間辞めろ、俺に近寄るんじゃねェやい」とまで言われたっけ…。


「まんまと騙された…悔しい…って嘘つく意味が分からないんだけど!またからかったの?」
「お前が土方さんとくっつかないようにテキトー言ったんでさァ。ま、あながち間違いじゃねェかもしれねェけどな」
「は、あんたが変態扱いしてる人とくっつく、って何よ」


 笑いながら総悟の方を見ると、彼は一歩後ろで立ち止まっていた。


「総悟?」
「予防線。お前が他の男と付き合わないようにするための」


 くだらねーだろ?そう言った総悟は私の腕を引き、もう片方の手で私の後頭部をしっかりと押さえ込んだ。急な事に驚いて抵抗もできずにされるがままになっていたら、唇に柔らかい感触と、総悟の温度が伝わってきた。気付いた時には既に遅くて、伏せられた総悟の睫毛と微かな吐息が心をえぐる。

 ふざけていた空気が、一瞬にして変わった。


「…ちょっ、駄目、っ、総悟!」
「…何でィ」
「……馬鹿、なんで…こんなこと、」


 強く押した総悟の胸元から、この夜空よりも黒く渦巻いた感情が伝わってくる気がして、怖くなってすぐに離れた。すると総悟は静かに溜め息を落として、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。


「…こないだ、裏で土方さんと話してるの聞いた」
「うそ、」
「あいつの言う通り、俺はお前のことを女として見てる。二人で遊ぶのも、家に行くのも、お前との距離を縮めたいからに違いねェや。それなのに…お前は全部言わなきゃ分かんねェのか?…この二年間、俺がどんな思いで過ごしてきたか想像してみなせェ、この鈍感女」


 …そっか、土方さんの言ってたことは本当だったんだ。私の考えなんて、所詮は自己完結に過ぎなかった。いくら私が現状維持という選択をしたとしても、総悟が一線を越えてきたら意味が無いんだ。頭の片隅では分かっていたはずなのに、考えたくないからと放棄していた。だからといって、何ができたっていうんだ。総悟は二年もの間、私のことを想ってくれていた。こんなに一緒にいたのに、それでも気付かない鈍感な私。好意に悪い気はしない、しかし、後悔ばかりが大きく残る。

 結局のところ、私が求めているものは「友情」であって、「恋愛」ではないんだ。もう戻れない所に立っているのかもしれない。どう足掻いても、こうなるしかなかったのかな。


「…なんか言ってみなせェ」
「…私は…総悟をそういう目で見てない、よ」
「じゃあ見ろ、今、この瞬間から」
「できない、だって総悟は大切な友達だもん…」
「…他に好きな奴は?」
「いない、けど」
「じゃあ良いだろィ。大人しく俺のモンになりなせェ」


 再び近付いてくる総悟から顔を背けて、寒さからではない震えを堪えた。私は自分が求めているものと違うからと、総悟の気持ちを踏みにじろうとしている。仮に総悟の恋人になったとしても、気持ちが芽生えるかも分からない。結果的に総悟を悲しませることになってしまう可能性の方が大きい。今導き出せる正解は無い。答えられない。


「ごめん…総悟とは、今まで通りに友達として仲良くしたいよ…今日のことは忘れて、明日からまた、いつもみたいに…」
「告白もキスも無かったことにして、友達のままでいようなんて、ズル過ぎやしやせんか」
「…じゃあ、これからは、私が総悟の…彼女、にならないと、隣で笑うことはできないの…?」
「……」


 私の弱々しい一言に総悟は黙ってしまって、会話が途切れる。どうすることもできず、二人でその場に茫然と立ち尽くすしかなかった。



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