出逢いはベビーピンク | ナノ

出逢いはベビーピンク



練習帰り、同じような無機質な扉が並ぶ廊下の、ある一室の前でピタリと足が止まる。聴こえてきたのは、よく見知った声。中を覗かずとも分かった。少しだけ開いた入口の覗き窓からは、漏れ聞こえる歌声と一緒に、黒い影がちらつく。ああ、やっぱり――…姿を確認した瞬間、耳を掠める声の音量が更に上がる。
それにしても、無駄にでけぇ声。まぁこいつ、声量だけはあるからな。技術はまだまだだけど。
視線だけ巡らせて覗いた部屋の中で、音が止む。変わりにはにかむみたいな笑みが零れるのが見えた。それなりに防音が施されてる部屋だってのに、空気の間に入り込むみたいな透明な声は、男にしとくには勿体ないくらいの伸びやかな高音。それを褒められでもしたのか、浮かんだ笑みが更に濃くなったのが見えた。するとすぐにまたピアノの音がする。練習を再開するらしい。
この調子なら帰ってくんのはまだ暫くかかるかな。と、俺は思考を今日の晩飯のことへとシフトする。止めていた足を動かして、部屋から離れて行くと、そろそろ暗くなりそうな窓の外の空に浮かぶ薄い月みたいに追ってくる声を微かに聞きながら、ああやっぱり男とは思えないいい声だとそう素直に思う。

まぁそりゃそうだ。


「…、…でもやっぱり60点。」


大体、ファルセットでマックス音量出して叫ぶんじゃねぇよ。










「たっだいまー!!」


今まで静けさだけが漂っていた室内に、思いっきり大音量の声が響く。同時に開いたドアは、蝶番ギリギリのところまで大きく開かれて、俺の気のせいじゃなければ少しだけミシッと音がした。毎回毎回そんな風に酷使されるもんだから、そのうちそろそろ限界が来ちまうんじゃねぇかってくらい可哀想なドアから顔を出したのは、Tシャツに短パン、その短パンの後ろポケットに財布を突っ込んだだけって軽装の沢村。練習終わりだろうにそれはもうギラッギラに賑やかな笑みを浮かべながら、またもや思いっきり大きな音を立てて後ろ手に勢いよくドアを閉めた。
ドア壊しても俺は責任持たないと心の中で毎回のように唱える言葉を今日もまた一度繰り返して、開いていたノートを閉じながら、帰宅したばかりのルームメイトの方へと向き直る。


「あー!つっかれたー!!つーか、御幸最近帰んの早くね!?」
「そー?お前が遅いだけじゃねぇ?」
「練習サボってると、すぐに俺に追い抜かれるぞ。」


にひひ、と楽しそうに笑う沢村のどこか得意げな様子に目を細める。その顔は随分と自信満々に目を輝かせてるけども、さっき帰りに沢村の練習室の前を通って来たばかりな上、それに60点を付けた俺としては、全くもって危機感は沸かない。


「…まさか。」


だから少しだけ鼻で笑ってやると、沢村の顔が目に見えて一瞬で不機嫌に変わった。突き出される唇から、「アンタのそういうとこすっげぇむかつくわ…。」と、不満そうな声が上がる。そんなやり取りも大体毎日恒例だ。座っていた椅子を動かすと、キィッと小さく音が鳴って、それに反応したように沢村が顔を上げるのを見て、首を傾げた。


「夕飯は?」


それと同時に、ぐうっと沢村の腹の虫が鳴る。「…食う。」と少し恥ずかしそうに呟く声。それに笑いながら席を立ちながら、ドアの前に立つ沢村の横を抜け、さっきとは違ってゆっくりと開いたドアから部屋の外に出ながら、ああやっぱりもしドアが壊れたとしたら、全部の責任は沢村にとって貰おうと思った。




