ボーイ・ミーツ・ガール |
*小ネタの「月1で女の子になる沢村」設定です 野球選手御幸×大学生 小ネタにおいているのものの大学初期の辺りの設定です Heaven or Hell? それは、天国か地獄か。 どちらかを捨てねばどちらかが手に入らないというとき。 もしくは、どちらかを捨てればどちらかが手に入るというとき。 そんな選択肢を与えられた時、人はどうやってどちらか片方を取捨選択するのだろうか。 もしかしたら運命の糸の片方は幸せへと繋がっているのかもしれない。 そしてもしかしたらその逆を選べば、それは地獄へのカウントダウンを始めてしまう道なのかもしれない。 考えれば考えるほどわからない。もういっそ、誰かが決めてくれたら楽なのに。 (分かってる。そんなの、逃げでしかないことくらい。) 答えなんて決まってるのに、どの糸を引っ張ればその答えにきちんと辿りつくのか分からなくて。 分からなくて分からなくて、だから苦しい。 (なんで人は昼が近付くと眠くなるんだろう…。) 多分俺の敗因は、昼前ラストのこの講義を、あろうことか窓際に席を陣取ってしまったことだと思う。 ただでさえ眠くなる授業が、今日は更に恐ろしく殺人的に眠い。つーかもう眠いなんてもんじゃない。 さっきから時計をたまに覗きこむ度に、信じられない早さで時計が進んでるから、多分時折意識がぶっ飛んでるんだろう。それなのに授業終了時間には一向に近づかない。時間が早いのに遅い。なぜだ…。 (うう…しかもこの位置は絶妙の位置…。) 昼前の窓際、程良い空腹と静かな空間。教授が黒板に文字を書く音と、ゆっくりと進んでいく講義。 教養科目ということもあって、200人程の教室に多学科の集まるこの科目は、後ろの方の席になると上手い具合に教授の目も行き届かなくて、この心地よい睡眠のまどろみに完全に身を委ねて甘えてしまうこともできる。 これが同じ科目を誰かが履修していたのなら、俺もすぐにその道を選んでたと思う。思う、が。 残念なことにこの科目を他に履修している知り合いはおらず、俺は今日まで孤独に一人で戦っていた。 しかもこの授業、テストがめちゃくちゃ難ありって評判で、一度でもノートを取り忘れると地獄を見るという前評判が流れてることもあって、さすがの俺でもきちんと今までは取れるだけ板書していたっていうのに。 (ううう…なんでこんな日にこの授業が重なっちまうかな…。) 思わず顔だけ伏せて机に突っ伏す。ひんやりとした木の感触が頬から伝わって来て気持ちいい。 体中が熱っぽいから、余計に。 臍のあたりからジワジワ変な熱が円状に波紋のように広がっていって、風邪でも引いたみたいな変な気だるさが体を包む。これは絶対にあれだ。間違いなく。 だけどそれは別に風邪でもなければ体調不良でもなんでもない。 いや、いっそ、風邪かなんかの方がまだマシだった。 今朝方からちょっとおかしいなとは思ってたし、そろそろだとは思ってた。思ってたけども。 まさか今日来なくてもいいだろ、と、漏れそうになる吐息をぐっと我慢して唇を噛んで耐える。今少しでも口を開いたら、なんか変な声が出てたと思う。 「…っ、……。」 “この感覚”との付き合いもそろそろ数年単位になるから、結構経験してきたけど、やっぱり慣れない。しかもこんな風に、起きてる時に変わるのも珍しい。大体は朝起きたら変化してることの方が多くて、そういう日の朝は大抵寝坊する。 熱い、熱い。汗がじわりと額に滲んで、次第に暴れ回る熱が苦しい。ああもう。今日は午後からまだ1コマ授業があったのに、この分じゃ受けるのは無理そうだ。帰って大人しく寝てるのに限る。 (あっと3分…。) つーか3分くらい早めに終わってくれてもいいのに、と教授に対して内心愚痴を零す。 生徒の間から真面目だ真面目だと揶揄される教授は今日もきっちりと授業終了チャイムまで講義を続けるらしい。