20:00/気まずい沈黙 |
結局神様ってのは案外残酷なもんで、あの後昼休みは、無情にも御幸の教室にドアに手をかけた瞬間、無機質なチャイムの音によって簡単にも終わりを告げられた。 (結果、教室に戻る頃には既に少し次の時間の授業が始まってて、先生には何時もの如く大声で沢村!!って叫ばれた。…くそ、一也の教室遠いんだよ!!) それからは、そんな日に限って移動教室がてんこ盛りだったり、部活では殆ど接点が無かったりしてなかなかタイミングが掴めずに、気がつけば部活も終わってしまってて…、空はすっかり黒一色に染まっていた。 夕食の時も皆が居る前だとなんだか話しづらくて、敢えて春っちと二人で食べた。洋が不思議そうな顔して隣の一也になんか話してるのが見えたけど、それは見ないフリをした。 んで結局俺はというと、夕食も終わって一息ついたこんな時間に一也の部屋に来たいいものの…ドアの前に突っ立ったまま、既に数分が経過していた。 …うん、つまりあれだ。 またしても入るタイミングが掴めずにいる。…まぁ、どうしようかと…さ。ほら、俺って基本的に頭使うの苦手だから、いつもは勢いで突っ走ってくんだけど、今日は何となくそうするのが躊躇われて、困ってる。 そんなこと無いって分かってるけど、もし、…もし、一也に無視とかされたら、多分俺、立ち直れない気がする。 (…てか、案外、会わねぇもんなんだなぁ…。) どうしたもんかと考えがつかず、とりあえず今日一日のことをゆっくりと振り返りながら、思った。 クラスは違うといえども、同じ部活に所属していて、同じ寮で生活しているというのに、今日は全くと言っていいほど一也と口をきくことがなかった。(今朝方は意図的に避けていたとはいえ。) …普段、ずっと一緒にいるから、なんだか凄く変な感じ。ぐるぐるするというか、…なんか、変な感じ。 (いつも俺ばっかり一也に特攻かけてたと思ってたけど、そうじゃなかったんだな…。) チクリ、と胸が痛みを訴えて来る。 俺が一方的に会いたいと思うだけじゃダメなんだ。 小さい頃とは違う、いつだって一緒に近所を駆け回ってた頃とは違って、一也も俺に会いたいって、思ってくれなきゃ会えない。 いつも学校でも変わらず一緒に居れたのは、少なからず一也も俺と居たいって思ってくれたから。 そんな簡単なこと、俺は分かってなかった。一也が隣にいるのがあまりにも当たり前過ぎて。 春っちや降谷と話して、時間も経って落ち着いて一也との喧嘩の原因を思い出してみたら、自分の言動のあまりの子供っぽさに恥ずかしくなってくる。 降谷と一也の姿を見て、感じたモヤモヤ。 よく分からなかったけど、何か凄く嫌で。 ぐるぐると変な気持ちになって、つい、口から出てしまった言葉。 『一也は、さ…俺といるより楽しいことが、あるんじゃね?』 『…は?なんでそんなこと言うんだよ、いきなり…。何、俺といるの楽しくねぇの?』 『そうじゃなくて…俺じゃなくて、一也が…。』 『俺、お前といるのツマンネーなんて言ったことある?』 『…。だって、他の人といる時のほうが、なんか…楽しそう、だし…。』 『はぁ?意味わかんねーし。つーか嫌なら十何年も一緒にいねーって。』 『だって、どうせ俺は子供だし!』 『んなの昔からだろ。イマサラー。』 ケラケラと一也が笑う。いつもみたいに、からかうような口調。 それになんだかカチンと来て、反射的に叫んでしまった。 『それに、俺より降谷のが…っ、いい投手だろうし!』 売り言葉に、買い言葉。口喧嘩で負けたくなくて言ってしまった言葉に気づいて、ハッとした。 だけど、止まらない。 『何…、お前、そんなこと言うの?』 『だって!!』 『俺、お前のこと降谷と比べたことあった?つーか、誰かと比べたことなんかねーだろ。』 『比べてなくても、心の中ではそう思ってるんじゃねぇの!?』 『だから、思ってないって。』 『じゃあ何で俺に隠れて二人で夜に投球練習なんかしてたんだよ!』 『はぁ?投球練習くらい、するだろ。』 『なんでだよ!俺とは滅多にしねぇのに!?』 『…お前ね…。…ちょっと、頭冷やせ。』 『どうせ一也は俺より降谷のほうがいいんだろ!!』 『…聞こえなかった?』 頭を冷やせって言ったんたけどって、キレたのは一也の方だった。 いつも穏やかに俺を見てる瞳があまりにも冷たくて。 さっきまで話してた一也とは別人みたいだった。 『ちょっと今の言葉は、許せねぇかも。』 自分の言った言葉、よく考えろよ。 そう吐き捨てられた言葉が、訪れた沈黙が、ナイフみたいに心に刺さったような気がした。 それから、なんだか気まずくなってギクシャクしてしまって、避けるように過ごしてしまった時間を悔やむ。 何で早く謝らなかったのか。失言を訂正して、ちゃんとごめんって言えばよかったのに。 時間が流れれば流れるほどこんなに言いづらくなるなんて知らなかった。 昼間春っちに言われたことを、思い出してみる。エースが遠のいたのが恐いのか、って。 春っちにはああ言ったけど、実際喧嘩の大元は降谷と一也が二人で練習してんの見てなんかグルグルしちまったからだけど、こんな大喧嘩になったのは、俺の言った言葉が原因だと、思う。 なんであんなこと言っちまったのか、今もわかんねー。 反射的に出たってことは、やっぱりそう思ってたんだろうか。自分でも。 俺はもしかして、無意識に降谷に対して劣等感を抱いていたんだろうか。自分さえ、意識しないとこで。 確かに、初めて降谷を見た時は、驚いた。恐くなったような気も、する。 でもそんなのは、ほんの一瞬だった。 寧ろ次の瞬間に感じたのは、わくわくと心の底から湧き上がってくるような高揚感と、絶対負けてたまるかっていうメラメラした気持ちだったと思うし、今も降谷に対して感じるのは、絶対俺は負けてないって気持ちが一番大きい。 だって、そうだ。 俺にはいつだって、“俺は俺だ”って言ってくれる、ヤツがいたから。 誰にも負けないと、一也がいつだって俺を認めてくれてたから。 恐いものなんて、何もなかった。 (ああ…そうか。) 降谷のほうがいい投手だといった瞬間、一也が一瞬だけ悲しそうな顔をした意味が、何となく分かってしまった。 俺が言ったことは、一也の言葉を否定したのと同じだ。 一也が認めてくれた俺を、俺が否定して、どうすんだよ。 (謝りたい…。) 全部。 間違ったことと、俺の気持ちと、全部。 ちゃんと話がしたい。ああどうして、こんなにも躊躇ってたんだろう。ドアに手はすでにかかってるんだから、これを回すだけなのに。簡単なことなのに。 落ち着いて、ゆっくりとノックをして中に入ろうとした瞬間。 「…栄純?」 突然、名前を呼ばれて驚いた。 「一也…。」 振り向いた場所に見えたのは、ちょっと驚いたみたいな顔の一也。 なんで外にいるんだとか、今から俺のほうからちゃんと謝りに行こうと思ってたのにとか、なんでお前はいっつもこうタイミングがいいんだとか、なんかいろいろ一瞬で思ったのに。 あー…、なんだろう、なんか。 「一也、っ、俺…!」 ぐしゃ、って音がしたような気がした。 心を掴まれた、みたいな音。 「ごめん…っ!!」 言葉は自然に、すぐに出て来た。 「変なこと言って、ごめん…!」 躊躇っていたのが嘘のよう。 何を言おうか考え付かないままだったけど、口からポンポンと言葉が飛び出す。(だから俺はバカだって言われるんだろうか。ちょっとは考えてから話せ、っていつも怒られる。) 「俺、なんかっ、よくわかんね、…んだけど!降谷と一也が一緒に居んの見てなんかグルグルしてて…変なこと、言った…。あんなこと、本当は思ってねーのに。俺は、エースになるんだ。お前に受けて貰える立派なエースになる。誰かと比べるんじゃなくて、…誰にも負けねぇ、エースになる…!」 一也を見るのが恐かった。 視線の先で、一也が怒った顔のままだったらどうしようかと思った。 だけど、ちゃんと目を見て言わねぇとダメだって思うから。 「ごめん…一也。」 他に言葉が見つからなくて、気持ちだけを込めて呟いた。 「…バカ栄純。」 次の瞬間、視線の先でそういって困ったように笑う一也にぎゅうって苦しくなって、それを隠すみたいにその旨に勢いつけて飛び込んだ。 「一緒に甲子園、行くんだろ。」 「おう…っ!」 「じゃあ、負けらんねーな。」 誰にも。 コクリ。小さく頷く。けれど、しっかりと。 「負けねーよ!俺は絶対、エースになってやる!」 「ん、それでこそ、栄純。」 「おう!丹波さんも、降谷もぶったおしてぜってーエースになる!」 「いやいや、自分のチームメイトは倒さなくていいから。…ほんとバカだね、お前って。」 「バカっていうなバーカ!」 「そういう頭足りない言葉しか言えないからバカだって言ってるんですけど。」 よしよし、なんて言われながら頭を撫でられて、むかついたから離れようと思ったのに、じたばたもがいても一也は離してくれなくて、とりあえず背中の一発バシッと叩いてやった。 「いってぇ…。」 「じゃあ離せ!」 「やだ、もう少し。…今日一日の分補給させて。お願いだから。」 「はぁ?」 「…さすがにちょっと、堪えたなァ…。」 「何、なんだよ…?」 はぁ、と耳元で溜息をつかれて、ちょっとくすぐったくてビクッてした。 なんだろう、なんか凄い離れたい。だけど離してくれない。殆ど同じモン食って同じようなことして育ったはずなのに、いつのまにこんなに体格差が出来てたんだろ。 思った以上に力強い腕に、ドキドキする。 (…ドキドキ?なんで?) 自分の思考の意味が分からず首を傾げてると、暫く黙ってた一也が小さく耳元で囁いた。 「俺も、怒ってごめん。」 じわ、って心の中に何かが染み出していくみたいな暖かさが広がって、ちょっと不意打ちで泣きそうになった。 (あー…、やっぱ俺、一也いねぇとダメかも。) そう思ったけどなんかむかついたから、一回だけ頷いて思いっきり一也の体を押しのけて離れてやった。 今度は案外するりと抜け出せて、ふん、と鼻を鳴らしながら一也を見る。 そしたら、ふ、っていつもみたいに不敵な笑みを浮かべながら一也が楽しそうに言った。 「一緒に行こうぜ、甲子園。」 「おう!」 一也が突き出した拳にガツンと力強く自分のソレをぶつけて、二人してニッと悪戯っ子みたいに笑い合う。覚えてたんだ、と言えば、当たり前だろってまた呆れたみたいに笑われた。 子供の頃約束したそれを、同じ顔、同じ声、同じ思いで再び共有しながら。 (…いや、違うかも。) 同じ顔でも、それは幼い頃よりずっと大人びていて。 同じ声でも、昔よりそれはずっと低い大人のそれで。 思いは昔より、もっと強く、はっきりとしたものに確実に変化してる。 変わってく。 でも、隣にいるのが和やだってことだけは、あの頃と変わらない。 あ、そういえば。 「…なぁ一也。」 「ん?」 「なんで俺、お前と降谷が二人でいんの見てあんなにモヤモヤしたんだろ。」 「…さぁな?バカじゃねぇなら自分で考えてみれば?」 バカにするように鼻で笑われたから、それ以上何も聞けなくて、うぐぐぐ…って言葉に詰まりながらも諦めることにした。 …ホント、なんでだろ。 わかんねぇけど、とりあえず一也の隣にいる時はモヤモヤしねぇみたいだから、まぁいっかと思った。 →04 [←] |