青道プロは、多くのタレントやアイドル歌手、俳優、そしてその卵が所属する業界トップと言っても過言ではないくらい大手の芸能事務所で、ドラマからバラエティ、歌番組まで、多岐に渡る分野に手を伸ばしていて、研究生や若手から中堅、そして大御所まで、多くのタレントが属している。
最大の特徴は、事務所に所属するのが全員男性というところだろうか。グループ単位から個人まで、それぞれ年齢層も幅が広い。
定期的に行われるオーディションには、全国各地からトップアイドルを夢見た男がこぞって集まるから、倍率は数百倍。開かれるのは狭き門で、トップアイドルどころか、事務所の敷居すら跨げずに終わる奴は何人もいる。そんな厳選された卵を育てるのもまた、事務所の大きな仕事の一つなのだろう、流石業界トップの芸能事務所なだけあって、新芽の育成環境は、これでもかというくらいに豊かな環境が整備されてる。

アイドルを目指して切磋琢磨、事務所にある寮に入れられて、デビューする日を夢見ながら歌や演技、踊りの練習に毎日精を出す。俺もまた、その波の渦中に居る一人ではあるんだけど、俺の場合は少し他の目がギラギラした野心や向上心に溢れる他の奴らとは違っていて、元々オーディションも、連れが勝手に俺の写真と書類を書いて申し込みしやがって、仕方なく受験したらあろうことか受かった…なんていう、それはもう落ちたやつらに聞かれたら刺されそうな内容であるから(とはいっても、姉に無理やり、とか、友達についていってうっかり、とか、そういう理由で受かってる俺みたいなやつもここには多いっちゃ多いけど)、オーディションに受かってから1年、それなりに自分のペースで特に目標も無くだらだらとやってきた。
俺自身、オーディションに受かったこともそうだけど、大抵のことはある程度までのレベルならそつなくこなせることもあって、ライバルだらけ、レッスン続きの毎日でもそこまで苦労という苦労もすることなく…、まぁ頭の中では、さてこれからどうしようかとまるで他人事のように考えながらも、まるで流れに身を任せるように過ぎる日々。アイドルなんてそれこそ10代の内に頭角を現さないと、なかなか厳しい世界であると言われているが、16の俺はオーディションに受かった時点でその10代もそもそも残すところ5年しか無かったわけだから、本来なら焦りの一つでもするべきなんだろうけど、スタート時のモチベーションの低さも相まってか、なかなか本気になれないでいるのが本音だった。
なれなかったらそこまでかな、なんて、ふざけたことを思うほどには。こんなことを言ったらきっとそれこそ本当に刺されちまうじゃねーだろうかと、どこか冷めた目で自分を見ていた。そんな時だ。俺がアイドルの卵を初めて1年が経って、特殊な環境にも、今までとは違う特別な日常生活にも慣れたような頃。
沢村に会ったのは、そんな時だ。

青道の研究生寮は、二人部屋が基本。
先輩と後輩。生活指導とか、相談役とか、そういうの全部含めて、世話し合うためってのが建前で、本音は指導者側の負担を減らして効率的に組織を運営していくために最も効率のいいやり方ってことで、練習とか仕事以外を共に過ごすパートナーを強制的に決められる。俺が入った時も、3つ年上の先輩と同室だったけど、先輩のデビューが決まったっていうんで、その年いっぱいで寮を出た空きのところに入って来たのが、沢村だった。
沢村はもうなんていうか…出会った頃から、元気印のアイドルです!って感じが満載の典型的な一直線馬鹿で、その前に同室だった先輩が物静かな自分の世界を持ってるようなタイプの人だったから、そのギャップと生活の中に溢れる騒音みたいなテンションに最初はそれはそれは戸惑ったけども、数カ月で慣れた。
仕方なく面倒みてやってる内に、喜怒哀楽はっきりとした沢村の素直さとか、嘘のつけない言動だとか、浅瀬とはいえども、芸能界って世界にちょっと浸かってた俺には何だか妙に新鮮で、何ヶ月経っても全く変わらない沢村を見てると、なんかこいつすげぇんじゃねぇの、とさえ思うようになっていた。

