夢現恋戯 |
*年齢逆転 バツ1沢村 朝の目覚めは、耳障りな携帯の着信音。 「…んん…、」 夢の中まで浸食してきた不快な電子音に意識を引きずられ、ゴロリと寝返りを打つ。そのまま全重力が圧し掛かっているかのように重たい腕を動かせば、それに合わせて引きずったシーツの衣擦れの音が煩い。購入時から弄っていないのだろうか。部屋中に響くのは、携帯に元々内蔵されている着信音1。あまりにも典型的な電話を告げるコール音は、目覚ましとしては相当不愉快で。朝を妨げる騒音を一刻も早く止めようと懸命に手を伸ばして枕元を弄って、目を擦りながら手に取った携帯を見る。…ものの、けれどそれは静かに沈黙したままだった。 (あれ…俺のじゃねぇわ…。) 掴んだ携帯をぽいっとそのまま乱雑に放り投げると、ガンッと少し尋常じゃない音がしたけれど、気にしない。枕元じゃなくて床にでも落ちたのか、はたまたベッドのヘッドボードにでもぶつかったのか。 確認するのも面倒で、とりあえず音の原因を探るべく伸ばした腕が、今度は先ほどの携帯のような無機質なものではなく、柔らかい何かにぶつかった。 「…あー…、まだ居たのか…。」 珍しい。 動かした腕がぶつかった先に目線だけ向けると、沢村さんがまだスヤスヤと寝息を立てて眠っていた。 それはもう気持ちよさそうな顔で(どうしてこれだけの大音量を気にも留めずに眠れるのか、ただただ不思議で仕方がないが)、布団から出たむき出しの肩を上下させながら、時折唸るように布団を引っ張る。性格は犬みたいなのに、その様子はまるで猫だ、と少しだけ苦笑した。 年の割にいつまでもあどけない寝顔を見てしまえば、起こすのも忍びないという気持ちすら生まれるけれど、未だしつこいくらい鳴り続ける電話のコール音にそんな意識は掻き消されてしまう。 「沢村さん、携帯、携帯鳴ってる。」 「んあー…?」 「携帯。煩いから、切ってください。」 ゆさゆさと肩を揺らせば、返ってきたのは、言葉なのかそれとも漏れた吐息なのか分からないようなぼんやりとした返答。 逃げるように布団を頭まで被ろうとする手を、少しだけ体を起こして引きとめる。 「取ってー…。」 起こされたことが不満なのか、どこか不愉快そうな声でこちらも見ずにそう告げられた。(不愉快というか、面倒くさそうというのか。大体まずこれはアンタの電話だろう、と言わないし、言えないけども。)仕方なく寝ている沢村さんの頭の上を通り越して、その先にあった充電器に繋がったままの携帯を取り上げた。それはやっぱり未だコールが鳴り響いていて、どれだけの音量に設定しているのか、有り余るほど存在を主張する着信音に眉を寄せた。 「はい、」 「誰…?」 「知りませんよ。見たらどうですか。」 「見て…。」 「やりたい放題…。」 ため息を一つついて、手に持っていた携帯のサブディスプレイに表示されている名前を目で追う。 その文字を見た瞬間に、今までだって十分に苛々していたそれが更に明確に形を持った。 いっそ切ってしまおうかというくらいに、沸々と感情が沸き上がって来るのをどうにかポーカーフェイスの裏に隠して、誤魔化すように小さく咳払いを咥内で飲み込む。 「…ほら、元嫁さん、から。」 差し出した携帯が手の中で鳴り続ける。 煩ぇの、いつまでコールしてんだよ、いい加減諦めろよ、つーか今何時だと思ってんだよ。…そんなどす黒い感情が渦巻く自分にどうしようもなく嫌悪を抱きつつも、それが声に出ないように努めて冷静な声音で声をかけたつもりだけれど、果たしてどうなのか。 寝起きだから、という言葉で纏められる程度だったらいいんだけども。 「後でいい…切って…。」 「いいんですか。」 「まぁ…、今は…。」 「出ればいいのに。」 煮え切らない返事。