幸せは歩いてやってくる03 |
* 続き3つ目 「俺はー…。」 言葉が、空間が、重くのしかかる。 上手く息が吸えなくて言葉が途切れそうになるのを、何とか力を込めて堪えた。 「…ずっと、考えていました。」 「考え?」 「はい。…栄純にとっての幸せと…俺にとっての、幸せを。」 おばさんが、静かに耳を傾けてくれる。 それは、問いただすというよりも、子供の語る話を聞く母の優しい姿のように見えた。俺の願望が見せる都合のいいことかもしれない。 だから、だろうか。するりと、難しく考えることも無く言葉が落ちる。 「俺の幸せは、栄純の隣にずっといることでした。だけど、それが栄純の幸せになるとは限らない。だから俺は、俺の想いは、ずっと心の中にしまっておこうと思っていました。栄純が何より大切だから、幸せでいて欲しいから、そこに俺が必要ないのなら、それでもいい。あいつが一生、バカみたいに笑っていてくれるなら、それでいいって。でも…。」 思い出す。 あの日。 同じ家に帰ろうと、栄純と言いあった日。 幸せでいて欲しいと思った。大切な大切な、何より大切な俺の幼馴染。 だけどあの日、あの、今の二人の始まりのあの日から、俺は。 「幸せでいて欲しい。でも…それ以上に、俺が幸せにしたいって、思ったんです。」 大切な大切な幼馴染。 誰よりも、幸せに。 だけど、そのどんな未来よりも、俺がお前を一生かけて幸せにするよ。 絶対に、幸せにする。それが俺の人生最大の幸せ。 そう、誓った。 「だから、一番とか二番とか、そういうのではなくて、俺の全部が栄純なんです。」 言い切った言葉は、飾りっ気一つない言葉。正真正銘、俺の心からの言葉。そこには打算も何も存在しない。 認めて欲しく無いとは言えない。 本当は傷つけたくない。でも、もう。 俺には、譲れないものがあるから。 随分と俺は、我儘になってしまったのかもしれない。 栄純を手に入れた、あの日から。 栄純のおばさんは、何も言わない。言えないのかもしれない。 当たり前だ。こんな話、いきなり聞かされて。すぐに理解ってくれるわけがない。だけど、何年かかってもいい。一生かかってもいい。いつか認めて貰えるように、頑張ればいい。 我儘にもなったかもしれない。だけど、それと同じくらいきっと俺は強くもなった。 そんな俺の決意に響いたのは、柔らかな笑い声。 「…栄純は、幸せ者ねぇ。」 …は? 「は、」 聴こえた言葉の意味が一瞬分からなくて固まった。 「本当に幸せ者だわあ。一也君みたいな素敵な子に、ここまで想って貰えるなんて、本当に。」 「え…?は…?」 「栄純ってば、あんなにポケポケしてるくせに、男を見る目だけはあったのね。ふふー。私譲りかしら。」 「あ、あの…おばさん?ちょっと、話が見え…、」 さっきまでのちょっとピリッとした空気はどこへ消えたのか。 ふわふわ笑う栄純のおばさんの表情はすげー優しくて、どこか清々しくも見える。 どういう…こと…だ? 「…なんで私がこんなこと言うのか、不思議って顔してるわねぇ。」 ふふ、と不敵におばさんが笑う。 「種明かしするとね、…実は気付いてたの。何となくだけど。私も、一也君のお母さんも。」 「え…。」 「今年のお正月、2人とも帰らなかったじゃない?昔から凄く仲良しだなとは思ってたけど、二人暮らしまで始めちゃうし。これはどうみてもちょっと、“仲良し”じゃ収まらないなって。…そもそも二人とも、女っ気ないし。」 「……まぁ、そうですよね。普通は。」 「そう。だから、一也君の母さんと二人で、賭けをしたの。」 「賭け…?」 首を傾げる俺に、おばさんが口元を緩めて微笑んだ。 