13 | ナノ

13



東条秀明は、生まれながらにしてその身を茨の運命の中に投じることになった可哀想な人間だ。
…とはいっても、彼は「ひと」という分類にカテゴライズするには聊かその生誕に特殊な経歴を孕む。

ひと と あやかし

本来、その二つの異なった種族その生涯に置いて交わることは殆ど無い。
彼らは同じ空間こそ共有するものの、互いに違う空間、時間軸の中で生きているからだ。
均衡のとれたその両者の世界はねじれの関係において交わることも無く、かといって離れ過ぎることも無く、絶妙なバランスと位置関係を保って存在し、そこには何ら問題も起きないはずだった。
しかし極まれに、その垣根を超えるイレギュラーな人間が現れる。
そしてその異端の種は根強く地面に根を張り、多かれ少なかれ両者に対して何らかの影響を両者へ及ぼすのだ。
東条秀明もまた、その数奇な運命に翻弄され、意思関係なく身を投じさせられた、いわば被害者の一人であった。


霊魂は、生物がその肉体の命を追えると肉体から剥離し、やがて供養されなかったり、未練を残した存在は実態を無くしたままこの世に浮遊する。いわゆるこれが人の言う幽霊という存在になるが、妖はそういった類の存在だけではない。
例えば、「猫」。
「猫」という存在は少々特別な力を持っていた。

遥か昔人の世で100年の年月を生きながらえ、その尾が徐々に裂け、やがてその尾が体を支配した長寿猫がいた。
ともすれば化け猫と呼ばれ、妖にその存在を変えた猫は、時代の移り変わりと共にその住処を山の奥へ奥へと移し、ひっそりと暮らしていた。
人に愛玩され、人の傍に寄り添って生きる飼い猫とは違い、見た目も存在も人の世から切り離されて独立した化け猫は、闇に身を浸すように、ただ静かに時代の流れの中で生きていた。…はずだった。
だがしかしそうして繁栄を続けていた化け猫の一族に、ある時奇妙な出来事が訪れる。

一族の一匹の雌猫が、人の形をしたわが子を生み落としたのだ。
まるで人の子のように背中を丸めて腹から落ちたその子供は、見れば見るほど、育てば育つほど、その姿はどこからどうみてもただの人間にしか見えない。その上その子供には、本来妖にあるはずの妖力を、一切持ち得ていなかった。
無論母猫は一族中から批難され、蔑まれ…やがて、身も心もすっかり病んでしまった。
その雌猫こそ、後に「東条秀明」という名で人の世で暮らすことになる、悲劇の子供の母親である。
呪われた運命の下生まれ落ち、その後彼にどんな過酷な人生が待っているのか知らないまま、産声を上げた、子供。




「…妖…、特に猫は、同族意識が強いから。」


隣を歩く東条が、まるで何か物語でも語るように淡々とした口調で告げるのを、ただ黙って聞いていた。というより、口を挟むことが出来なかった。
学校からの帰り道、既に暗闇に染まりつつある空は茜色を建物の影にしまいこんで、どこかひっそりとした夕暮れの空気が歩くたびに纏わりつく。まだそこまで遅い時間ではないのに、前を通った公園はひっそりと静まり込んでいて、不気味なくらい人の気配一つしない。
初夏の気温は夕方になってもなかなか下がらず、自転車を押す手は握ったグリップにじわりと汗をかいた。
同じように隣でキィ、と時折ペダルが揺れる音を立てる東条の横にも自転車がある。
二人とも自転車通学の距離だけど、色々話をしながらのほうがいいからと、その役割を果たさないまま重たい車体を引きずりつつ、俺はただ東条が話してくれる話しに耳を傾けるだけ。

その道中ゆっくりと話してくれた、「半端モノ」と自分を称する東条の出生は、確かに安寧から随分とかけ離れたヘビーなものだった。
話す東条の口ぶりが、自分の思い出を語るというよりも、読み語りのそれにとても似ていたからだろうか。初めて触れる、妖の世界の話。それは更に現実味の無い話のように聴こえた。


「俺も相当酷い目にあったけど、それより母さんはもっと大変だったんだって後から聞いたよ。」


“人なんか”の子供を産んで、と。
汚れた女だと罵られ、その血も汚れていると罵倒され。
誇り高き猫の名前に傷をつけた東条の母親を、そう言って一族は許さなかったという。
もちろん、その血の流れる東条自身も。


