さて、勝者はどっち? |
「例えば人生を1冊の本に収めてしまうとしたら、俺とお前が過ごした時間って一体何ページ分になるんだろ。」 そんなことを突然隣に座ってゲームをしていたはずの沢村が言い出したのと同時に、追っていた数字の羅列と思考の渦から引き戻された御幸は、今まで静かだった空間を破いたその言葉に、「いきなり何なの、」と至極当然な質問を投げかけた。それに対して再び沢村の口から紡がれるのは、だから、という接続詞に繋げられて先ほど聞こえたのとほぼ同じ言葉。ただ御幸が求めているのはそういう意味の「何」ではなかったので、問いかけではなく目的への疑問なのだと返せば、あからさまに面倒くさそうに沢村の顔が歪んだ。ちょっと待て、今のやり取りのどこに自分に落ち度があったのか。対した御幸も少し面倒くさそうに、いつも以上に空間を震わせて少々大げさに本を閉じた。 「なに、なんかの哲学?」 「…?てつがく?」 問いかけてやったら、沢村は髪の毛がさらさらと半分重力に従って流れるくらいまで大きく首を揺らして瞳を見開く。その様子は酷く庇護欲を掻きたてられるさながら小動物のようだったけれど、残念ながら御幸の目には唯の手のかかる子供のイメージしか重ならなかった。呟かれた平仮名を受け止めることなく受け流せば、それはふわり空中に浮遊し、落ちる。 「…悪い、今の忘れて。」 「なんだよ…その、バカだなって思ってそうな顔!」 「いや、思ってそうっていうか実際思ってるんです。」 「きっぱり言う!?」 「いいじゃん、バカな子ほど、可愛い。」 半分誤魔化すために言った軽口のようなものだったけれど、その言葉に案の定沢村は大きく口を開いて絶句して、そのままその顔は真っ赤なトマトみたいに熟れ上がった。今時の高校生としてはいささか純情すぎる反応に内心苦笑を隠せない御幸だけれど、こういうところも彼の魅力のうちの一つだと思っているので、どうこう言うことは出来なくて、どうしようもない。 可愛い、という言葉を否定するように首を左右に大きく振った沢村が、うっせーなバカ御幸、と可愛げのない言葉を返してくるのを聞きながら、閉じた本を手持無沙汰にゆっくりと指先でなぞった。 「…御幸はなんでそんな恥ずかしいことばっかりポンポン言うんだ…。」 「恥ずかしい?普通だろ。」 「普通じゃねぇよ!!」 「少なくとも、俺にとっては普通。」 「…それが普通じゃねぇって何よりの証拠だ。」 「んだよソレ。しつれーなやつー。」 膨れる沢村の顔が耳まで真っ赤なのは目に見えて分かることだったので、御幸はただクスクスと笑みを零すことしか出来なかった。それが沢村の機嫌を更に損ねることだと分かってはいるけれど、拗ねた顔だって可愛い、と思う自分はもう末期なんだろうと思ったりもして。 (バカな子ほどかわいいっつーか、バカな沢村ほど可愛い?…俺基本手のかかる子供は得意な方じゃなかったんだけどなー。) 御幸、と不機嫌そうな声が名前を呼ぶ。 その顔に、もっとからかってからかい倒してやりたいなんていう邪な欲求が心の底から湧いてくるのを感じたけれど、それはまた次の機会にしようと結論付けて、ゆっくりと腰を持ち上げて沢村の方に近づいたら、一瞬だけその体が驚いたように少しだけ跳ねた。 「な、なんだよ…?」 「沢村は、何ページだと思うの?」 「は?」 「だから、さっきの。本のページ。」 「あー…、……なんか、……、少ねぇかな、って…。」 「少ない?」 「だって、もし1年が1ページだとしたら、そのうちの17分の1しかねぇんだぜ?…お前の、時間。」 ぼそり、ぼそり、と歯切れ悪く呟かれる言葉に込められている意味を、果たしてこの目の前の男は理解してるんだろうか。否、無理だろうな、と思う。 (だってそれって、少なくともお前のこの1年は俺で埋まってるって、…そう言ってるってとってもいいわけだろ?) バカだなぁ、と、心の中だけで呟いた。 そんなんだから、俺みたいな悪い男に捕まってしまうんだと、…そんなことまぁ、思ってても言わないけれど。 「…お前って本当にバカだよな。」 訝しげに眼に見えて顔を歪める沢村の顔を少しだけ見下ろしながら、微笑んだ御幸の表情は、沢村的表現を用いて言うと、「最高に胡散臭くて意地悪な顔」で。 「とりあえず、残りの白紙の人生は全部俺で埋まる予定だからまぁ、そんな細かいところは気にしなくていいんじゃねぇの?」 「…は、」 「だから、終わるころには、17分の1どころか100分の83くらいになってんじゃね、ってこと。」 我ながら、プロポーズかよ、とつっこまずには居られなくなったけど、果たしてさぁこの鈍感を具現化したような沢村に一体どこまで通じるのか。若干心配になったものの、抜けに口をぽかんとあけた沢村の顔が、首からじわじわと赤く染まりながら小さく体を揺らすから。ニヤリ、と御幸は口角を上げて。その数十秒後に、先ほどより更に顔を真っ赤にさせて大声を張り上げるであろう沢村に備えるため、ゆっくり耳に手を当てて一歩だけ距離を取ることを、再優先にした。 「ほーんと、バカな子ほど可愛いもんだよな。」 その声に重なるように叫んだ沢村の顔があまりにも可愛かったので、その沢村の言う本とやらの一ページにこの表情も乗っけて置いて欲しいもんだなと心の中で密かに思って笑う御幸の心の内は、目の前の沢村だって、知らない。 [←] |