390円のセットを囲んで | ナノ

390円のセットを囲んで



楽しい時間があっという間だということは、重々承知していたつもりだったけど。


「そんな感じでさ!!すっげー楽しかった!」
「…よかったね。」


幾分興奮気味に告げる俺とは違って、どこまでも冷静な春っちの相槌が静かに響く。
春っちから電話が来て呼び出された春休みラストの週の土曜日。相変わらず部屋でのんびり御幸と特に何をするでもないまま過ごしてたから、それをすぐに快諾して、いつものファーストフード店で落ち合った。

稲城の分家である小湊の次男坊の春っちは、大学は自由なところを選んでいいと言われていたらしいけど、結局は稲城の家が懇意にしてる私立大学への進学を決めていて、もちろんばあちゃんの鶴の一声でその大学への進学が決まっていた俺と、学部は違えど、春からもまた同じ学校に通う事になる。それもあって、この春休みは特に特別に頻繁に会う事も無かったから、春っちに会うのは春休み初期に俺が相談を持ちかけて以来だった。一カ月とまでは行かないものの、少し久々に会うこともあって、普段の数倍饒舌になる俺をそれはもう温かいというより生温かい目で見ていた春っちは、一通り話し切った俺を見て、手元にあったジュースのカップを引き寄せては、ストローの口を指でくるりとなぞりながら、小さく苦笑した。


「そんなにいい人なんだ。“御幸さん”。」


他の人から御幸の名前を聞くのは新鮮で、なぜかそれだけのことにドキリとする。
そういえば、御幸以外と会話をするのもひどく久しぶりだ。そんな当たり前のことにも気付く。


「おう。もう、すっげーいい人!!」


ここに来ると告げた時、その御幸から、無駄遣いすんなよ、と渡された金で購入したセットのポテトを摘みながら言い切れば、春っちの顔に浮かんだ苦笑が更に濃くなるのが見えた。
呆れた、というよりも、やれやれ、といった風な色が強いその笑みを見つつ、数日前のデートのことを思い出す。
御幸が新婚旅行と称した外出は、ほんの一日のことだったけど、それはもう中身の濃い一日だった。
映画に行きたいと言えば、映画館に付き合ってくれたし、スポーツショップにも買い物にも付き合ってくれた。無駄なものは買わないからと序盤に言われていたものの、それでも御幸は最終的には俺の話を聞いてくれて、必要なものには財布を紐を解いてくれたから、終わってみれば満足この上ない買い物だった。寧ろ俺一人で買い物するよりずっと外れが無いというか。


「バッティングセンターも行ったんだけどさ、アイツすげぇバッティング上手いんだぜ!俺より!」
「…そこに栄純君を基準に持ってこられてもちょっと…。」
「…。」


春っちが凄くナチュラルに俺のことを貶すので、一瞬対応が遅れました。


「だけど!!バントは俺の方が上手かった!!」
「バッティングセンターでバントしたの!?」
「…。………つい…。」
「…御幸さんもびっくりしただろうね…。」
「びっくりっていうか、爆笑してた。」


そりゃそうでしょ、と言われてむっと唇を尖らせる。
ええ、腹抱えてヒーヒー言いながら笑っておられましたよ。しかもその後普通にホームラン連発してましたよ。
それにしても、本当の野球とは違うんだから、コツだよコツ、と御幸は笑ってたけど、出会ってそれなりに経つが、未だかつて御幸に出来ないことが殆ど見当たらない。…あ、切符は買えなかったけど。

御幸に出来ないことってあるんだろうか。

頭も良くて料理も出来て、野球ゲームやらせても並以上。これといった弱点も欠点も思い付かず、何をやらせてもそつなくこなす。
それはもう、それこそ『完璧』という言葉がふさわしい。
一緒に過ごす時間が長くなれば長くなるほど、御幸のことが分かるどころか、もっともっと謎が深くなっていく。
共に過ごす時間が増えて、それに次第に慣れてくる。日常生活の中に御幸がいることが普通になる。1か月前まではあの悪夢がこんな変貌を遂げるなんて、想像すらしなかったのに。
隠されてるわけじゃない。御幸は、聞いたことには答えてくれるし、怪しいとも思えない。…それとも思いたくないだけなんだろうか。
御幸といるときは、こんなことを考える余裕もないけど、こうして冷静になってみると、1カ月前から全くもって何も変わってない状況と関係に思わず凹む。その上むしろ、俺だけ見てみれば状況は悪化の一途だ。


