ジレンマ | ナノ

ジレンマ01


*プロ×大学生



世間一般で言う恋人ってものが、常に一緒に居るような存在のこと言うのなら、俺とあいつの関係を恋人だなんて言えないんだろうな、と思う。


「なぁなぁ昨日の試合見たか?」
「見た見た!御幸だろ。アイツ、今シーズンいつもに増してヤバくね?誰だよ、打撃不調とか抜かしやがってたヤツ!」
「ばっか、それお前だろ!!」
「はぁ!?ちげぇし、俺はそんな見る目なくねーよ!」


ケラケラと、楽しそうなチームメイトの声が背中から追いかけてくる。その声を背中で受け止めながら、ギシッと小さく音を立てて開いたロッカーからタオルを取り出して軽く頭を拭けば、バサッと勢いよくユニフォームを脱ぎ捨てた。すっかり汚れた練習用のユニフォームを軽く叩いてハンガーにかければ、そのままインナーも新しいものに変えて、さっきのタオルを首にかけながらロッカーの奥に押し込んでいた携帯を取り出す。するとそれは小さくチカチカと明かりをともしてメッセージの到着を告げていた。予想通り、サブディスプレイには着信アリと、メールを告げるメッセージが1つずつ。それをゆっくり開けば、そこにはまたもや予想した通りの名前が表示してあって、小さく息を吐けばカチッと携帯を操作してメールを開いた。


「あ、お前もう帰んの?」


さっきまで後ろで会話をしていた声の1つに振り向けば、曖昧な笑みを一つ浮かべながらもコクリと頷く。


「早く帰んねーと、食欲旺盛な1年に食いもん全部食いつくされちまうだろ。」


そう言えば、それもそうか、と納得したような声が聞こえて、ガタガタと何人かが動く音がした。どうやらみんなも帰ることに決めたらしい。


「そういやお前は見てねぇの?昨日の試合。すごかったぜー。御幸一也。」


聞こえた名前に、一瞬ドキリとしたのは表情の後ろに隠して、ゆっくりと汗で少し湿った髪の毛をぶるりと震わせて首を左右に振る。


「見てねーな。」


パタン。
そのまま携帯を閉じて、ロッカーにしまっていた最低限の荷物を掴むと、俺はそのまま部室を後にした。



『沢村、今日会えない?』



いつも画面の中でしか見ない男からの一通のメール。







テレビ越しの逢瀬ばかりの俺の恋人は、プロ野球選手だ。


















高校卒業と同時に、俺はセレクションで大学への進学を選択した。

プロって選択肢も無くは無かったけど…いろいろと考えた末に、大学にいって野球をすることを決めて、長野には帰らずにそのまま都内の私立大学に入学して、生活能力の低い俺を心配した親の勧めもあって、大学も野球部寮に入ることになったのが今から3年前の話。
高校時代も寮生活だったこともあって、別段何か不便を感じることもなく、既に自分の家みたいになってるくらい寮の居心地は悪くなく、良い後輩にも先輩にも恵まれて、最良の環境で野球に専念することが出来た。

学業の方も…高校時代よりはギリギリちょっと手前くらいの成績をキープし続けて、なんとか留年の危機も無く…気付けばここでの生活も3年が過ぎて、大学野球の生活も既に折り返して後半を殆ど過ぎ去ってることに気付いた。ああ早かったなぁ、なんてしみじみ思うくらいには月日はあっという間で、光のように流れていった10代を懐かしむくらい気付けば時間が経っていた。
大学に入ってまで寮とか辛くね?なんて周りの声に首を傾げるくらい、日々とても順風満帆な生活に不満なんて一つもなくて――敢えていうなら、たまに提出する外泊届けの理由にいつも困ったくらい。けど最初こそからかわれはしたものの。何度も繰り返すうちにみんなあんまり何も言わなくなって、その辺は高校生とは違うんだなって思ったもんだ。

そんな俺を今悩ませてるのは、音信不通だった恋人からの突然のメール。


(…忙しいんだろうな、とは思ってたけど、突然メールしてきてなんだよこれ。)


ベッドの上に、開いた状態の携帯の画面が、真っ暗になったままシーンと静かに居座っていた。
その前に正座する俺。けどなかなか何もアクション出来ずに、もう数十分そのままだった。



御幸は、高校を卒業するのと同時に、プロに行った。
元々言われてたことだったし、俺もそうだろうと思ってたから不思議じゃなかった。一年早く自分の道を決めて社会に飛び出していった御幸とは、俺が高校2年の時から一応恋人って肩書で付き合っていて、俺の認識が間違っていなければ、今でもその関係は変わってない。
たまの休みは一緒にいるし、時間が会えば可能な限り会う。俺の方が時間の取りやすい学生って身分だから、御幸に出来る限り合わせてやって、そんな俺に御幸はいつもありがとなって笑ってた。

けど最近。

忙しくても連絡だけはこまめに入れて来ていた御幸からの連絡が、少しずつ途切れがちになってきていた。
3日と開けなかったメールは、1週間どころか2週間3週間は普通に来なかったりもするし、例え短時間でも欠かさなかった週末の電話はぱったりとなくなった。
一瞬、もしかして俺は振られたんだろうか、とも思ったけど、そんな話を御幸とした覚えはないし、もしかしたら自然消滅とかそういうのだろうか、と思ったりしたら都合よくメールが来たりする。しかもそのメールは決まって、「会える?」という旨のものばかり。
…でも約束しても結局流れることも少なくなくて、最近はずっと会えてもいない。

メールより電話より何より、テレビからの情報が早い。
テレビで見るほうが、ずっとよく御幸を見かける気がする。

そんな状態に、いろいろなことが麻痺しそうになっていたら、またこのメール。
返信しなかったらどうなるんだろうと思うけど、それは出来なくて、俺はそろりと携帯に手を伸ばした。

会えないか。
…別に、時間はある。俺がうんといったら、今度こそ御幸は会ってくれるんだろうか。



そうっと手を伸ばして、メールを開こうとすると、その途中でブブブッと手の中の携帯が突然震えたから、危うく地面に落ちそうになった。

(え、)

ブブブ、ブブブ、と振動し続ける携帯が告げるのは電話で、開かれたままの画面に表示されるのは、さっきまで悶々と頭の中を占領していた男の名前だった。


「え、」


今度は声に出た。
慌てて携帯を握り直して確認したけど、やっぱり間違ってない。画面に表示される、御幸、の文字。

反射的に通話ボタンを押した。その瞬間に流れる、「もしもし?」って声がなんか懐かしくて、一瞬だけ反応が遅れたら、あれ、と電話越しに更に御幸の声。


「聞こえてる?沢村、」
「え、あ、!おう!」
「なんだ、聞こえてんなら返事しろよ。…あ、もしかして今マズかった?外?」
「い、いや、部屋…!ちょっとびっくりして…」
「びっくり?なんで。」
「め、メール打とうとして、た…。」


ああ、と電話口の御幸が笑う。


「悪い。待てなくて電話した。」
「べ、別にいいけど…、お前、今日は…。」
「あー…、っと…それな、ちょっと急用入って…悪い。沢村の都合がよければ、明後日の夜とか空いてたら会わねぇ?飯食いに連れてってやるよ。」
「別にいいけど…あ、おごり?」
「もちろんおごらせて頂きます。」
「なら行く!」
「なら、ってなんだよ。何もなくても会いに来いよ。」


クスクスと電話越しの御幸が笑う。なんだ、いつも通りだ。
だから俺も、ちょっとだけ笑った。


(なぁ、なんで最近電話とメールが少ねぇの?)


そう喉まで出てた言葉は、そのままするすると思いっきり奥をひっかきながら再び胸までストンと落ちて行った。なんだかこの空気を壊したくなくて。変なことは言いたくなくて。だから最後まで言えずにいれば、気付けば電話の先からは無機質な会話の終わりを告げる音が鳴り続けていた。おやすみ、と言われた声が耳に残ったままで。


(聞けなかったなぁ…。)


切れた電話を置いて、はぁ、とため息を一つ。考えるより先に口から出るってのが俺の長所であり短所だったはずなのに、いつのまにそれが出来なくなったんだろう。大人になったといえばそうなのかもしんねーけど、なんだか寂しいのに変わりは無い。

結局、会う約束は取り付けたけど、果たしてそれが実現するのかどうか。なにせそれはもう忙しい相手だから。でもやっぱり純粋に、会えるのは嬉しいと思う。

最近ニュースを見ても何を見ても、御幸の姿を見るとちょっとだけ暗い気持ちになってたけど、今なら大丈夫な気がする。
見てない、と嘘ついてみたけど、でもやっぱり気になって毎日見てる野球中継とニュースをテレビ欄で調べることは忘れずに。夕方のニュースをチェックするために床に転がっていたリモコンを引き寄せて、今日もテレビをつけた。

ニュースと言う名の情報番組。司会者の軽快な声が静かな部屋の中に響く。いつも聞き流してしまう冒頭の件を例の如く綺麗にスルーしながら、今日も綺麗な化粧を乗せた女子アナが横で微笑む映像になんとなしに目をやった。
けれどそこに見つけた文字を視線が捉えた瞬間、俺は持っていたリモコンがカツンと音を立てて冷たい床に落ちたのにも気づかず、急に温度が下がったみたいな部屋の中に、奇妙な静寂が落ちた。



「え?」


漏れた声にも気付かない。
さっきまで握っていた携帯が、妙に無機質な冷たい塊としてポツンと鎮座していて、それが何だか無償にちんけに感じた。


(…ああなんだ、そういう、こと…。)


背筋から、すうっと怖いくらい冷たいものが流れては、落ちる。
最近の音信不通気味の正体を、やっぱりテレビ越しに知って、悲しいとか怒るとかそういうのを感じる前になんだかもうよく分からない感情がぐるぐると体の中を巡って、内側からプツリと変なものが切れるような音がした。



そういえば昔、初めて御幸を本気で怒らせた時も、別に俺が謝ることもなく、御幸が何をするわけでもなく…突然何もなかったように接されたっけ。
喧嘩したって、気にせずに気付けば仲直りしてたことも多かった。
言わなくても分かったから、なんとなくそういう関係で、そういう関係に甘えてたから。

だから、ってことなんだろうか。


(終わりも、なんとなくってことなんだ?)


それとも、明後日が別れ話ってことなんだろうか。そうだとしたら、なんであんな風に笑ったんだ。




「なんかもう御幸のこと、よくわかんねぇや…。」



思えば最初からだ、そんなこと。



気付けば俺は携帯をもう一回手にしてて、さっきまで送るか送らないか迷って手すら伸びなかったメール画面に、すばやく文字を打ち込むと、躊躇い一つなく、送信完了の文字を画面に踊らせていた。




『悪い、明後日練習夜まであったから無理になった。』 




卑怯だと、心の奥で声が聞こえたけれど。
ただその先で、御幸と誰かの熱愛報道を熱のこもった声でする司会者の声だけが部屋の中には響いていた。





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