幸せは歩いてやってくる02 |
* 続きです 「なーんで、それで言った本人がいねぇかな…。」 ぶつぶつ呟きながら、ボールの中の合びき肉を、これでもかってくらいこねあげてやる。 次第に柔らかくなっていく肉に、卵と牛乳と…。手慣れた手つきでハンバーグを作る俺の横で、軽い鼻歌まじりで同じく料理に手を動かすのは、栄純の母さん。 その手元は、衣のついた白い丸い塊がゴロゴロしてる。 「上手ねぇ。一也君。」 「え?」 うっかり手元を見ていたら、クスリと笑われた。 「料理、上手だったのね。」 「あ、いえ…二人暮らし始めた時は、全然出来なくて…。」 「あら。そうなの?」 「はい。栄純と二人して、焦がしたり、辛かったり、逆に激甘だったり…あの頃は毎日戦争でした。」 「ふふ。そう言われるとなんだか目に浮かぶわぁー。」 「おばさんはそれ…コロッケですか?」 俺の問いかけに、おばさんの動きが少し止まる。 すると、ふわりと微笑んだおばさんが、少し皺の寄った目元を緩ませながら、ふんふんと軽く鼻歌を再開させた。 「小さい頃から、よく作ってたわよねぇ。これ。」 「はい。そーですね…。」 「一也君も栄純も仲良しだったから、いつも夕飯も一緒にしたりして。」 「どっちの家かはまちまちでしたけど、いつも一緒だったのは覚えてます。」 「そうね。栄純が、ぐずるから。」 「ぐずる…?」 「そう。“一也と一緒じゃなきゃ食わねー!”って。あんまりにも煩いから、もう面倒くさいし、じゃあもう一緒にしちゃえーって。」 しちゃえー…って。 くすくす笑う柔らかい表情は、凄く栄純に似ていて、ああやっぱり母子なんだなぁと漠然と思った。 「あの頃から、栄純は一也君が何よりも誰よりも一番で、一也君も栄純が何より一番、…大切だったのよね?」 おばさんの声音が、少し変わる。なぜかそうはっきりと感じた。 ザワリと、嫌な風に心が揺れる。 そうっと横を見れば、そこには今まで見たこともないくらい真剣な顔のおばさんの強い目があった。栄純と一緒にいるのと同じく、おばさんだって随分と長い時間一緒にいたはずなのに。それは初めて見る表情だった。 黒く、深い瞳。 栄純にそっくりの、意思の強さを真っ直ぐに映す瞳。 「おば、さん…?」 声が、震えた。 駄目だ。この先は。 けれど逃げる場所は、無い。 「一也君の一番は、今も、栄純なのかしら――…?」 ざわざわと心の奥の方を揺らす風が、大きな音を立てて吹きあげた。 意識がゆっくり呼び戻されると、カーテンの隙間から漏れる光が凄く強くて、もう大分太陽が高い事を知った。 もぞもぞ布団の中を動く。シーツが素肌に触れるのが気持ちいい。もう少し、もうすこしだけと、欲求と睡魔にまどろむ。横に少し腕を伸ばして見ても、そこは空っぽの抜け殻で、隣に寝てるはずのやつの姿はどこにもなかった。 もう起きたのか…。はえーなぁ、とは思うけど、昨夜は俺は結構頑張ったんだからもう少しくらい寝てても許されるはず。 適度な温度とほどよい眠気が、ちょうど良くて気持ちいー…。 開かない瞼をぴったりと説いて、どこまでが夢で、どこからが現実か分からないようなふわふわした浮遊感。 休みの日の朝寝坊ほど、至福な時は無い。 「んー…。」 寝がえりを一回。ごろんと全身が反転する。 ごろん、ごろん。 暫くそうして、浅い眠りの縁をさまよって、どれくらい時間が経ったのか分からないけど、自然にパチリと目が覚めた。 「…いま、なんじ…?」 答えは返って来ない。 体を起こして横を見たら、一也の姿がなかった。 キッチンの方で音がする。飯の用意かな…。 よく意識してみると、なんかいい匂いするような…。 ベッドからシーツをずるずる引きずりながら、ドアに手をかける。一也からは「行儀悪い。」と言われるけど、このスーツのひんやりした感じが好きでやめられない。 ぽやぽやした頭のままドアを開けて外に出ると、ドンッと誰かにぶつかった。 「かずー…?」 この家にいるのは一也と俺だけだから、反射的に一也の名前を呼ぶ。 ごめん、と続くはずだった言葉は「栄純、ちゃん…?」という女の人の声で掻き消された。 …女? (なんで、この家に女の人…?) 意味が分からなくて、慌てて顔を上げる。 誰―…?と思って声を出そうとした瞬間、視界に映った気の強そうな切れ長の瞳に、一気に意識が覚醒した。 「かっ……!?」 スーパーの袋片手に、廊下で鉢合せした人物…。 いるはずのないその人に、大声が上がる。 「一也の、おばちゃん……!?」 俺の方を驚いて見ていた一也のおばちゃんが、少ししてふわりと微笑む。すげぇ美人で、その笑顔は見惚れそうなくらい綺麗だったのに。 俺の背中にはだらだらと冷たい汗が流れる。 (な、な、な、な、ななななんで一也のおばちゃんが…!?) 一種のパニック状態になりながら、言葉も声にならず、ただワタワタする俺を見て、一也のおばちゃんはそれはもう綺麗に綺麗に笑いながら言った。 「……お久しぶりね。栄純ちゃん。」 “一也君の一番は、今も栄純なのかしらー…?” おばさんの声が、何度も何度も頭をリフレインする。 