少しずつ沢村さんも目が覚めてきているのか、さっきまでのどこか夢うつつな言葉とは違って、はっきりとした返答が返って来るようになると同時に、横に寝ていた沢村さんの口から小さく吐息が漏れた。 目が覚めてきているんだろうとは思うけれど、覗き見た顔はまだ目が閉じられたままだった。 まだ眠いのか、…それとも開けたくないのか。 (まぁ多分、後者だろうな。) こういうところ、この人はずるいから。 見たくないものを見ないようにして。…まぁそれは俺も変わらないわけだけど。 「…ふう、ん…出ても、いいわけ…?」 「いいもなにも、俺に止める権利なんか無いんで。」 挑戦的な言葉に、少しだけムッとして棘のある声音で返せば、ふふ、と小さく笑われた。 完璧な子供扱い。これが沢村さんでなければ、多分キレてるな、とどこか冷静に思った。 「後で、いいよ…。」 そういって伸びてきたしなやかな腕が、俺の手から携帯を奪い去る。 開いた携帯の画面を、いつの間に開いていたのか、その深い黒の瞳に映して、そのまま躊躇いもなくプチッと電源ボタンを押した。 すると今まで部屋の中に煩く響いていた電子音がいとも簡単に途絶えて、画面は見えなかったけれど、サブ画面すら真っ黒になったのが分かって電源すら切ってしまったのだと悟る。 そうすれば再び戻ってきたのは、ポツリとした静寂。 「今はね、…御幸といるから、いいんだよ。」 ふわふわと、その妙に触り心地のいい髪の毛と同じような顔と、声で、そんなことを言う。 さっきの俺と同じように、携帯を放り投げた沢村さんの手が、今度は真っ直ぐ俺の方に伸びてきて、サラリと頬を撫でた。「起こして悪かったな、」そんなことを言って笑うから。さっきまであんなに不機嫌そうだったのに、この人って、本当に。 「…沢村さん、アンタってマジでズルい。」 後でいい、なんて。 まるで俺のことを気遣って優しさでも見せているような、言葉。 けれどその言葉の本質は、全然違うところにある。優しさなんてどこにもない。だって沢村さんは、知っている。 (俺が、アンタに俺の知らない世界があることを怖がってる、って、) なのに沢村さんは、隠そうとする。 俺から、アンタの世界を。見えないように、――見せないように。 「何が、ずるい?」 「なぁ…沢村さん、抱いてもいい?」 「話繋がって、ねーし。」 放り投げた携帯が、そのまま壊れてしまっていたらいいのに。 周りとの連絡手段が全部無くなって、俺とだけ繋がっていてくれたら、いいのに。 (そんなの無理無理。…この人の周りはいつだっていろんなヤツで溢れてんだから。そんな人なんだし。) 叶わぬ願いを抱えながら、だからどうか、せめてあと数時間だけは貴方のことを独占出来るように、今日もまた俺はその肌に手を伸ばす。 「駄目だよ、」 「それは、聞けない。」 「…やりたい放題だなぁ。」 「そんなこと、」 あんたに言われたく、ないって。 ふはは、 沢村さんはそんな笑い声で、俺の不機嫌を吹き飛ばそうとする。 「いいぜ、…来いよ、御幸。」 そういって伸ばされた腕を強く弾いて、胸の中に誘い込む。そのまま白いシーツに押し倒したら、ハラリと散った黒を、見慣れているはずなのにやっぱり綺麗だ、と思う。 「沢村さん、俺はね、アンタが、」 心と共に震える声は、最後まで音になることなく、重なった唇を通してコクンと沢村さんが呑み下して、消えた。 触れた肌を通して感じる熱も、薄っぺらい言葉も全部。すぐに離れていく虚しいものだと分かっていても、それでも物理的に繋がることしか出来ない俺はやっぱり子供なんだろう。けど。 (愛なんてそんな不確かなものじゃもう、この人は手に入らない。) だから今夜も、アンタとするのは、中身のない愛しかないセックスごっこ。 [←] |