03 | ナノ

03



「…俺は世界で最も不幸な人間かもしれん…。」


自分の落とした一言が、一人の部屋に想像以上に寂しく響く。
それがたまらなく虚しい。寂しい。哀れだ。


「なーにぶつぶつ一人で言ってんの、沢村。」


机に突っ伏す俺の後ろから、ひょっこりと顔を出す茶髪眼鏡。
肩口に俺の顔を覗きこむそのイケメン面を持ち上げた視線の先にばっちり拝んでしまって、更にそれが俺をイラつかせる。
振り払うみたいに手を緩く持ち上げて動かせば、バシッと軽い音がしてそいつの胸元にヒットした。


「いってぇし。何荒れてんだよ。」
「うっせぇ滅びろイケメン…。」
「八つ当たり?」
「俺だってヒトん中じゃイケメンの部類だ、バァーカ!」


ふんっと鼻を鳴らして机と対面状態に逆戻り。
それにクスクスと後ろで笑う声がする。


「ヒト、ねぇ…。」


意味深に呟かれた言葉に眉を寄せて、頬を擦りつけていた机から顔を上げて、そのまま椅子の背もたれに体を預けると、ぐりっと首を天井に向けて折った先に、ベッドに胡坐をかく男の姿が一人。
一人、っつーか。寧ろ一つ。


「ひでぇなー。俺だって一応人間なのに。」
「形だけ、だろ!」


叫んだ俺の言葉に笑うこいつは。
姿形は確かに人と何ら変わりねぇけど、その正体は、この世に何千年も生きる太古の妖だ。
またの名を俺の貧乏神とも言う。


「大体、沢村だって人のこと言えねぇじゃんか。」
「う…。」
「それとも何?そんな生意気なことばっか言って。喰われちまいてぇわけ?」
「んなわけねーだろ!ぎゃ!近寄んな化け物!」
「ホント減らねぇ口だなぁ…。」


トン、と軽くベッドから立ち上がった御幸が俺の方に近寄って来て、するりと俺の顔にその手を滑らせる。
触れたところが温かいそれも、人間と何ら変わりがないのに。
覗きこまれた吸いこまれるようなアンバーに、一瞬息を飲んだ。


「ま、不幸なのは否定しねぇけど。お前、人生で二回も死んでるし。」
「うっせーな!」
「…でも幸せ者でもあるだろ?」


長い指が輪郭をなぞる様に滑る。両手で顔を掴まれて、そのままぐっと引き寄せられて、端正な顔が間近に迫る。
息遣いすらも感じそうな距離で、妖が、御幸が囁く。


「人生で二回も、この俺に生かされてるわけだし。」


喋る度に吐息が鼻先に、唇に触れる。
あまりに近い距離に思いっきり手で押し返したら、御幸はあっさりとその体を引いた。


「……………うっさい老年。」
「うっわ、ひでぇ!」



酷いとか何とかいいつつ、楽しそうに笑う御幸に、俺はため息しか出ない。















目が覚めたら、なぜか知らない場所にいた。
まるで眠りから覚めるみたいに自然に瞼を開いたら、一瞬眩しさに目が眩んだ。そして飛びこんで来る、白。
意識がどこかぼんやりとしていて、それが戻って来るとざわざわと周りからよく聞き取れない囁きが耳に飛び込んで来た。
見覚えのない場所。思わず首を揺らして周りを見たら、ふと自分の腕に目がいって、そこに巻かれたガーゼに目を見開く。


「な、な、なんだこれ!?」


見覚えのないものに意味が分からず左腕を持ち上げると、それは左だけじゃなくて、右腕にも、足にも所々に同じような怪我の処置のような痕があった。
なんだ、これ。
どうしてこんなもの?それよりここはどこだろう?

(俺、確か学校に…、そんでまた、あの黒い影が、あって…。)

それから。
それからどうしたんだっけ。

そんな疑問を浮かべると、チカッとまるで明かりがともるみたいな一瞬の痛みの後、まるでCDの音が飛ぶみたいに何かがざわついた。


「…あら。目が覚めましたか?」
「え!?」
「よく寝ていたみたいだから…もうちょっと寝かせてさしあげようかと思ったんですけど…。学生さんですよね?」


思わず抱え込んでいた頭を持ち上げれば、目の前に立っていたの白いナース服に身を包んだ1人の女性。どう考えても看護師のようだった。…ということは、ここは病院?
よくよく見てみたら、白い壁は病院の作りによくありがちなもの。行きかう人は私服だったり、それこそ病院でよく見る検査着だったり…。その上自分が座っていたのが、その一角にあるソファだと漸く気付いた。


「ハ、ハイ…!あ、あの、」
「ん?」
「あの、俺…!」


どうして。


「本当に、大変でしたね。」
「…え?」
「あんな大きな事故に巻き込まれて。あと1歩逃げるのが間に合わなかったら、轢かれていたそうですよ。」
「事故…?」


事故。
その言葉に、頭の片隅が痛む。

そうだ、事故だ。
俺は、事故にあって。それで。
大きなタイヤが目の前に現れて、それで。
熱さと、空の青さと、そして悲鳴と。その後に見た、真っ暗な――…。


「逃げた…?」


そんなまさか。
俺は確かにあの時車に轢かれて、それで。


(死――…。)


ゾクリと背筋が震えた。
思わず震えそうになる手をぎゅっと誤魔化すように握れば、嫌な汗がじわりと滲む。


「轢かれそうになったところを、反対側の道路に逃げたらしいですよ。その時に怪我されて、病院に運ばれて来たんですが、幸い軽傷で治療もすぐに終わったんです。検査もどこも異常無し、って言ったら安心しちゃったのか、沢村さん、待合で待ってる最中に寝てしまわれたので…。」
「え?え、え…?でも、でも俺、あの時確かに車に轢かれて…!」
「え?」
「…怪我…?」


だって、あんなにもあの時のことをはっきりと覚えてるのに。
痛みは無くて、でも熱くて、全部が遠くなっていくみたいな、あの感覚をこんなにもはっきりと覚えてるのに。

(怪我……、だけ…?)