「…すっかり御幸さん一色だね。」


だってほら、少し前までは否定出来ていた春っちの言葉に、今は何も言い返せない。
誤魔化すように引き寄せたカップを掴んで、ストローを噛む。前歯でギリギリ擂り潰していると、たぷんと中身が揺れて、水泡が手を伝って落ちた。そんな俺の様子を見た春っちは、今まで付けていなかった背中を背もたれに預けて、小さくため息をつきながら、「でも大丈夫なの?」と少し硬い声を漏らした。その真面目な響きに、思わずストローを噛んでいた口を離して、顔を上げる。


「何が…?」
「御幸さん。別に仲良くするなとは言わないけど…あんまりのめり込みすぎると、辛いのは栄純君なんじゃないのかなって。」
「辛いって…。」
「だって、期限付きの結婚なんでしょう?」


え?…と、思わず動きが止まる。


「…違うの?」
「あ、」


期限。
ガツンと鈍器で頭を殴られたような鈍い衝撃が走る。そうだ、それは。この『結婚』の最重要条件。
御幸は俺と、交換条件でこの結婚を飲んでくれたんだ。俺の我儘と引き換えに、御幸には日々の生活の保障を。そういう条件の下、今一緒にいるんだ、なんてこと。
そんなの分かっていたはずなのに、いつの間にかすっぽり頭から抜け落ちていたことに気付いた。

御幸は優しい。
だけどそれは、別にそこに何か感情があるわけじゃない。…俺とは、違う。
ああ、そうだ。…そうだった。


「…んなの、分かってるって…。」
「なら、いいんだけど。」


急に勢いが無くなった俺に、春っちが更に苦笑を浮かべ、ため息をつくと、何とも言えない気まずい沈黙が落ちる。
さっきストローから口を離してしまったから、なかなかジュースを飲む動作に戻ることも出来ず、半分ほど残っていたポテトは少し水分を吸ってしなりと机の上で萎びてしまっていた。


「…あ、携帯…。」
「ん?」


沈黙を破ったのは、微かなバイブ音。鳴ったのは俺の携帯じゃなく、春っちの方だったらしい。鞄を探って、携帯を開く。それを確認した春っちが、「降谷くんからメールだ。」と小さく呟いた。
降谷。
なぜか変な胸騒ぎというか…一種の予感がす胸を過る。
画面に目を落とす、春っちの顔を時折覗き見る。カチカチとスクロールする指を追う。
それなのに、前髪に隠れて見ずらい春っちの表情が、曇って行くのがはっきりと分かった。


「……栄純くん。」


硬く、重い声が間に落ちる。


「御幸さんは、“いい人”なんだよね?」
「……いい人、だけど…。」


回りくどい言い方にそわそわする。そう…、と呟いた春っちの声に、「なんだよ、春っち。そんな変な顔して。」と冗談めかしたように明るく軽く笑って告げたら、少し考え込んでいる風だった春っちが携帯を閉じて、俺の方に向き直った。
やがてぽつりぽつりと、静かに告げる。


「降谷くんからのメール。この前御幸さんについて調べるって言ってた件だった。」


やっぱり。
既に確信に近かった予感。言い淀んでるのか、少しだけ空白の時間が出来る。やがて落ちる、けど…と言う春っちの穏やかな声。


「御幸さんのこと、いくら調べても何も分からないんだって。」
「…え?」
「降谷くんが調べても何も出ないなんて、ちょっと、おかしくない?」
「…。」


何も、分からない。
降谷ですら?
…それが信じられなくて、唖然とする。

俺の家の本家、稲城は、日本の各分野における産業の中心を一手に担う日本屈指の大グループ。そして降谷の家は、その大グループの古株であり、それはもう膨大な量の情報を有してる。実質日本一の情報通と称しても、過言ではない。
そんな降谷ですらつかめない、“御幸”。

さっきまでの浮かれた気分が少しだけ、すっと背筋から抜けていくような気がした。



「御幸さんって、何者なんだろう。」



春っちが落とした同然の疑問と同じことを、俺だって思う。



何者かなんて、そんなこと、俺の方が知りてぇよ。









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