慣れてくれば、馴染むのは早い。からかうと面白いくらいに反応する沢村は、すぐに生活の中に溶け込んだ。
かれこれもうすぐ出会って1年が経つけど、今でも時間が合う限り練習後の夕食は共に取るほどには。


「ぷはっ、食った食った!」
「いっつも思うけど、お前って見かけによらずすげぇ食うよな。」
「ぬ…、それは俺が小さいとか小さいとか、小さいとか言いてぇの?」


食堂の給仕のおばちゃんがちょっとびっくりするくらいおかずを盛って、更にご飯を茶碗三杯もおかわりをしてみせた沢村が、さすさすお腹を擦りながら爽快な声を上げる。沢村は痩せの大食いで、すげぇ食うのに全然体型が変わらない。少し短いシャツとパンツの間に見える腰は細くて、なんか強く押したら折れそうだから、一体その体のどこにあの大量の食材が入ってるんだろうといつも不思議になる。


「小さいっつーか、薄いじゃん、お前。」
「…そー…?……これでも最近筋トレ増やしてんだけどなぁ…。」
「筋トレって…。」
「ボイトレしてて先生に怒られてさー…でもやっぱジムとか行った方がいいんかな…。」


唸るように声を上げる沢村が、自分のシャツの首元を掴んで、うんうん言いながらその中を覗きこむ。
チラリと見えた鎖骨も酷く華奢で、視線を落とした先の、俺の角ばったどこか骨骨しいゴツゴツした首回りとは違う、スッと流れるみたいなどこか丸みを帯びた造形にドキリとする。思わず考えたその思考は、軽く視線を逸らすことで拡散させた。そんな俺の一連の心身の動揺に気付かなかったらしく、まだ自分の腕や体を見ながら唇を尖らせてむっすりと顔を歪める沢村の頭を、ペシリと軽く手ではたく。


「いって!」
「お前ね…無防備過ぎ。誰か見てたらどーすんの。」
「えー?誰もいねぇし大丈夫大丈夫!」


首元を掴んでいた手を離して、きょろりと一回辺りを見渡した後、「ホラ!」と沢村が大声を上げる。
だけど俺はそれに同意することは出来ずに、変わりに落ちたのは大きく深いため息。


「今確認しても遅ぇだろ…。」


完全に事後確認万歳な沢村に、脱力する。
すると、わははは!とからりと乾いた笑みを浮かべた沢村が、頭の後ろに回した手で、ばつが悪そうにポリポリ頭を掻いた。
それにまた、ため息。


「油断して、バレても知らねーからな。」
何を、とは言わない。…つーか、こんな、誰が通るともしれない廊下では、言えない。

言えるはずがない。


「ゆーだーんーなんてーしーてーねーしー!」
「油断しかなさそうな顔して何をいう。っつうかうるさいです。沢村君。」
「だっからー、御幸は心配し過ぎ!こういうのはな、案外堂々としてる方がバレねぇもんなんだよ!」


見えて来た部屋の扉に手をかけて、ぷりぷり頬を膨らませながら、ぎゃんぎゃん喚くように沢村が言う。
またもや必要もないくらいの力でドアを開けて、こんなに力があんならジム行く必要なんかねぇだろと思ったのは心の中に秘めて、締める時は極力ゆっくりと俺がドアを閉めた。
ボスンッと音を立てて、ベッドにそのまま倒れ込む沢村を見ながら、今日もまた大きなため息。
お前は何個俺の幸せを奪っていくんでしょうか。


