幸せは歩いてやってくる | ナノ

幸せは歩いてやってくる


* 大学4年生
御幸と沢村のお母さんとかめちゃくちゃ出てきます。
苦手な方はご注意ください。





その来客は、突然やってきた。


「…い、」


何を喋ろうと思ったのか、口をついで出るはずだった言葉は残念ながら音にならず、虚しく空間に落ちる。
それを拾い上げる暇もなく、投げかけられる言葉と笑み。


「久しぶりねぇ、一也君。」


栄純はいる?―――と。
そのあまりにも穏やかな音に、腹の底からじわじわと冷たさが広がって行くようで。
反射的にコクリと一度首を縦に振る。「はい、お久しぶりです。…おばさん。」と呟いた声が、まるで別人のように聴こえた。


…そりゃ、いるけど。いますけど。
それはもうぐっすりお休みになっておられますけど。(普段早起きして早朝ランニングに出かけるのが日課な栄純は、休みの日は放っておくと昼過ぎまで寝てることが多い。)

…それにだってほら、今日は練習も学校も無い、平和な平和な土曜日の朝。


「で。いるの?いないの?」


穏やかに微笑む栄純のおばさんの後ろからひょっこり顔を出したその姿にビクンとして。
その瞳に映る時分と同じアンバーがどこか怪しく光るのを俺は見逃さなかった。


休みの日を満喫していらっしゃる幼馴染兼恋人は、普通に昨日寝た時のまま。
つまり、素っ裸だ。

しかもあいつ大体毎朝そのまま起きてくるもんだから…。



…頼むから、起きて来んなよ、栄純。











高校を卒業すると同時に始まった、俺と栄純の二人暮らし。
元々、兄弟みたいに育ったこともあって、親同士ももちろん仲がよく、同居を取りつけることはそこまで大変では無かった。
寧ろ栄純は年の割に世間知らずなところがあって、アイツの親さえ心配するくらいの馬鹿だったから、一緒に暮らすと言った時にはそれはもう逆に感謝すらされたもんだったけど、正直なところ俺と栄純は“ただの幼馴染”なんて綺麗な関係では無かったから、少しだけその思いに罪悪感を覚えたのを覚えてる。

(まぁ…あの時は一応まだ、キレイ、な関係ではあったわけだけど…。)

今はもうそれも、遥か昔の話だ。
年頃の、いろいろ盛りのついた男が恋人と暮らしてるんだから、当然といえば当然なわけで。
…ま、相手もまた男だっていうのが多少当然の定義からは外れるとはいえ。


「…何の連絡もなく、いきなりどうしたんですか。」
「あら。実の息子のところに行くのに、連絡が必要?」
「必要だよ…。」
「ケチねぇ。」
「ケッ…!?…大体ここには俺だけじゃなくて、栄純だって住んでるわけだから、栄純の都合だって…!」
「だから、一緒に来たんじゃないの。」
「は…?」


にこっと笑われて、隣を指さす母親。
その先に居たのは、のほほんとした顔で俺と母のやり取りを見ていた栄純のおばさんだ。それを見ながら、「実の息子のところに行くのに、許可が必要?」ともう一度と同じ言葉に綺麗な笑みを添えた。
…我が母親ながら、本当に食えない…。

はぁ…と観念したようにため息をつく。
そんな俺の様子に満足したのか、母さんがゆっくりと足を組み直した。


「いきなり押しかけちゃってごめんなさいねぇ。一也君。」


どこかピリピリした親子間に流れる緊張した空気を壊す、穏やかな声。
もちろん今、こんな声で言葉を発する人物は一人しかいない。


「おばさん…。」
「私たちも急に思い立ったもんだから、連絡する余裕が無くて。」
「いえ…、大方家の母が、驚かせてやろうとかなんとか言ってけしかけたんでしょうし。」
「ま、ひどいわぁ、一也。」
「違うわけ?」
「……。」
「まぁまぁ。乗った私も同罪だもの。」


おばさんそれ、肯定しちゃってますけど…。


「…それで。」
「え?」
「来ちまったもんは仕方ねぇけど、いきなり来たからには何かあるんだろ?」


用件、と言えば、きょとん顔の母さん。
…は?そこ、きょとんとするところじゃなくね?
何でそんな不思議そうな顔していらっしゃるんでしょうか。


「無いわよ。」
「は?」
「だから、無いわよ。用件なんて。」
「無いって…。」
「だって一也も栄純君も、正月も帰って来ないんだもの。親としては心配の一つもするわよ。ねぇ?」
「まぁ、一也君は心配ないだろうけど…うちの子はほら…あれだし…。」
「えー?実際栄純君の方がしっかりしてるわよー。うちのなんて、ほら。外面だけだから。中身見てがっかりするタイプのやつよ。」


おいコラ母さん。
あんた実の息子の評価なんなの、それ。「いいのは顔だけよぉ、顔。」って…。
俺、ガキの頃からアンタにそっくりだって言われてんですけど。何さらっと時分の自慢までしてんですかね。

じとっと高らかに笑う母親の顔を睨みつけていると、笑いを止めた母さんと目が合う。
その目が瞬間、小馬鹿にするように細められて、カチンと何かが頭の中でぶつかった。その顔になんだか妙な親近感を覚えた気がして、ああこれが血ってやつか…と思ったらちょっと悲しくなった。振り切るように頭を揺らす。俺は絶対ここまで性格の悪そうな笑い方はしてない。…はず。


「だから様子見っていうか。優しい親心ってやつよ。」
「…そういや母さんも人の親だったな…。」
「あら、じゃあ貴方は人の子じゃなかったってことかしら。」
「…。」
「あー。もう本当可愛くない。うちの子本当可愛くない。」


2回も言ったな。2回も。


「あー。可愛い可愛い栄純ちゃんに会いたいわあ。」


栄純、と言われてドキリとする正直な俺。
極力顔に出ないように木を付けて、一度息を吸い込んだ後、悪魔のようにすら見える来訪者2人に向き直った。


「とにかく…栄純は今日は体調悪くて寝てるから…。」
「栄純ちゃんが病気!?」
「あの栄純が病気!?」


…あ。

(やべぇ、これはマズった、かも。)

案の定2人同紙に反応した母親ズが目を見開いて食いついてきた。
そのあまりの迫力に、俺はソファに座ったまま少し後ずさる。あの元気を塊にして作ったみたいな栄純が“体調が悪い”だなんて、自ら突っ込んでくれと言ってるようなもんだ。
昔だったらもっと上手い嘘を付けた気がするのに。栄純と2人で暮らし始めて、なんか色々鈍って来ちまったのかもしれない。
コソコソとしなくてもいい、隠れ無くてもいい、隠さなくてもいい日々。
そんな毎日が当たり前のように流れていたから、つい、昔のことを忘れそうになってた。
大切なことを、忘れそうになっていた。

俺と栄純は、傍から見れば今だって単なる“幼馴染”でしかないってこと。

(あー…。)

ズキンと体のどこかが痛む。
この突然の来訪者二人組は、余計な痛みもプレゼントしてくれたようだ。


「一也がついていながら病気だなんて…。」


わなわなと震える声で低く呟かれた言葉に、ハッと我に返る。
そうだ、今はこんなこと考えてる場合じゃない。


「たっ、体調悪いっつっても、風邪とかじゃねーし…。」
「でも、寝こんでるんでしょう?よっぽどじゃない。」
「今日、土曜日だろ。大学野球部の練習すげぇつらくてさ、平日めちゃくちゃ疲れてんの!だから、オフの日くらいはゆっくりさせてやろうかと思って。だから!すげぇ寝てるだけで、どっか悪いとかじゃねーから!」
「…そうなの?」
「そうなの!」


しぶしぶといった様子で少し大人しくなる母親にホッとする。
だから帰って、また後日改めてにしてくれると嬉しいんだけど、と、続けようとした言葉は、パンッという乾いた音に遮られた。


「え?」
「じゃあこういう時こそ、母親の出番よね!」
「…え?」


何、言って…?


「2人で可愛い息子たちを元気にしてあげようじゃないの!」


元気に明るく高らかに声を上げる自分の母親が、やっぱり悪魔に見えた。

っつーか、おばさんもにこにこしてないで母止めてくださいよ!!


…まぁ、無理だろうけど。










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