捕食者のカレント | ナノ

捕食者のカレント



耳を掠めるノイズが絡む。
少しだけ聞き取りにくい、声。さっきまで聴こえていた人物の声とは違う。ガガガ…と、回線が歪む音がして、その間に人の声らしきものが混じる。聴こえるか、と。そう聴こえた気がしたけれど、迂闊に変な声を出すことは出来ず、どうしたものかと思っていたら、続けて「聴こえてたら一度ゆっくり瞬き。」と今度は完全にはっきりと聴こえる命令口調。どこから見ているのか分からない。けれど一度周りと視線だけで見渡して、それに従うように、ゆっくりと目を伏せて、そしてパチリと開く。


「オッケー。」


小さな声が明瞭に、まるで脳を鳴らすように響いた。


「死にたくなかったら大人しくしてろよ?」


遠くでキラリと星が光った気がした。












(…ったく、面倒なことになったなぁ…。)

思わず思いため息を吐いて、頭を垂れる。はぁ…、と吐息の落ちた音が聴こえたのか、頭の後ろで、シャキンと嫌な音がして、動くなよ、と硬い声が聴こえた。

後頭部にゴツゴツと当たる、思い金属の感触。
少しでも意にそぐわない動きをすれば、一瞬にして次の瞬間にはあの世逝きも簡単な代物。
下手な動きすればきっとすぐに撃たれる。


「少しでも勝手な動きをすれば、撃つ。」


なんだよ、シンクロかよー。

(どうせなら、カワイー女の子とシンクロしてぇっつーの。)


今度はこっそりと心の中でため息をついて、ぼんやりとこんなことに至った経緯を思い返していた。




ことの起こりは今から数時間前。
昔からいろいろと“引き”が良い方だと思ってたけど、今回はもう大当たりで。
なぜか出かけた先で、思いっきりテレビや漫画の中でしか見たことのないような、いわゆる銀行強盗に巻き込まれた。
今時なんでこんなことがこんな簡単にあるんだよと心の中で悪態をついていれば、それが神様とやらにも伝わったのか、よりにもよって人質として選ばれたのが、俺で。

(俺がもし犯人なら、こんな健康そうな男は選ばないけどね。)

するんだったら、そう。
子供や女の方が、絶対にいい。その方が抵抗される確率も低いし、人質としてのウェイトも重くなる。
酷いと言われるかもしれないけれど、それが定石だ。
そんなことも考えないなんて、犯人達の知能もたかが知れてる。
低知能犯であるなら、すぐに事態も収拾するだろうと、とりあえず大人しくしておくことに決めた。

正直俺は、面倒なことは嫌いだ。
チラリと壁の時計に目をやると、既にこんな想像に巻き込まれてからかなりの時間が経過している。

それなりに訓練はされていたのか、行員の一人が警報装置を作動させて、警察が周りと取り囲むまでは比較的すぐだった。広い銀行の大きな窓ガラスの向こうに、厳つい装備を重ねたSATの姿も見える。
犯人グループは、3人。建物には、行員や客合わせて十数人。外には目いっぱいの警察。
こんな状態ではまともに逃げられるとも思えないから、きっとすぐに諦めるだろうと、鷹をくくっていたらまさか。


「…こうなったら、人質で脅して正面突破を…。」
「いや、でも、警察が撃って来ないとも思えないぞ…。」


(おいおいおい、マジかよ…。)


どうやら、犯人サン達はそう簡単に諦めるつもりはないようで。
周りを見れば、どうされるんだろうとおろおろしている他の人らの顔も見える。窓の外の警察も、まだ動く気はないのか、それとも動くに動けないのか。
3人のうち1人の姿が見えないということは、交渉の電話にでも出ているのか、それともまだ強盗を諦めていないんだろうか。
どちらにせよこの膠着状態はあまり好ましいものじゃない。本気で撃たれるとも思っていないし、撃たれたらまぁその時はその時かと思っていることもあって、俺自身はそんなにどうってことのない状況だけど、疲れるもんは疲れるし、面倒なもんは面倒。

二人くらいならどうにかなるかと考えてみるけど、…だから面倒なことは面倒なんだよ、俺。


そんなことを考えながら、時計の針がカチカチと飽きるほど音を立てていた時だ。
犯人に呼ばれて、電話に出ることになった。どうやら警察との交渉中らしい。なんで俺が?と思ったけれど。それは犯人も同じらしく、どこか苛々した様子で、俺に電話の子機を投げる。
それを拾って、まだ自由が奪われた状態で、電話を耳にあてた。