「さーわーむーらー…。」


ゴロゴロ布団にひっつくように体を丸める沢村の名前を、腹から出した低い声でゆっくりと呼ぶ。
ぱちり、と閉じられていた目が開いて、でけぇ目の中に俺を映す。転がった際に腹の上までめくれたシャツから覗く、きめ細かい白い肌は、目に毒だ。
男相手に何を、と普通なら一蹴するもんだけど、生憎沢村に関してはそうもいかない。だってこいつは。


「んだよー…。」
「寝るなら着替えて寝ろ。そんで布団はちゃんと被れ。」
「めんどい。暑い。」
「沢村…。」
「いいじゃんちょっとくらいー…。」
「よくねぇし、だからお前は無防備過ぎんだっつーの。」
「そーかなー…。」
「…もっと危機感の一つくらい持てよ、バカ。」


近づいて、引っ張った布団を思いっきり頭からかけてやると、もごもごと慌てたように沢村が動いた。
ぷはっ!と顔を出したかと思ったら、恨めしそうに睨まれる。なにすんだよ、とでも言いたげに眉が寄って、けれど叫ばれるより前、俺の声の方が幾分か早かった。


「…………女なんだから。お前。」


ぐしゃぐしゃになった短い黒髪をツンツン立てながら、阿呆みたいに笑う沢村。
…笑う場面じゃねェっつーの。








沢村のその“秘密”を知ったのは、確か同室になって半年くらい…だから今からもちょうど半年くらい前だ。
その日は帰り道に雨が降りそうに雲がどんよりとしていて、そして運の悪いことに近くの練習スタジオじゃなくて、少しだけ離れた練習室でのレッスンだったもんだから、案の定途中から降り始めた雨が本降りになるまでに寮に着けなくて、やっと着いた頃にはもうすっかりと濡れ鼠だった。寮の廊下をボタボタと滴る雫で濡らして歩きながら、ああこれは後で掃除だな…と、随分と面倒になったけど仕方がない。いろんな意味で重い体を部屋まで引きずった。
その時は別に深く考えもせずに、いつも通りドアのカギを開けようとしたら、もう既に開いていて、なんだ沢村がもう帰ってんのか、と同室の彼のことを軽く考えたくらい。鍵を探して開ける手間が省けたと思えば好都合で、ガチャリと部屋のドアを開いた。
部屋に入ると、シャワーの音が聴こえる。部屋の中に濡れたような痕があったから、もしかしたら沢村も俺と同じように雨に降られたのかもしれない。自然とそう考えた。張り付いた衣服は酷く不快で、早くシャワーを浴びてしまいたかったけど仕方がない。冷えてきて少し震えた体に寒さを感じながら、風呂場の近くで沢村が上がるのを待った。普段から烏の行水な沢村は、さほど時間もかからずにシャワーの音が止んで、すると程なくしてカチャリと共に風呂場のドアが開く。沢村、と声をかけるより早く出て来たそいつは、ふんふん上機嫌に鼻歌を歌いながら、あろうことか惜しげもなく全身隠すことなく晒して、頭に小さなタオルだけかけた状態で風呂から出て来た。…まぁ、沢村は俺が帰ってることなんか知らないわけだし、一人だったら分からないでもないけど、その沢村の“秘密”を知った今となっては、あの時の沢村の行動は軽率としか言いようがない。


「さわ、」


むら、と続くはずだった俺の言葉は、視線と共にぴたりと止まる。
聞いたこともない歌を鼻歌で陽気に歌い上げる沢村の声も、同時に止まる。


「え、」


ほかほかと湯気に包まれた体は、ちょっとびっくりするくらい真っ白で、何食ったらそんな細さになるんだってくらい細い腰も、男とは思えないような胴回りで、何より問題だったのは、そのまま降りた視線の先に、本来なら『あるべきもの』がどこにも無かった。
変わりに、上半身にはわずかな二つの膨らみ。肌が真っ白なせいか、そこの部分の薄ピンクだけやけにはっきりと見えた。
沢村の目が、流石に驚いたみたいに見開かれる。その後、しらあー…っとわざとらしく逸らされる黒目。
男子寮で、女の裸体を惜しげもなく晒した沢村は、叫ぶでも隠すでもなく、がっしがっし頭に乗っけたタオルで髪を拭きながら、「あちゃー、バレたかー…。」と、呟くだけだった。


