人間美人 | ナノ

人間美人


*年齢逆転



運動部の縦社会。
まぁ、運動部じゃなくてもそんなものどこにだってあるんだろうけど。
先輩の命令は絶対。例えそれが理不尽であれ何であれ、たった一年やそこら早く生まれたってだけで下のやつらはそれに従わないといけない。
確かに学校みたいな、同じような年齢の人間が何人も同じ空間に押し込められるような特殊な環境では、そういう差別化は多少なりとも必要だということは分かる。それは時に理性となって、時に模範となって、そして時に規律になる。それは、分かる。
けれど、その差別化に人の感情が介入するとなると、それは突然違った意味を含有することになるのだ。
ずれた眼鏡を直しながら、御幸は一つ息を吐いた。
ふう、吐きだした勢いで少しだけ腹部が痛んだ。


御幸一也、という人間は、それはもう物心ついた頃から、なぜか周りに作らなくてもいい敵を多く作って生きて来た。…と自分でも思っているし感じてもいる。
元々は平和主義者の気すらあると自負している御幸ではあるものの、なぜか周りはそう思ってくれないのが不思議でたまらないのだけれど、まぁそれは御幸の性格に所以するところがあるということにも本人は気付いていない。
小学生のころは、近所の少年野球チームで大喧嘩をかまし、中学の頃は先輩たちからの洗礼を受け(まぁそのどちらも、御幸の性格にプラスアルファして、妬みという思春期には避けて通れない感情が上乗せさせられてもいるのだけれど)その上高校でもまた中学の二の舞。学習しねぇなぁ、そんなことを思いながら自嘲気味に笑ったら、少し切れた口の端が痛んだ。
結局どれだけ環境が変わっても状況が変わらないのは、やはり自分のせいなんだろうか、と御幸は重たい体を持ち上げ、自然と体を預けていたフェンスから離れて重い腰を上げた。


今日はオフ日だったはずだから、部活に遅れる心配はない。
まぁ逆に、何があっても自分がこんな目に合ってるということを誰にも知られないということでもあるのだけれど。多分“先輩方”もそれを考えての今日だったんだろう。
それにしても、さっきのは野球部の人間だけだっただろうか。見たこともない顔がたくさんいた気がするのだけれど、もしかしたら部外者も混ざっていたのかもしれない。
1年で、下手に目立つ御幸の存在を疎ましく思っている人間は大勢居る。しかしそれがまったく気にならない自分もどうなのだろうか。呼び出された裏庭(今時裏庭かよ、とその古風さに逆に笑った。)を後にしながら心の中で笑う。

(慣れってやつは怖いものだよなぁ…。)

校舎に戻ればさすがに放課後といえどもまだ人がいて、行き交う人が御幸の姿を目にすると、少しぎょっとしたように目を見開いた。
けれど誰一人として声をかけようとはしない。確かに、全体的にボロボロで、口の端からは血すら流しているような状態の人間に声をかける物好きなんて、早々居ないだろう。
いかにも何かありました、と全身で主張する最中、関わりたいと思う人間なんて。


「あれ?御幸!?」


…、否、訂正。

確かにいない。そう簡単にはいないだろう。
が、それはこの人を除いて、だ。


「…沢村センパイ。」
「何やってんだー?お前がこんな時間まで校舎にいんの珍しいな!」
「それはこっちのセリフです。何やってんすか。…そんなに缶ジュース抱えて。」


小さい腕に収まりきらないほどの缶に埋もれて登場したのは、同じ野球部の沢村栄純だった。
その姿に一瞬あっけにとられた後、一歩彼に近づく。すると、たくさんの缶に埋もれた彼は少しだけ首を傾げて、へらりと穏やかに顔を緩めて笑った。


「俺?俺は買い出し!」
「買い出し?…一人で?誰の、…すか?」
「質問多いなー…。…誰っていうか、一年の。」
「は?…なんで沢村センパイが1年の買い出しなんて…。」
「え?なんでって…、…頼まれたから?」


きょとん。
まさしくそんな擬音がふさわしい様子で目を丸くした沢村に、御幸は内心で大きなため息をついた。
頼まれたから?って、なんだそれ。先ほどまで部活の縦社会について一人頭を悩ませていた自分がバカみたいじゃないか。
けれど問われた本人である沢村は、なぜ御幸がそんなことを聞いて来るのか分からないといった様子で頭に疑問を浮かべながら首をひねるだけ。
そしてたまにバランスを崩して手からこぼれそうになる缶ジュースを抱え直しながら、「どうしたんだよ、御幸?」なんてことを言ってのけるのだ、この人は。


