「ごめ、その、えっと…」
「…いや、悪ィ」


 やってしまった。

 目の前の彼はただ気まずそうに視線を落として、履き潰した上履きのつま先を見ている、ような気がする。はたまた床に転がったシャープペンを見ているのかもしれない。実際には何を見ているかなんて分からない。私には何も分からない。彼が何を見ていて、何を考えていて、どんな気持ちで私に触れようとしたかなんて。だって、初めて、なのだ。男の人と付き合うことも、男の人と二人きりで課題をすることも、勿論、キスをすることだって、何もかもが初めてで、心臓ばかりがうるさくて、どういう風に受け止めたらいいのか分からなかった。彼のことは好きだけど、夜中にひとりで脳内シミュレートした時みたいに、そういう雰囲気になったら静かに目を閉じて、黙って彼を受け入れるなんて、いざ彼の綺麗な顔が近付いてきたら、全身に熱がこもって、独特な雰囲気に息苦しくなって、とてもじゃないけど恥ずかしくてできなかったのだ。そのせいで私たちの間には沈黙と少しの溝が生まれてしまった。きっと彼を傷付けてしまった。どうしよう、どうしよう、全部、私のせいだ。


「…帰るか」


 シャープペンを拾って筆箱に戻した彼は鞄の中にそれを放った。広げられたプリントやノートも閉じられて、並んでいた机も離されてしまった。何か、言わないと。しかしタイミング悪く完全下校の放送が鳴る。そして彼は教室の扉に向かって歩き出していた。


「待って、土方くん、あの、」


 勢いだけで彼の制服の裾を掴んでしまったけど、真っ白になってしまった頭じゃあ次に続く言葉が見つからない。ああ、不器用過ぎる。指先が冷たくなって、痺れているような感覚に陥った。自分で自分の首を絞めるってこういうことなの。そうしていると上から「大丈夫だから、帰ろうぜ」と声が降ってきて、見上げた先には彼の、無理して笑う表情があった。


「…ごめん、なさい」
「お前が謝ることねーだろ…」


 俺こそごめん。そう言って私の髪を撫でてくれる大きな手は本当に優しくて、こんな時すら大事なことを伝えられない私のささくれた心に沁みいって、いつの間にかあたたかくてしょっぱい水がぽろぽろとスカートに沢山の染みを作っていた。


「おい、泣くなよ、なぁ、」
「っ、う、」


 ぐしゃりとした嗚咽が止まらなくて、彼に気を遣わせてしまったことに対する罪悪感や、泣いてしまった自分がばかばかしくて更に涙が溢れた。困らせてごめんなさい、気持ちを伝えられなくてごめんなさい、本当はあなたのことが好きで好きで、どう見られているのか気になって、嫌われるのが怖くて、緊張して、動けないの。


「ひ、じ、かた、く、」
「……」
「わ、わた、し、っ」
「…ん、分かってるから、な?」


 分かってないよ、だって私は自分の思ってることを何一つとして伝えていない。

 それでも、壊れ物を扱うかのように頬を撫でる彼の手はやっぱり優しくて、どきどきは止まらなくて、結局私は甘えてしまうんだ。



 初めての恋は、くるしいことばかりだ。



ふたつの心臓(2011/10/15)

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