無論それが当たり前のことだから別にいいんだけど、今日に限ってはちょっといろいろと複雑な心境だ。それから3分後「じゃあ今日はここまで」と響いた言葉に、思わず全身から力を抜いて息を大きく吐けば、緩んだ手元から落ちたシャーペンがカラカラ音を立てて机の上を転がった。 「おわ、ったー…!」 ミミズが這うような字といっても過言じゃないけども、なんとかノートも取り終えた。俺は生きた。生き抜いた。 色々な達成感の溢れる体からもだいぶ熱はひいていて、変わりに授業開始した90分前に比べて若干膨らみを帯びた胸を、吐き出す吐息と共に大きく撫でおろした。 「また、女になるし…。」 高校時代からの憎むべき呪いは未だ継続中で。 騒がしくなる講義室の様子をぼんやりと眺めながら、とりあえず今日はジャケット着て来てよかったなぁと暢気な事を思った。流石にシャツだけじゃ隠しきれない。女になったつってもぱっと見そう変わんねーし(なんつったって高校の頃は信じてももらえなかった)俺としては気にすることはないって思ってんだけど。 「あいつがまたうるせーからなー…。」 俺が女になったまま何もせずにぼやぼやしてると、煩いのが一人。 …つっても、大学にいる間は大丈夫だと思うからせめて食堂で飯だけでも食って帰るか…。 家で作るのも面倒だしな…と、頭の中で算段しながら教科書類を纏めていると、急に講義室の入口の方で、キャー!という女子の悲鳴…いや悲鳴っていうより、妙に甲高い声が響いた。 「え!?なにそれマジ!?」 「マジマジ!さっき食堂の方で見たって!」 「うそ!なんでなんで?」 「わかんないよー!でもまだいるかもしんない!」 俄かに騒ぎ出す女子を横目に、授業後だってのに女の子って元気だよなぁ、なんて思いながら席を立つ(いや、性別的には今俺も女か…)。今日の日替わり定食はなんだっけ。どうせ午後から休むなら混雑してる時間帯避けてもいいよなー…それならその間の時間はどっかで時間つぶして…。 そんなことを考えながら荷物を抱えて席から離れた瞬間、聴こえた言葉に思わず持ってた鞄全部落としそうになった。 「御幸一也ってあの御幸一也!?」 …は? 女子達の大騒ぎの場所から少し離れた所で、目を点にする俺。 ちょっと待て、今なんか不穏な言葉が聴こえたような気がしたんだが。気のせいか。気のせいだよな。つーか気のせいであれ。 「御幸一也が大学に居るってそれほんと!?」 だがしかし、そんな俺の願望虚しく、それはどうやら聞き間違いではないらしい。 御幸一也、って…。 (…まさか、なぁ…。) とりあえず聞き間違いでないのなら、あとはもう人違いであって欲しいと願うしかない。 (でーすよねー…。人違いのはずないですよねー…。) あの後、ご丁寧にも人混みにくっついていったら、食堂までスムーズに行くことが出来たんですが。 まぁ確かに俺はあれですよ。そりゃ、食堂に行きたいと思ってはいたけども。 元々混雑避けてから行こうかなと思っていたくらいなので、正直こんなに混雑した食堂に来る気はさらさらなかったわけだ。 そしてこの女子を始めとした熱量の高さ。野次馬丸出しの男子まで集まって、ちょっとした騒動になってるこんな場所に来るのは、正直少し遠慮したかったのに。 講義終わりに開いた携帯を見たら、来ざるをえなかったといいますか。 (おーおー…囲まれてやんの…。) ……そりゃそうでしょーよ。 最近、野球選手としての頭角を現しだした御幸はそのルックスも手伝ってメディア露出も多く、新人としては異例な勢いで注目されて、一気にその知名度を上げていたから。そんな人物がこんな場所に現れたら、騒ぎになるのは当たり前だろう。 そう、しかも御幸は無駄に見た目だけはいいから、余計に。さっきから周りの女の子達の目線が全部御幸に突き刺さるように向かってるのがありありと分かる。