ガンガンと鐘を鳴らすみたいに走る頭痛。言葉が止まる。声が喉に張り付く。嫌な感覚。 おばさんの視線は俺から、外れない。 (それは、どういうー…?) もしかして、バレているんだろうか。そう感じさせられるくらい、その瞳は真剣そのもの。 俺の、栄純への気持ち。そして、俺たちの関係。何年も隠して来たその両方。上手くやって来てつもりだった。 だけど、そうだ。この人たちは、“母親”。 誰よりも、俺や栄純を知って、そしてずっと傍で見て来た人。 きっと自分自身より、俺らを知っている人。理解ってる人。 隠す事の方が、難しい。バレていたって、おかしくない。 それくらい、“近い”人―…。 (…どうする?) もし。 もし、バレていたとして、俺はどうすればいい? 正直に言う?でもそれでもし反対されたら。…二人で暮らせなくなったら。 栄純と離れることになったら…。 考えただけでもゾッとした。 栄純の居ない生活。栄純の居ない人生。 そんなものはいらないし、想像すらしたくない。 少し前までは、いつかそんな日が来るんだろうと覚悟していた。いつか、栄純の隣は俺じゃない誰かのものになって、俺を忘れて、遠くに行ってしまう日が来るんだろう、と。 だけど、一度その温もりを手にしてしまったら…その温かさのいる生活を知ってしまった俺にとって、栄純を失うことなんてもう考えられない。 そんな世界は、俺には何の価値もない。 栄純の家は、温かい家だ。 おじさんもおばさんも、おじいさんも、皆栄純のことを大切にしているのが傍から見ても伝わって来る。 そんな風に大切に育てられた栄純は、いつか幸せな結婚をして、家庭を持って、子供も出来て…そんな未来がよく似合う。この、目の前の優しい人もきっとそれを望んでいるし、そう信じて疑ったことなんかないんだろう。 だけどそれを、俺は、俺の手で壊してしまう。 信じてくれていたその気持ちを裏切って、この人の大切なものをいばらの道へと引っ張り込む。 俺が栄純の普通の幸せを奪う。引きちぎってしまう。そんな残酷なことを、言えるのか。 ―――否、言えるわけが無い。 傷つけたくない。栄純の大切な肉親を。 傷つけたくは、ない。 でも、逃げるのは許されない。強い瞳は逃げることを許さない。 俺を捉えて、離さない。 どうする――…。迷う心は、意思をぐらぐら揺らす。 誤魔化すか、正直に言うか。何度も選択肢がぐるぐる回る。 「俺は――――…。」 一也のおばちゃんは、俺の母さんと違って…こう、美人系っつーの? ああ、一也はおばちゃんに似たんだなぁ…と昔からぼんやり思ってた。 そのおばちゃんが、なぜかスーパーの袋片手に、今目の前にいる。 なんでだろう?ここ、実家だったっけ? ………いやいやいや。んなわけーねーだろ。 一人ツッコミをいれつつ、苦笑する。落ちる沈黙がとてつもなく気まずい。 何が気まずいってそりゃ…さあ…。 (…服着んの忘れた…。) あちゃー…どころの騒ぎじゃねぇ…。 「随分とセクシーな格好ねぇ。」 「う…は…は…。」 じぃっと凝視するように見られて、居た堪れない気持ちになる。 実の親と同じくらい、ガキの頃から世話になっている相手だ。それこそ裸なんて見られ慣れているけど、キスマーク付きまくりの全裸(っつってもシーツ引きずってはいるから、上半身半裸だけど。)見られた経験は流石に無い。 どーしたもんか…、と思うけど、生憎俺は頭が悪かった。 しかも、こんなにバッチリ見られたら、誤魔化し様が無い。 とりあえずあまりにもいたたまれなかったので、後ろ手で微妙な雰囲気の残る寝室を隠すように扉を閉めた。…ま、きっともう遅ぇだろうけど。 「…まさかとは思ったけど、やっぱりそうだったの…。」 はー…と小さくおばちゃんがため息を吐く。 それに、うへへとつられたように笑いながら、ポリポリ頭を掻いた。 「驚いた…っす、よね…。」 「まぁ、そりゃあ多少はね。でもなんとなーく、もしかしたら…と思ったりもしてたから。」 「うえ?」 「私たちを誰だと思ってるの。」 母親よ?と言われて、言葉に詰まる。 …っつーか、今、私たち、って…。 「もしかして…。」 「栄純ちゃんのお母様たちも来てるわよ。今、一也とキッチンで昼食を作り…を兼ねた、尋問タイム。」 「えー…。」 「私ももう少ししたら栄純ちゃんのところに行くつもりだったんだけど…手間が省けたわねぇ。現行犯逮捕。」 「う…。」 確かにこれは完全に現行犯…。さすが一也のおばちゃん、上手い事言う…。…って場合じゃねぇけど…。 逃げも隠れも誤魔化しもきかない。あー…俺って可哀想。 「まぁ、聞くまでもないと思うけど…。」 「…ハイ…。」 「栄純ちゃんは、一也が好き?」 いきなり確信をつく直球な質問に、ドキリとする。 真っ直ぐ見つめた瞳の、意思の強い色。母親の強さ。責めるわけでも、怒るわけでもない。ただ、静かに問いかける。純粋な質問。 答えは、考え無くても口から出た。 「………はい。俺は誰よりも一番、一也が好き。」 俺はこの人に、嘘はつけない。 [←] |