最速プロポーズ |
*高校3年生冬 そういえば。 いつだって日が暮れるまで遊んで、帰り道も一緒だった小さい頃。 どこまでも、いつまでも、一緒にいられると錯覚しそうなほどの近い距離。 だけど、家に帰る前にはいつだって絶対にお別れしねーといけなくて。 バイバイ、また明日。 そんな言葉がなんか無性に寂しくて。 『…いつか、一也と一緒の家に帰れたらいいのに。』 そう漏らした俺の言葉に、アイツはなんて言ったんだっけ…? 「バイバイ、栄純君!」 「おう、またな、春っち!」 ひらひらと手を振りながら、教室から出ていく春っちに声をかける。 放課後すぐに、鞄を担いで足取り軽く出ていく姿。これから塾に行くらしい。最近の春っちはほぼ毎日のように塾に通ってる。(しかも休日は模試だとかでいつも忙しそうだ。) まぁそれは春っちだけに限ったことではなくて、今はもうほとんどのヤツらがそんな感じ。 なぜなら、センター試験までそろそろ1カ月を切ろうとしてる冬真っ盛りだから、だ。 (…さて、俺も帰ろっと。…あ!ちくしょう、マフラー忘れた。うあー…さみー…。) ごそごそと鞄を探りつつ、ちょっと唇を尖らせた。そういえば今朝は遅刻しそうで家を飛び出してきたんだった。走ったせいで登校途中は寒さなんて感じなかったからすっかり忘れてたけど。 仕方なくコートで首のあたりを隠すように覆って気休めにしながら、鞄を持って席を立った。学校から家までは遠いから、きっと帰る頃には体が冷たくなるんだろうな。 寮とは違って距離のある家までの道は、なんだか酷く遠くてまだ慣れない。おかしいよな。もう4カ月くらい通ってんのに。 高校3年生の冬は、今までの人生の中で一番厳しい季節だ。(と、みんなが口をそろえて言う。) それはもちろん寒さもだけど、大抵は受験とかそういう意味で。 学校の空気もピリピリしてくるし、余裕ってのが目に見えて無くなっていくのが分かる。もうすぐセンターまで1カ月を切るこの時期。私立大学の受験は少しずつ始まっているから更に、だ。 そんな中、お世辞にも成績は良いとは言えない(だけどこれでも下の上くらいの自信はある!…多分。)俺がどうしてこんなに余裕なのか。まぁそれは簡単にいえば既にセレクションで大学進学が決定してるから、なんだけど。 夏の結果が功を奏したこともあって、俺は案外早くから自分の進路を決定することが出来た。 もちろん、プロって選択が無いわけではなかったし、一応甲子園の優勝投手だったわけだから、周りから色々なことも言われて俺自身も悩んだけど。でも結局は進学って道を選んで、自分でその進学先も決めた。 俺は決して降谷みたいな剛腕投手ではないから、プロに揉まれればもっと育ついい原石だなんて言われれば揺るがないこともなかったけど、プロになる前に俺はもう一度、ただ純粋に野球をやれる時間が欲しいと思ったのが一番で。 そりゃ、野球は好きだ。だから、プロになったほうがずっと好きなもののことばっか考えてられるんだろうなってことも分かってるけど、それでもどうしても、と、譲れなかった。 甲子園出場こそならなかったけど、鳴やカルロス、それに明川の楊なんかはプロ行きを決めたって聞いた。鳴には、「まぁ確かに、お前にプロはまだ早いよ。」なんてムカツクこと言われたけど、アイツとはまたどっかで対戦出来るような気がしてる。…なんとなくだけど。 その他に、薬師の真田は俺と同じく大学に進むことを決めたって風の噂で聞いたし、青道だったら洋一も大学組だ。春っちはやりたいことがあるらしくて、一般で大学進学を狙うらしい。 それからもう一人、周囲を騒がせた人間が一人。 「…!一也!」 教室を出て、ぼんやり外を眺めながら廊下を歩いていると、廊下の先で窓に背もたれて立ってる見知った姿を発見して、声をかけるのと同時に走り寄った。 名前を呼べば、こちらに気付いたのか、顔をちょっと上げた一也がヒラリと俺に手を振った。 「よぉ。」 「なんで?なんか用?…あれ?約束してたっけ?」 「いや、特には。ただ、たまには久々に一緒に帰っかなって思って待ってた。」 「ならメールしてくれたらよかったのに。すれ違ったらどうするつもりだったんだよ。」 「さっきお前が来るより前に春市に会って、まだいるって聞いたから。」 「あ、そっか…。」 「もう帰るとこだろ?一緒に帰ろうぜ。」 「…おう!」 何はともあれ、久々に一也と一緒に帰れるのは願ってもないこと。 長年の癖か、帰り道は別々ってことが多くて、約束でもしない限り一緒に帰ることはない。 部活をやってて寮だった頃はどうせ後でいくらでも会えたし。 今だって家に帰りゃ近いもんだから結構な頻度で会うし(たまに普通に家で夕飯食ってることもあるしな。逆もある。)昼飯だって相変わらず一緒に食うけど、そういえば帰り道が一緒っていうのは本当に久々かも。 にっと笑って一回大きく頷いたら、一也も嬉しそうに笑った。 「ったくよー…どいつもこいつも受験受験って。…教室の空気日に日に重くなってね?」 「分かる分かる!さっき教室出た瞬間なんかほっとしたし!」 「それにしてもお前…マジで大学決まって良かったな。お前みたいなの学力で受け入れてくれる学校なんて早々ねーぞ。」 「あの…俺、そこまで馬鹿じゃないんですけど?」 「はっはっは!」 「わ・ら・う・な!」 他愛もないやり取りを重ねながら、普段よりちょっとゆっくりとした足取りで校舎の中を歩く。教室棟の廊下を抜けたら、窓の外にグラウンドが見えた。今日もまた、色々な声がする。その中に混ざる金属バッドの爽快な音と、3年間体に染みついた掛け声。 (野球部、やってんなぁ…。) 当たり前だけど。 なんだかこれもまだ慣れない。いい加減、引退してから随分時間も流れたのに、未だ感じる不思議な感覚。 そんな自分に苦笑して、隣の一也を見ながら小さくつぶやいた。カツン。足元で小さく足に当たった小石が鳴る。 「…俺はまさか、一也が大学行くって言うなんて思わなかった。」 その言葉に気付いた一也が、小さく首を傾げた。 「そうか?」 「おう。だって…すげースカウト来てたじゃん。お前って昔から有名人だし。注目の的だったし。」 「えー。甲子園の優勝投手に言われたくねー。」 「そ、う、じゃなくて!俺、昔からお前は卒業したらプロになるんだと思ってた、し!」 「…そういや俺らって、こういう話、真剣にしたことなかったっけ。」 一也にそう言われて気付く。 確かに今まで、卒業してからどうするのかなんて、あんまり話したことなかった。 いつも、いつだって、目の前のことに真剣で一生懸命でがむしゃらで、それだけを見つめて考えてきたから、先のことなんて考える時間がなかった高校生時代。 今思えば、そんな忙しさを理由に、なんとなく進路の話題をお互い避けてたような気がする。 (…はっきりと、別々になるってのを、意識すんのが嫌だったのかも。) ずっと一緒にいられた今までとは違う、そんな未来のことを考えるのが嫌だった。 はっきり意識したことはないといえ、多分そんな気持ちが絶対に心のどっかにあった。 そして気付けばもう進路選択の年の冬。…月日が経つのって本当にすぐなんだなって痛感。 「でも多分、理由は栄純と一緒だと思うぜ。」 「え?」 「だから、俺が大学に行くワケ。」 「あ、」 「なんだよ、聞いてなかったわけ?」 「わ、悪い…!ちょっとボーっとしてた。」 俺が意識をどっかに飛ばしてる間に、一也はどうやら一人喋ってたらしい。 慌てたように聞き返したら、ふっと小さく笑われた。 「純粋に、さ。」 「…おう。」 「野球がもっとやりてぇなって思って。…そんだけだよ、理由なんて。」 「あ…。」 同じ、だ。 穏やかに笑う一也の顔が直視出来なくてちょっと視線をそらした。 同じ。そう、同じだ。 一也が言ってること、多分それは、俺が考えてるのと同じこと。 (…こんなところまで、一緒なんだ…。) まるで兄弟みたいに一緒に育った相手。もしかしたら自分自身より相手のほうが自分のことを知ってるかもしれないと言っても言いすぎじゃないくらいの、相手。 一番近い他人。だけど、心は本当にすぐ近くにあるんだと、言われたような気がした。 なんだか嬉しくて俯いたら、頬がちょっとだらしなく緩んだ。 そんな俺を知ってか知らずか、一也が続ける。 「栄純、お前大学どうすんの?家から通うの?」 「い、いや…、ちょっと距離あるし、下宿かなーって。」 「下宿?お前が?」 「…なんだその、いかにも“生活出来んの?”みてぇな顔。」 「お、珍しく鋭いじゃん。」 「ざっけんなっつーの!俺だってやろうと思えばできる!」 ふん、と偉そうに鞄を持つてをぶんぶん振りながら鼻を鳴らした。 ちょっとだけ歩くのが早くなれば、それに合わせて一也の足をも早くなる。 …今気付いたけど、一也はいつも俺のちょっとだけ後ろを歩いて歩速を合わせてくれる。そんな些細なことだけど、改めて考えればすげーことだよな、って思ったりして。 そういえば、と思う。 ドキドキしながら、気になってることを口にするため、小さく声を漏らした。 「一也、は…?」 どうするんだろう。確か、一也の大学だって、実家からは結構な距離があったはず。 …ちなみに、俺と一也は大学は別々、だ。 俺が下宿をすれば今よりずっと距離は遠くなるし、もし…もし、一也も下宿なら、本当にぐっと会う機会なんてなくなってしまう、と思う。 さし合わせて、連絡をきちんと取って会わないと、会えなくなってしまう。 そんな状況を想像してみるけど簡単には想像出来なくて、だけどそれがすごく寂しいことだってことはよく分かった。 ドキドキ、ドキドキ。心臓がうるさい。 「んー。…俺も下宿、かな。」 聞こえた言葉に、ドクンッと一度心臓が跳ねた。 そっ…か、と呟いた言葉は声になっていただろうか。 冬だからかな、上手く声が出なかった。やっぱりマフラーを忘れたから、もう体の芯まで冷えてしまったんだろうか。だから声が上手く出ないんだろうか。 それからなんとなく、どちらも声を出さなくて、気まずい沈黙が落ちた。 せっかく一緒の帰り道なのに。…あと何回あるかもわからない一緒の帰り道なのに。 遠くに聞こえるグラウンドの声を背に、黙ったまま道を辿っていく。 「栄純さ、」 その沈黙を破ったのは、一也のほうだった。 何か考える風に難しい顔をして黙りこんでいた一也が、俺を後ろから呼びとめる。 その言葉に俺はゆっくりと足を止めて、横に並んだ一也を見た。 「お前の学校と俺の学校って、電車でちょっとだったよな。」 「おう。」 「しかも、路線同じ。」 「おう…。」 「俺、大学にあんまり近すぎる場所に住むのってビミョーなんだよな。たまり場になるのは高校だけでもうこりごりだし。」 「…。」 「かといって遠すぎるのもまたビミョーだし。」 何を、言おうとしてるんだろう? …何が、言いたいんだろう。 「それにほら、俺やっぱ一人だと寝坊しちまうんじゃねーかな、とか思ったりもするわけですよ。」 「…一也?」 「そんで、お前だって俺のこと言えないくらい寝坊するじゃん?」 上手く声が出ない。俺の声を吸い取ったみたいに喋る一也に何も言えないまま、話がどんどん進んでいくのに戸惑うように体が揺れた。 ドキドキ、ドキドキ。 更に煩くなる心臓。なんだ、なんなんだろう。一体。 「栄純さ、俺と一緒の家に帰る気ない?」 さっき感じたのとは違う大きな手が、俺の心臓を思いっきりノックした。 (あれ…?この言葉、どっかで…。) 一也の言葉がスイッチになったみたいに、ある風景が急にぶわっと頭の中に浮かんできた。 そうだ、あれはまだ小さい頃の話だ。 帰りたくない、まだ遊ぶんだって俺が駄々をこねた後、拗ねながら言った言葉。 『いつか一也と同じ家に帰れたらいいのに。』 今思えば、なんてこと言ってるんだろうと思うけど、あの時の俺は確かに本気でそう思ってて、それが夢だったりもしたはず。絶対叶えるんだと自信満々に思ってた。 …まぁ、現実は夢とは違って、俺と一也が同じ家に帰れる日なんて来ないんだろうなってことは、年を重ねれば分かるようになったけど。 確か俺がそう言った時、一也もそうだなって笑ってくれたはず。 だけど、一也は昔から変にマセたとこがある可愛げのねぇ子供だったから、多分それが実現不可能だってことは分かってただろう。 大方、そうだなって言って笑ってガキだって俺を、喜ばせて、くれて…。 『…よ、でもその時…、…ってこと、…だよ…。』 (あれ?違う?) 当時のことを思い出しながら感じる違和感。 なんだ、これは? ノックの音が大きくなる。何か、違う。 頭の中を過る風景は途切れ途切れでいまいち分からない。 一生懸命、絞り出すみたいにぐぐっと眉間にしわを寄せた。 『…いつか、一也と一緒の家に帰れたらいいのに。』 『…栄純が望んでくれるなら、俺もそうしてーな。』 『ホント?ホントに?マジで?』 『おう。マジで。』 『なら、約束な!絶対だぞ、大きくなったら、絶対!』 『約束。…ま、お前馬鹿だから絶対すぐ忘れるんだろうけど。』 『忘れねーし!覚えてるし!絶対!!』 『ハイハイ。』 『信じてねーな!?』 『…ま、大人になった頃にまた聞いてやるよ。…でもその時はさ…。』 『うん?』 『その時は、一生俺と同じ家に住んでくれる場合だけ、オッケーして。』 (…!そう、だ…思い、出した…!) 忘れないと言ったはずなのに、こんな約束をしたことを今思い出した。 こんな大切なことだったのに。 もしかして一也は、これを覚えてるんだろうか。 この約束を、俺との言葉を。 そして一也が言った言葉も。 …まさか。 いや、絶対覚えてる。 そうじゃねーと、さっきの言葉が出てくるはずがない。 一緒に家に帰る気がないか、なんて、そんな…言葉。 『その時は、一生俺と同じ家に住んでくれる場合だけオッケーして。』 あの頃は意味が分からなかったから、うん、とだけ頷いといたけど、今は違う。 まだ全然ガキだけど、あの頃よりはずっと大人で、言われた言葉に含まれる意味もなんとなくわかる。 一生、って。 つまりそれは、多分、自意識過剰なんかじゃなくて、きっと。 考えたら、どうしようもなく胸がドキドキした。 良かった、ここが学校じゃなくて。家でもなくて。(家は賑やかでいつ誰に何を聞かれてる分かったもんじゃない。) ただの道で、誰も居なくて、でももしかしたら誰かいるかもしれない。一回周りをそうっと見渡したらやっぱり誰も居なくて安心した。 一也は何も言わない。 黙りこんでしまった俺を、ただゆっくりと見つめるだけだ。 だからそれに甘えて、俺はもう少し、ゆっくりと自分の心を見つめた。 心臓の音、聞こえてねぇ? …なぁ、俺…さ。 難しいことってよく分かんねーんだ。 ガキだとかバカだとか言われるかもしんねーけど、でもだって本当にわかんなくてさ。 だから、本当、分かんねーんだけど。 でも、一也とずっと一緒にいたい。 多分ちっせぇ頃から、それだけは変わってねーんだよ。 なぁ、考えてみたら多分答えは簡単だったんだ。 だってそれが、俺にとって、一番、 「…いいよ。」 自分で考える前に、言葉が口をするりと滑って出てた。 おっかしーの。 さっきまであんなに、声が出なくなったみたいになってたのに。 今度は簡単に、言葉が毀れた。 「一也と一生、同じ家に住んでやる。」 一也の目が驚きに見開かれる。 その様子があんまりにも珍しかったから、俺は逆ににっと笑った。 「栄純…お前、」 「…覚えてるって言ったじゃん?」 いや、正確に言うと、今まで忘れてたんだけども。 それ言うとまた馬鹿にされそうだから、やめといた。案の定、「ほんとにお前、変なとこはバカじゃねーのな…」って声。 …後で言い訳くらいはしとこう。うん。 「お前…さ…!……いいわけ?」 「何が?」 「一生って、…一生だぜ?お前意味分かってオッケーしてる?」 「失礼なヤツ。…分かってるよ、そんくらい!」 いつから、だろう。 いつからそうなったのか分かんねーけど。 近すぎて、見えなかっただけで、それはずっとあったものなのかもしんねーけど、俺は馬鹿らしいからなかなか気づけなくて、でも気付いてみたら簡単だった。 難しいことは分かんねーけど、多分、そういうことなんだ。 「俺は料理出来ねーから、料理はお前がやれよ!そんで、掃除はたまにならしてやる。洗濯とか…まぁ細かいところはやりながら決めりゃいいだろ。…まぁずっとやってきゃ家事なんて出来るようになるだろ。うん。」 「栄純、」 「…だからお前は毎日俺がただいまって言ったらおかえりって言って、おかえりって言ったらただいまって言えよな!」 多分これが、一番俺らにとって幸せなことなんじゃねぇかと思うんだけど。 どうだ、御幸一也。 びしっと言い切って指をさしたら、今まで半分固まったみたいだった一也が、顔をその大きな手で覆って(ああなんか、試合中のこと思い出したりした。まぁ、大きなキャッチャーミットで口元を隠して笑うあの不敵な笑みとは違ったけど。)、空を見るみたいに顔を上げた。 「…はっは、…告白する前にプロポーズされちまったぜ…。」 そう言って笑う一也の顔が今までに見たことないくらい情けない顔だったから、俺は声をあげて大声で笑った。 「なぁ、とりあえずさ、明日からはちゃんと一緒に帰ろうぜ!」 「…明日からも、じゃね?」 今度は、二人して腹を抱えて笑った。 今日からは、おかえりとただいま! 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