11 | ナノ

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【妖】―あやかし。
妖怪。化け物。畏怖する対象物。想像上の生き物。

人とは、違うもの。









東条。
春に入学して、同学年の新入部員として初めて顔を合わせたのも同じく今春。
初めこそそこまで接点があるわけでもなかったものの、今やよくつるむメンバーの中に顔があるくらいには近い仲。
いろんな意味で曲者の揃った野球部(だと周りは言ってるらしい。俺はよく分からん。)の中の、常識人。
爽やかないいやつ。あと結構女子に人気がある。野球の実力も同学年では抜きんでてる。元投手。
俺が東条について知ってること、言えることはこれくらいだ。

一言でいえば、いい人。
そう、いい人。


「いい、人…。」


そのいい“人”は、相変わらず人好きする笑みを浮かべて俺の前、少し離れた所に立っては俺にその笑顔を向ける。
さっきまで天使のように見えたその顔に、今や疑念なんかも感じてしまうから、人間の思い込みって不思議だ。
印刷室の入口で笑う東条がいつも通りの顔。何をするわけでもなく、そこに立っている。立っているだけなのに、まるでその仕草が、“俺を外に出さないように”しているように感じられて、ゾクリと背中にほんの少し震えが走った。そんな俺の様子にも顔の筋肉一つ動かさず微笑む東条が、急に得たいのしれないものに俺の中で変化する。恐怖と名付けるのが一番近い、この感覚に、頭の中ではつい最近聞いた子供の歌声がリフレインした。
かごめ、かごめ、と。人ではない子供の声が脳髄奥深くを直接ガツガツと殴るような感覚にくらり。


「……沢村。」


ふいに呼ばれた自分の名前に、大仰なほどビクリと体を震わせたら、ほんの少しだけ東条の表情が揺れた。

(あ…。)

傷、つけ、た?
…なぜか反射的にそう思った。それは本当に、ほんのわずかな違和感だったけれど。
思わず何かを言おうと口を開く。けれどそれは、上手く言葉にならなかった。喉の浅い所に引っ掛かって、舌の上を心許なく通り過ぎて行って、掠れた吐息が漏れるだけ。
さっきまで普通に接していた相手が「普通じゃない」と分かった途端に態度を変えるなんて最低だ。そう思って自分の行動を後悔するものの、既に遅い。それに、思いはするものの体は反応してくれない。
流れる沈黙は均衡を保ったまま、俺と東条の間に浮遊する。妙な居心地の悪さに視線を足元に落とせば、校舎特有の床の四角いタイルの間が黒く染まった年期の入った目に入るだけで、何も根本的な解決にはならない。


「お前、さ…。」
「ん?」


そのどうにもならない沈黙を破ったのは御幸だ。それに軽いデジャヴに襲われていると、振り向いた先で何やら珍しく難しい顔をして眉を寄せていた御幸が、俺を通り越してその先にいる東条に声をかける。
ゆっくりと東条が御幸に視線を向ければ、その双眸が絡む。その間に挟まれた俺は、奇妙な立場でただ立ち尽くすだけ。
なんだか尋常じゃないオーラに圧倒されて、何も口を挟むことが出来ない。


「…半分だな。」
「…やっぱり、妖からはそう見えるんだね。」
「っつーか、半分っていうか、お前の場合、“半分も無い”のが正解?」
「……正解。」


御幸の問いかけに、東条が薄く笑う。


「は?ちょ、二人とも、何、」


その間で俺はただ間抜けに狼狽するだけ。何やら交わされる二人のやり取りは全くもって意味が分からなくて、多分これは俺が馬鹿なせいでもなければ、俺の読解力が足らないわけでもないと思う。
何やら二人の世界だけで成立する会話に、頭が更にくらくらした。
納得したら満足したのか、こんな時でもマイペースな御幸を睨みつけるものの、顔に「説明すんのメンドクサイ」と大きく書かれた顔のまま口を開こうともしないときた。
思うにこいつは、圧倒的に会話が少ない気がする。
目と目で通じるもんもなけりゃ、人間にゃテレパシー的なもんだってねぇんだぞ…。


「沢村。」
「は、いいい!?」
「…そんなに警戒されてもなぁ…。」


困ったように東条が頬を掻く。
いや、違う。今のは違う。考え事してた時に声をかけられたから驚いただけで、警戒とかそういう類のもんじゃなかった。もちろん、さっきまで気を張ってたのは間違いないから、そこは否定しないけども。
俺がその延長線上で余所余所しくしていると受け取ったのか、少し困った色を顔に浮かべたまま一度深く息を吐いた。


「大丈夫だよ。…さっきの言葉、ちょっとだけ訂正するから。」
「…え?」
「正確に言うと俺はね、本当は人間でも無ければ、…妖でも無いんだ。」
「妖でも無い、って…。」
「沢村の後ろにいるような純粋な存在じゃなくて。俺は妖になりきれなかった、半端モノなんだよ。」
「妖に、なりきれなかった…?」


