初めはただ寂しいだけなのかと思ったけど、純粋で何も持たない君には寂しいなんて気持ちすら分かるワケねェよな。初めて自転車に乗れた時とかさ、嬉しくて楽しくて、しばらくはそのことしか考えられなくなるじゃん。どこまでも行けそうな気がして毎日毎日、期待しかないじゃん。それと一緒。俺にすがっても先なんてないし、そこらへん分かってんのかなァなんて時々疑問に思うけど、君はそんな疑問にすら気付かずに楽しくて浮かれて、毎日期待してる。騙してるつもりはないけど、結果騙してることになってるから俺はたまに心臓のあたりが痛むワケです。何も知らない真っ白な君には惹かれるけれど、ふとした瞬間、怖いって思う。


「坂田先生」


 俺に赤い感情を向けるこの子は教師になってまだ二年目らしい。高校生よりも大人なのに、高校生よりも純粋で、子供のような人。気にしたこともなかったけど、少しからかってやったら成人した女の人には見られない初々しい反応するもんだから可愛くなっちゃって、もっと遊んでやろうって更にちょっかいかけたら見事にそういうことになっちゃった。勿論、初めてだった。教師が何してんだって話ですよ。でも、いざ触れてみたら警戒心も何もなくて、無防備な唇に少しだけ罪悪感。この子、俺の手が好きなんだって。男の手なんて何が良いのか分かんねーけど、それがきっかけでこうして繋がりが出来てんだから世の中ってのは不思議でしょうがない。


 擦れた恋愛に疲れると、傷一つない清らかな恋愛に憧れるモンなんです。つっても憧れてるだけで大抵うまく行きません。
 そんな俺には黙っていることが一つあって、五年ほど付き合ってる恋人とうまく関係の整理をつけられないまま離ればなれになってるってことです。連絡もつかないまま、どうしたもんかと思うだけで何も出来ないままです。当たり前のように触れ合っていた温もりが離れると、途端に寂しくて何かで心を埋めて欲しくなる。そうです、寂しいのは俺なんです。
 君といるのは気が楽だった。何を言っても笑ってくれるし、急に怒ったり、俺を疑ったりしないから。俺の何気ない頼みにも応えようと努力してくれて、とにかく楽だった。俺との先のことなんてまだ考え付かないんだろうな、永遠を信じてるかのような寝顔が、怖い。



「銀はさ、この先どうすんの?」
「どうって、そりゃおめー漠然とし過ぎてね?」
「……私と、一緒にいる気ある?」
「今も一緒にいるじゃねェか」
「この先ずっと、ジジイになってもババアになっても一緒にいる気はあるのかって聞いてるの」
「……」
「……私、田舎に帰るから。仕事も、昨日辞めた」
「……んだよそれ、冗談だろ」
「アンタこそ、いつまで私を……」


 目を覚ますといつも汗だくで息が苦しくてとにかく情けねェ。この夢だけは、ウチに人が来てる時だけは見たくねーなって思う。忘れられない春の夜、歪んだ恋人の顔が、呪いのように俺を離さない。水道水を流し込んでそのまま踞る。いい歳した大人がこんな夢一つに怯えてんだ、……笑えるだろ?



 相変わらず君は理由もなく俺の元を訪ねては無邪気に俺をねだる。昔、俺のセクハラみてェな言葉に固くなって顔真っ赤にして逃げてた頃が少しだけ懐かしい。


「先生もさ、大分慣れたでしょ」
「慣れた、って?」
「……どことなく明るくなったしさ、自信に溢れてるっつーか」


 俺はこの行為のことを聞こうとしたのに、布団に隠れた目がキラキラしているのを見て適当にごまかすことしか出来ずにいた。彼女は教師としての慣れのことだと受け取ったのだろう、小さく頷いて笑う。この子にそんな擦れたことは聞いちゃいけねー気がした。こんなことを繰り返していても、この子は汚れを知らないままだから。


「あ、そうそう、また資料溜まってきちゃったから片付け手伝ってくれる?」
「もちろん。いいですよ」


 俺の手を包み込む若くて甘いこの温もりに、本当の俺を見せることは、出来ない。



 青い夏が来て、哀しげな秋を通り過ぎ、長い冬が深まっていたある日、田舎に帰ったはずの恋人が訪ねてきた。何も言わずにテーブルの前でマフラーに顔を埋める恋人はあの日より小さくて儚くて、俯いた赤い鼻先に、軽口の一つでもかましてやろうと思ってたのに、何も言えなくなった。


「……結婚、すっか」


 ぶっきらぼうな俺の呟きに顔を上げたと思ったらぼろぼろと見たこともないくらいの涙を流して「遅い」って文句を言いながらも俺の髪に触る手は信じられないほど愛に満ちていて、あぁ俺はずっとこいつを待ってたんだなって納得すると同時に、酷いことしたなって思った。久しぶりのこいつの腕の中で、やっと安心して眠れるって、そんくらい、柄にもなくほっとしていた。



 俺が結婚するって知ったらあの子は何て言うかな。そこらの女と同じように、俺を酷く罵るんだろうか。

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