長いながい1日のスタート |
「沢村ァ、新婚旅行いかねー?」 3月も終わりとはいえ、まだ少し肌寒く、外に出れば冬の名残を残す風がまだ厳しい。 朝から部屋の中で軽く毛布を抱えながら、冬の残った蜜柑を剥きながらぼんやりとテレビを見ていると、同じくテレビを見ながら「最近この女子アナいろんなところで見るよな。」なんて漏らしていた御幸が、ご丁寧に会話の流れをぶった切って呟いた一言に、俺は危うくもっていた蜜柑を握りつぶすところだった。 「し、しししし…!?」 「そう、新婚旅行。」 「な、なん、で!?」 「だって俺ら、仮にも夫婦になってからどこにも出かけてねーじゃん。」 「う、うえ、あ…!」 「…なんか最近よくどもんね、お前。」 だって夫婦、って! 爽やかな笑顔付きで、さらりと御幸はそんなことを言う。 俺の家はどれも古い日本家屋みたいな家だから、この離れも例外じゃない。 部屋は完全に和室で、敷き詰められているのは間違いなく一面畳だってのに、その背後にセンスのいい白基調の洋風の部屋と思いっきり花畑に続きそうなでかい庭と、走り回ってそうなでっかい大型犬が見えた。…気がした。 ってかさ、と俺の方にしっかりと向き直った御幸がにっこりと誰が見てもとろけそうな笑みを浮かべて言う。 「まぁつまり、デートしようっていってんの。」 な?と、問いかける口調と傾げる首は遠慮がちだったけど。 「…はい…。」 その顔反則だと思う。 …断れるわけ、ねーじゃんか!! 思えば、御幸と一緒に外に出るのは、凄く久々だった。 (ずっとひきこもってたもんなぁ…。) 別に意図的にしてたわけじゃねぇけど、何となく。 隣を歩く御幸をちょっとだけ盗み見たらいつもよりどこか楽しそうで。 家の中のことをしてる方が性に合ってるって、俺が外に出てる時も基本的に家の中に居る御幸はきっと本当に外に出るのは久々なんだろうし、当然と言えば当然かもしれない。 まぁ、俺が居ない時に何してるかはしらねぇんだけど。…聞くのもちょっと怖いし。家に居るんだろうなと思ってる方が楽。 普段は馬鹿が付くほど一直線だといわれる俺も、御幸にのことに対してはちょっと臆病だ。 「…上機嫌だな。」 変な考えを打ち消そうと思って呟いた言葉に、御幸の目線が俺へと落ちてきた。 「そりゃ、沢村くんと出かけるの久しぶりだしね。今日はデートだし。」 「でっ…、…う………ど、どこ行くんだよ、一体…。」 「んー?…どこ行きたい?」 「え!?ノープラン!?」 「出かけることに意義があるかと思って。」 「まぁ…、そう、なのか?」 仮にも新婚旅行とか言ってたくせに。ノープラン旅行かよ。…なんて文句は言わねぇけど。 なんかあつらえたように良い天気だし。昨日まで一日の半分くらいは空に灰色の雲がかかるような天気だったのに、これは御幸が晴れ男ということなんだろうか。 それとも、御幸と出かけられることに心躍らせている俺の効果? …どっちでもいいけど。 朝の情報番組のお姉さんは、この天気は今日1日続くと爽やかな笑顔で言っていた。 だから今日はずっとこのままだろう。こんなに天気がよければ、きっとある程度どこへだって行ける。時間も早かったから、昼前に動き出せたし。 難しい事いろいろ考えるよりも、普通にわくわくと楽しいほうが勝った。 (デート…。) その響きに、ぽわっと心の中が温かくなる。なんて分かりやすい。あまりにも顕著にそれが顔に出そうになって、誤魔化すようにぶるぶる首を横に振った。 『初恋なんでしょ。』 思わず春っちの言葉がリフレインして、困った。はつこい。…恋? ついこの前ひょんなことから自覚した、この“変な気持ち”の正体は、俺にとって人生初めてのもので、最初はよく意味がわからなかったけれど、いざそうだと思って意識してみれば、それは明らかに、漫画やドラマで見る『恋愛感情』ってやつそのものだった。 だって今だってほら。 