穏やかに語る東条の言葉に、キャパを越えた頭がくらくらする。
大体にして、どれも急に聞かされてもまったくもって現実味の無いことばかりだ。それをいうならここ最近起こること全てにそう言えるけれども。
突然現れた御幸みたいな“非現実”から与えられるのとは違う、今まで俺の傍にあった“現実”が形を変えていく様に、戸惑いが隠せない。それでも、東条は続ける。


「化け猫の間に生まれた人間。親も、兄弟も、親戚全部猫又なのに、なぜか俺だけこんな姿で生まれて来たんだ。」
「…猫?」
「そう。猫。」


なんだか俺さっきから問いかけてばっかだけど…つーか他に言うことが見つからないわけですが。
いつも、部活で話す時と同じトーンで、同じ声音で、何ら変わらないその仕草で、東条の口から発せられる言葉。


「だから一族の間では異端児として忌み嫌われてる。人間にも妖にもなりきれない、中途半端な存在。」


それが俺だよ、と笑う。


「……。」
「びっくりした?」
「…これでびっくりしなかったら、ちょっと変わってると思う…。」
「まぁ、そうかもね。…でも。」
「ん?」
「俺もびっくりしたんだよ?」
「東条、も…?」
「うん。…だって今朝、沢村と会った時、この間までとは全く違う“匂い”がしてさ。この前まで確かに沢村は普通だったのに、今はそう、どっちかっていうと…。」
「…匂い…?」
「人っていうより、妖に近い、かな?」
「うえ!?」


毎日風呂だって入ってるし、別に何も変わったことは無い…って思うのに、どうやら東条は俺が普通じゃないってことが分かるらしい。匂いっていうのも人間の嗅覚とはちょっと違って、雰囲気みたいなものに対しての嗅覚…とかなんとかで、とにかく俺みたいな普通のやつには分からないことが分かるっていう。
見た目は全く以前と変わらないのに、俺は確かに自分が変わってしまったんだってことを今更ながらに自覚したりした。
今までは御幸は誰にも見えねぇし、色々苦労することがあっても、こうして第三者からイレギュラーを認められるのとそうでないのには、雲泥の差がある。


「それは沢村の後ろの……なんか怖い顔して俺のこと見てる奴の影響?」
「え、?」


東条の話に耳を傾けながら振り向いた先には、確かになんか面白くなさそうな御幸の顔。
蚊帳の外にされた子供みたいな顔していらっしゃるけど、元々説明放棄したのは御幸の方だ。


「…うーん…、…まぁ、…。」
「休んでる間に、やっぱりなんかあったんだ?」
「まぁ…かくかくしかじか…いろいろと…。」
「へぇ…。」


なんか、どころか、色々あり過ぎて語るのも骨が折れるといいますか。
この1週間で10歳くらい老けたんじゃないかと言っても過言ではないような気がする…。
頭を上げて東条の方を見ながら言葉を濁せば、追求されるかと思いきや、東条は少しの間の後、小さく呟いた。


「……事情はよく分からないけど。」


俺を見る、真っ直ぐな瞳。
それに射抜かれて、一瞬呼吸するのを忘れる。


「“妖”のことに巻き込まれるのがどれだけ大変かってことは、多分誰よりも分かると思うから、何か困ったことがあったら俺でよかったら協力するよ?」
「………え?」
「…力になるって言ってるんだけどな。周りから“視えない”世界って、大変だろ?」
「東条…。」


その優しい言葉は、最近荒んでいた俺の心の中にスッと入って来て、涙が滲みそうにもなった。
そうだ、俺は最近こうした人の優しさにものすごく飢えていたんだ…。いや、東条が人かどうかっつー些細な問題は置いておくとして、だ。学校でも家でも、気の休まることがなかった俺にとって、それは唯一の救いの手みたいに見えた。
色々なことを聞かされたとしても、東条は大事な友達だ。信頼だって出来る。そんな感情から、張りつめていた気がふっと緩む。


「東条、俺、」
「いらねぇよ。」
「…え?」


俺の言葉を遮ったのは、ずっとだんまりを決め込んでいた御幸の声。
どこか冷たく重いその響きに、一瞬肩を竦めた。
いつもの飄々とした声とは違う、静かな怒気すら含んだようなその声は、聞いたこともないくらい重たかった。
重さと鋭さを持ったその声が、俺の肩越しに東条に向けられる。


「コイツは、俺のモンだから。」
「は、?ちょ、みゆ…!」
「へぇ…珍しいね。妖が人間に執着するなんて。」
「執着なんて生易しいもんじゃねぇよ。俺とこいつの間には、契約がある。」


契約、と言った瞬間、東条が軽く目を見開く。
けいやく。
そう小さく口元が象ったのが分かった。


「…なるほど、だから沢村から、こんなにも強い力を感じるわけだ。」
「そゆこと。ま、コイツの場合それだけじゃねーけどな。」


半端モンには分かんねぇか、と、その口が辛辣な言葉を吐く。
御幸の言葉が終わるのとほぼ同時に、トンッと軽い音を立てて床に足をつけた御幸に思いっきり右腕を掴み上げられる。その力に少し眉を寄せるものの、その力のまま遠慮も無しに引っ張られた。


