愛色スイーツ |
*後日談:御幸入院中の二人 言わずもがな、沢村さんは相当不器用です。 だってこの人、自分のネクタイだって満足に結べませんし。 前に炊飯器開けたら、異次元に繋がってましたし。(いつだよ最後に炊事したの。) 「掃除機ある?」って聞いたら「に、日本人はハタキと雑巾!」とか返って来ましたし。(せめてモップ下さい。) 洗濯させれば、とんでもなく洗剤の量が多かったり少なかったりまちまちだし、無論料理は一切出来ねぇし。 俺が来るまでこの人どうやって生きてたんだろう…と思うくらい生活する技術がどれもこれも未熟な沢村さんは、不器用なんてレベルを通り越してる。何回教えても上手くならねぇのはもうどうしようもなくて、仕方ないから俺がこれからもこの人の周りのことしてやるんだろうなってすぐに想像出来た。しかも、そんな風にこの人の世話が出来るのが嬉しいと思うわけだから、そういうところもひっくるめてもうどうしようもない。 俺って沢村さんを駄目にするタイプ?って思うけど、俺と会う前からこの人駄目な男だったから、俺のせいではないはず。 つーか、昔はもう少しこの人出来る人だったと思うんだけどな。…記憶無くすと、生活能力まで欠如しちまうわけ? まぁ、あんまり生活してるところ見たことなかったけど。いつも見るのは、まるで着られてるみたいな真っ白な白衣に包まれた後ろ姿。 幼心では何をしてるかなんて殆どわかんなかったけど、散乱した部屋の中で、色鮮やかに変わる幾つもの試験管やなんか難しい文字ばっか並んでるプリントや本を見る沢村さんの姿がいつも楽しそうだったのは今もしっかり覚えてる。 あの頃からずっと、この人のことばかり追っていた。一度は失ったと思った。だけど今はこうしてちゃんと目の前に居る。 (…つっても、指の一本くらい今度は本気で失いそうなんだけど。) 「ぬ、…う、う…。」 なんか発音出来ねぇようなうめき声を上げた沢村さんは、現在その手の中に握りこんでる赤い物体と絶賛格闘中だ。 「さわむらさーん。」 「ぐ、ぬぬぬ…ぬ、…!」 「…沢村さーん。」 「う、ううう…!!」 駄目だこの人、聴こえて無い。つーか、リンゴの皮じゃなくて、アンタの手の皮が綺麗に剥けそうなんですけど。 沢村さんは不器用で、本当に基本的なことが何一つ出来ないような人だ。一緒に暮らしていたのは短期間だったけど、その短期間で分かるくらいだから相当。 それなのに一体どういう風の吹き回しなのか、突然今日の見舞いには、スーパーのビニールいっぱいにゴロゴロ大きなリンゴ持ってやって来て、「やっぱ見舞いといえばリンゴだろ!」なんて言いながら、俺のベッドの横、いつも沢村さんが来る時に座ってる来客用の椅子を陣取って皮を剥き始めたわけだけど。 …だから、沢村さんは不器用なんだって。 案の定、第一刀から危なっかしい手つきを見せた沢村さんは、何十分とリンゴと格闘してるけど、それが俺に支給されることは一向に無い。 その顔が段々と焦って来てるのも見ていて分かる。ずっと見られてると気が散る!と理不尽に怒鳴りつけられたりもしたもんだから、今は手元の本に視線を落としてみたりもしてるものの、実は神経はずっと沢村さんの方だ。 懸命になってるこの人は気付きもしないし、俺も気づかれるような見方してねぇし。 (必死だなぁ…。) たどたどしい手付きは見ていてすげぇ心配。だけど同じくらい、なんか面白い。 そもそも見舞いにリンゴって、風邪の時となんか混ざってる気がすんだけど。 俺怪我人だけど病人じゃねぇし。