「…もしもし?」
『…単調直入に聴くが、』
「ええ。…なんですか?」


聞いたこともない、大人の男の硬い声。
飄々と声を漏らせば、『君は“御幸一也”君で間違いないか。』と、問われた。どうして俺の名前を、と首を傾げながら、チラリと窓の外を見る。
そこにいる、大量の警察。

(…ああ。)

なるほど。
一つの“可能性”を思いついて、一人で心の内で納得した。


『“御幸”一也君だね。』
「…ええ、そうですね。」


下手なことは言わないほうがいい―――…それは向こうも分かっているからか、それ以上は何も言わない。そうか、と端的な言葉が聴こえたところで、視線を泳がせれば、犯人がこちらを訝しげに睨む。


『君に危害が加えられないように最善を尽くす。だから―――…、』


懸命に電話の向こうで出来るだけ冷静な態度を張り付けている大人。
それをどこか興味無く右から左へ文字通り聞き流しながら、適当に相槌を打つ。
そんなに一生懸命になって頂かなくても結構なんですけど、と、冷めたことを思ったりもするが、向こうからすれば必死なんだろう。なんで俺なんだと、俺以上に思っているはず。それを考えたら、少しこの状況も楽しめそうな気がした。

我ながらなんて歪んだ性格だと、鼻で笑うと同時に、ガガガ…と、電話の向こうの声が突然歪んだ。


(……?)

なんだ、と思っていると、一瞬「…成功した?」と、微かな音が耳を掠める。
その後もう一度ノイズ音が響いて、その後聞きとれた言葉は確かに「聴こえるか。」と問いかける言葉だった。
意味が分からず瞠目する。だけどその動揺を犯人に気付かれるのは得策ではない。無駄に早く働く頭がそう計算を弾きだして、出そうになった声を声帯が留める。


『……聴こえる?聞こえたら、ゆっくり瞬き。』


それは、若い男の声だった。
さっきまで聴こえていた声とは違う。それよりもっと幼さを含んでいて、その上どこか、軽い。
瞬きと言われても、どこから見えているんだろう。後ろを取られていることもあって、俺の視界は今殆ど目の前に見えるところだけだし、俺の姿が見えるところも逆に限られているだろう。

とりあえずゆっくりと、言われた通りに瞬きする。


『オーケー。…何も話さないのもおかしいから、今から俺の言う事に、全部ハイって答えろよ。いいな?』
「…ハイ。」
「よし。…俺は別にあやしいもんじゃねーよ。警察。つっても今目に見えて動いてんのとは別働隊。お前ならまぁ、いろいろ察しが付くとは思うけど。」
「ハイ。」
「犯人は3人。多分全員が銃を持ってる。それで間違いねーな?」
「ハイ。」
「りょーかい。とりあえず上からは、絶対お前に怪我させんなって命令だから、一応頑張るけどさー。」


大きくまた、ノイズが走る。
見えるはずがないのに、ニィッ、と電話越しの相手が口角を上げたように見えた。見るはずが、無いのに。


「死にたくなかったら大人しくしてろよ?」



電話がぷっつりと切れるのと、窓ガラスの破裂音、そして小さなうめき声が聴こえるのは、ほぼ同時だった。

ガシャン、と大きな音が響いて。
頭の後ろに当たっていた金属の感触が遠のく。それと同時に、呻く男の声。
焦ったように銃を構える別の男がどこかスローモーションで見えた。
けれどその男がトリガーに人差し指を差し込むのより早く、その手元から鮮やかな鮮血が上がる。

一瞬の無音の後、踏み込んできた警察。
それからはものの数分の話だった。







「災難だったなァ。御幸ィ。」


不可抗力で巻き込まれた銀行強盗騒ぎが収束を見せてから数分。
一応何人かは病院に運ばれるらしく、救急車の赤いランプと、未だ散らない野次馬、そして警察関係の人間で溢れる銀行の前で、ぷらぷらと手持無沙汰に立っていると、突然かけられた声に振り向いた。
そこにあった、ニヤニヤとニヤつく顔。


「…倉持。」
「年上呼び捨てにしてんじゃねーよ。」
「……なんで倉持がここに居んの?」


お決まりのセリフのように俺の言葉を訂正しながらも、俺がそれを無視すると、チッ、と小さく舌打ちが聞こえる。
以前より知り合いなその男は、周りの警察と同じ服を身に纏っているけれど、その顔は警察というよりもむしろ取り締まられる立場の方が似合ってんじゃねーの、と思うくらいには柄が悪い男だ。舌打ちなんかされれば、更にその凄みが増す。


「なんで、も何も、久々の銃器系が絡む事件だってことで殆どの奴ら駆り出されてんだよ。しかも人質はよりによってお前だっていうし。」
「あー…。」
「…ほんとお前ってある意味“強運”だよなァ。」
「俺も最近つくづくそう思うわ。自分で。」


ため息をつけば、ケラケラ笑われる。
ご愁傷さま、と他人事のように笑う男をジロリと睨んだあと、そういえばと思ってふと気になったことを思い出す。


「…そーいやさ、なんか途中電話に変なやつ出たんだけど、あれなんだったの?」
「…あー…。」


俺の言葉に、急に倉持がばつの悪そうな顔をする。
その意味が分からずに首をかしげていると、一度視線を余所にやった倉持が、何かを探すようにそのまま警察の中をぐるりと見渡して、ふとある一点でその動きを止めた。


「実はな、ここだけの話、今回のこの作戦、予定には無かったんだわ。」
「…は?」
「犯人立てこもってるってんで、どうしようかってお偉いさん方は話してたんだけどさ、なんか説得しようにも逆上されるし、下手なことしてお前に傷の一つでもつけば責任問題にもなるし。誰も動きようが無くてもたもたしてたところにさ、あいつが勝手に暴走して、」
「…あいつ…?」
「アイツだよ、アイツ。ほら、あそこに黒いやつ。」


倉持が親指をぐっと指した方向を見れば、何やら周りからぎゃあぎゃあ言われている男が一人、目に飛び込んできた。
周りの厳つい顔の大人に囲まれながら、どこか不満そうにムスッとしながら周りの小言に目を瞑る姿は妙に子供っぽい。
子供が玩具でも抱えるようにその体が抱えているのは、長距離射撃用の特殊銃。
通常、警察が所持する拳銃とは違う、ヘビーバレルは、どこか幼さを残すその男とはしっくりこない。けれど、閉じられていた目が開いて、ふと目が合った。髪と同じく強い、その黒い目――…。

(…あ。)


「…御幸?」


倉持の声が俺を追う。
けれど俺は、その顔から目が離せなくなっていた。
真っ直ぐとその目の照準に捕らわれたような錯覚。体の奥が小さく疼く。妙な感覚。


「…あれって…。」
「あいつさ、勝手に回線ジャックしてお前に電話繋いでさ、そのまま勝手に犯人ズドン。まぁそのおかげで、隙見て突入出来たんだけどな。」
「…誰?」
「は?」
「あの人。誰?名前は?」
「…沢村栄純。銃隊所属の警部だけど…。」
「沢村、栄純…。」


既に視線はどこか違う方を向いてしまっているけれど、俺の視線は外れない。
それを訝しげに倉持が睨む。どうしたんだと言わんばかりの表情が顔に張り付いてる。
沢村栄純、もう一度その名前を心の中で繰り返して、こっそりと口角を上げた。

重たかった体を動かして、一度伸びをする。


「…帰るのか?」
「まぁもう、ここに居る必要ねぇし。」
「事情聴取、」
「…俺に必要ある?」


へらりと顔を崩して言えば、倉持が呆れたようにため息をつく。


「…あんまり警察困らせてやんなよ。」


それに曖昧に微笑むと、背中を向けてひらりと手を振った。
まだ騒がしい人混みを抜けて、最後に一度だけ“沢村栄純”の方を振り向いてみたけれど、もうすでにそこにその姿はなかった。

(なんだ、ざーんねん。)

けど、まぁ、いっか。



ポケットに手を突っ込むと、そこにあった携帯を取りだす。
そのままアドレス帳を開いて番号を呼びだせば、ワンプッシュで繋がる相手。


「…あ、もしもし?」


随分と時間が取られてしまったせいで、辺りは少し薄暗くなっていている。
今日の予定は全部ドタキャンになってしまったけれど、それよりもっといいものが手に入ったから、特に気にもならなかった。そういえば開いた時に不在着信もメールもたくさんあったような気がしたけれど、そんなものは今の俺の中では完全に優先順位が下。
今はもっと、他にやるべきことがある。


「…そう。ああ、うん。それは平気だけど。…それでさ。」


電話の向こうに適当に答えながら、目的の言葉を一つ。


「……沢村栄純、って人のこと調べて、俺に教えて欲しいんだけど。…出来る?」


俺の問いかけに、返って来た言葉に、ふっと笑みが漏れた。



「……そう。わかった。よろしく。」



望んだ通りの答えに、沸き上がって来る高揚感を抑えて、努めて冷静な声で呟いた。



「…さんきゅ、父さん。」



耳から外した携帯を操作すると、ピ、と音を立てて画面が切り替わる。
そのまま、待ち受け画面に表示された着信やメールは無視をして、携帯を閉じた。





ああ本当に俺って、“引き”がいい。
今日ほどそれを感謝したことはない。





「……楽しそうなモノ、見ーつけた。」









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