「…沢村センパイ、俺の分のジュースも買って来て下さい。」
「は!?え?だって俺、今…。」
「これは俺が持っていきますから。…ね?」
「お、重いぞ…?」
「沢村センパイだって持ってるじゃないっすか。」

(まぁそもそも、…別に落としたって罪悪感のひとつも沸かねぇんだけど。)


そんなことを口に出すほどバカではない。とりあえずニコニコと人当たりのいい笑みを浮かべて、どこかいぶかしむ様にじっと睨んでくる沢村センパイに両手を差し出す。
探るような視線を感じるけれど、気にせず手を差し伸べていたら漸くそろそろと窺うようにしながらも荷物を渡してくれた。


「お前何がいいの?」
「あ、じゃあコーヒーで。」
「…可愛くねぇ注文。」


荷物を全て御幸に預けながら、最後に残ったコーラを一番上に乗っけた沢村がぽつりと呟くけれども、手に移った重さを抱え直して肩をすくめる御幸はただ小さく口の端に弧を描くだけだった。
少し後ろ髪引かれるような様子で来た道を戻っていく沢村に心の中で手を振りながら、そういえばさっきまで全身が痛かったはずなのに、すっかり忘れていたことに御幸が気付いたのは、既にその背中が廊下の端に消えてしまってからだった。







まったく、放課後の教室というのはどうしてこんなに無駄に声が通るんだろうか。
それは建物自体に人が減るせいではあるのだけれど、あまりにも大きな笑い声とそれに負けないくらい大きな声で繰り広げられる低次元な会話に、一瞬このまま帰ろうかと頭を過ったが、そんなことをしたら何か言われるのは自分ではなくてあの先輩だということに気付いて思い留まる。
自分に気分屋の気があるのは自覚済みな御幸ではあるが、今回それはお呼びではないのだ。


「沢村センパイってさぁ…。」


けれど、薄い扉一枚挟んだところから聞こえてきた言葉に先ほどまで一緒だった先輩の名前を聞きとれば、手が使えないからと足をかけた扉を開くを躊躇した。


「マジで、チョロいよなぁ。あの人。」
「ほんとほんと。いっつもパシられてんの、気付いてねーみたいだし。」
「他の先輩にもいっつもからかわれてるしさぁ。」
「だってあの人先輩って感じしねぇじゃん?」


(…なんだ、それ?)

この場所に持って行けと指定したのは沢村本人であったのだから、この先にいるのは今抱えている重い缶ジュースの山を届けるはずの人物であるのは間違いないだろう。
つまりこんな会話を繰り広げている奴らのために、あの先輩は小さな体で校内を駆け回っていたわけで…、そう思えば、ズシッ、と手の中の重さが更に増したように感じた。


「行動通りの、バカっていうか、便利っていうか、さぁ。」


(…ふざけんな、お前らに沢村センパイの何が分かんだよ。)


言葉と同時に響いた甲高い笑い声に胸と耳に嫌な不快感が過って、先ほど感じたものと同じ感情が今度はしっかりとザラリと御幸の心の中に嫌なものを落としていった。


ガラッ


勢いに任せてドアを足で蹴りつけるように開けたら、まるでドアが吹き飛んでしまうかのような音が響いて、一瞬で賑やかだった声が拡散した。御幸、誰かが自分の名前を呼ぶのが聞こえたけれど、外からは読み取れない渦巻いた熱で辺りがすっかり見えなくなっている御幸にそんな小さな蚊の鳴くような囁きなど聞こえるはずがない。


「これ、沢村センパイから。」


筋肉の動きで顔が笑みの形をかたどっているのは分かるけれど、視線の先で机に座ったり各々自由に教室に散らばったりしていた数人の同級生がまったくもって反応を返してくれない辺り、きちんと笑えてはいないのだろうな、とどこか遠くの方で思った。
最寄りの机に、重かった缶を全て下ろして、そのまますぐに部屋を後にする。御幸、誰かがもう一度そう自分を読んだ。


「あ、あの、…っ、さっきのは、沢村センパイ、に…、!」


縋るような声が背中を追ってくる。振り払ってしまってもよかったが、それすら億劫だった。


「…はぁ?何のこと?」


ヒラヒラ手を振って教室から出れば、御幸が教室を出ると同時に空気の緊張が切れた気配がして、御幸は小さく舌打ちをした。ああやっぱり少しくらい怖がらせておけばよかったか、と。今更もう遅いのだけれど。


さて、そういえば自分が再び買いに走らせた件の先輩がそろそろ戻ってくるだろうか…と少し歩いて廊下の窓に背もたれながら思えば、やはりというかちょうどいいタイミングで足音が聞こえてきた。
その音はだんだんと近くなって、やがて御幸の前で止まった。


