テイクアウトはご自由に | ナノ

テイクアウトはご自由に



こうつきしあこ×篠崎屡架



「いらっしゃ…あ、こんにちは!!」
「こんにちは。元気いいねー。」
「それが取り得なんで!!」
「はっはっは、俺まで元気になるね。」


にっこり、と満面の笑みで対応してくれるアルバイターくんと顔見知りになって二ヶ月半。あっちの名前を知ったのが二カ月前、逆に名前を聞かれたのが一カ月と三週間前。
今では客と店員という関係より一歩前進したくらいの(どこに向かっての前進かは分からないが)関係。

通勤で使う駅から少しだけ外れた所にある全国チェーン店のコーヒーショップは、立地条件からかいつも適度な人の少なさで、もっとタイミングが良ければ沢村くんと話をすることも出来る。


「御幸さん、新しいメニューが出来たんすけど。」
「ん?どれ?」
「珈琲はキャラメルで甘いから、きっと御幸さんには向かないっすけど、こっちのオープンサンドはオススメですよ。結構ボリュームもあるし、味ももちろん美味いっス!」
「沢村くんの愛情がたっぷり入ってるもんなー。」
「な…っ!!」


かあっと耳まで一気に真っ赤になるこの子の何と初で可愛らしいことか。
これでハタチの男の子なんて世の中は不思議だ。どうやったらこんな子が育つんだ。俺のハタチのときなんて――いやいや、別に思いだす必要はない。若気の至りなんて葬り去ってしまえ。


「んじゃ、そのサンドとアメリカンな。」
「うっす、少々お待ち下さい!」


またも輝かんばかりの笑顔と伴に調理に入る沢村くんの姿に自然と笑みを浮かべながらレジを済ます。レジを打つ女の子も小さく笑ってた。


「火傷するなよ、沢村くん。」
「もうしないっス!てか御幸さんいつまでその話題を振るんですか。」
「沢村くんが調理してる限り。」
「嫌がらせですか!」
「やだなあ。愛だよ。」


最初に沢村くんの姿を見た時、彼はカップから熱いコーヒーが跳ねた手の甲に口を付けて、涙目になっていた。
よっぽど熱かったんだろう。5秒ほどじっとそのまま動かなかったその姿は、何故か今もくっきり脳裏に焼き付いている。

(可愛かったよなぁ。あれ。)

思い返せば、まだくすくすと思い出し笑いすら浮かべることが出来る。
それくらい、俺にとっては印象的な、強烈な出会いで、(まさかそんな漫画みたいなドジを踏む子が本当にいるなんて思いもしなかったから。)きっと調理してる限りと言わず、可能な限りこのネタは引っ張るのだろう。

女相手にも“可愛い”なんて感情をこんなに明確に持ったことは無かったのに、なんて思春期の男子もびっくりなほど純粋な言葉をこっそりと心の中で呟く。
しかもその相手が、それなりに年のいった男だなんて。自分のことなのになんだか笑えて来る。けれど案外、その事実はすんなりと心の中に落ちていった。

(この年で、まさかのヒトメボレ、なんて。)

同僚辺りに漏らせば、お前が?と半分罵られることも明らかだ。
忙しなくバタバタ動く沢村くんを目で追いながらくすくす笑うと、コーヒーカップを左手に引っかけた沢村くんが、きょとんとその大きな瞳を真丸にして首を傾げた。


「…何か?」
「ううん。別に。可愛いなぁ、と思って。」
「か、わ…!?」
「うん。沢村くんが可愛い。」


ねー?と、近くにいたレジの女の子に同意を求めて投げかけてみたら、同じようにくすくす笑っていた彼女からも、そうですね、と丁寧な賛同の意が返って来る。
それにぎょっとしたような沢村くんの、少し赤く染まった頬がまた、何とも可愛らしいこと。(こんなことばっかり考えてる俺の脳内は、どう考えても“純粋”とは程遠いけれど、先ほどの言葉を訂正する気はこれっぽっちもない。)


「…そういうのは、女の子に言ってあげてください。」
「だってそう思ったんだもん。サービスの一環ってことで、許して?」
「お客様からのそう言ったサービスは受け付けて無い…っす。」
「つれないなぁ。」


そんな軽口をたたき合うのも、いつものコト。俺の言葉と当時に、コポコポと音を立ててカップに注がれたコーヒーの香りが、鼻をくすぐった。
沢村くんのオススメというオープンサンドの横に置かれた白いソーサーの上に、コーヒーカップが乗っかれば、それはこの朝のささやかな幸せな時間の終わりを表わしていて、少しだけ心の中でため息をついた。
元より流れるのが速い朝の時間が、今この瞬間だけ、更に倍速に感じてしまう。

(仕事の時間が倍速―いや、三倍速ならなぁ。そうしたらすぐにでもまた沢村くんに会えるのになぁ…。)

しかも今日は金曜日。基本土日の両日とも休みな俺がここに来るのは平日がほとんどだ。
まれに土曜出勤になったときにも来るが、そういう時沢村くんは休みだったりする。確認したことはないが、恐らく沢村くんのシフトは、平日のこの時間というのが固定のようだ。学校に行く都合とかそういう諸々の事情のせいかもしれない。――けど。