「いっ、…!」
「…もう満足だろ?そろそろいい子は帰宅の時間だぜ、沢村。」
「ちょ、ちょっと、待っ、まだ、話途中…!」
「早く帰らねェと、夜になると帰り道も大変になるって言っても?」
「…え…。」
「言っとくけど、妖の主な活動時間は、夜だからな。」


ぐいぐい引っ張られて、印刷室の中を横断する。そのまま東条の横を通りぬけて、いとも簡単にその後ろのドアに手をかける。そのままドアを開けて、生温かい風が通る廊下へと一歩出る。既に茜色は黒に変わりかけていて、規則的に立ち並ぶ廊下の窓の向こうに見える空は、茜や紺が入り混じって何とも言えない混濁色に塗りあげられていた。
時刻はもう、夜へと変わろうとしている。それだけ長い時間、話しこんでいたのだと知る。
この空がまだ明度を保っていた時間までは、“今までと何も変わらなかった”はずなのに、今やその心持はこの印刷室に足を踏み入れる前と全くもって違っていた。
御幸にされるがままに腕を引っ張られて、東条の隣を通り抜ける際に、チラリとそちらを見れば、ぱちりとはっきり目が合う。
その深い色をした瞳孔が細められて、困ったように顔を歪める俺の情けない顔が映り込んだのがはっきり見えたような気がした。
何も変わらない。どこからどう見ても、人間にしか見えない。
それは御幸も同じだけど、東条は今までだって普通に俺たちと一緒に暮らしてた。誰にも視えない、御幸とは違う。


「とう、じょ、」


何を言いたいのか分からないのに、思わず声が漏れる。


「…また明日。沢村。」


けれどそれはぐいぐいと腕を引っ張る御幸によって遮られて東条に届くことなく、変わりに俺に向かって投げかけられた笑みと言葉だけが残った。
ピシャリとドアが閉められた後に、シィンと冷え込む様な沈黙が既に人がいなくなって閑散とした廊下に落ちる。



御幸は何も言わない。

…俺も、何も言えない。



掴まれた腕が、痛いってことだけが感覚として伝わって来た。ただそれだけ。
暫くして、そのまままた腕を引っ張られる。すたすたと御幸が歩く。それに引っ張られて、俺がついていく。今俺の姿は普通の人から見ればどう見えるんだろう。なんだか考えたくもなかった。考えることに、疲れた。
また色々なことがあり過ぎて、もう頭はパンクしそうだ。
その上、そんな状況で、甘えることすら許されないなんて。


「…なんで、」
「ん?」
「…なんで東条に、あんなこと言ったんだよ…。協力してくれるって、言ってくれたのに…。」
「…じゃあ聞くけど。」
「あ…?」
「協力って、何を?あんな何の力も無いただの半端モンに?守って貰おうとでも?」
「ちげぇよ!」
「じゃあなんだよ?…力だって何だって、俺の方がお前にとって、有益だろ。」
「……っ、」


ぶんっと腕を思いっきり振って、御幸の手を振りはらう。


(有益とか、無益とか、そういうんじゃねぇのに…!)


御幸が少しだけ驚いたように振り返って、それから俺の顔を見た瞬間に表情を変える。
今朝まで少しは、心地よささえも感じていた目の前の存在が、急に遠くなっていくように感じた。


「…沢村?」
「…アンタは何にも分かってない…。」
「沢村、」
「俺が!俺がどんだけ、最近の意味のわかんねぇことに…っ、戸惑ってるか…!それなのに、アンタは何も説明しようとしねぇし!分からないことばっかで、頭いてぇし!むかつくし!苛々するし!」
「沢村、ちょっと落ち付けって…、」
「落ち着いてる!!」
「どこがだよ…。」
「…ッ、助けて貰ったのには、感謝、するけど!でも…!」


せき止められていた何かが決壊したみたいに、叫び声を上げる。
廊下の先の方にその声が響いて床に落ちて、俺しかいない廊下で、俺の叫び声だけが虚しく充満していった。


「何にもわかんねぇってことが、どんだけ怖いのか!もっと分かれよ…っ、馬鹿御幸!!」


突っ立ったままの御幸の横をすり抜けて、走る。
踏み出した足を思いっきり踏みつけて、わき目も振らずにただ、翔けた。逃げられるわけもないのに。いや、何から逃げたいのかも分からないけど。
ただもう、頭の中がいっぱいいっぱいだった。既に許容量なんて完全に超えて溢れてる。


「沢村、ちょっと待て、お前…、」
「…来んな!」


俺を止めようと伸ばしたんであろう御幸の手が、ぴたりと止まる。そのまま、なぜか突っ立ったままの御幸は、走る俺を追いかけようとしなかった。
だから俺はその隙にと、走り出した足を加速させる。


今はただ、何からでもいいから、とにかく逃げたかった。











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