きらきら星変奏曲 | ナノ

きらきら星変奏曲



こうつきしあこ×篠崎屡架




「栄純。」
「…御幸。」
「えーじゅん。」
「何の用だよ!」
「呼んだだけ。」


ちっ、と上品でない音が聴こえたけど、あえて無視。
何かぶつぶつ言ってるけどそれも無視。

いかにも怒ってます、なオーラを出す2コ年上の幼馴染は、それでも俺の隣からはいなくならない。俺はそれに甘えてる。

母親の腹の中に居たころからの付き合いは、小学校、中学校と進学の際にも切れること無く、何と高校生になる今日まで続いてる。中学と高校は1年しか被らないけど、ずっと同じ通学路を一緒に行きも帰りも通って来た。―――でもそれも、今年で最後。


「栄純。」
「『沢村さん』。」
「…栄純さん。」
「む…。まぁいいか。」


地元の人間ばっかの中学まではそうでもなかったけど、高校に入ったら栄純は俺に名前で呼ぶこと禁止令(命名:栄純)を発令した。一方的に。
2コ下に呼び捨てにされることがムカつくから、らしい。

当初このことでちょっとケンカした。
栄純は深く考えて無いだろうけど(絶対だと言いきれる)、俺にとってはなかなかショッキングだったから。
2コ下、だなんて。そんなものに該当する奴なんていくらでもいる。そんな中に俺も含ませて考えていたことに、俺は苛立った。

俺は栄純を2コ上の先輩、なんて考えない。2コ上のお兄ちゃんって考えは、2年前に捨てた。
今どう思ってるかは…きっと一生伝えられない。


「御幸。」
「『一也』。」
「御幸、学校の近くで呼び捨てにすんなよ、絶対。」
「聞き飽きた。っていうか、『一也』。」
「言うこと聞けよ。」
「栄純こそ。」
「御幸!!」


聞き分けのない子供を叱る母親みたいな声で、栄純が叫ぶ。
比較的短気な栄純が声を荒げることなんていつものことで、いつもの俺だったら、そんなことを特別気にしたりなんかしない。


だけど、今は。


まるで、本当にただの年下を窘めるような言葉と声量に、どうしようもなく苛立った。

御幸。
そう呼ばれる度に、俺の心の中がジリジリと嫌にコゲつくような感覚に襲われることを、きっと栄純は知らない。気付かない。今までも、そしてこれからも。ずっと。
俺だけがこうして、埋まらないどころか、いつ大きく開いてしまうか分からない不安定な距離に、関係に、怯え続ける。それの、なんて不公平、な。


「俺、は。」


ぽつり、と眉を寄せる栄純との間に、俺の静かな狂気を含んだ声が落ちる。
駄目だ、言うな。言っちゃいけない。なけなしの理性がかけるブレーキは、けれどエンジンを掠めること無く空を切った。


「栄純のことを、“先輩”だなんて思ったこと、ない。」


思った以上に言葉が重みを持って、重力に従って地面にぶつかる。
驚いたように見開かれる栄純の目が、まるでスローモーションみたいに映った。

一也、と、俺の名前を呼ぶ声は望んだものだったけれど、それだけで止まれるほど、俺は大人じゃない。


「大事な人のこと、そんな枠でくくったりしない。」
「かず、」
「…少なくとも俺は、栄純は特別だと思ってた。」


家族、みたいに。


この関係を誰よりもどかしく思ってるくせに、誰より大切にしたいとも思ってる俺の、最後のブレーキがそう付け加える。今、どんな顔をしてるんだろう。漏れる笑みはきっと酷く汚い。栄純の瞳に映る俺は、なんだかよく見えなかった。


「でも、栄純はそうじゃないって言うんなら。」


ぐ、っと、握りしめた拳。
爪が掌に食い込んで、鈍い痛みが走る。


「…言う事、聴くよ。俺は“年下のガキ”だから。」
「…っ、かずや!」
「それが、望みなんでしょう?……沢村、さん。」


慣れない音が舌から滑り出て、同時に驚きに見開かれた栄純の瞳。言い出したのは栄純のくせに。
皮肉にも、その見開かれた瞳に俺の姿が映るのが、今度ははっきりと見えた。




















生まれた時からずっと知ってる「弟」が、全然知らない男の子に見えたのはいつだっただろう。
小さい頃の一也はあまり体丈夫じゃなくて、同い年の中でも小柄な方だった。
そんな外見の割に負けず嫌いのガンコ者だったから、大人しく虐められてるようなタイプじゃなかったけど、でも俺はこいつの兄貴として売られたケンカは買ってきたし、体を張って守ってきた。

中学に入る頃には俺ら男よりもずっと大人びてた女子たちが、一也のことで騒ぎ始めた。
かっこいい、イケメンだと、ざわざわした雑音が溢れて来た。

それでも中学までは、地元の幼馴染ばっかだし、何だかんだってみんなガキの頃の恥ずかしいことをお互いに見知ってきてるから、深刻には思わなかった。


けど。


「栄純。告られたことある?」
「ぶっ!?はぁ!?」
「あ、ないんだ。」
「まだ何も言ってねぇ!!つか、なんだよ急に。」
「うん。告られた。今日。」
「…誰に?」
「よく知らないけど…2年の先輩。」
「…ふーん。」
「…反応うっすいなー。」
「好きにすればいいじゃん。」


俺は基本的にウソが吐けない。他人にも、自分にも。
でも初めて吐いた自分への嘘は、信じられないくらい重くて、痛くて、思いっきり声を張り上げて泣きたかった。
その頃にはもう一也のことがよく分からなくて、どう接していいのかも分からなくて、ただあのだいぶ低くなった声で、昔と同じように栄純と呼ばれるのが辛くて。