「何よりも不可解だったのは、俺の出自。化け猫は、妖といっても所詮は中級ランクの存在でしかないからね。母さんは人と交わったことなんてなかったはずなのに、なぜか俺みたいなのが生まれちゃって。」
「…東条の、父親は?」
「いるよ。もちろん。」
「…えっと、それって…。」
「残念ながら、人間じゃないけど。」
「そう、なのか…。」
「俺には一滴だって人の血なんて流れてないけど、見た目はこんなで、妖の力だって無い。まさしく、“半端モノ”って表現が丁度いいと思わない?」
「…っ。」


何も、言葉が出無かった。


呪われた子供だと、生まれ落ちた瞬間からその身を茨に投げ込まれた子供。「母さんはさぞ気持ち悪かっただろうね。」足音に掻き消されてしまいそうなほど小さな声で、東条が呟く。けれど俺はそれがなぜかはっきりと聴こえた。

生まれた瞬間に存在を否定された子供の存在意義は、どこにあるのだろう。
話を聞いただけの想像でしかないけれど、東条がどれだけ今まで苦労してきたのかは分かる。その表情の下にそんなものを抱えてたなんて、今までは考えもしなかったけど。


「結局妖と人は、相容れない存在なんだよ。沢村。」


東条の言葉が、ズシリと胸の奥の方に積もる。


『栄純君、おかしいよ!』


(…う、)


頭の隅っこが痛んで、遠い昔の記憶を引き戻す。
影が見えていた幼い頃。そのことを幼心に何も考えぬまま口に出した時に返って来たのは、そんな言葉だった。
妖にとって人が遠い存在であるように、人にとってもまた、妖は未知の存在でしかない。
近いようでいて交わらない。否、交わってはならない存在。

(けど現実、こうして東条は目の前に居て、今までもずっと話をして、友達で、それに、御幸だって――…、)

目に見える世界を根本から覆すようなその感覚は、いまいち今の俺には分からなかった。
触れなければ、知らなかったはずの、世界。


「それくらい、本来妖と人は滅多なことが無い限り交わりは持たないんだけどね。」
「そう、なのか…。」
「それがまさか、あの人と沢村が契約なんて、正直びっくり。」
「まぁ…何の説明もなく殆ど無理やり仕方なくだけどな…。」
「それでも、凄い事なんだよ。あの人…“御幸”が人間と契約したってことは。」
「………東条、御幸のこと知ってんの?」
「…俺も話にしか聞いたことがないから、名前を聞くまで分からなかったんだけど。」


その口ぶりに問いかけた俺の言葉に、東条が小さく苦笑する。


「沢村は、影は見たことある?」
「なんかいろんな形してる黒いのだろ。」
「そうそう。あれはね、妖の中でも最下位層の低級ランクの生き物で、脳もなければ生食機能も無くて…ただ本能だけで動いてるものなんだよ。」
「そういや御幸も、低級って言ってたよう、な…?」
「妖は、思考能力が高くなればなるほど妖力も上がっていくから、高級な妖になればなるほど、人間に近くなるわけ。」
「…話せたり?」
「自分の意思があったりね。」
「…。」


御幸の姿を思い出す。
妖とは思えないほど、人に似たその姿と行動。東条の定義にあてはめると、つまり御幸って…、


「沢村の知ってるあの妖は、妖の中でも最上級ランクの能力を持ってる大妖の一人だよ。」


…もしかしなくても、相当凄い奴みたいだ。


「ええええ…。」
「…?何でそんな不満そうな顔?」
「だってアイツ、すっげぇめんどくさがりだし!めんどくさがりだし!めんどくさがりだし!」
「…つまり相当めんどくさがり、と。」
「そう!…面倒だって言って、俺に説明すんの嫌がるし…。そんなスゲーとこ、あんま見たこと、ねぇし…。」


(そりゃ助けてもらったことは、あるけど。)
でもあの時は、“目”が見えなかったし。

しかしまぁ、その御幸のめんどくさがりが今回の討論の原因なんだけど。
めんどくさいと切り捨てられる方の気持ちももう少し考えてくれてもいいのに。
車一台通らない町はずれの道を、東条と並んで歩きながらため息をつく。

(その上、追いかけても来ない。)

御幸、と、いつぞやのように心の中で一度だけその名を呼んでみる。
けれど返って来る返事は無かった。


「追いかけてこねぇのも、絶対面倒くさがってるんだろうし…。」
「………それは違うよ、沢村。」
「え?」
「あの妖は、追いかけて来ないんじゃなくて、追いかけて来られないんだよ。」
「追いかけて来られない…?」


首を傾げて東条の方を見れば、東条は一度を俺の方に視線をやった後、どこか遠くを見るように前を向いた。
その先には既に空を一色に染め上げた月が薄らと雲がかかって見える。時刻はいつの間にか、あっという間に夜だ。


「沢村は、“御幸”と契約してるんだろ?」
「まぁ…一応…?」
「妖は実際人よりも強い力を持ってるから、例え主従契約を結んだとしても、実際の力関係とは異なることが多いはずなんだよ。」
「おー…?」
「…あの人の力が強大過ぎて、沢村自身の力が凄く綺麗に隠してあるから分からなかったけど…。」


これもマーキングの一つかな、と、意味の分からないことを東条が呟く。
なんのことか分からず問いかけようとした言葉は、浮かべられた笑みによって静止させられた。


「沢村からは、凄く強い力を感じる。」
「…あ。破魔の力、ってそういや御幸が言ってた気がする。」
「……そう。」


それだけは御幸から聞いた言葉が頭の片隅に残っていて、自然と口から漏れる。
それに東条が一度だけ納得するように微かに頷いた。


「その力が声に共鳴して、“御幸”程の大物を縛り付けることが、沢村には出来るんだよ。」
「共鳴…。」
「来いと言えばどこへだって来てくれるけど、来るなと言えばどこへも行けなくなる……まぁ簡単に言えば、その声を上手く使えば、御幸に言う事を聞かせることが出来るってこと。」


東条の言葉にさっき御幸にはなった言葉を思い出す。
咄嗟に叫んだその言葉。考え無しに口から出たその言葉は、確か。


「じゃあさっき、俺の、“来んな”、…って……?」
「そういうこと。だからあの妖はそう簡単には追いかけて来られないよ。暫くは。」


知らなかった。
俺にそんなことが出来るなんて。
御幸はそんなことも、話してくれなかった。
…まぁ、こんなこと、御幸からしてみれば知られたくないことかもしれないけど。


「そう、なのか…。」
「うん。……だから俺にとってはちょうど、都合がいいんだよね。」
「…え?」


ぴたりと東条が止まる。
そのせいで一歩俺の方が前に出て、気付いて立ち止まった場所から後ろを振り向けば、それと同時に街路樹を大きく揺らす風が吹いて葉のこすれ合う音が妙に鼓膜を揺らした。


「…東条?」


変な胸騒ぎがして、その名前を呼ぶ。
それに返って来たのは穏やかな笑みだった。


「沢村に、会って欲しい人がいるんだ。」
「会う?」
「そう。会ってくれるだけでもいいから。」


突然、なんだ。


「…学校、のやつ?」


その問いかけに答えは無い。



「…腹を痛めて生んだ我が子が呪われてると周りに迫害されて、身も心もボロボロになった彼女を救うことだけが、俺の存在意味意義なんだ。」



ざあっと木々の鳴る音がする。ものすごく強い風が吹いているのに、それがどこか遠くから聴こえているようで、段々とそのざわめきは、鈍い耳鳴りへと変化していく。
自転車を押しているはずなのに、何かを握っている感覚もない。五感が少しずつ麻痺していくような感覚に、平衡感覚すら失いそうになる。
東条の声がどんどんと離れて行く。

(そういえば、ここ、って…、)


『人が多いトコにはこの手の奴が多くてさー。公園とか、学校とか。街中とか。』


いつぞやの御幸の言葉を思い出す。
すっかりと闇色に変わった空の下、佇む小さな公園。
まさか、と思ったけど、この感覚はあの時と似ている。
そうだ、あの、子供の歌声が聴こえたあの時―――…。



「ごめんね、沢村。」



そう呟いた東条の声が、何だか泣きそうな音を含んでいた気がした。










[TOP]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -