総悟の隣。共有した時間、近付く距離、生まれた感情、笑った顔すらも、全てが夢だったらいいのに。壊れるくらいなら最初から出会わなければ良かったのにね。心にもないことを口にしてみたけれど、ちぐはぐで行き場のない気持ちがぐるりぐるりと渦を巻いて消えることはない。

 ただ息を止めて、戻らない日々を恨み続けている。






 総悟がバイトを辞めた。いきなりのことに私だけでなく店長や土方さんも驚きを隠せなかったけれど、その理由が就職活動のためだと聞いて私以外の皆は納得していた。


「お前も就活しなくていいのかよ」
「…そのうちです、そのうち」
「はじめが肝心だぞ。出遅れないようにしろ」


 土方さんも、春が来たらここを辞めて社会人になる。店長はバイト募集の貼り紙を作りながら「何だか寂しいよなァ」と呟く。人が流れていく。変わっていく。

 胸のつかえは私をあの日に縛り付けて離さない。頭を整理して自分を納得させようとしても簡単に飲み込めるはずもなく、真新しい傷口にゆっくりと染み入るように、確実に心を蝕んでいく。
 バイトを辞めた本当の理由は私がいるからでしょう?頻繁に連絡を取り合っていたのに、あれ以来ぱたりと途絶えた。避けられている、間違いなく。私から連絡は出来ない。下手なことをしてこれ以上関係を悪化させたくないから。走っても走っても嫌な感情は付きまとってくる。異性にどこまでも交わらない平行線を望んでいた私が悪いのだろうか。誰でも良い、「どちらも悪くないよ」と言ってくれたら、どんなに楽になることか。

 ただ、総悟との事情を誰かに話すことはなかった。それは鍵をかけた戸棚の中で見つからないように息を潜めている。



◇ ◆ ◇



 周りの雰囲気に流されるまま就活の真似事を始めた。説明会に出て履歴書を作って勉強をして、やらなければいけないことは山のようにあるのに全く身が入らない。将来のビジョンがはっきりと浮かばないからだ。足踏み状態のままふた月、無情なまでにカレンダーが捲れていく。


「…はぁ」
「…お前、大丈夫かよ」
「いや…なかなか書類が通らなくて…」
「今度見てやるから持ってこい。最初は失敗するモンだからあんまり気にすんな」
「ありがとうございます…」


 困っていると必ず手を差し伸べてくれる土方さんはどこまでも優しい人だ。身近に協力してくれる人がいるのに、何がしたいのかも分からずに途方に暮れている自分が恥ずかしい。


「あー…もう上がるとこ悪ィんだけど、買い出し行ってくるから少しだけ店番しててくれるか?」
「良いですよ。いってらっしゃい」


 何もかも曖昧にしてしまわぬように、せめてバイトだけでも真剣にやらないと。
 ディナーの時間まではお客さんの出入りがほとんど無い。折角だからとテーブルを拭いてクロスを正し、次はコップでも磨こうかと思っていると、店の扉が開く音。


「いらっしゃいませー」


 振り向けば、踵を鳴らす革靴の音は慣れたようにカウンター席に座る。コートを脱いだ柔らかな髪色がリクルートスーツには不似合いで、それでも大人びて見える横顔がいる。総悟が、そこにいる。


「なんでィ、ここの店は水も出さねェのか」
「…そうご?」
「土方のヤローはどうした。まだいんだろ?」
「いま、足りないもの、買いに出てる」
「お前は何時に上がるんでィ」
「土方さんが戻るまで…」
「待っててやらァ。そんで映画行くぞ。約束してただろ」


 懐かしい声を聞きつけたのか、店長が裏から出て来て総悟を確認するなり大喜びする。土方さんも戻ってくるなり軽口を叩くが、その口元は緩んでいた。信じられないけれど、ここにいるのは本当に、総悟なんだ。



 久しぶりに総悟の隣に並ぶ。何事も無かったかのように総悟は近況を話してくれる。とても、不自然。それでも昔に戻ったようで嬉しい気持ちが沸々と湧き上がる。ぶつかり合った悲しい過去をかき消すように。


「にしても寒ィな」
「うん。寒いね」


 冬はピークを迎えている。私たちはこのまま、友達に戻れるのかな。夕闇に冷え切った鼻先が、期待をしている。


 目当てだった映画は既に公開が終わっていて、代わりに何となく選んだ作品が想像以上に良かったものだから思わず興奮してしまった。


「面白かったか?」
「うん!もう一回観たいくらい」
「そらァ良かったな」


 止まっていた時が流れるかのように、自然と笑みが零れる。ロビーで温かいココアを飲みながら映画の感想を伝え合う、暗い日常に灯がともったような時間。総悟がいるだけで気持ちが前向きになる。当たり前だと思っていた日々は、大切なものだったんだ。


「そろそろ帰るぜィ」


 楽しい時間はすぐに過ぎてしまうもので、閉館のアナウンスを背景に渋々マフラーを巻き直す。
 もっと話したいのに。颯爽と階段を駆け下り、アスファルトを蹴る総悟の背中に呼びかける。


「うち寄ってかない?」
「いや、行かねェ」


 あからさまに突っぱねるような言い方。さっきとの温度差に驚くしかなかった。
 触れて良いものかと悩んだが、どうしても、総悟に聞きたいことがあった。


「…どうして急に会いに来てくれたの?」
「けじめつけようと思ってな」
「何に?」
「…俺らの関係は今日で最後でさァ」


 …最後?聞き間違いかと総悟の顔を見るも、歩みを止めることもなく総悟は続ける。


「俺ァお前に甘えられねェや。自分の気持ち押し付けて駄々こねといて言うセリフじゃねェけど、お前の優しさは俺にとっちゃ生殺しだろ。相容れねェんだよ。どっちにしろ潮時でィ」


 なんで、なんで総悟は。


「もう会わねェから、今までごめんな」


 そんな勝手なこと言うの。


「会わないって、そんな」
「もう決めたんでィ」
「私は気にしないよ、だって私も悪いところ沢山あったし、総悟とこれからも仲良くしたいって思うのに、総悟、ねえ」
「それが無理だっつってんだろ。お前は俺と付き合う気がねェんだ。友達でいたいなんてぬるいこと言うな」
「でも総悟」
「こんだけ言ってもまだ分かんねェのか」
「…分からないよ…やだ…やだよ…」


 混乱して子供のように同じ言葉を繰り返すことしかできない私を立ち止まった総悟が見下ろす。今だけは絶対に頷いてはいけないと本能が警鐘を鳴らす。都合の良い女だって言われてもいい。総悟が遠くへ行ってしまうくらいなら、それなら酷い言葉を投げつけられてもいい。


「笑え」
「…できない」
「笑えって」
「そうご」
「最後のわがままでさァ。…頼む」


 視線を上げた先の必死に懇願する総悟の顔。初めて見た、そんなに余裕の無い表情。無理矢理に笑おうとしても目の前が静かに滲んでまともに笑えない。総悟の顔すら見えなくなっていく。私の頬に触れようとした総悟の手が、ゆっくりと下ろされていく。


「…元気でな」


 去り行く後ろ姿を追いかけても、どんな言葉を投げようとも、総悟は振り返ってくれなかった。行かないで、行かないでよ。お願い。総悟。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔で道端にへたり込む。頭が鋭く痛む。いくら泣いてもいくら待っても、優しい手が差し伸べられることはなかった。



◇ ◆ ◇



 黙っていても季節は巡る。少し伸びた髪を揺らす風は暖かみを増して春の到来を告げているかのようだった。


「星、見えないな…」


 いつもの道を自転車で駆け抜ける。夜の街は相変わらず疲れた顔をした人達で溢れていて、その色に染まるまいと強くペダルを踏み込んだ。ふと何か聞こえた気がして、ブレーキを掛けて後ろを振り返る。


「……」


 深呼吸をひとつして、またペダルを踏み込んだ。


 車輪はひたすらに転がり続ける。私の後ろで悪態をつく彼は、もういない。


「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -