放課後、カフェにて |
こうつきしあこ×篠崎屡架 カフェの二階。 店員さんはめったに来ない、平日の昼下がり。 さして広くはないフロアの端っこ、窓際のカウンターを二席陣取って、俺らは並んでいる。 何してるかって?―――試験勉強…の…教師役。 「んー、うー、んーっ」 「栄、うるさい。うめくな。」 「…っ…!!」 「息はしろ。息は。」 隣で教科書とノートと辞書を広げてうんうんと唸っているのは、双子の弟の、栄純。 大っ嫌いな英語を教えてくれと、かなり不本意極まりない表情で頼まれたのが、試験1日目を終えて帰る、昇降口でのことだった。 英語の試験日程は、明日の2限。 色々と葛藤はったのだろうが、今日の夜でなくて昼前に頭を下げに来たあたり、こいつなりに危機感があったのだろう。 家だと勉強出来ない、図書館は落ち着かない、と散々我儘を言うこいつを引っ張って連れてきたのが、全国どこにでもあるカフェ。 正直、バイトをしてない俺らには辛い出費だが、致し方ない。 っていうか、出費してんの俺だけだ。おい、何でだ。普通は反対だろう。 「一也ー…。」 「ん、どこ。」 「これ、何か文章が変。」 「ん?…あー、これな。」 ノート一冊挟んで、頭を寄せる。 こいつも俺と遺伝子が一緒なんだ。使い方が分かって無いだけで、元は悪くないはず。 だから少し噛み砕いて説明してやれば、すぐに納得して次の問題へ。 また、むむむ、と小さく唸りながら、教科書とノートの上に視線を行ったり来たりさせる栄純の横で、俺も自分のノートを眺めながら、ぬるくなったカフェオレを一口。 俺らが鞄を置いてるせいで、微妙に広がっている椅子の隙間がちょっと気に食わない。 俺が右利き、栄純が左利きだから、横に並ぶと荷物とかがよくぶつかるし、置くときにこうなるし何か無言のままに壁が作られてるみたいで。 別にこれといって仲は悪くない。寧ろ良い方だと思う。 酷いとこは喋らないし、顔も合わせないっていう兄弟もあるって聞くから、喋るし、お互いの部屋に居座ることもあるし、仲はいいはずなんだ。 なんだ――…けど。 「一也、これさぁ…。」 「んー?」 栄純が難しい顔してにらめっこしていたノートと教科書をこちらにまたスライドしてくる。 それを覗きこもうとして、少し座る位置をズラしたら、その分栄純が――ともすれば気付かないくらいの小さな距離だったけれど――俺との間に隙間を作った。 俺はそれを見逃さない。 (…なーんか、今日はいつもに増して距離感じんだよな。) 気のせいかと思っていたけど、どうやら気のせいではないらしい。 試しに、もう一歩。問題を見るふりして近寄ってみた。 するとまた、栄純の体が右に逃げる。 俺と、逆の方。 …やっぱり、気のせいじゃねーな。 「…。」 また一歩、するとあわせて純もまた。 そんなイタチごっこだったけれど、元々端っこの狭いカウンター。 すぐに終わりは訪れた。 栄純の右半身が、ドンッと大きく壁にぶつかる。 「…な、なに…。」 「え?なんで逃げんのかなーって。あと、逃げられると追いかけたくなる人間の心理?」 「べ、べつに、逃げて、なんか!」 「その割には、既にノートは俺の前までズレていらっしゃるんですが。」 座る位置が人一人分くらいズレて、壁にひっつく俺らは、周りから見れば相当滑稽な姿だと思う。 なぜか落ち着きなく、栄純の視線が揺らいだ。 (…喧嘩?したっけ?) いや、喧嘩してたらそもそもテスト勉強の教師役なんて頼まないか。 じゃあ、なんだろう。 「あ。」 「なに?」 「もしかして栄、チョコじゃなくてイチゴ味が食いたかったとか?」 「は?」 「だから機嫌悪いのかなーっ…と。」 「…一也って、頭いいくせにたまに俺よりバカなんじゃねーかなって思う時がある。」 …どうやら違ったらしい。 つーか失礼なこと言われてる気がして、思わず黙りこめば、暫くくるくるとシャーペンを回していた栄純が、ふいに、ぽつりと「…言われたんだよ。」と呟いた。 「何を?」 そう問いかけるのは当たり前だろう。 なのに、訊かれた方は明らかにうろたえる。 何だよ、その態度。 余計に気になるじゃん。 「言えよ、栄。誰に、何を、言われたって?」 「ちかっ、ちかい!一也近い!!」 もうそれ以上下がれないのに、壁に体をくっつける勢いで栄純が身を引く。 ごんって鈍い音がした。多分ぶつけたのは、頭。 盛大に顔をゆがませて呻く栄純にぬるい視線を注いだまま身を起こす。 確かにちょっと近寄り過ぎてたらしい。 椅子から半分、体が出てた。 「で?」 「一也、しつこい。」 「お前から言い出したことじゃねーか。」 もはや、試験勉強なんてそっちのけだ。 英語? どうにでもなる。そんなの。 