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『かごめかごめ 籠の中の鳥は』 『いついつ 出やる』 『夜明けの晩に』 『鶴と亀が滑った』 『後ろの正面』 だあれ。 あなたは、 「なんということでしょう!」 「…。」 「ほら!学校!学校が見えて来たぞ、御幸!」 「随分嬉しそーな…。」 「そりゃもう!念願叶っての登校な上に、見ろこの時間!」 歓喜の声を上げて思わずブレーキに力を込めれば、キッと音を立てて自転車が急に止まった。勢いを残したままの車体は軽くぐわんと揺れて、後輪が少しだけ持ち上がる。後ろに乗っていた御幸はさぞ衝撃を感じただろうけど、気にしない。振り返った先、ちょっと睨まれたけど、やっぱり気にしない。今俺はそんなちっぽけなことにかまっている場合じゃない。 ポケットに手をつっこんで、無造作に突き刺していた携帯を人差し指と中指で掴む。画面に触れてアナログで表示される時刻はまだ始業のベルまで余裕の時間を示していた。これは確実に勝てる。圧勝だ。 心の奥から、ジーン、と変な感慨が浮かび上がって、思わずガッツポーズしかけた。 「ギリギリどころか余裕の登校!」 さすが俺。やれば出来る子俺。 っつーか、いつもやってたけどな!基本出来る子だけどな!やりたくても出来なかっただけなわけですが!ええ! そのまま一人感傷に浸っていると、後ろで御幸の興味なさそうな欠伸の音が聞こえた。振り向けば、その端正な顔を退屈そうな色に染め上げていた。 …オイコラなんだその態度。 「喜べよ!ちょっとは喜べよ!俺と喜びを分かち合えよ!」 「えー…。めんどくさ、」 「この俺の!困難を乗り越えたがゆえの、ごま…いや、ひと……しお?の喜びをさぁ!」 「ハイハイ。バカが背伸びするとそうなるそうなる。」 「だから!バカいうな!」 「ハイハイハイ。あんまぎゃあぎゃあしてたら、お前完全に不審者認定だけど、いいの?」 「なぬ!」 しまった。忘れてた。 俺には御幸がナチュラルに見えるせいですっかり頭から抜け落ちてしまうけども、そういえば御幸は俺以外には見えない。 つまり今俺は周りから見れば、チャリに必死に怒鳴り声を上げる…変人、なわけで。 意識してみれば、俺の周りを避けるように通行人があからさまに顔を逸らして通り過ぎて行く。一気に、さあっと血の気が引いた。 「違う!変人違う!誤解だ!」 「今まさにその変人まっしぐらだけど?ほら、あそこの女子が変な目で見てる。」 「うああああ…!」 俺がうろたえ始めると、突然さっきまでとは打って変わってニヤニヤ笑いながら御幸が楽しそうに指差した方向には、なんだかヒソヒソ言いながら俺をチラ見する女子学生の軍団。 俺がそっちを見れば、やっぱりあからさまに目を反らされた。これは確実に変なヤツだと思われてる。絶対思われてる。 違う、誤解だ。濡れ衣だ…! 「だー!もー!お前キライ!御幸キライ!」 「ハイハイハイ。」 「流すなっての!!」 「だって別に俺のせいでもなんでもねぇし。責任転嫁だし。」 「大体お前に会ってから俺は碌なことがねぇんだよ!」 「つーか、俺に会わなきゃお前死んでたんだけど。いいの?」 「う…。」 「…お前って本当単純バカな。」 もっともなことを言われて、思わず口を紡ぐ。御幸が重いため息をつく。 言い返したい。でも上手い言葉が見つからなかったから、とりあえず唇をにょっきりと突き出して御幸を睨みつける。するとなんだかその先にある御幸の目が俺をバカにするような色を孕んでいるような気がして、更にムカッとした。 そういうお前は、意地悪悪魔だな!…あ、悪魔じゃなくて妖か。俺にとっちゃあんま変わんねぇけど。…そう心の中だけで悪態を吐いた。 そのままギリギリ歯ぎしりをしていると、御幸がケロッとした顔で自転車に跨がったまま俺を見上げる。 大体、こんなにもはっきり見える御幸が悪い。御幸がこんなだから俺がおかしなやつ扱いに…。 ああもう!なんて不幸な俺! さっきまでなんだかいい気分に包まれていたのに、御幸の飄々とした態度に触発されてなぜかいつの間にか俺の気分は下降一直線。なんつー空気の読めない妖。 イラッと、俺の心が緩く波を立てる。 「妖なんて、嫌いだ…。」 自慢じゃないけど、俺の言葉は基本感情直結型だ。考えるより先に口が動く。 何も考えず、ただ体の奥の方から沸き上がってきた感情に添ってポツリとそう呟いた。 すると突然、吐き出された重たいため息が落ちるより早く、ザァッと重く風が凪ぐ。 どこから流れて来たのか、突然現れたその風が、辺り一帯の空気を揺らす。 「う、え…!?」 痛みはないのに、頭を殴られた時みたいに脳内が揺さぶられて、体が内から震えた。 視界が消える。 変わりに聴覚だけが、まるで獣のそれにでもなったかのように、一気に研ぎ澄まされる。 『かごメ…かごめ』 その鼓膜を弾く、歌声。 (…え――…?) 次第にじわじわと広がって行くその歌は、まるで太陽照りつける夏の暑さの中途切れず鳴き蔓延る蝉のようだった。 耳を塞ぎたくて、手を伸ばす。けれど耳を塞いでも、体を折り曲げて丸めても、声は止まない。寧ろ次第に増えて増えて、膨らんでいく。 『かごのナかのトりハ』 『かごめ カゴめ』 『イついツでヤる』 『ツるとかメがすべッた』 『ヨあケのばんに』 『つルとかめガすべっタ』 『かゴのなかノとリは』 『ツルとかめがスべった』 カラーだった世界が、瞬き一つの僅かな時間で唐突に白と黒に変わる。それは驚く暇すらないほどの、ほんの一瞬の時間だった。 クスクスクスクス。 不揃いなわらべ歌の輪唱に混ざって、子供の笑い声にも似たノイズが耳の中に響き渡る。その不快な音に、眉間に皺を寄せて目をぎゅっと瞑った。 その音は、声は、体の内側から鳴る。耳を塞げば、出口を失った雑音が体内で暴れるように騒いだ。 「な、ん……!?」 そんな不協和が身体中を占拠して、意識を体から引っぺがされるような感覚に襲われる。 まるで眠りに落ちるように。 意識がふつりと途切れる。 みゆき。 側にいるはずのその名前を呼ぼうとしたのに、喉に声が貼り付いて、上手く音にならなかった。 『後ろの正面、みぃつけた…』 途端訪れたのは、シンプルな静寂だ。 「……あー…やられた。」 小さくため息をつくと同時に、持ち主を失った自転車がガシャンッと大きな音を立てて地面に寂しく転がった。 キィキィ小さく鳴るペダルの音が虚しく響く。伸ばしたのに届かなかった手をゆっくり閉じて開くと、はぁ…とまた深くため息を吐き出した。 「だから、あのバカ…。」 外に出すのが嫌だったんだ。 今更ながら、そんな後悔が浮かぶ。絶対に面倒引っ張ってくるに決まってる。そして俺のそんな予想は十中八九めでたく大当選だ。 行き交う人間が、急に倒れた無人の自転車に驚いたように視線を集める。なんだなんだと、騒ぐような声が煩わしい。 「まさか、こんな簡単に持っていかれるなんてなぁ…。」 ポリポリ頭をかく。不覚だ。全くもって、不覚としか言いようがない。 さっき一瞬だけ、俺の意識がぶれた。 まさかそんな一瞬を狙われるなんて予想外だった。 さっきまで沢村がいた場所、そこには無人の自転車だけが横たわる。沢村の影も形も、そこには跡形もなくなっていた。沢村の体を引っ張り込んだその張本人ごと。 こんな、いとも簡単に。俺の目の前から奪われるなんて、思いもしなかった。 『妖なんて、嫌いだ』 きっかけは、あれだ。 沢村が何気なく呟いた一言で、一瞬だけ気が削がれた。 まさか、まさかあんな一言で動揺するなんて。 全く俺らしくもない。 生憎そんな繊細な心は持ち合わていないはずだし、嫌われるのには慣れてるはずなのに。 おかしい。 「…………これだから、人間ってのは面倒なんだよ。」 思考を揺さぶられる。なぜか。 人間を見ている分には、退屈しない。だけど、実際自分が関わるとなると話は別だ。 けれどいつだって、面倒くさい出来事と面白い出来事は結局紙一重でしかない。 違いは一つ、俺が迷惑を被るか否か。 残念ながら今回は前者らしい。首を動かしたらパキリと音が鳴った。 持ち主の消えた自転車に近寄って、しゃがみ込む。微かにだけど、そこには痕跡が残っていた。すれ違いざまの香の残り香にも似た、微かなものではあったけれど。 きょろりと周りを見渡すと、通ってきた歩道に沿う車道の反対側には、街中とは思えないほどに緑生い茂る場所。 銀色の車止めに遮られた先には、広い敷地にチラホラ人間の姿が見えた。 「………公園、ね。」 なるほど。 小さく頷いて、痕跡の残る自転車にゆっくり指を這わす。 「ったく…。ナメられたもんだぜ、俺も。」 歪めた唇が赤く染まる。 面倒なことは正直嫌いだ。 …けど、舐められるのは正直もっと面白くない。 さて。 どっかの見知らぬ身の程知らずに、アレが誰のモンなのか。 はっきりさせにいこうか。 誰にも聞こえない笑い声が、早朝の青空の下に静かに響いて消えた。 [TOP] |