それより何よりとにかく少しは恥じるくらいしたらどうだったんだと、あの時の沢村には今でも言いたい。









あれから、とりあえず俺も風邪ひかねぇようにと、…あとはなんかもう色々と落ち着くために、軽くシャワーを浴びて、上がった頃にはいつも通りちゃんと服着た沢村がベッドに座っていて、ちょっとだけ居心地悪そうに俺を見て笑った。
それから、ベッドの上に正座をした沢村の正面の床に腰を下ろして、沢村を見上げるように視線を上げる。


「…で、」
「う…。」
「どういうことか説明してくれるんだよな?」


さっきまでの大っぴら加減はどこへやら、言葉を探すように沢村の黒目が左右に行ったり来たり。胡坐をかいて肩膝を立てた俺は、そんな沢村の顔を下から覗きこむ。


「……まぁ、見ての通りでありまして…。」
「…お前、女だったの…。」
「…男か女かと言われると、まぁそうなるかなと…。」
「………。」


思わずなんて続けていいか分からなくなる。
そわそわと黙り込む沢村をじっと見ていると、挙動不審に瞳がぐるぐる動く。女。…女。さっき裸を見たといっても、なかなか信じられなかった。そりゃそうだ。だってもう半年くらい、俺はこいつのことを男だと思って接してたんだから。何の疑いも無く。…っつーか、疑う方がおかしいだろ、って。

でも、うつ向き気味の瞳にかかるバサバサに長い睫毛、きゅっと結ばれた紅い唇。こいつが女だって分かったら、確かにどこからどうみても女にしか見えない。顔のパーツの一つ一つ、体の作り、どこをとっても、女のそれだ。なんで今まで気付かなかったのか。不思議に思うくらい、沢村は女の体をしてた。…思えばこんなに分かりやすいのに、同じ部屋で生活してて気付かないって、ちょっと不覚だ。確かにシャツのシルエットはひ弱そうな男の細さに見えなくもないけど、その造形はどう見ても女だってのに。


「……きっかけは些細なことだったんだ。」


巡る俺の思考を遮るように、そう、沢村がぽつりぽつりと口を開く。


「俺、長野のすげぇ田舎の出身で、田舎だから同い年の奴らみんな仲良くてさ…。」
「うん。」
「ガキの頃から男も女も関係なく一緒に混じって野球とかして遊んでたから、口調とか、性格とか…後見た目とか、どんどん男勝りになっちまって…ほら、一人称も、俺、だし。喋り方もこんなだし。」
「…うん。」
「中学卒業するってなっても全然変わんなくてさ…。俺、学ランの方が似合いそうじゃね?とか言ってたら、さすがに親…っつーか主にじいちゃんが心配しだしてですね…。」
「…まぁそりゃ、心配になるかもな…。」
「それで、少しは女らしくなってこい!って言われて、勝手にオーディションに書類出されてさ…。」
「…。」
「なんかわかんねぇけど、書類選考通って…面接受けたら受かっちまって…でもほら、実際ここ入ってみたらさ…男しかいねぇじゃん…。」
「…。」


ああなんかもういろいろと分かった気がする…。


「多分間違いだったんだろうけど…なんかもう後に引けない感じなんで、ちょっくらバレるまでやってみてやろうかと思いまして…。」
「…。」


もじもじする沢村に、かける言葉が見つからない。


「…み、御幸…?」


黙ってる俺に、そうっと声をかけてくる沢村の、伺うみたいな声がやんわりと聴こえる。
視線を上げたら、不安そうに揺れる大粒の目が目に入った。
…男にしてはやけにでけぇ目だと思ってたら、マジで女だったなんて。