じいっと見据えると、口をへの字に曲げた栄純が、しぶしぶ口を開いた。 「帰る時にさ。」 「うん。」 「明日の英語がヤベーって話になって。」 「うん。」 「春っちと東条は大丈夫って言ったけど、金丸はちょっと英語苦手で。」 「うん。」 「降谷は言わずもがな、だけど。」 「まあな。」 ぽつりぽつりと、珍しく一言一言を選ぶながら喋る栄純を急かさないようにひとつひとつに頷く。 「東条が金丸に英語教えてやるよー、て言って、降谷には春っちが、見てあげようか?って言って、んで、俺はどうすんのって東条に訊かれて。」 「うん。」 「嫌だけど、すっごく嫌だけど、一也に頼むって、嫌だけどって言って。」 嫌って三回も言いやがったな。 帰ったらコーヒー代せしめてやる。絶対に。 「そしたら、降谷が…。」 「降谷?」 うん、と栄純が大きく首が取れるんじゃないのかと思うほどに大きく縦に揺らす。 何も言わずに、適当な相槌だけを打って、無言で先を促せば、近距離に見下ろした栄純の睫毛がふるりと震えた。 …こいつ、やっぱ双子なだけあって、“素質”は良いんだよなァ。 色々と、使い方間違えてるだけで。 「春っちも、亮介先輩に教えて貰うのかって聞いたらさ。」 「ああそうか。そうだよな。」 「そしたら、俺はあんまりそういうことはないかなーってゆって…。」 「へぇ。」 「そんで、金丸が、俺と一也は妙に仲良いよなって。ちょっとたまにびっくりするくらい仲良いよなって。」 「…そう?」 「…考えてみたら、俺っていっつも一也に頼ってばっかで…っつーか、一也も俺に甘いって春っちも言うし。東条も、何も言わなかったけど、あれは目がいろいろ物語ってたし。降谷は…、…黙ってただけだけど。」 「…。」 「一也だって暇じゃねーんだから、兄離れしろよって言われたんだけど、兄離れって具体的に何すればいいのか、全然わかんなくて…。」 「…そんで?」 「…とりあえず、距離置いてみようかと。」 ぽそり。 栄純が躊躇いがちにそう呟く。 はあ…と肩で思いっきり息を吐いたら、それを見た栄純の体がビクリと大きく震えた。 (距離置くって…物理的に距離置いてどうすんの。) おかげで避けられてんのかと思ってちょっと心配になったとか。 心配して損した。 っつーかあいつら、人のいねぇところで栄純に好き勝手いってくれて…まぁ。 何かしら“何か”が必要だなと思ったけど、それはとりあえず後回し。 まずはこの、目の前でびくびくしてるカワイーカワイー弟を、どうにかしねぇとな。 ま、どーにかって言ってもな。 結局俺は、あいつらの言う通りにこいつには甘いし。 酷いことなんてやろうなんて思わないんだけど、栄純があんまりにもびくびくと分かりやすく怯えてくれるもんだから。 (悪戯心に火が点いちゃうぞ、っと。) 可能な限り俺と距離を置こうとしてる栄純と、こっちから距離を取ってみた。 「一也?」 「してみる?兄離れ。」 「え。」 「栄がするんだったら、ついでに俺も弟離れしよっかなー、…なんて。ちょうどいいじゃん。同時にやれば。」 「…。」 何がどうなってちょうどいいのかさっぱり分からんが、栄純は俺の言葉を受けて眉間に皺を寄せた。 さっきまで英語に手こずってた事よりもずっと難しい顔してる。 真剣に考え込みだした弟に気付かれないようにこっそりと笑う。 ばかだなぁ、ホント。 弟離れなんて、やる気になってりゃとうの昔にやってるよ。 今も離れずにいるのは栄純が俺に頼って来るからじゃない(それも少しはあるけど)。 俺が栄純を甘やかしたいからなのに。 「…具体的にどうすんの?」 「そーだなぁ。とりあえず、話をしない。」 「え…。」 「挨拶しない、会話しない、勉強教えない、そもそも目を合わせない。」 「そこまで?!」 「やるからには、徹底的にした方がいいじゃん。」 「うぅ…。」 「な? なーにが、な?だか。 大体実際にそんな状況になったら、絶対俺の方が先にねを上げる。 そんな自信がある。(自慢にはならない。) 「…一也…。」 「うん?」 「…一言も?」 「え?」 「一言も、話しねぇの?」 「うん。そーだよ。」 「一緒にいても?困った時も?嬉しいことや、楽しいことがあった時も?」 「…そう。“何があっても絶対に”。」 ゆっくりと。 落ち着いた声で栄純の言葉を肯定してやる。 出来る限り、はっきりと。 出来る限り、表情を崩すことなく、動揺は心の奥に隠して。 (…うーわ。これでもし“分かった”とか言われたら、ちょっと俺が困るわ。) 今更だけど。 でもそれは顔には出さず、ただ栄純の答えを待った。 体感で長く感じた時間は、実際にはもしかしたらそこまで長くなかったのかもしれない。 でも。 →「……ヤダ……。」 →「…わかった。」 →「……なぁ栄、」 |