御幸が隣を歩いてるだけで、なんかそわそわする。 何の気なしに向けられた視線の先まで、つい無意識のうちに追ってしまいそうになる。 その均整のとれた端正な顔立ちは、きっと女だったら誰でも好きになってしまってもおかしく無い。それが今は、俺の結婚相手だっていうんだから、世の中ってのは本当に何が起こるかわかんねーもんだな、と思う。 そんなだから、うっかり男の俺も、こんな変な気持ち持つようになっちまったんだよ。どうしてくれる…。 勝手に御幸への悪態に変わりそうになった心の声を押し留めて、ふう、とため息を一つ。 「…あ。」 「ん?」 「そういや俺、あんま金ねぇよ?っつーか、全然無い。」 家から出て来たはいいけど、そういえば一番重要なことを思い出した。 御幸に会ってからもうすぐ1カ月近く経つけど、カレンダーはまだ次の月に捲られていない。御幸に会った時にいた野口さんも、結婚資金に半分つぎ込み、もう半分はこの前春っちや降谷と会ったときにほぼ全部散財してしまったはずだから、今俺の財布の中には、小銭だってどれだけあるか分からない状態だ。 …こんなので出かけようと思えた自分がすげぇよ、俺。 かくいう御幸も、この前までお金が無いただのニートだったんだから。 俺らそろって駄目じゃねーか、と。折角の外出気分に一気に水を差されたような心地になっていれば、ああ、と御幸が小さな声で呟いた。 「お金ならあるよ。」 「え!?」 「あれ…?聞いてねーの?」 「何を…?」 「沢村と結婚するって正式に決まった日に、おばあさんから専用の預金口座の通帳貰ってんだよ。毎月の生活資金はそこに振り込まれるようになってるって。しかもこれが、すげぇ額だぜ?俺最初見た時なんかの冗談か見間違いかと思ったし。」 「…なんだ、それ…?俺、聞いてねぇよ…!」 「あ、そーなの?」 「ひでぇ…!ばーちゃん、酷過ぎる…!」 「…というか、じゃあ沢村は、今まで俺がどうやって飯作ってたと思ってんの?」 「う……いや、最初見た時、すっげぇ材料あったし…。」 さも不思議そうに言われて、確かに言われてみればその通りだと思う。 それはもう自然に御幸の料理を毎日たらふく食ってたけど、食材だって無限にあるものじゃない。疑問にさえ思わなかったけど、確かにそうだ。 「沢村はもうちょっと、自分が毎日どれだけ飯食ってるか自覚したほうがいいかもな。」 「う…。」 「あんまり食い過ぎると、太るぜ?」 「…俺今まで野球してたから…その時から食う量変わんなくて…。」 「今はもうしてねぇんだろ?一応いろいろ摂り過ぎになっても大丈夫なように考えてるけど、量食えば関係なくなってくるし。」 「……善処しやす…。」 クスクスと笑いながら言われれば、かあ…っと顔が真っ赤になる。 そんなところまで気遣って貰ってるなんて全然気付かなかった。…俺はもうちょっと周りを見るべきだ…絶対。 あまりにも俺が勢いを無くしたからだろうか、横にいた御幸が小さく苦笑したのが見えた。すると、「まぁ、作ってる方とすれば、それだけ食ってもらえたら嬉しいし。」と柔らかい言葉が降って来る。 こういう時、マジこの人いい人だよな、と心底思う。 また、ぽわんとした変な感じに包まれていたら、「それに、」と御幸が小さく言葉を続けた。 「太っても沢村は可愛い気がするし。」 口元をニヤリと歪曲させて、御幸が笑う。思わず顔を上げてそちらを向いたら、そんな笑顔が視界いっぱいに映って、思わず硬直した。足まで止まりかけたけど、それはなんとか根性で回避。 (う、うううううう…!!!!) …いい人だけど。 いい人だけど。 この人、すっげーあぶねぇ…! とりあえず、赤くなった顔に気付かれるわけにはいかないと思って、がばっと空を見上げながら、「それにしても、今日はあっちーな!」と大声を張り上げたら、「……そう?寒くねぇ?」と、急に吹いたまだ冷たい春風に、二人してぶるりと震えた。 [TOP] |