「まず、一つ。」
「お、!?お、おう!」


俺の声に、シャンッと沢村の背筋が伸びる。


「…お前の家族、うっかり過ぎ。」
「う…!」
「んで二つ目。…お前もうっかり過ぎ。」
「……でしょーね…。」
「つーか、最初に辞退すりゃよかったじゃん。なんで普通に入寮してんの?なんなの?やってみようかとって…馬鹿なの?」
「うううう…!!」
「間違いがどうとか、事務所的に問題がどうとか、難しい事は置いとくとしても、まずあぶねぇって思わなかったわけ?」
「…?なんで?」
「なんでって…、お前女だろ。」
「そうだけど…。」


それがどうしたと言わんばかりに沢村が不思議そうに首を傾げる。…こいつ、マジか。


「俺の性別、なんだと思ってんの?」
「え?…え?…え…!!ま、まさか、お前も俺と同じ、」
「そんなわけねーだろ。」
「…ですよね。」
「…俺さぁ、男なんだよ?沢村。」
「…うん…?」


そこで首を傾げられる意味が分からないんだけど、なんなの俺が間違ってんの。
いや、絶対違う。間違ってんのは絶対沢村の方だ。

(そういやこいつ、男も女も関係なく育ったってさっき言ってたな…。)

だからといってさすがに危機感が無さ過ぎるんじゃないだろうか。
アイドルの卵ばっかりだっつっても、所詮思春期の男が大量に集まる場所だ。普段のきつい練習や、なかなか出ない成果に鬱憤が溜まってるやつも少なくない。そんな中に、女が紛れこむなんて、どれだけ危険なことなのか、少し考えれば分かるはずだろうに。
でもまぁ、ここ半年一緒に暮らして、沢村の馬鹿さ加減は俺がよく知ってるし、今も頭の上に疑問符浮かべまくって、俺の言いたいことがわかんねぇって阿呆な顔見てれば、そんなこと想像すらしかったんだろうなってことは察しが付く。
危険なんてレベルじゃない。そもそもどうして今までばれなかったのか、本当に不思議でならない。


「…お前、オーディションやったんだよな。」
「…?お、おう…一応…。」
「面接官は?」
「え?」
「面接官。誰がいたか覚えてる?」
「え、えっと、…、えーっと……あ!なんかグラサンの人と…あとすっげぇ美人なカテキョ系のオネーサン!いた!」
「…片岡さんと、礼ちゃんか…。」


社長とリーダーマネージャーが面接して採用されたってことは…。
嫌な想像をして、今度は俺の眉がぎゅっと更に中央に寄った。


「…礼ちゃん辺りぜってぇ気付いてやってんな…。」
「え?」


それで俺の同室に当てて来たってことは、信用されてんのか、それとも試されてんのかどっちだ。
食えないリーダーマネージャーの意地の悪い顔を思い出して自然と恐い顔になっていたのか、沢村が怯えたようにおどおどする。


「…いーえ。こっちの話。」
「…お、怒ってる…?」
「呆れてはいるけど別に怒って無い。」
「…お、俺だって…まずいかなとは思ったんだぜ…?途中何回か、本当のこと言おうと思ったりもしたし…!」
「でも言わなかった、と。」
「だ、だって…。」
「ん?」
「……御幸俺のこと普通に男だと思ってんだもん…。」
「……。」


言い辛いし本気にされなかったら悲しいじゃん、と言われたら、情けないことに返す言葉が無い。


「んで、お前これからどーすんの?」
まさか続けるわけ。


話を変えるようにそう問いかければ、一度首を窓の方に向けて逸らした沢村が、おずおずと口を開く。
その姿は、まるでお伺いを立てる子供のようだ。ベッドの上、シーツを握る手にぎゅっと力が籠ったのが見えた。


