賞味期限切れの恋 |
*金丸×東条 予測出来ないからこそ人生は面白いのだというけれど、それでも何が起こるか分からない未知数な日々の中生きるのは、面白さ云々よりやっぱり不安の方が大きくなるもんじゃないか? 人生ただでさえアトランダムに幸も不幸も踏みつけることがあるってのに、そんな人生の中で大博打打てるほど俺はチャレンジャーじゃねぇよ。 俺の人生、堅実がウリでやってきてんだ。博打とかそういう、一発で人生良い方にも悪い方にも180度変えちまうようなコトを起こすのは、そういう星の下に生まれて来た人間だけがしてればいい。そうだろ? 「…語るねぇ。サラリーマン。」 クスクスと、軽い笑みが俺の重たい独り言のようなぼやきを掻き消す。 シンと静まり返った室内に、ここに帰宅したばかりの空気と同じくらい低温な東条の声はやけにはっきり響いて、俺はピタリと開いていた口を止めた。 「語ってるつもりはねーんだけど。」 「いやいや、充分語り口調だって。…信二って酔うと悟り開くタイプだったんだ。ちょっと意外。」 楽しそうに、銀色の缶に室内灯を反射させながら東条が笑う。手に持ったその缶の中で、たぷんたぷんと中身が揺れる。 周りに散らばるのはもう既に何本も開けたビールの空き缶。つまみの袋と共に散乱するそれらは少しずつサークルを形成していって、飲み始めて数時間経ったら既に立派な銀の山と化していた。 それに、随分安い、銀山だと笑う自分は確かに既に酔いが良い感じに回ってるんだろう。 いつも自分が暮らしてる部屋だっていうのに、いつもより部屋の中がぼんやりと橙に染まって見える。膝を立てて、その膝うの上に肘をついて床に座る。ずっとその体勢だったからか、既に膝頭は少し感覚が無い。 そんな俺と向かい合わせに、同じように床に座る東条の指が、ひょいっと間に置かれたテーブルの上に伸びる。それからまた左手の缶を口に運ぶ。空き缶の銀山を形成しているのは主に俺じゃ無くて、こんな調子で一人平然とした顔で飲み続ける東条だ。早々に顔に出る俺に比べて、未だ涼しそうに何本目か知らないビールを煽る。 「お前はザルかよ…。」 「んー?違うと思うんだけどなぁ。ある程度飲めばそれなりに酔うよ。」 「…そりゃあ張り合いなくて悪かったな。」 「いや、信二には最初からあんまり期待してなかったし別にいいけど。」 「…………。」 「うっそだって。実は予想以上に飲めるクチでちょっとそれも意外だった。」 「お前は俺にどんなイメージ抱いてんだ…。」 アルコール臭の混ざる息を深く深く吐き出せば、それを飛散させるような東条の軽い笑い声が響く。 エアコンの少し耳に着く音と、安アパートの薄い窓の外で鳴る室外機の音を薄らとしたBGMに、冬の夜の時間が流れて行くのに、妙な違和感を覚える。 (…声も顔もあんま変わんねぇコイツと酒飲みしてるからか?) それこそ大学時代から、宅飲みなんて腐るほど経験してきたけれど、こんな風に何だかむずがゆくなる空気は初めてだ。 顔こそほんの僅かに年を感じるとはいえ、それでも声も顔も高校時代の青臭い頃とあまり変わらない相手と交わす酌。こんな風に酒を飲む日が来るなんて、あの頃は想像すらしなかっただろう時間。 特に東条とは随分と付き合いも長いからきっとなおさら。…まぁでも今では、会わなくなってからの時間も相当長いが。 「信二はさー…。」 ビールの缶を煽った東条の喉が音を立てて、そこを流し込まれた液体が通っていくのが見えた。 「……変わらないよなぁ。」 「…そうか?」 「うん。言動ちょっと老けたけど。」 「そりゃ、日本の荒波にもまれるサラリーマンの端くれだからな。」 「それを言うなら俺もだよ。」 (そういうお前も、) 変わらないよな、と呟く代わりに俺もまたビールを一口、口に含んだ。少し温くなったそれは、舌の上に苦味だけを残していく。 冷たくもなんともないビールほど不味いものは無い。どれだけゆっくり飲んでるんだと笑うしかなかった。そんな内心の自嘲を一人で吐き捨てている俺の名前を、信二、と、あの頃と同じトーンで東条が呼ぶ。 「…なんだよ。」 「飲み過ぎじゃね?明日に響くぞ、それ。」 「別に…。休みだし。」 「体に悪い飲み方してんなー。学生みたい。」 「うるせーよ…。」 滅多にこんな風に見境なく酒に飲まれたりはしないんだけれど、今日は不思議とそうしたい気分だった。 古い友人に会うと妙に感傷的になっていけない。視界は鈍くなるのに、感覚だけは鋭くなるもんだから、室外機の音がいつもより気になるのもいけない。東条の声が近いのか遠いのかも曖昧になる。 そんな俺を見て、東条が笑う。 昔の記憶と同じ顔をして、笑う。 それをみるとなぜだか、たまらない気持ちになる。 「馬鹿だなぁ、信二。」 今日何度呼ばれたか分からない名前を、東条が口にする。そういえば社会に出てから、下の名前で呼ばれる事も少なくなった。そんなことに、なぜか今気付く。冷静なのか、酔ってるのかよく分からない。 「何がだよ…。」 「んー…。……全部?」 「…全部か。」 「そう、全部。」 「全部…。」 「そう、…全部馬鹿。昔から大馬鹿。呆れるくらい、馬鹿。」 そんなに馬鹿馬鹿言われるのは心外だ。どこかの誰かじゃあるまいし。 「………馬鹿信二。」 東条の声が妙に近くに聞こえる気がする。だけどさっきから感覚自体が鈍いから、それが本当にそうなのかどうか良く分からない。 握っていた缶が手をするりとすり抜けて、冷たい床に落ちる。中身が残り少なかったからか、大きな音が響く。全身の感覚は鈍いものの、目を見開いている感覚だけは、はっきりと分かった。 何がだよ、って呟いた言葉はが声にならなかったのは既に酒焼けした喉が狭くなって張り付いていたせいだ。 「…そっか。」 何がそう馬鹿馬鹿言われるのか分かんねーけども。 どこから来たのか分からないぼんやりとした後悔をかき消すように、低い機械音だけが虚しく落ちる。 (なぁ、) もしかしたら俺は、お前の事が好きだったのかもしれない。 それで、もしかしたら、 …なんて、そんなこと。 苦味だけが残る喉からやっぱり声は出ることなく、友人の顔した目の前の男から目を逸らすことしか出来なかった。 それは賞味期限切れの恋 [←] |