今は授業終わりだから人も少ないけど、これから次第に増えていくだろう。 携帯に入っていたメールには、今学校の食堂にいるから来て、って書いてあったものの、正直今御幸には近寄りたくないのが本音。 「…なにやってんだ、アイツ。」 「…あ、倉持先輩。」 「なんで御幸がここにいんだよ。アイツ今日も練習日だろ。」 「それが俺にも何がなんだか…。」 それはもう忌々しそうに眉を寄せた倉持先輩の横で溜息を一つ。なんで御幸がこんなところにいるかなんて、俺が教えて欲しいくらいなんすけど。 何だかんだで縁があって、同じ大学に通う高校時代からの先輩の登場に少しだけ安堵する。 「すげぇ騒ぎになってんじゃねーか。…どうすんだよ、コレ。」 「だから俺に言われてもどうしようにも…。」 「…どーせ目当てはお前だろ?」 チッ、と小さく倉持先輩が舌打ちを打ったもんだから、周りの人がビクッと反応する。 その上今先輩の顔は結構怒りの色が刻まれてるから、更に何となく近寄りがたいオーラを纏っていて、少しだけ周囲から距離を取られた。…ように感じた。 倉持先輩は意地悪い面もあるけど、本当は情に熱くて優しい人なのに、どうにも顔で損してる気がする。言ったら本人地味に傷つくから言わないけども。 「…さあ?どうなんでしょうね…。」 にしても。 (それとは正反対にさぁ…。) 声をかけて来る人に律儀に反応を返す、すかした眼鏡男。 そりゃファンサービスは大事だろうよ。それは分かるけども。お前は芸能人か、いやいや野球選手だろ、と突っ込みたくなるくらいのリップサービス具合に、さっきから溜息が止まらない。…別に面白くない、とか思ってるわけじゃないけど。 倉持先輩じゃねーけど、舌打ちの一つでもやりたくなる。 御幸は外面だけはいいけど、その実中身はただの意地悪な変態腹黒眼鏡だ。人間大事なのは中身だってのに世の中の女の子は騙されてる…と軽く睨んでみるものの、それはもうにこやかにファンサービスに勤しんでる御幸を見て俺の言うことを信じる人はいないだろう。孤独ってのはこういうことか…。 つーか、なんつーか。 (近くねぇ?あんなにひっつく必要あるか?御幸もちょっと嬉しそうにしてんじゃねーの。あれ。) ムカムカ、ムカムカ。 嫌な気持ちが胸に広がる。 一体あいつは何しにこんなところに来たんだ。俺に会う為ならわざわざ学校に来なくとも、家に来ればよかったのに。 しかも丁度残念なことに今日は俺ももう帰宅ルートだし。そのまま家で会ってれば、こんな思いすることもなかったのに。 体の不調も相まって、余計にイライラする。 周りに群がる女の子。それにニコニコする御幸。それにも充分イライラするけれど、それよりもっとムカつくのは、そんな風景を見てしまったせいで、御幸のところに一歩踏み出せないでいる自分。 ふわふわで可愛くて…そんな女の子達に囲まれてる御幸の姿を見て、あああれが自然な姿だなぁ、と思ってしまった。 俺と御幸は付き合ってるけど、俺は所詮男で、そして俺が男な限り、御幸と付き合ってるとは大手を振って言えることはない。この関係を隠すべきものだと思ってしまったことに腹が立つ。 (でも仕方ないだろ。高校の頃とは違って、今は世間体ってもんが…。) ぎゅ、っとムカムカする胸を思わず掴むと、そこには少し前まで無かったはずの膨らみがあってハッとした。それは本来、俺が純粋に男であれば、あるはずのないもの。 朝よりもずっと華奢になった肩。見た目にはあまり分からないけど、衣服の中で丸みを帯びた体とか、ちょっとだけ高くなる声だとか。やっぱり男とは作りの違う、女の体がそこにはあった。 もし、 もし俺が本当に、女だったら。 こんな風に思うこと無く、御幸の相手は自分なんだって、大声張り上げることが出来るんだろうか。 