(俺と会える日にシフト入れてんの?――なーんて、我ながらなんて乙女思考。)

残念ながら俺は27歳の男だ。乙女思考なんてしてる時点でいろいろアウト。(しかし思想の自由は保証されている。口に出さないから、その分内容については大目に見て欲しい。)


「御幸さん、お待た――…っわ!」
「沢村くん!」


ガシャン、と派手な音が静かな店内に響く。
真っ白いソーサの上に、黒い液体が広がっていた。


「うっわ…!すみません、すぐ入れ直しま――」
「それより火傷は?してない!?」
「わっ、」


カウンター越しに沢村くんの左手を取る。
華奢ではないが、長くて綺麗な指には傷一つなくてほっとして、無意識にその指へ自分のそれを這わせる。


「良かった、怪我してないね…。」
「み、みゆきさん…っ。」
「ん?」
「ててて…、」
「て?」
「手!!」
「…ああ、手。」


ぱっと話すと凄い勢いで沢村くんが、手を引っこめた。
…うーん、地味に傷つく。
でもレジの女の子がバックから取ってきた付近で片づける沢村くんの耳が真っ赤になってるのを見つけてちょっと浮上。――自分勝手、だろうけど。深読みしてもいい、かな?
少なくともその反応は、嫌悪感から来るものじゃない、よね?

大丈夫でしたか、と問いかけてくる女の子の声に小さく手を上げて、綺麗に整え直されたプレートを受け取る。
背けてしまったままこちらを向いてくれない沢村くんを少し残念に思うけれど、仕方がないか。

アクシデントとはいえ、こんな風に平日の楽しみが終わるのは、これから1日の仕事へのモチベーションに少なからず影響を及ぼす気がするが、致し方ない。

しかも困ったことに、今日は金曜日で、明日からは世間は心躍らせる週末だというのに、俺にとってはその楽しいはずの二連休も、もどかしい48時間でしかないのだから、なんだかもう…どうしようもない。


トントントンと、軽い足音と真逆の沈んだ心のまま、いつもの席へと歩を進める。朝一番、淹れたてのコーヒーと沢村くんの勧めてくれたオープンサンドの味は、もちろん文句のつけようも無く。
けれど、小さく吐いた息でゆらりと揺れた黒色の水面に映った自分の顔が、まるで今の俺の心を映しだしたみたいに、歪んだ。

ゆらゆらと揺れる水面は、底が見えないくらい、真っ暗。
そういえば沢村くんの目もこんな色だよなァと、そこまで考えて、さすがに自嘲の笑みが漏れた。御幸さん、そんな声が聴こえた気すらして。本当、末期だな、と思う。




「御幸、さん!」

「…え?」




揺れる色は、確かに、底が見えないくらいの、黒。
けれど視線の先に居たのは、常ならばカウンターの向こうにいるはずの、それは紛れもない沢村くん本人だった。



「さっき…すみませんでした。」



申し訳なさそうに頭を下げる沢村くんに、一瞬驚いて反応が遅れた俺が、怒っていると思ったのか、小さい体が更にシュン…と小さくなった。それにハッとして名前を呼べば、勢いよく上げられる、顔。


「別に、俺にはかからなかったから大丈夫だよ。」
「でも…本当、満足に謝りもせずに…俺…。」
「気にしないで。本当に大丈夫だから。」


それより、沢村くんに怪我がなくてよかったと告げれば、先ほど見たのと同じような赤が、今度は沢村くんの顔全体にはっきりと浮かんだ。何だがそのままどこか挙動不審な様子に、軽く首を傾げて、沢村くん?と呼ぼうとする前に、ぐいっとその左手が目の前に突きだされる。


「え?」
「忘れ物、です。」


忘れ物。
そう言って、スッと差し出されたのは、このコーヒーショップの文字が印字された、何の変哲もないレジスタ用の紙。いわゆる、レシート。

どうしてこんなものわざわざ?
そういえば、受け取らなかったなぁとは思うけど、でも。別に、良いのに。


「どうして、」
「あ、の!クリーニング代とか!あと、お詫び、とか!」


視線を逸らして叫ぶ沢村くんの声が、静かな店内に響き渡って、穏やかなBGMと俺の声を掻き消す。




「…つまり!そういうことなんで!!」




レシートだけを半ば強制的に渡されて、ぽかんとする俺を置き去りにした沢村くんの背が見えたと思えばすぐに遠ざかっていく。
思わず言葉を失ったまま、何気なくそのレシートに目を落として、そのままぺらりと裏返した瞬間、え、とほぼ反射的に声が漏れた。
思わず、口を手で覆う。だって、これって。


「…なんて、原始的な、ナンパ…。」


時刻は既に、店を出ないといけないギリギリの時間を差していて、それを確認した携帯とレシートを見比べれば、小さく顔に笑みを浮かべた。
…正確に言えば、レシートの裏に走り書きされた、数字とアルファベットに、だけど。







…さぁ、なんて嬉しいことに、明日からは週末だ。









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