「…大丈夫ですか?」


看護師さんに心配そうな声に、ハッとする。


「あ…。」
「あ…。あんな事故の後ですから、記憶が混乱するのも無理ないですよね。警察の人が話を聞きたがっていたんですが、後日改めてってことにしてもらってますので、今日はもう帰っても大丈夫ですよ。」
「あ、あの…!」
「…はい?」


小首を傾げる看護師さんは、冗談を言っているようには見えない。
それに、俺の体に残る怪我の痕は、確かにどう見ても死にそうな怪我には見えなかった。


「……ありがとう、ござい、やす…。」


何も言えなくなって、開いた口からそのまま弱弱しいお礼の言葉を紡ぐと、愛想のいい看護師さんはにこりと優しそうな笑みを浮かべて、そのまま去って行った。ぽつんと騒がしい廊下の一人取り残される。それはまるで狐にでも摘まれたみたいな感覚だった。
だってあの時俺は、絶対に死んだと思ったのに。
逃げた?軽傷?検査に問題無し?…あの状況で、どうやって?

意味が分からず頭をぐるぐると回る。だけど、ふいに目をやった時計の示す時間にぎょっとした。


「えええええ!?ちょ、学校!!学校は!?」


俺、確か登校中だったはず。
まさかついに遅刻通り越してサボりまでいっちまったのか…!?
入学3カ月で善良な俺、ついに不良の仲間入りしちまうのか…!


「はっは!気にするとこそこかよ…!!」
「え?」


だけど気付いたところで今更どうしようもない現実に、がっくりと椅子に座ったまま肩を落とすと、その横から急に声が聴こえて、思わず顔を上げた。
きょろりと左右に首を振ると、俺の右側で男が一人、ひらりと小さく手を振る。
全く気付かなかったそれに、反射的に飛び退けば、男の目が一瞬きょとんと見開かれて、立ち上がる俺を見上げた。


「だ、だだ誰だあんた…!!」


あまりにも自然に隣に座るその男に、今の今までまったく気付かなかった。
っつーか、さっきまで俺そこに寝てたのに…!?いつの間、に…?看護師さんと話している時も、まったく気付かなかったのに。
そんな風に慌てる俺が面白いのか、ケラケラ腹を抱えて笑う男は、優男風の無駄なイケメン。
眼鏡の向こうで笑みの形に細められた目は、なんだか特徴的な色をしていた。
何がそんなにおかしいのか。病院という背景にどこか浮いているようなその怪しげな男に思わず声を荒げる。

すると、ニンマリと笑った男が、俺を真っ直ぐ見上げながら、小さな声で言う。


「つっめてぇのー。さっき契約したばっかでしょ。」
「は、あぁあ!?」


口の端を弧に歪めながら笑うその男の言う事の意味がこれっぽっちも分からなくて、もしかしてこの人ヤバい人なんだろうか…と一歩後ろに後ずさった。


「沢村さん、病院内ではあまり声を大きくしないでくださいね。」
「…あ…。」


すると別のところからまた声が聴こえて、勢いよく振り向く。そこにいたのは誰かと思えば、さっきの看護師さんだ。
温厚そうな笑みはそのままだけど、なんかさっきよりちょっと顔が恐い。
慌てて口を両手で塞いだら、ニコリと音がしそうなくらい綺麗な看護師スマイルを向けられた。恐い。なんか怖い。


「す、すすすいやせん!すぐ帰ります!」
「帰り道も、気を付けて下さいね。」
「ハイ!」


なんだか居心地が悪いのと恥ずかしいのとで、勢いよく頭を下げる。
そのままソファに座っていた男をチラリと見て、「アンタのせいで怒られただろ!」と小声で叫べば、全くもって悪びれる様子も無いその男の笑みにムカッとした。


「失礼しやす!」


看護師さんにはもう一度お辞儀を、ソファの男には睨みを利かせた一瞥を向けてから、そのままバタバタと廊下を走った。出口がどっちの方向にあるのかなんて分からなかったけど、とにかく今はこの場を離れたかった。
意味の分からない状況。混乱する頭。その上更に、意味の分からないことを言う、意味不明な男。

(だぁっ!もうなんだよこれ!!)

今日は厄日だ。
学校はどうにかするとして、早く帰ろう。そんで飯食って寝たら、きっといつも通り。

何かを振り切るようにひたすら走る。腕がちょっとだけヒリヒリして痛かった。それだけが、妙に現実的だった。


だから、俺は知らない。
走り去った背後の誰もいない廊下で、小さく看護師の女性が一人ため息をついて首を傾げていたことを。


「……一人で何やってたのかしら…。あの子…。」


静かな病院内に、女性の足音が小さく響く。





誰もいない廊下に。











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