俺の中の一也はどんどん変わるのに、一也の中の俺は全然変わらずにいるみたいで、それがとにかく嫌で、嫌で。

名前で呼ぶな、と言ったら一也は怒った。意味が分からないことを強要するな、と。
俺もあいつもガンコだからケンカになって、数日間口を利かなくて…一也が折れた。学校と、その周辺だけ『栄純さん』て呼ぶって。

自分で言い出したことだけど、本当に泣きそうになった。ムスッとした表情で、初めて一也にそう呼ばれた時。
そんな自分を隠したくて、『御幸』と、生まれて初めての呼び名を口にした。
幼い日の、俺のよく知る一也の影を無くしたくなくて、まるえ呪文みたいに唱えた“始めて”は、俺の意図から大きく外れて、寧ろ俺たちの間に小さな、けれど確かな亀裂を作った。









一也が“栄純さん”、俺が“御幸”と呼ぶ度に、その亀裂が明らかな音を立ててピキピキと生じた歪みから裂けていく音が聴こえたけど、目を逸らして。俺らしくない、見ないフリ、気付かないフリ。
けれどそんな自分勝手な自己保身から創った砦は、一也本人によって思いっきり突き崩された。


『…沢村さん。』


よく見知った声が、何度となく他人から聞いた言葉を呟くのが、生まれて初めて聞いた言葉のように聴こえる、なんて。
思わず口を開いたのに、声がついてこなかった。


「かず、や…、」
「…“御幸”ですよね?」
「…そう、だけど…。」
「…俺はね、沢村さん。アナタの言う事だけは、なんだって聞けた。わがままだって、なんだって。ケンカしても、何しても。…それは、嫌われたく、なかったからだよ。」


知らない男の声が、俺を呼ぶ。一也の声で、一也の顔で。
続きを聞きたくない前進が音声の受信を拒む。聞きたくない。俺の知らない声で、知らない顔をして。


「だけど今だったら、アンタに嫌われた方がマシかも、って思ってる。」


泣き虫の顔をした、けれど同年代の誰よりも大人びた顔をする幼馴染のその言葉に、生じた歪みの中に、砦が完全に音を立てて崩れ落ちた。


「…どうして…?」


一也の静かな声が、俺を追って来る。どうして?言われてハッと、視界がぼやけているのに気付いた。


「どうして、沢村さんが泣くの。」
「だって…っ、」
「どうして?言うとおりにしてるのに。泣きたいのは、俺の方なのに。」
「一也…。」
「…“御幸”、って呼ばねぇの?」


差し延ばされた指が、目の端っこに溜まる滴を掬いあげて、その先で一也が困ったように笑う。そんな顔、仕草、声。それは俺がよく、見知ったもので。


「…沢村さん、なんて呼ぶなよ…。」

気付いたらそう、声に出していた。

















綺麗な綺麗な、透明な雫が溢れて、指に触れて弾けた。
キラキラ光るようなそれは間違いなく俺にとって宝物で。他でもない栄純が宝物だから。
だから、その一言すらも聞き逃したくない。けど。


「今、なんて…。」
「…っ、」


嗚咽をこらえるように噛みしめられた唇が痛々しい。同時に紅いそこから目が離せない。


「呼ぶなよ、一也。そんな呼び方…すんな。」
「…。」


栄純のわがままは、今に始まったことじゃない。そのいちいち全部が俺を振りまわして。でもこれは今まで一番衝撃が強い。


  ――どうして泣くの?
  ――どうしてそんなことを言うの?


俺は栄純の言う通りにしたのに、それをやめろなんて…それはつまり、栄純の望みは別にあるということ?


「じゃあ、どう呼んだらいいの。」
「栄純って呼べ。昔みたいに。変わらずに。」
「…無理だよ。」


栄純の目が、しっとりと濡れた黒が、大きく見開かれる。
あぁ、それのなんて綺麗なこと。


「呼べない。『昔と一緒』なんて俺には無理だ。俺の中で栄純は昔と一緒じゃない。一緒になんて出来ない、したくないんだ。」


言いながら段々俺の声にも涙が混ざる。
夕暮れ、田舎道。車もチャリも人も通らない道とはいえ、16歳にもなってこんなところで泣くなんて。


「……一也も?」
「え?」
「一也も、変わった?一也の中の俺は、変わったのか?」
「栄純?」
「俺の中で、一也は変わったよ。『弟』じゃなくなった。知らない一也がいっぱいになって、どうしていいか分からなくなった。俺だけ取り残されるみたいで、それが嫌で…でも、でもっ、」
「栄純っ、!」


ぼろぼろ溢れて止まらない涙を拭いもしない栄純を抱きしめる。


「我儘言っていい?」


ぎゅう、と。
小さい頃、鬼ごっこをしていて捕まえた時みたいに、いやそれ以上にしっかりと強い力で抱きしめる。


「…何?」


優しい栄純。我儘だけど、それ以上に俺は栄純に守られてた。
今も泣きながらでも、俺を受け入れてくれる。



「好きだよ。ずっと好きだった。最初は、幼馴染として。2年前からは、一人の人間として。好きで、欲しくて。傍に居て。ずっといて。俺だけの、栄純でいて。」



望んでも、いい?ずっと欲しかった栄純を。

俺もあげるから。全部あげる。栄純が欲しがる俺を、全部全部あげるから。



「俺だけの――、一也でいてくれんの?」
「いるよ!!」



何もかも、あげるよ。
溺れるくらいに、いろんなものを注いであげる。


「俺の我儘を聞いて、栄純。」
「我儘なんかじゃないだろ。」


俺の肩から顔を上げた栄純が、頬を包み込んで、おでこをこつんとぶつける。



「俺も、一也が欲しいよ。」



きらきら、きらきら。



綺麗なもので、体中が満たされた気がした。







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