「み、ゆき!」


ゼェゼェと全身で息をしながら左手に缶コーヒー一本握ってぐったりとする姿に、先ほどまでの荒んだ気持ちが一気に浄化していくみたいにふっと御幸の顔に笑みが浮かぶ。
そんなに全力疾走しなくてもよかったのに、とそんな姿を見てまず最初にそう思った。(誰も急げとは言わなかったと思うんだけども。走るのが好きなのはこの人の本質なのだろうか。)


「おかえりなさい、センパイ。」
「お前…センパイに飲み物買いに走らせんなよな…っ、」
「え、今更ですか?」
「今更だけど!」


あまりに当たり前のことを切らせた息と息の間に言われた御幸は、ただただ呆然とするしかない。なんだ、買いに走らされているという認識はあったのかと失礼なことを考えること一つ。

肩が上下して全身で息を整える様子をじっと静かに見つめながら、御幸は何をするでもなくただその自分より少し小さな体を見下ろした。まだまだ成長途中なんだと主張する先輩だが、少なくとも御幸が沢村と出会ってからの数カ月で彼との距離が縮まることはないから、もしかしたら彼の成長期はそろそろ止まってしまったのではないだろうか。…などと言ったら多分大声で怒鳴られるだろうから自重しておくけれど。


少しすればやっと落ち着いてきたのか、沢村がふうっと大きく叫んで少し前のめりだった体をピンと伸ばした。
それからやっと、持っていた缶を御幸の方に差し出しては、んっ、とぶっきらぼうに声をかけながら手渡す。それをゆっくりと受け取った御幸は小さく微笑んで、ぎゅっとその缶を握りしめた。


「…あれ?…あったかい。」


握った缶から感じたじわりとした温もり。確かホットで、なんて注文はつけなかったはず。不思議に思って沢村の方を見れば、ポリポリと頬を掻きながら笑う彼の姿。


「あー…、…だってお前、今冷たいモン飲んだら痛そうだし…。」


(あ、)


言われてから、そういえば全身傷だらけだったということを再び思い出した御幸は、小さくその顔に苦笑を浮かべた。すっかり忘れていたといえば、驚いたように沢村が目を見開いたから、再び苦笑を浮かべるしかなかった。
それにしてもこの人は、先ほどまで何もそのことについて触れなかったというのに、なんだ気付いていたのか。てっきり気付かれていないものだとばかり思っていたから、それは少し意外だった。


「…ありがとう、ございます。」


だから素直にお礼を述べたのだけれど、すると失礼にも、お前が素直だとなんか気持ち悪ぃな!なんて言葉が返ってきた。…本当に失礼だとしか言いようがないだろう、これ。
反論のひとつでもしようかと思ったけれど、その前に御幸のその言葉は、沢村によって遮られた。


「…俺のほうこそ、サンキュ、なー。」


へらり。
間抜け、という言葉がそのまま形になったみたいな顔で笑う沢村に、ざわりと御幸の胸に嫌なざわめきが戻ってきた。


(…もしかしてこの人、さっきの聞いて…?)


そのお礼が、はたして荷物を肩代わりしたことに対してのお礼なのか、それとも違うことに対してなのか。…荷物持ちの代わりにコーヒーを買いに走らせたのは紛れもなく御幸だし、例え沢村であっても、「パシらせてくれてありがとう。」なんていうほど仏の心は持っていないはず。
だからこれは多分、いや間違いなくそうだろう。


何も言えない御幸に、沢村が一歩近寄って手を伸ばす。そのままガシガシと乱暴に髪をなでられて、危うく眼鏡が落ちるかと思った。
けれど文句は言わない。変わりに御幸の視線がどこか照れくさそうに地面に落ちるだけだった。


「お前っていいヤツだよなー。」
「…そんなこと言うの、先輩くらい、っすよ…。」
「うん、だってお前生意気だもん。」
「…それはよくいわれます。…センパイは、…なんていうか、…バカですよね。」
「俺もそれはよく言われる。つーか先輩にバカって言うなよな!」
「でも、…優しい。」
「…っ、」


ビクッと御幸の頭を撫でる沢村の手が一瞬震えて止まった。


「沢村先輩は、優しい。」


(そうだ、便利とかそういうんじゃねぇんだよ、この人は誰よりも優しいだけ。そしてそれが素で出来るだけ。…見る目ねぇな、お前ら。)


心の中でそう同級を笑う御幸に、それと同時に沢村が先ほどまでと同じくへらりと顔に笑みを浮かべて嬉しそうに声を弾ませた。


「俺にそんなこと言うのも、御幸くらいだ!」


じわり。
…握った缶コーヒーから移ってきた熱は、どうやら当分冷めそうになかった。





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