…そういうとこなんか抜けてて、だからこの人のこと可愛いと思うんだろうなと考えてたら、思わず笑いが漏れてたらしく、リンゴと睨めっこしてた沢村さんが、数十分ぶりに俺の方を向いた。 「…何笑ってんだよ。」 「べつにー?」 「嘘!今すげぇ笑ってた!!」 「だから別になんでもないって。」 「…………どうせ不器用だよ…。」 お。自覚あったらしい。 「別にそんなこと言ってねぇのに。」 「だって目がまだ笑ってる!!こんなことも出来ねぇんだって思ってんだろ!」 「思ってねぇって。…っつーか、」 「…?」 「リンゴ剥けねぇのは恥ずかしいのに、掃除洗濯料理が出来ねぇのは恥ずかしくないんだ?」 「…っう…。」 「はは!顔真っ赤ー。」 「う、る、さ、い!!」 ところどころ、鉛筆をカッターで削ったみたいな荒いボコボコとしたリンゴを握った沢村さんが、恥ずかしさからか顔を真っ赤にして俯く。 耳まで真っ赤になってるから、俯いても分かるのに。 皮が剥きたかったのか、それとも穴が開けたかったのか、いっそここまでくれば清々しく芸術のようになった球体に、ゆっくりと手を伸ばす。 ぶるぶる小さく肩を震わせる沢村さんを見て、ちょっとからかいすぎたかな、と苦笑しながら、その手に触れた。 「…御幸?」 「それ貸して。」 「え?」 「それ。リンゴと、あとナイフ。」 首を傾げる沢村さんの手から、片手でリンゴを奪う。 本来の利き腕である右手は摘出手術で相当開いたこともあって、まだ吊るされたままだから、自由には動かない。だから左手一つで、沢村さんの右手の中のリンゴと左手のナイフを奪った。 呆けていた沢村さんが気付く頃には、それは俺の手の中にあって、親指以外の指でリンゴを支えると、親指とリンゴの間に挟んだナイフを器用に動かしながら、歪に歪んだリンゴを綺麗に整えていく。シャリシャリと音を立てて、少しだけ小ぶりになったリンゴはすぐに丸くなる。 元来の利き腕ではないけど、訓練された俺の手足は基本両利きだから、ある程度のことは左手でも難なくこなせる。もちろんナイフなんて手足みたいに使って来たから、それこそ扱うのは手や足を直接動かすのと同じような感覚だ。 器用に皮を剥き終われば、それをまた沢村さんの手の中に戻した。 「さすがに切るのは片手じゃ無理だから宜しく。」 それくらいは出来るだろ、とはさすがに言わなかったけど。 ぼーっと手渡されたリンゴを見ていた沢村さんが、ちょっとしてハッと我に返ったように顔を上げた。 「…す、」 「ん?」 「すげぇ…。」 勝手なことすんなと怒られるかと思いきや、リンゴを握った手をブルブルさせながら呟かれたそんな小さな声が聴こえた。 沢村さんの方を見れば、さっきまで恥ずかしそうに真っ赤になっていた顔がいつの間にか子供みたいに目をキラキラさせて俺の方に向けられてる。 「何これすげぇ…!何?なんだよ、どうやったんだよ、今の!」 「どうも何も…普通に…?」 「お前こんなことも出来んの!?」 子供みたい、っつーか。まるっきり子供。 この人これで今年35になるんだって。信じられないんですけど。 目をキラキラさせた沢村さんが、すげーすげー言いながら、リンゴと俺の手を見比べる。さっきまであまりにも一生懸命だったから、余計なことすんなって怒られるかと思えば、この反応。読めない人だわ、本当に。 「ナイフの扱いは慣れてるから。」 「…慣れ…?」 「そ。ずっと仕込まれてきてんの。普通の子供が箸やナイフフォークの使い方覚えるみてぇに、俺らはずっとあの場所で、ソウイウコトばっかやってきたからさ。」 