御幸がここに来た目的は俺なんだって、言えるんだろうか。 実際、俺の体は望めば簡単にその道だって選べる。女の体に変化してる今なら、なおさら。 でも選び切ることが出来ない。俺は、男である自分を捨てる決心がつかない。だから今までずるずると、こんな中途半端な状態を続けて来た。 女になれば、掴める幸せがあるのかもしれない。 だけど、男であること、今までの自分の人生全部捨てるほどの勇気が、俺には無い。 どちらかを選べばどちらかを捨てることになる。俺のそんな迷う心が、その心のアンバランスをまるで反映するみたいに体に現れる。なんて皮肉な運命だと思う。 どちらかを選べば、どちらかを捨てないといけない。 しかもそれは人生に関わる大きなこと。だから決められない。決めかねる。本当は選びたい未来なんてとっくの昔から決まり切ってるのに。 その未来は俺一人のものでは無くて、自分以外の誰かに依存する言葉だから、俺はずっと何も言えないでいる。 ああ本当に。なんでこんなところに来たんだ。馬鹿御幸。折角の午後が、台無しじゃねーか。 「倉持先輩、俺、」 帰るんで御幸のこと…、と続くはずだった言葉は、ざわっとざわめいた周囲の喧騒にせき止められる。 「え、?」 「沢村。」 「…うえ…!?」 ざわめきの正体は、いつの間にか目の前に。 俺を見下ろす御幸。なぜか周囲の人が花道でも作るかのごとく道をあけていて、一気に浴びる視線の数にちょっとびびった。 この数の視線にさらされて、全くもって物怖じしてない御幸って何者…? 「み、御幸…。」 「なんだよ、来てたなら声かけてくれればよかったのに。」 「い、今来たとこ…。」 どうしよう、と思って助けを求めるように視線を巡らせたけども、そこにはさっきまで居たはずの倉持先輩の姿は無かった。 (に、逃げられた…!!) 面倒くさい事になる前にってことなんだろうけど。酷い。酷過ぎる。俊足の無駄遣いだ。 「…沢村?」 俺の挙動不審な態度に、御幸が不思議そうに首を傾げる。つーかなんで俺はこんなに焦ってんでしょーね。 別に堂々としてりゃいいのに。高校の先輩後輩なんだから別に怪しまれる事も何も――…。 そんな事を思ってぐるぐるしていると、周りから聴こえた「なぁ、あれ誰?」という言葉にドキリとする。御幸みたいな誰もが知ってる有名人じゃなくて、俺みたいな一般人。学科の人数も多いから、学科内ですら俺のことを知らない人なんて相当数いるだろう。それが俺と御幸の差。 癖になっているのか、黙り込むのと同時に視線を落として胸をぎゅっと掴む。皺が寄ったシャツのに、御幸がふと視線を落とす。降って来た視線が居たたまれなくて、変に落ちる沈黙が痛くて、朝まではいつも通りだったのに突然こんな態度で、きっと御幸も変に思ってるだろう。でも仕方ねーじゃん、俺だって自分がどうしたのか、なにがしたいのか、全然分かんねぇんだから。 でも少なくとも今感じてるこの変な感じは、紛れもなく嫉妬と劣等感。 女になることを選べないのは俺自身なのに、女だったらー…って仮定して考えてしまう自分の矛盾に戸惑う。 「沢村、お前…。」 「え?」 そんな俺を見て、御幸が突然、何かに気付いたように目を見開く。 その声に視線を上げて、御幸を見上げ切る前に、ふわりと体が浮いていた。 「え!?は!?」 「ちょっと落っこちないように捕まって大人しくしてろ。まぁ、心配しなくても落とさねぇけど。」 「ちょっと待て、おい、なにこれ…!」 「いいから黙る。」 「はああああ…!?」 ひょいっと軽々肩に抱えあげられて、完全に米俵。 そんな状態に戸惑う俺を余所に、御幸は抱えあげた俺をしっかりと固定する。俺はそんなに体重軽い方じゃないし、こんな風に抱えられて重たくないはずがないのに。まるで何でもないことのように持ち上げられると、なんだか微妙な気分であって。 急に高くなった視線と、ざわめく周囲に視線が上げられない。なんだこの状況。何が起きてんだ、何が…。 何も言えずに固まる俺。体勢のせいで御幸の表情は見えないから、一体今どんな顔してんのかも分からないわけで…。 御幸、と名前を呼んで足をばたつかせてみたけど、効果は無かった。それどころか返事すらない。 どうしよう、今俺死ぬほど恥ずかしい。地面に足がついたら倉持先輩なんて目じゃないくらいのスピードで逃げ去りたい。そんで明日から暫く食堂使えねぇ…。 「ごめん、通して貰える?」 御幸の声が、喧騒飛び交う辺りの空気を切り裂く。 ぎゅっと抱える腕に力を込められて、見えないのに空気で、御幸が微笑んだのが分かった。 「大事な奴が急病みたいだから、ちょっと急ぎたくて。」 ……。 ……………。 「な、な、な、な、何言ってんだアンタ!!!!!」 食堂どころか、俺明日から不登校かも…。 「何してんだよ…!アンタは!」 キンッ、と俺の叫び声が静かな空間に響く。眉吊り上げて怒り心頭の俺の前に座る、涼しい顔の御幸。 その温度差に更に俺のイライラは募る。 俺を下ろそうとしない御幸に、何とか授業に使わない教室を指定して着いた瞬間、そう声を張り上げていた。 離れのあまり使わない棟の遠い場所を選んだからその頃にはもうギャラリーは一人もついてきていなかったし、そもそも御幸の衝撃発言で殆どの人は食堂に足が張り付いたように静止していたから、あんまり心配は無かったのだけど。 「何って…。お前がまた、女になってるからだろ。」 「う…、…そ、それは…。」 「俺が気付かないとでも思った?」 「………あんな遠かったのに…。」 「沢村のこと気付かないはずがねーだろ。」 「…っ、昔は気付かなかったくせに!」 「昔は昔。今は今。…昔よりずっとお前に触ってんだから、分かるに決まってるっつーの。」 「…アンタはまたそういう恥ずかしいことをいう…!」 ぐっと拳を握りしめて唇を尖らせるものの、涼しい顔で受け流される。 さも当然だとばかりに言ってのけられる言葉に、俺の方が言葉が続かない。 「まぁ正直、朝からちょっと変だと思ってたんだけど。」 「…朝?」 「なんか妙にだるそうだったし。もしかして、と思ったら案の定だし。」 「………なぁ、」 「ん?」 「まさかとは思うけどさ…、だから大学まで来た、とか…言わねぇよな…?」 「そのまさかだけど。」 「…っに、やってんだよ!アンタ!」 サラリと肯定される言葉に、もう呆れるどころじゃない。 「アンタ今日練習日だろ!新人が練習抜けるなんて馬鹿じゃねーの!?」 御幸が所属しているのは、完全なる実力主義の社会。新人でもベテランでも、使えないものは切り捨てられていくシビアな世界だ。例え今は成功しているとはいえ、それが永遠に続くとは限らない。そんな厳しい世界に居る人間が、そんな理由で練習を抜けていいはずがない。それにそんな風に心配されるのは、俺が嫌だった。 御幸の足手まといになってるような気がして。それが凄く。 「俺のことなんか、放っておいてくれたっていいのに…!」 どうせ今から家に帰る予定だったし、子供じゃないんだから自分のことは自分でなんとか出来る。今までもそうしてきたんだから。 御幸にそんなことをして貰わなくても、そんなの…! でもそんな俺に小さく首を振った御幸が、それは俺が出来ない、と俺の言葉を否定する。 「出来ない、って…。」 「放っとくなんて出来るわけねーだろ。…つっても流石にむやみに練習抜けて来たりしねーよ。今日はちょっとトラブルがあって午後休になったから。夕方トレーニングには出るけど、その間時間が出来たから来ただけ。」 「あ…。」 「…安心した?」 「………でも別に、来なくても大丈夫だし…。」 実際御幸がここに来たせいで、無駄に騒ぎが大きくなった気がするし。 そう言えば、さすがにそれはごめんと謝られた。御幸もこんなに騒ぎが大きくなるとは思ってなかったらしい。休憩時間にちょうどぶつかってしまったことが原因だろうけど、御幸が大学の講義時間を知るはずが無いので、それは不運としか言いようが無かった。 その言葉に少しだけホッとした俺を見て、御幸が苦笑する。 「流石に俺だってそんな考え無しにお前の負担になるようなことなんかしねーよ。」 「俺の、負担って…。」 「俺が沢村の為に練習休んだりなんかしたら、お前の方が気にするだろ?…だからほんとは、いつだってお前を優先したい気持ち抑えて俺は頑張ってるんです。」 「………アンタってホント馬鹿だろ。」 「そんなの今更じゃね?」 クスリと笑われて、ぷいっと顔を背ける。 確かに今更だけど。でも。 「…さっきの発言は…。」 「さっきの?」 「大事な…ってやつ…。」 「ああ、あれか。」 「あれはちょっと冗談にしても…言い過ぎというか…。」 別にあれだけで変なこと勘繰る人はいない…と思いたいけど、世の中誰がどこで何を見て聞いて人に話すか分からない。あれこそ考え無しの行動なんじゃないだろうか。実際周りは凄いざわざわしてたし。 あの御幸の恋人がまさか男だなんて、そんなことをが噂になって、御幸にマイナスに働いたらと思うとぞっとする。 「冗談?」 講義室の椅子に座った御幸が、そういって首をかしげる。…なんでそこで不思議そうな顔すんだよ。 「俺は本気で言ったんだけど?」 「本気、って…。」 「だって大事な奴の―…沢村の一大事だったから。」 「…っ、でも!俺は…!」 ぐ、と言葉を飲み込む。 ぎゅうっと拳を握りしめて、御幸の顔が見えずに俯く。だって、と口の中をもごもごと動かしながら爪の痕が軽くついた手を開いた。 「…おれは………男、だし…。」 いつもより握力の弱くなった手を握る。それは紛れもない女の体。口から出る言葉のなんて頼りない。 御幸の射るような視線が居たたまれない。まるで俺の方が、悪い事をしているような気分になる。勝手に場をひっかきまわしたのはどちらかというと御幸の方なのに。 落ちる沈黙。その居心地の悪さは半端無かった。 「…それが何?」 その空間を切り裂いたのは、真っ直ぐに落ちた御幸の一言。 「え?」 「男だとか女だとか、別に俺には関係ねーし。」 「で、でも…!お前有名人だし…!なんかいろいろ噂されたら、困るんじゃ…。」 「周りの反応ごときで消えるような小物に収まっとくつもりはないから問題なし。」 「そう、いう問題じゃねぇ、…!」 「そういう問題だろ。」 ああ、もう!こいつは! (自分が何言ってるかわかってんのか、コイツ!) もう俺の方が何も言えない。立ち上がった御幸に引っ張られて、思いっきり抱きしめられても、固まるしか出来ない。 ちゅ、と音を立てて頭の天辺にキスを落とされる。女になると少しだけ縮む身長だと、御幸の肩の辺までしか届かないから、丁度いいんだと前に言われたことを思い出して恥ずかしくなった。 そんな御幸の行動に、ここは教室だとか、誰かが見てるかもとか、そんなことを言う気も失せる。 「お前が男だとか女だとか関係なく、俺は沢村のことが好きなんだから、それでいいんだって。」 はっきりと言い切られる言葉に、一気に全身が軽くなった。 さっきまで悩んでいたことが馬鹿みたいに、御幸の言葉に救われる。 男だとか、女だとか、関係ないと御幸は言う。 女だったら、御幸の近くに堂々と居られるかもしれない。だけど本当は、男のままでいたい自分もいる。 それは御幸と対等で居られるその位置を、手放したくないからだ。 本当に選びたい未来は、御幸と一緒に居られる未来。 (ああ、そうか…。俺は、) 女でいる方がいいとか、男でいるほうがいいとか、どっちか選ぶことが出来ないのは、そのどっちがアンタとの未来に繋がってるのか自信が持てないからなんだ。 そのどっちを選んだら、一番アンタの近くにいられるのか、分からないから選ぶのが怖いんだ。 気付いてみたら簡単で、結局俺は御幸のことばっかりだ、と思えばなんか余計に恥ずかしくなった。 でもその恥ずかしさは、さっきまでのモヤモヤを含んだ気持ちとは違う。 「だから今のままでも俺は別に何の問題もねーから。」 そんな、まるで俺の心の中でも読んでたみたいに言われて、本当にお手上げ状態だった。 本当に御幸に隠し事は出来ない。俺がうだうだ悩んでたこと、こいつにはお見通しだったってわけだ。 悔しい。悔しいけど、むかつくけど、…ちょっと嬉しい。 結局また、良いように御幸に言いくるめられてる気がしないでもないけど。 今はその言葉に、まだ甘えていてもいいんだろうか。 男のままでいるべきなのか、女になりたいのか…。それは俺にもまだ分からないけど、でも少なくとも、そんなことは小さな問題でしかなくて、御幸は“俺”を、大事だと言ってくれる。そういう関係が、今は嬉しい。 例えいつか選ばないといけない日が来るとしても、今はまだ。 一気に穏やかになった心は、もうさっきみたいに波立つ事も無く、それと同時に火照った体の熱も止んでいた。 「ふうん…。」 「ああでも、お前が女になってる1週間は強制的に禁欲生活なのが一番問題かも。つーかそこが一番の問題?」 「…半年くらい禁欲してみる?」 「ゴメンゴメン。それは勘弁して。」 御幸があまりにも必死に言うもんだから、ぶはっと思わず噴き出す。 笑うなよと言われても笑うしかねーだろ、ここは。 誰も居ない教室に、俺の笑い声だけが響く。そんな頃にはもうそろそろ午後の授業も始まる時間になっていて、今ならさっきみたいな騒ぎにならずに学校から出られるだろう。さっきのこともあるし暫くは人目につくのはご遠慮願いたかったし、こっそり人の居ないような場所を選んで帰ろう。 明日からの講義はまたちょっと考えるとして、今はとにかく。 ぐう、と鳴りそうになるお腹を押さえる。そういや俺は空腹だったんだった。 「…腹減った。」 「ははっ、それは作れってこと?」 「当たり前。食堂で食って帰ろうと思ったのにアンタのせいで食いっぱぐれたし。」 「…食堂?」 「そう、食堂にー…。」 そこまで言って、ハッとする。 やばい、これは地雷。 「沢村、その格好ですぐに帰らず学校内うろうろするつもりだったわけ?」 案の定、御幸の眼光が鋭く光る。さっきまでの穏やかな目はどこかに鳴りを潜めて、纏う空気が一気に変わった。 「や、いやいや!いや、いやいや!そうじゃなくて!そうじゃなくてですね…!!」 「…ふうん。じゃあどういうつもりだったのか、家に帰ったらじっくり教えて貰おうか。」 目が笑ってません、御幸先輩。 (ぎゃあああ……!これは完全に、スイッチ入れた…!) 御幸が俺の女体化に煩いことなんか、分かってたはずなのに。俺の馬鹿! ………なぁ俺、もしかしてもう男に戻れないんじゃねーのこれ。 俺はもう不登校より何よりも、明日の自分がまず学校に自力で来れるのかどうかを心配することしか出来なかった。 *** 1周年企画、紫桜三咲様に捧げます。 「月1で1週間女の子になる沢村」の続きです。 本当は野球部の結婚報告も入れたかったんですが、小ネタの大学生の時点で沢村がまだ性別決めかねていたので、軽く学内宣言をしてもらったんです…が…! 相変わらず御幸さんが御幸さん過ぎて…。 とりあえず沢村は今夜大変なんだろうなぁ…と思います(笑) そして紫桜様にはいつも本当にお世話になっていて…! 企画の際にも温かいお言葉の数々、ありがとうございました。 まだまだ未熟なサイトですが、これからもがんばって行きたいと思いますので、末長く宜しくお願い致します。 企画へのリクエストありがとうございました! [←] |