まるで、内緒話でもするかのように、小さな声と共に。 「一也君と栄純の話を聞いて、2人が本当のことを話してくれたら、私たちは2人のことを見守ろう…って。」 予想だにしない言葉に、息が詰まる。 だって、まさか、そんな。 そんな、ことが。 傷つけると思ってた。嫌悪されても、憎まれても、恨まれても仕方ないと思ってた。なのに。それなのに。 「どう、…して…。」 「あら。それは愚問だわ。一也君。」 声にならずに掠れた吐息のような呟きを、おばさんが拾う。 それにふわりと心が救われるような思いになる。 「…自分の息子の幸せを願うのに、理由がいる?」 それは、ついさっき聞いた言葉にとてもよく似ていた。 それは、とても強い何かを決めた時の女の人の顔。 強く、気高い、それは。 それは、強い“母親”の顔だった。 「一也君。」 名前を呼ばれる。視界が曇る。よく、目が見えない。 だけど声だけは、はっきりと聴こえた。 「栄純のこと、好きになってくれてありがとう。」 “ありがとう”―――そんな言葉に、俺が返せたのはたった一つだけ。 「…はい…。」 吹き荒れていた風は、いつの間にやら止んでいた。 「お邪魔しましたー。」 「本当…いきなり来んのはこれっきりで。」 「…本当にあんたって可愛くないわね…。」 「その可愛くないの運で育てたのは母さんだけど?」 「あーんーたーねー…。」 「まぁまぁ。一也君だって本気でいってるわけじゃないんだから。」 (いえ、割と本気で言ってるんですけども。) 夕方、結局1日家で過ごした母さんたちが、帰る時間になった。 いろいろバレたし、隠さなくていいいのは楽だったけど、でもそれ以上になんだか気恥ずかしくて、俺としては早く帰って欲しかったわけで。 漸く去っていく台風に、ほっと息を撫で下ろした。 「でも、でもさ!久々にスゲー飯美味かった!さんきゅな!母さん、おばちゃん!!」 帰り際までバトルになる俺の横から、栄純の元気な声が飛んできて、眉間に皺をよせてた母さんの顔がぱっと明るくなる。 なんつー…単純な…。 「あーもー!やっぱ栄純ちゃんは可愛い!一也とは大違い!このまま連れて帰っちゃいたいわー…。」 「母さん…。」 「もう、何よ。冗談よ。つまらない男ね!本当!」 俺、今日散々な言われようなんですけど。 なんなんですか。何かしましたか。…まぁしたけどさ…。 「…ま、いーわ。これ以上一也に睨まれるのも面倒だし、そろそろ帰りましょーか。」 「そうねー。夕食の用意もあるしな。」 「主婦って辛いわー。」 そう言いながら、玄関を出て行く2人を見る。 最後まで本当賑やかな…。 小さくため息をついていると出て行く直前、母さんが突然くるりと振り返った。 「…?」 「来年の年末は、年始でもどっちでもいいから、家帰って来なさいよ。」 「え…?」 「いいわね。」 「ちょっ…、母さ…?」 「もちろん、栄純ちゃんも一緒にね。」 「え!?俺も!?」 「当たり前じゃない。」 母さんが呆れたように肩を竦める。 「家族なんだから。」 ふっと笑う母さんの顔は、さっきキッチンで見た栄純のおばさんの顔と一緒で、ドキリとした。 母親の顔。強くて気高い人間の表情。 じゃあね、と手を振って帰って行く2人の後ろ姿を見ながら、栄純と2人してどちからともなく顔を見合わせた。 ぷっ…と噴き出す音と共に響く、笑い声。 「…っとに、敵わねーなあ…!」 母親ってのがどれだけ偉大なのか身に染みて分かって、それを凄く幸せだと思った。 そしてそれは多分、栄純も同じ――…。 それはある平和な平和な、土曜日のこと。 [←] |