それが“何のためか”で、“何に使っていたか”なんてことを口にするつもりはないから、軽い笑みと共に誤魔化すように微笑んだ。 綺麗な沢村さんに、こんな汚い過去の匂いを付けたくない。 実はね沢村さん。 確かに昔のこと思い出して欲しかったって気持ちもあるんだけど、今は思い出してくれなくてよかったとも思うんだよ。 忘れてくれてるなら、それで。沢村さんに似合うのは、もっと優しい世界のはずだから。だからきっと、信じちゃいねぇけど神様ってやつがいるんなら、そいつもそう思って、沢村さんから記憶を奪ったんじゃねぇのかなとか思ったりすんの。 しんみりさせるつもりはなかったのに、俺の言葉に沢村さんが静かになる。 軽い冗談のつもりだったけど、まだあの日からそう時間も経ってないから、ちょっと時期尚早すぎたかもしれない。 黙り込む沢村さんに、反射的に手を伸ばす。 「さわむ――、…」 「テレビ…。」 「……は?」 「お前すげぇって!これ特技だって!テレビ!テレビ出れるって!テレビ!」 「…はぁ?」 突如興奮したように叫び出す沢村さん。 その様子のどこにも、“しんみり”なんて色はこれっぽっちも無い。 なんか黙ってたと思ったら、もしかしてこの人こんなこと考えてたんだろうか。…心配して損した。 「なんだよ、おかしい!?」 「や、…っつーか、俺ら一応追われてんだけど。テレビなんか出たら一発でアウトだろ。」 「………あ。」 ぴたりと沢村さんの動きがまた止まる。 伸ばしかけた腕は引っこめて、変わりにクスクスと笑みが漏れた。 (…ほんっとに、この人って…。) 予想つかねぇよなぁ。 「な、なぜ笑う…!?」 「いや、沢村さんが沢村さん過ぎて。ちょっと。」 「ど、どういう…!」 「んー?べつにー?」 「う、嘘…!」 唇を尖らせる沢村さんを見ながら、息を吐く。 「ただちょっと、沢村さんが可愛いなぁと思っただけ。」 アンタのそういうところに、俺はずっと救われてる。 そんな俺の言葉に、驚いたように目を見開いたまま、沢村さんが固まること、数秒。 一気に挙動不審になったその人は、唐突に俺の前にある机の上に置いたリンゴをズタンッと切断した。結構な音を立てて、半分に切れる球体。それをまた半分。4分の1の大きさになったリンゴを掴んだ沢村さんが、それをずいっと俺の前に差し出す。 「ん!」 …食えってことですか? 随分と豪快なその見舞いの品に、ぷっと噴き出してから、仕方なく齧り付く。 沢村さんが随分と奮闘してたから、すっかりぬるくなったリンゴが、口の中に広がった。…見舞いの品って言って沢村さんが持ってきたリンゴはまだ沢山あるから、それは俺が剥いた方がいいかもな…。 「…美味いだろ。」 ぬるくなったリンゴは、お世辞にも一口目で美味いとは言えなかったけども。 「すっげー美味い。」 そう言ってニヤリと笑ったら、そっぽを向いた沢村さんが、「なら、いいけどな。」と小さく呟いた。…だから、そうやって顔背けても、耳まで真っ赤だからまるわかりなんだっての。 左手で掴んだリンゴをもう一口頬張って、その甘みが口の中に次第にじわりじわりと広がって行く。 何も言わなくなった沢村さんとの間に落ちる沈黙は、けれどどこか柔らかくて、沢村さんのいる場所から響いてくるみたいな温かさが、口の中に広がるリンゴの甘さに似ているような気がした。 (…もしかして、こういうのが、“幸せ”?) そうやって、いつだって俺に感情を教えてくれるのは、沢村さんだ。 とりあえず、この見舞いのリンゴが無くなる頃には、二人で同じ部屋に帰れるようになっていると、いい。 [TOP] |