「……ほんとは、やめるべき、なんだろうけど…。」


うん。俺もそう思う。
今すぐそうすることを勧める。


「でも俺、最近レッスンとかもすげぇ楽しくて…!歌とかダンスとかもだいぶ良くなってきてて、それで…。」


続く沢村の言葉を、真っ直ぐ見つめながら聞いた。


「我儘だし、迷惑かけんのわかってるけど…。…もうちょっとだけ…、頑張ってみたい…。」


駄目かな…、と、沢村のか細い声が、静かな室内に落ちる。
それを境に、会話が止まる。

もうちょっとだけ頑張る、って。
それで頑張ってどうなんの。だってお前は女で、それは変わらなくて、デビューなんてことになったら更に問題だらけで…っていうか女だってことがばれてもまだここで俺と生活するつもりなの。無理だろそんなの、出来るわけがない。
そもそも、頑張ってお前はどうしたいの。未来も無いのに、なんのために頑張んの。…男の俺だって、先が見えないような世界で。

言いたいことは、沢山あった。
駄目かと言われれば、もちろん答えはイエスだ。


「……ちゃんと、」


俺の言葉に、弾かれたように沢村が顔を上げる。
それを見ながら、ゆっくりと首を、左右に一度振った。


「ちゃんと、“男”が出来るなら。」
「え?」
「最低限きちんと出来るなら、仕方ないからフォローしてやらなくもねーかな。」
「…!」


ぱっと沢村の顔が一気に綻ぶ。
その顔は、どこからどう見ても、年相応の女の顔。


「や、やる!!俺、男になる!!」
「…別に男になる必要はねぇけどさー…。」

いや、あるのか?どうなんだろう。
…っつーか、こいつは男になりてぇわけ?


まぁなんかよくわかんねぇけど。つーか、なんで自分が、そうしようかと思ったのかもわかんねーけど。


「じゃあ改めて、よろしく!な!御幸!!」


そういって差し出された手を思わず握れば、その手が想像以上に柔らかくて温かくて、あれもしかして俺選択肢間違えたかな、とか思ったのは秘密。








(んで、これのどこがちゃんとやれる、なんでしょーか。)


ゴロンゴロンとベッドに寝転がって、瞼を閉じて震わせる沢村の横に立って、腰に手を当てて仁王立ちすること数分。
食堂から帰って来て、そのままベッドにダイブした沢村は、起きるどころかもう完全に睡眠5秒前だ。


「んー…。」
「…だからちゃんと寝ろって言ってんだろ。明日も練習あるんだから。」
「わーぁかって、るってぇ…。」
「わかってねぇよ、馬鹿沢村。」


ったく、仕方ねぇなぁ。

せめて風呂とか着替えとか済ませろと言いながら手を伸ばして、沢村の手を掴んで引っ張り起こす。
勢いそのまま引っ張り込んだ体がぽすんと振って来て、そのままふにゃりと寝ぼけたような沢村が阿呆全開な顔をして笑う。


(…こいつは…。)


無防備すぎだと、何度言えば分かるんだろう。
なんでこの1年、ばれなかったのか、マジである意味ある種のミステリーだ。


「…みゆき…。」
「……。」


舌足らずな声が、俺を呼ぶ。

アイドルになりたいか、なんて今でも正直よくわかんねぇけど。
なれなかったらなれなかったで、まぁそれも仕方ねぇかもとか思ったりするけど。


(でもこいつのことは、もう少し俺が見ててやらねぇと、っていうか。)
…まぁそんな使命感に勝るのは、多分俺の希望なんだろうけど。


今はとりあえずそれには見ないフリをして、信頼しきったように晒されるあどけない寝顔を見ながら、小さくまたため息をついた。






***
happiy birth day !!
いつもお世話になっている、紫桜三咲様に捧げます。
沢山の感謝と、愛をこめて(´∀`*)!

これからも宜しくお願いします!
沢山幸せがありますように。



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